毎日新聞社『エコノミスト』2002年11月26日掲載「現代資本主義を読み解くブックガイド」のウェブ詳細版


「資本主義対社会主義」から「グローバリゼーションと帝国」へ?

──「失われた10年」から21世紀資本主義を読み解くブックガイド                   

 

加藤哲郎(一橋大学大学院教授・政治学)

 


 すでに終わった20世紀は、かつて「資本主義対社会主義」の対抗と考えられてきた。とりわけ第二次世界大戦後の冷戦時代、アメリカ合衆国を中心とした西側資本主義体制と、ソ連を中心とした社会主義体制との軍事的・政治経済的・文化イデオロギー的対立こそ世界を見る基軸で、核開発競争からアフリカ新興国への「援助」まで、両者の角逐・抗争から読み解く手法が、経済学を中核とした社会科学の王道とされていた。

資本主義は勝利したか?

 しかし、1989年の東欧革命・冷戦終焉、91年ソ連解体による「社会主義の崩壊」は、そうした見方の根本的再考をもたらした。相方の「社会主義」がいなくなった世界で、ケネス・ボールディングが1960年代に述べた『二十世紀の意味』(岩波新書、1967年)が曖昧になり、ジョン・ガルブレイスが70年代に述べた『不確実性の時代』(TBSブリタニカ、1978年)が再来して、「資本主義」そのものが見えにくくなり、20世紀の社会科学で君臨した経済学の地位も危うくなった。日本経済の「失われた10年」の中で、就職に敏感な学生たちは実学志向を強め、マクロな社会科学的見通しよりも、就職後に役立つという経営学・商学や、危機打開のノウハウを選好するようになった。

 当初は「社会主義」が自壊し、「資本主義」が勝利したと考えられた。ちょうど日本はバブル経済の絶頂期で「日本的経営」が謳歌され、「24時間たたかえますか」というコマーシャル・ソングが流行り、ニューヨークの高層ビルを次々に買い占めたと騒がれた。21世紀の冒頭に崩壊する世界貿易センタービルは、幸か不幸か「パクス・アメリカーナ」の象徴として残された。しかしそれも、躍進する日本・アジア経済や統合ヨーロッパ(ECからEUへ)に挟撃され、アメリカ黄金時代の残照と考えられていた。

 冷戦崩壊直後の世界で、フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』(三笠書房、1992年)が「自由民主主義の勝利」を宣言し、退屈な未来が来るともいわれたが、そうした楽観論はつかのまだった。解体した旧ソ連・東欧地域での市場経済への移行はスムーズに行かず、むしろ中国やベトナムで一党支配を維持した「上からの市場経済化」が進んだ。中東地域で湾岸戦争が勃発したばかりでなく、旧ソ連のチェチェンから旧ユーゴスラヴィアのコソボまで民族紛争が噴出した。「東西対立」の陰に隠れていた「南北対立」と民族・宗教紛争があちこちで吹き上げると、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(集英社、1998年)がリアリティを獲得した。

 「勝利」したはずの西側資本主義世界についても、ガルブレイス他『資本主義は勝利したか?』(JICC、1991年)や伊藤誠『逆流する資本主義』(東洋経済新報社、1990年)のような辛口評論・分析にとどまらず、ドラッカー『ポスト資本主義社会』(ダイヤモンド社、1993年)も日本経済新聞社編『私の資本主義論』(日本経済新聞社、1993年)でも「資本主義万歳」の言説は見あたらなかった。むしろM・アルベール『資本主義対資本主義』(竹内書店、1992年)やA・コッタ『狼狽する資本主義』(法政大学出版局、1993年)、から、アメリカ・ヨーロッパ・日本の対立を基軸にした「仁義なきたたかい」の予感がみられた。スーザン・ストレンジ『カジノ資本主義』(岩波書店)が日本に紹介されたのは1988年であったが、その後の展開は佐和隆光『漂流する資本主義』(ダイヤモンド社、1999年)から斉藤貴男『カルト資本主義』(文藝春秋、1997年)まで、佐和のいう『資本主義の再定義』(岩波書店 1995年)の時代ともなった。新古典派、マルクス、ケインズを総合するという山田鋭夫『レギュラシオン・アプローチ:21世紀の経済学』(藤原書店 1994年)が導入され、村上泰亮『反古典の政治経済学』(中央公論社、1992年)から塩沢由典『複雑さの帰結──複雑系経済学試論』(NTT出版、1997年)にいたる理論的模索が行われたのも、この文脈であった。

資本主義対資本主義へ?

