『週刊エコノミスト』2002年7月2日号掲載「ウェブ上に集った市民が現実政治を変えている」の元原稿 


 

インターネットから政治が見える、政治が変わるーー情報政治学のススメ 

 


 毎週木曜朝にパソコンを立ち上げると、首相官邸名で「小泉内閣メールマガジン」で届く。しかし面白くない。「小泉純一郎です。六月四日、日本対ベルギーの試合を観戦した。いい試合だった。まさに真剣勝負。これまでサッカー観戦は三回目だが一番興奮した」といった調子だから。バックナンバーは官邸HPで読める。すぐに「ゴミ箱」にまわる。

 一年前の本誌に、「小泉首相のメールマガジン、人気取りに走れば手痛いしっぺ返しも」という小論を寄せた(昨年六月二六日号)。創刊号が出る直前で、半年前の「加藤政変」で加藤紘一がネットを過信し失敗した事例と比較しつつ、内閣支持率八割の勢いに乗る「小泉メルマガ」は、ネットの公開性・双方向性を生かした「公共の広場」となれば支持基盤を広げるだろうが、人気取りや情報操作に走って「対話」の公約を怠ると、インターネット市民=ネチズンたちから見放されるだろう、と述べておいた。それから一年、悪い方の予想通りに展開して、しっぺ返しを受けた。

 滑り出しは好調だった。「タウンミーティング」と並ぶ国民対話路線の目玉として、マスコミも競って取り上げた。昨年七月五日時点の登録者数は二一一万人、我が国パソコン利用人口の五・七%、男性六八%・女性三二%、年齢別では三〇代を中心に二〇代・四〇代の働き盛り、職業別で会社員四六%、会社経営・役員七%、自営業八%、公務員七%、学生一一%、地域別では東京・神奈川・大阪と、大都市サラリーマン層・管理職層の期待が大きかったことがわかる。

 ところが最近は発行部数も公表されず、小泉首相の「らいおんはーと」は弁明ばかりで元気なし、「大臣のほんねとーく」もマンネリで、「日韓親善大使」藤原紀香らをゲストに招き、なんとかもたせている。何があったのか?

 無論、インターネットのバーチャル政治にも、すでに支持率が半減し不支持が支持を上回った小泉人気の凋落が反映している。失言続きの森前首相との対比で支持を集めたはずなのに、外務省問題でも構造改革でもめっきり発言が減り、官僚的答弁に終始している。テレビや新聞と同じそんな話をメールでもらったって、仕事にも勉強にも役立つはずはない。まずは情報発信という基本機能で、読みたい内容がないのである。そのうえ肝心の「対話」が成り立たない。首相官邸ホームページに「読者の声」という窓口はあるが、返事がくるわけではない。当初は「声」のいくつかが紹介されたが、あたりさわりのないものばかりだった。要するに、政府情報の一方的垂れ流しで、フィードバックがなく、ネットの特性が生かされていない。学生たちによれば、「ポストに入っているチラシみたいなもの」だという。

 だが、より本質的問題は、昨年九月一一日の米国同時多発テロのような、緊急事態においてこそ現れた。メーリングリストやホームページの効用がわが国で脚光を浴びたのは、阪神大震災被災者救援のボランティア活動の頃からである。九・一一勃発時の「小泉メルマガ」は、「難局にひるまず立ち向かおう」「ファイト テロリズム」などという掛け声のみで、情報収集のためにも、緊急事態に対処するためにも、全く役にたたなかった。

 日本のインターネット世界で九・一一以後に実際に起こったのは、新聞やテレビの報道では得られぬ情報をウェブ上で求め交換し、個人が世界中から情報を集め、自分の考えをまとめることだった。次第に「テロにも報復戦争にも反対」のスローガンが支配的になり、世論の底流形成に重要な役割を果たした。「小泉メルマガ」が小泉・ブッシュ会談で大統領からもらったゲーリー・クーパー主演の映画ポスターになぞらえ「真昼の決闘」と粋がっていた十月初めに、インターネット上で燎原の火のように広がっていたのは、ニューヨークの犠牲者遺族からの報復戦争反対メッセージ、米国議会でただ一人アフガン爆撃に反対したバーバラ・リー議員の発言、チョムスキー、サイードらアメリカ国内少数派の声の紹介であり、後に出版されてベストセラーになる「世界がもし百人の村だったら」のメーリングリストを介した転送だった。現在書店に並ぶ「九・一一もの」出版物の多くは、半年前にネット上に氾濫していた情報の活字版である。

