『社会主義理論学会』会報第36号(1999/4/2)


ソ連は「奴隷包摂社会」でなかったか?

 

 

 加藤哲郎


 昨年は半分国外だったので気がつきませんでしたが、『会報』第35号の島崎隆さんの文章によれば、昨春刊行された社会主義理論学会編『20世紀社会主義の意味を問う』(御茶の水書房)での私の報告「20世紀社会主義とは何であったか」中の旧ソ連=「奴隷包摂社会」規定が問題になっているようです。

 島崎さんがそれを問題提起として受けとめたら、村岡到さんが、私のその論点をとりあげたことを根拠に島崎さんを乱暴に批判したとか、いずれにせよナツメロ風のコップの中の嵐ですが、編集部の求めに応じて、「奴隷包摂社会」についてだけ一言しておきます。

 私の文章では、旧ソ連社会について、過渡期か生成期か社会主義か、国家資本主義か国家社会主義か「歪められた労働者国家」かといった、いわゆるウクラード論・経済的社会構成体論による一元的・経済主義的な「本質」規定は採らず、思想史的・政治的・経済的・社会的な視角からみればどのような規定が可能かという、重層的見方をしています。それは、そもそも「社会主義」概念を生産様式から一元的に規定しうるかという、全体の論旨と結びついています。

 そのうえで、「私の推計では、一九三〇年代後半の大粛清期には全労働力の一割以上を強制収容所の奴隷労働に依拠していましたから、一方でノーメンクラトウーラ特権層の跋扈する経済的不平等社会であったばかりでなく、最近の歴史学のいう『奴隷包摂社会』でもあったと思われます」と論じました。文脈から明らかなように、ここでも「奴隷包摂社会」規定で一元化したわけではなく、私のこれまでの著作での「国家主義的社会主義」規定等を変更したわけでもありません。

 「最近の歴史学のいう」というのは、いうまでもなく、1994年度歴史学研究会大会の全体テーマ「歴史における『奴隷包摂社会』」(『歴史学研究』664号)を念頭においています。つまり原始共同体・奴隷制・封建制・資本主義・社会主義・共産主義なる旧ソ連経済学教科書風単線発展史観は、日本の社会科学でも1960-70年代には克服されたことを前提に、奴隷制が古代社会以外にも広くみられるという歴史学における実証成果を踏まえて、旧ソ連や現代北朝鮮など「現存社会主義」にも適用可能ではないかと問題提起したものです。

 歴研大会では主として15-16世紀地中海、16-19世紀アフリカの奴隷貿易や日本で島原の乱まで続いた奴隷狩りが論じられましたが、私はむしろ、世界システム論的意味での20世紀を念頭においています。

 一つは、ILO『世界労働報告・1993年』で公式に報告された、アフリカ・インド・タイなどの数百万人の奴隷労働・債務労働の存在です。つまり現代資本主義は、金融・情報システムのグローバル化の「最底辺」に奴隷制をビルトインしている事実です。これは、報告でイントロ的に述べた、インド社会の現実と重なります。

 もう一つが、数字まで挙げたように、大粛清期ソ連の強制収容所体制です。これは拙稿「ソ連邦74年の政治的意味」(『ソビエト研究』8号、1992年10月)で詳しく述べたものですが、歴研大会報告で「奴隷包摂社会」の事例とされたアフリカ黒人奴隷一千万人や15-16世紀スペイン南部の「都市人口の6-12%の奴隷」に比すれば、未だ正確な数字は不明で数百万人から数千万人説まであるラーゲリ労働力をビルトインしたソ連「社会主義」は、「奴隷包摂社会」規定を与えるに足ると思われたからです。ソルジェニツィンが1939年総人口1億5千万中1500万人と述べ、R・コンクェストは38年800万人と推計しましたが、私は控えめに「全労働力人口の一割以上」とし、その労働時間・労働条件から「奴隷制」と規定しうると考えたからです。もちろん第二次大戦後のドイツ人・日本人捕虜等の抑留強制労働も視野においたものです。またノーメンクラトウーラが総人口の1.2%約300万人といわれますから(ただし1970年代についてヴォスレンスキーの試算)、旧ソ連社会の「中心・周辺」構造に注意を喚起し、「奴隷包摂社会」概念の重要な構成要素である「マイノリティ論の視角」(関哲行)を援用しようとしたものです。

 より直接的なヒントは、来日した日本人ラーゲリ体験者寺島儀蔵さんからの聞き取りと、歴史に埋もれていた日本人ラーゲリ帰還者勝野金政の手記の発見でした。二人に共通していたのは、「日本のスパイ」という政治的理由は粛清の口実にすぎず、いったんラーゲリに放り込まれると──帝政ロシア時代の流刑政治犯とはちがって──、強盗殺人犯であれ政治犯であれ、とにかく奴隷労働力としてしか扱われないラーゲリの現実でした。私の現在の研究は、そうした日本人犠牲者の一つ一つの事例を史資料によって検証することにあてられていますが、ますます「奴隷包摂社会」の実感をもつようになりました。たとえばノモンハン事件の戦争捕虜や北樺太石油の日本人出稼ぎ労働者からも、勝野金政・寺島儀蔵さんと同様な事例が出てきます。

 村岡さんの反発が「奴隷包摂社会」を単線発展史観上での「奴隷制」と混同したものかどうかはつまびらかではありませんが、あれこれの経済主義的規定で悩むよりも、ようやく公式統計数字の再検討や事例研究が可能になった旧ソ連社会の実態に即した分析を示してほしいものです。


* 政治犯をも収容する強制収容所は、1960年代以降も存続し、1986年、ゴルバチョフの指令によって廃止された。


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