 「資本主義対社会主義」から「資本主義対資本主義」への移行は、かつて森嶋通夫『なぜ日本は「成功」したか』(TBSブリタニカ、1984年)が西欧型プロテスタンティズムに「儒教資本主義」を対置し、深田祐介=R・ドーア『日本型資本主義なくしてなんの日本か』(光文社、1993年)が金融・生産システムにおける英米型資本主義と日独型資本主義を対比して強気に論じた延長上にあった。その主張はより洗練されて、ロナルド・ド−ア『日本型資本主義と市場主義の衝突 日・独対アングロサクソン』(東洋経済新報社、 2001年)に再論され. ミクロレにもC・ハムデン−タ−ナ−/A・トロンペナ−ルス『七つの資本主義 現代企業の比較経営論』(日本経済新聞社 1997)では、米・英・仏・日・独・オランダ・スウェーデンまでが論じられた。

 こうして資本主義にさまざまな「型」を認めると、金恩喜/咸翰姫『韓国型資本主義の解明──伝統文化と経済』(九州大学出版会 2001)からマクシム・ロダンソン『イスラ−ムと資本主義』(岩波現代選書、1998年)にいたるまで、市場原理と資本は伝統文化や宗教とからみあうことになる。それは、「社会主義」崩壊後の旧ソ連・東欧に、西村可明『社会主義から資本主義へ ソ連・東欧における市場化政策の展開』 (日本評論社、1995年)のように実証的にアプローチし、ミシェル・アンリ『共産主義から資本主義へ 破局の理論』(法政大学出版局、2001年)のように現象学的に迫ったり、「社会主義市場経済」を自称する中国に、叶芳和『赤い資本主義・中国21世紀の超大国』(東洋経済新報社 1993年)や森田靖郎『赤い資本と白い資本 ポストとう小平時代へ疾走する中国の華人資本主義』 (集英社、1994 年)と喝破して、投資条件・投資機会を探る姿勢に連なった。

グローバリゼーションと「ICT革命」

 しかし、日本の「失われた10年」を尻目に、90年代のアメリカ経済には強い復活の兆しがみられた。アメリカ的思考の影響力が強い支配的経済学が突っ走ったのは、フクヤマ流の「自由主義・資本主義の勝利」の延長上で、インターネットの普及など「IT革命」とベンチャービジネス、IMF・世界銀行・WTOなど国際金融・貿易システムの一元化を組み合わせ、「多国籍企業化」や「国際化」をも超える資本主義の「グローバリゼーション」が21世紀の流れとみなされた。無論、わが国でも、高橋文利 『メディア資本主義 金融・市場のインタ−ネット革命』(講談社現代新書、1999年) や池田信夫『インタ−ネット資本主義革命』(NTT出版、1999年)のような議論が現れた。

 「IT革命」はなかったわけではない。それは現在でも進行している。ただし、その経済的震度は「産業革命」に匹敵するほど深くはなく、アメリカ・ナスダック市場はやがて息切れした。しかも「IT=情報技術」は「ICT=情報・コミュニケーション技術」であり、それは営利企業にばかりでなくNGO・NPOにも、「反資本主義」や「反グローバリゼーション」の運動にも、用いられるようになった。