 昨年拙稿で引いた、自民党総裁選にあたって派閥力学では少数派の小泉を首相におしあげた草の根勝手連サイト「小泉純一郎と共に変革を実現する会」の二か月七五万アクセス、募金一一八万円達成は、当時としては画期的であった。しかし千葉の一主婦がよびかけたアメリカのNGOと提携して『ニューヨーク・タイムズ』に意見広告を出す「グローバル・ピース・キャンペーン」は、九月下旬から一か月で二五〇〇万円を集め、余った資金でイタリアやペルシャの新聞にも意見広告を出し、小泉支援募金の記録はあっさり塗り替えられた。シカゴの一学生が始めた「報復ではなく正義を」と訴える署名サイトは、三週間で七〇万人の署名を集め、日本を含む二〇か国語に翻訳して世界の指導者たちに届けられた。中村哲医師を中心としたアフガン難民支援NGO「ペシャワールの会」の活動は、各地の中村医師講演情報を次々とネット上で伝え、会場でのカンパを含む「アフガンいのちの基金」は、十月一二日から一か月で、実に一万五千件二億五千万円の基金を達成した。その秘密の一つは、ホームページを活用した応答性にあり、刻々集まる募金の額と共に、その活動状況と基金の使途が同会サイト上で逐一報告された。こうして昨年九月の現実政治の大きな転換を境に、「小泉メルマガ」がインターネットの特性を生かせずネチズンたちから見放される一方で、逆に自衛隊海外派遣や言論の自由抑圧に反対するNGO・NPOなど市民の運動は、ネットワークを活用して飛躍的に発言権を高め、世界との連帯を果たしていった。つまり日本のインターネット政治は、「マキコとムネオ」のワイドショー政治よりも早く、小泉内閣支持率凋落を先取りし、予示していた(加藤「ネットワーク時代に真のデモクラシーは完成するのか?」『データパル2002』小学館、「加藤哲郎のネチズンカレッジ」http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml内「イマジン」参照)。

 個人や市民運動の政治的発信サイトは、九・一一以降急速に広がって、今また有事立法や個人情報保護法に反対する運動やNGO・NPOに活用されている。省庁や自治体の電子政府化が進み、官庁統計や白書はウェブ上でみられるようになった。六月二三日には岡山県新見市長・市議選で、全国初の電子投票が行われる。政党や政治家ではホームページを持たない方が珍しくなった。グローバリズムの進行する現実世界の動きに併行して、インターネット上に独自の政治空間が形成されつつある。若い政治学者の中からは、これを古代ポリスや現代メガロポリスと区別し、「サイバーポリス」として理論化しようとする動きも現れている(岩崎正洋『サイバーポリティクス』一藝社、二〇〇一年)。

 本誌の読者ならば、五月一二日のNHK特集「変革の世紀 情報革命が組織を変える」を、衝撃を持って見たことだろう。かつて大量生産・大量消費の代名詞だったフォード社が、トップダウンのピラミッド型経営組織を逆転させ、現場労働者に大幅に権限を委ねて消費者ニーズに応えようとしている。政治の世界でも同様である。情報政治が広がり浸透することで、二一世紀の政治と政治学は新たな試練を迎えており、その公共的構築は焦眉の課題になっている。私もアントニオ・グラムシの「機動戦から陣地戦へ」にヒントを得て、現代政治を「陣地戦から情報戦へ」の転換ととらえ、「eデモクラシー」を含む「情報政治学」の本格的検討を開始した(加藤『二〇世紀を超えて』花伝社、二〇〇一年)。

 理論的に考察しようとすると、意外に奥行きは深い。「ガバメント」や「権力」という政治学の既成の概念や枠組みが、そのままでは使えない。「情報」概念そのものが論者により異なり、隣接する社会学・経済学ではもの足りず、自然科学や新興情報科学の成果を借りても納得ゆくものは少ない。たとえば情報と雑音(ノイズ)の関係。合理的な政治的選択に有益なもののみを情報と考えると、インターネットは巨大な雑音の森だが、アメリカ国家安全保障局の巨大な電子監視システム・エシュロンでさえ、雑音からビンラディン情報を事前に仕分けるのは困難だった。「2チャンネル」のような場でネチズン間に生じる匿名の暴力や人権侵害に「法の支配」がどこまで及ぶかは定かでなく、何より一瞬にして国境を超えると「法」も「正義」もあやふやになる。マイクロソフトのOS独占や英語の共通語化は百年前の「帝国主義」とは異なるし、「デジタル・ディバイド」は新たな格差を生んで現実政治に跳ね返る。もちろん二〇〇〇年アメリカ大統領選挙や韓国「落選運動」に現れたように、選挙キャンペーンや投票行動のあり方をも変える(横江公美『Eポリティックス』文春新書、二〇〇一年)。総じて政治権力は、情報に媒介されて、傷つきやすくゆらぎやすくなった。

 大学の授業でもオンデマンド遠隔講義が可能となり、私も早速「情報政治学」で実験を始めたが、市民や学生の政治認識・政治教育のあり方も、変化しつつある。確実に言えることは、インターネットが、政府と政府、政府と市民、市民と市民のそれぞれのレベルで、現代政治の重要な政治舞台・政治空間となり、ネット上の言説政治・言力関係から、現実政治のさまざまな問題が見えてくることである。ウェブ上に国境を越える巨大なアーカイヴズが生まれつつある。内容に乏しい「小泉メルマガ」も、データベースとしてはそれなりの意味を持つ。米国CIAホームページには日本が「紀元前六六〇年神武天皇建国の立憲君主国」とあるが、ネット上ではその学問的真偽を問題にするよりも、なぜCIAはそのように記したかを考える方が面白い。九・一一以後の政治家の言説を丹念に集めた「そのとき誰が何を語ったか」という市民サイトもあり、次の「落選運動」の材料には事欠かない(http://www.kuba.gr.jp/omake/wtc2001.html#top)。

 政治情報がデジタルに蓄積され、情報公開が進めば、政府と市民の距離は短縮される。だからこそ防衛庁は情報公開を求める市民を敵視し、「個人情報保護法」は政府の情報管理・操作には及ばない。情報戦の時代に必要なのは、情報の海におぼれず、情報の森から離れず、雑音の中に意味ある情報を見出し批判的に解読する、情報政治学なのである。



研究室に戻る

ホームページに戻る