 現在進行形の「グローバリゼーション」については、伊豫谷登士翁『グロ−バリゼ−ションとは何か 液状化する世界を読み解く』(平凡社新書、2002年)やデーヴィッド・ヘルド『グローバル化とは何か』(法律文化社、2002年)が要領よく整理しているように、さまざまな見解・解釈が存在する。英語辞書『ウェブスター』では1961年版から出ているというが、頻繁に使われるようになったのは1990年代であり、東西冷戦体制の崩壊で一つの地球(グローブ)が生まれたという意識を基礎にしていた。その含意は、交通・情報技術の発達や金融貿易システムの一元化で、市場経済が地球全体をおおいつくしたことを指す場合が多いが、つとにローマ・クラブ報告『成長の限界』(ダイヤモンド社、1972年)、同『第一次地球革命』(朝日新聞社、1992年)が指摘した地球環境・資源生態系との関わり、ケネス・ボールディングが「宇宙船地球号」とよび、旧ソ連末期にミハイル・ゴルバチョフが「新思考」と名付けた、人類的共通課題の認識も基底にある。

 アンソニー・ギデンス『暴走する世界──グローバリゼーションは何をどう変えるのか』(ダイヤモンド社、2001年)は、だれもが否定できない「グローバリゼーション=みなが同じ世界に住むようになった」現象へのアプローチを、大前研一らの「ラディカルズ」と旧左翼に多い「懐疑論者」の双方に目配りしつつ、それが「グローバル・コスモポリタン社会」に到達する過程での問題を、「多様化する『リスク』」、「『伝統』をめぐる戦い」、「変容を迫られる『家族』」、「『民主主義』の限界」とまとめあげて論じた。

 実際、どんなにラディカルなグローバリストも、それを調整する国際協調システム・国際組織を前提し、「グローバリゼーション」過程での紛争や軋轢を否定できない。ここでは、ハイエク『隷属への道』(春秋社、1992年)やミルトン・フリードマン『選択の自由』(日本経済新聞社、1980年)の新自由主義原理の広がりと想定された「グローバリゼーション」政策を国際組織が採用し、市場開放や規制緩和を世界中で押し進めても、多くの現実的障害にぶつからざるをえなかった。旧ソ連・東欧崩壊後の「ショック療法」による市場創設の困難や1997年アジア通貨危機が典型であるが、90年代の終わりには、グローバル金融市場最高の投資家・投機家であったジョージ・ソレスが『グローバル資本主義の危機』(日本経済新聞社、1999年)を言いだし、世界銀行のチーフ・エコノミストで「情報の経済学」により2001年ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツが、数々の体験的事例を挙げて『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店、2002年)を著すにいたって、「ラディカルズ」の楽観的主張は、色褪せるにいたった。

グローバリゼーションの落とし穴

 問題は、二つある。一つは市場経済の「グローバリゼーション」に内在する問題で、ギデンスも指摘していたように、初期条件を無視しセーフティ・ネットを欠いた世界への国際金融コード・自由貿易体制の強制が、過酷な競争の中で不平等を拡大し、結局は「近代化」どころか「アメリカナイゼーション」をもたらした、というものである。ソレスはこれを「市場メカニズムの失敗」とよんだが、わが国でも金子勝が『現代資本主義とセイフティ・ネット 市場と非市場の関係性 』(法政大学出版局 1996年)・『市場と制度の政治経済学』(東京大学出版会、1997年)でデビュー以来、『反グロ−バリズム 市場改革の戦略的思考』 (岩波書店 1999年)や『反経済学』(新書館、1999年)で精力的に展開してきた「市場原理主義」批判であった。それは、スーザン・ストレンジが『マッド・マネー 世紀末のカジノ資本主義』(岩波書店、1999年)で原理的に、ジョージ・リッツァ『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版会、1999年)が具体的生活事例を挙げて、カレル・ヴァン・ウォルフレン『アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み』(ダイヤモンド社、2000年)が日本に即して警告してきた問題でもあった。この系譜からは、1999年シアトルWTO閣僚会議以来、「反グローバライゼーション」運動が世界的流れとなり、ATTAC編『反グローバリゼーション民衆運動』(柘植書房新社、2001年)や小田裕司『反グロ−バリズム労働運動宣言』(彩流社)のように「懐疑論者」の再活性化をもたらしている。ただしインターネットを用いてATTAC(Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens=市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)やWSF(世界社会フォーラム)の主張を調べると、それは先進国首脳・多国籍企業のWEF(世界経済フォーラム、通称ダボス会議)が推進する「グローバリゼーション」の規制を求めながらも、「反グローバリゼーション」というより「もう一つのグローバリゼーション」の対案を地球的広がりで提示していることがわかる。

 もう一つはソレスのいう「社会の非市場部門の欠陥」で、スティグリッツが現場で痛感したように、合理的個人の合理的行動を想定した新古典派の机上のシミュレーションは、国民国家という仕切りと社会の中で生活する人々の現実的選好が、無限の偏差と思わざる帰結をもたらした。D・ヤーギン、J・スタニスロー『市場対国家──世界を作り変える歴史的攻防』(日本経済新聞社、1998年)の原題がThe Commanding Heitght(軍事用語で「管制高地」)であったように、楽観主義者が想定したグローバル世界市場など存在せず、20世紀に最盛期を迎えた国民国家・国民経済の仕切りは、依然として生きている。

 「帝国主義と植民地」のかたちで始まった20世紀は、当初せいぜい30ほどの国民国家の中の欧米列強が地球分割を競い合い、その対立の中から二度の世界戦争と「資本主義対社会主義」の構造をつくってきた。第二次世界大戦後の1945年に51か国で出発した国際連合(国連)は、アジア・アフリカの旧植民地の独立で60年には99と倍加し、「非同盟諸国」が増大した80年には154か国、旧ソ連崩壊後にさらに増殖して2002年9月の東ティモール独立、永世中立国スイスの加盟でいまや191か国である。それに照応して国際組織も増大し、EU・NAFTAのような国境を超えた地域統合市場が生まれたとはいえ、いわゆる発展途上国を含む現実の地球は、多国籍企業・銀行が自由に出入りできる「グローバル・ビレッジ」(地球村)ではない。

 それに1990年代には、「ICT革命」に助けられたNGOや地域組織・市民レベルの国境を超える活動が飛躍的に広がり、筆者も属する政治学の方では、古典的に絶対的主権を持つと想定された国民国家と政府(ガバメント)ばかりでなく、国際組織や地域統合、NGO・NPOや自治体・企業・市民をも含めたグローバルな「ガバナンス」が問題にされている。しかも、軍事外交的には、アメリカ合衆国の核兵器をバックにした一極支配構造が強まり、2001年9月11日の同時テロ以降は単独先制攻撃を辞さない「ブッシュ・ドクトリン」が現れて、最新の藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書、2002年)のように、アメリカ中心の「グローバリゼーション」とは、ホブソン、レーニンの「帝国主義」とも、冷戦時代に用いられた「超大国」「覇権国=ヘゲモニー」をも超えた「帝国」構造ではないかと問題提起されている。わが国ではまだ翻訳が出ていないが、欧米のベストセラーであるM・ハート/A・ネグリ『帝国(Empire)』(英文、2000年)が翻訳・紹介されれば、日本でも大きな論議を呼ぶことになるだろう。

「帝国」とアメリカ一極支配の時代に資本主義の再考を!

 もちろん20世紀の社会科学は、「グローバリゼーションと帝国」への歩みを、無視してきたわけではなかった。ケインズ経済学は国家による通貨や労働力の管理を市場競争の負荷を調整する政策に積極的に採り入れ、カール・ポランニーは経済人類学を切り拓いてきた。日本でも1992年に文化経済学会が発足し、バブル期に導入された「メセナ」や「フィランソロピー」が「失われた十年」で衰弱しても、学問的研究は続けられてきた。ギデンス『第三の道 効率と公正の新たな同盟』(日本経済新聞社、1999年)でクローズアップされたNPOも、「非営利活動法人」として法的枠組がつくられている。「グローバリゼーション」に即して言えば、かつてアンドレ・グンダー・フランク『従属的蓄積と低開発』(岩波書店 1980)で述べられた従属理論から、『史的システムとしての資本主義』(岩波書店 1997年)にわかりやすく述べられたイマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論への流れがあった。世界システム論は、資本主義のグローバルな歴史的展開を問題にし、15世紀以降の「万物の商品化」から地球的「中心・周辺」構造、国民国家間関係での「ヘゲモニーの転換」までを論じてきた。

 この二人──フランクとウォーラーステイン──の冷戦崩壊以降の理論的展開が、今日の「グローバリゼーションと帝国」を考えるさいに興味深い。即ち、「中心の発展は周辺の低開発を開発する」という従属論の旗手だったフランクは、最新の『リオリエント──アジア時代のグローバル・エコノミー』(藤原書店、2001年)において、世界経済=地球史を近代以前に遡り、「西洋の勃興」以前の世界システムではオリエント=東洋こそ中心だった、と論じるにいたった。具体的に扱うのは18世紀までだが、その射程は五千年前まで遡り、欧米型「資本主義」の歴史性を浮き彫りにする。

 15世紀以来の「資本主義世界システム」を『近代世界システム』(岩波書店、1981年、名古屋大学出版会、1993/97年)・『資本主義世界経済』(名古屋大学出版会、1987年)などで現代まで叙述してきたウォーラーステインは、1968年以降「衰退期」に入ったと診断した覇権国アメリカのヘゲモニーや、21世紀には資本主義システムの崩壊と「世界社会主義システム」を導くと想定していた見通しを、一方で『世界経済の政治学 国家・運動・文明』 (同文館出版 1991年)、『ポスト・アメリカ 世界システムにおける地政学と地政文化』(藤原書店 1991)、『アフター・リベラリズム 近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』(藤原書店、2000年)『転移する時代 世界システムの軌道 1945-2025』(藤原書店、1999年)・『時代の転換点に立つ』(藤原書店、2002年)などで軌道修正しつつ、『脱=社会科学一九世紀パラダイムの限界』 (藤原書店 1993年)から『社会科学をひらく』(藤原書店 1996年)、『新しい学 21世紀の脱=社会科学』(藤原書店、2001年)へと続く思索では、「自然科学・社会科学・自然科学」といった近代の認識枠組自体の歴史的回顧と反省から「新しい知」を提唱するにいたった。つまり「グローバリゼーション」のエンジンであり母胎であるはずの「近代資本主義」そのものの再検討である。

 そこで想起されるのは、西欧的思惟様式・言説にひそむ『オリエンタリズム』(平凡社、1993年)の問題性をつとに提示したW・サイードや、経済人類学を人類の始源にまで及ぼしたM・サーリンズ『石器時代の経済学』(法政大学出版局、1984年)である。

 そもそも20世紀に支配的だった「資本主義対社会主義」の見方そのものが、西欧中心主義のバイアスを帯びた歴史的産物であった。重田澄男『資本主義を見つけたのは誰か』(桜井書店、2002年)は、もともと「資本主義」の用語自体、19世紀半ばに「社会主義」や「共産主義」との対抗で生まれ、カール・マルクス『資本論』には「資本」や「資本家的」という形容詞はあっても「資本主義」はほとんどなく、20世紀初頭のW・ゾンバルトやM・ウェーバーにより普及された歴史的概念であると文献考証した。「資本主義」より古い「社会主義」も、1820年代以降に「自由競争」「市場」「私有財産」への対抗概念として生まれたことは、筆者自身が『20世紀を超えて』(花伝社、2001年)で論じた。

 サーリンズ風に「経済」や「市場」を「資本主義」といったん切断し、アダム・スミス以前に及ぼせば、ミシェル・ボー『資本主義の世界史 1500ム1995』(藤原書店、1996年)のように「資本主義とはある特定人物のことでも、ひとつの制度のことでもない。それは生産様式をとおして作動しているひとつの論理であり、その論理とは盲目的だがあくまでも頑強に自己をつらぬく資本蓄積の論理にほかならない」などと再定義しなくても、フェルナン・ブローデル『地中海』(藤原書店、1999年)を経済学の書物として読めるし、高橋乗宣『日本経済の破断界 資本主義は崩壊し市場主義の専制が始まる』(ビジネス社 2002年)の含意は容易に了解できる。

 サイード風に視点をずらし、ジグモント・フロイトからジャン・ボードリヤール、ミシェル・フーコーにいたる認識枠組・思惟様式の発展を視野に入れれば、20世紀初頭にM・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にゾンバルトが『恋愛と贅沢と資本主義』(1912年)を対置した延長上で、吉見俊哉 『「声」の資本主義 電話・ラジオ・蓄音機の社会史』(講談社1995)や大沢真幸『性愛と資本主義』(青土社 1996年)が若い研究者を刺激し、ミハイル・エンデ『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』(NHK出版、2000年)が貨幣論・エコマネー論として読まれ、池田香代子=ダグラス・ラミス『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス、2001年)が世界経済論・環境経済論としてベストセラーになった理由が見えてくる。

  ジークリート・クラカウアー『大衆の装飾』(法政大学出版局、1996年)に収録された論文は、「ごく普通の女店員が映画に行く」と題されている。筆者の好みからすれば、P・ロザンヴァロン『ユートピア資本主義』(国文社、1990年)ハンス・イムラー『経済学は自然をどうとらえてきたか』(農文協、1993年)やドミニク・メーダ『労働社会の終焉 経済学に挑む政治哲学』(法政大学出版局、2000年)が経済学の存在意義そのものを問う理論的問題提起となり、M・ハリソン『買い物の社会史』(法政大学出版局、1990年)やミシェル・ボー『大反転する世界−地球・人類・資本主義』(藤原書店 2002年)をふまえた世界資本主義論が必要で、西成田豊『中国人強制連行』(東京大学出版会、2002年)や川上武『戦後日本病人史』(農文協、2002年)を組み込んだ日本資本主義論が期待される。 

「失われた10年」からの活路を求めて

 世界同時不況下で、金子勝のいう『長期停滞』(ちくま新書、2002年)が続き、グローバル・スタンダードという和製英語やハード・ランディングという航空用語が飛び交う日本経済を解き明かすためには、資本主義論にも新たな発想が必要だろう。

 欧米でも、1998年にアマルティア・センにノーベル経済学賞が授与され、ロバート・カトナー『新ケインズ主義の時代 国際経済システムの再構築』(原題は「レッセフェールの終焉」、日本経済新聞社、1993年)からS・ボールズ/H・ギンタス編『平等主義の政治経済学 市場・国家・コミュニティのための新たなルール』(大村書店、2002年)にいたる様々な原理的考察がある。センの著作は『不平等の経済理論』(日本経済新聞社、1977年)、『合理的な愚か者──経済学=倫理学的探究』(勁草書房、1989年)、『福祉の経済学──財と潜在能力』(岩波書店、1988年)、『不平等の再検討──潜在能力と自由』岩波書店、1999年)、『自由と経済開発』(日本経済新聞社、1999年)、『福祉の経済学──財と潜在能力』(岩波書店、2000年)などと紹介されてきたが、少子高齢化のもとでの高失業・長期不況・財政危機が続き、橘木俊詔『日本の経済格差 所得と資産から考える』(岩波新書、1998年)、佐藤俊樹『不平等社会日本 さよなら総中流』(中公新書、2000年)が実感される日本では、神野直彦の提唱する『二兔を得る経済学 景気回復と財政再建』(講談社、2001年)、『人間回復の経済学』(岩波書店、2002年)、『地域再生の経済学』(中公新書、2002年)や大沢真理『男女共同参画社会をつくる』(NHKブックス、2002年)が切実な意味を持つ。

 そんな時こそ、目先の処方箋を離れてアダム・スミスからマルクス、ウェーバー、ケインズに立ちかえり、西欧中心主義的バイアスを意識しつつシュンペーターと共に『資本主義は生きのびるか』(名古屋大学出版会2001)と問いかけ、E・H・カー『歴史とは何か』(岩波書店、1962年)の名言「現在と過去との対話」を試みるべきであろう。秋の夜長は、しばしインターネットの手を休めて、活字の世界にも親しみたいものである。

(『エコノミスト』2002年11月26日号掲載のオリジナル長文原稿)

 


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