学術論文データベース2-2

市民社会と民主化の概念及び理論

 

 梁雲祥 (北京大学国際関係学院)

 

 

 

 

一、 市民社会の概論

 

 中国語の「市民社会」という言葉は、英語の「civil society」からできたと言われている。現在、この概念は、常に他の語句として現している。例えば、「公民社会」、「第三部門」(the third sector)、「独立部門」(independent sector)、「非営利組織」(nonprofit sector)、「非政府組織」NGOなどがある。その基本的な意味は、国家の政治的主導である政府と、国家の経済的主導である営利性企業との間に、幾つかの社会構成メンバーから形成した自主的管理の組織または団体であるもの。

 「市民社会」とは、昔から既に存在していた概念であり、社会の構成を表現する概念として、長期間に学者や政治家に使われてきた。しかし、異なる歴史時期において、その意味と内容は同じではない。当分の一般的な市民社会の理論としては、合理的社会を構築するには、必要な政府管理及び社会物質の需要を支える経済部門の他に、国家と個人の間に、緩衝の空間が必要とし、それがいわば市民社会である。長期以来、世界上の国家形態は千差万別であり、異なる国家において、国家と企業、国家と個人、国家と団体との間の関係は異なっているが、市民社会の理論は普及されてなかった。20世紀80年代以後、ソビエト、東欧諸国の改革及びその後の激烈な変化に基づき、中国などの発展途中国は全面的改革開放を進め、世界の多くの国は一つの社会転換期を迎えた。このような時期に、市民社会の理論は、社会を再構造し、統合するための有力な根拠になっている。従って、20世紀80年代以後、冷戦の終焉と共に、市民社会の理論は再び盛んに興り、まさに全世界的市民社会の思潮になっている。

_里士多_(Aristotle アリストテレス)  雅典(Athen ァテネ)  斯巴_(スパルタ)

西塞_(Ciceto シセロ)  霍布斯(Hobbes ホップス)  洛克(Locke ロック)

_格_(Hegel ヘムゲル)  哈__斯(Habermas ハーバーマス)  柯亨(Cohen コーエン)

阿拉托(Arato ァルタム)  __斯•泰勒(Charles Taylor テーラー)

熊彼特(Schumpeter シュンペーター ) _托利(Sartori)

古希_城邦(古代ギリシャのポリス) 希_多_(Herodotos ヘロドトス)

亨廷_(Huntington ハンチントン)  拉里戴蒙_(Larry Diamondラリー・ダイヤモンド)

 

(一)市民社会の起源、発展及びその定義

 

 市民社会の由来は、最も昔の古ギリシアの先駆哲学者であるアリストテレスに遡ることができる。彼の解釈によると、市民社会の意味は、城邦であり、即ち当時のアテネ、スパルタなどの古代都会国家を指す言葉であった。その後、この概念は古代ローマの哲学者であるシセロにラテン語に翻訳され、「単一の国家だけでなく、発達した都市の文明、政治共同体の生活状況をも指している。これらの共同体は、自分の法典があり、ある程度の礼儀と都市の特性、市民の協力および民法による生活や調整、及び都市生活や商業、芸術の優雅な情趣などをもっている」。_ここでの市民社会は、自然状態の野蛮社会との区別とした文明社会を指し、または都市の国家公民は自由に平等に国家の事務に参加できる公民社会を指すものである。市民社会とは、実際は一つの政治社会であり、或は国家を指すものであると言える。

 中世の欧州において、一般的には社会秩序の基盤又は根源が社会以外に存在すると考えている。例えば、神又は自然的存在に関する論理道徳の規範などはそうであり、政治社会は神または自然観念の産物であると考えていた。しかし、ルネッサンスや宗教改革運動の高まりにつれて、神学の観念が疑われつつ、人々の視線は社会の内部に集中し、社会自身の運動から、社会秩序の存在を解釈するようになった。近代になると、政治専権主義への批判と個人自由への追求から、政治自由主義を持っている思想家らは、現存の社会に対し、批判的分析を行い、彼等は、国家が社会の産物しかなく、即ち、社会が国家より先に存在し、また、国家以外に存在する場合もあると発見した。このような新しい観念を提出した思想家は、17世紀の英国の唯物主義啓蒙哲学者であるホップス(T.Hobbes)とロック(J.Locke)、及び18世紀のフランス啓蒙思想家である(J.Jrousseau)などの人々であり、その中、J.Lockeは主要な代表者であり、独自の理論を築いた。

 J.Lockeらは、社会契約論を理論的根拠とし、当時の社会状況を分析した。彼等は、人類は最初に生活していた社会が自然的社会であり、基本的には平和、善意、自由及び安全的な状況であったが、その中に暮らしている人々はみんな理性的な人間であった。しかし、このような自然的状態は美好的であったが、やはり欠陥がある。第一に、確定的、規定的、且つ皆に周知される法律がない。第二に、規定された法律に基づき、全ての争議を裁く有名且つ公正な裁判者がいない。第三に、正確的な判決を充分に執行できるような権力の支持がない。_そして、これらの欠陥を克服するために、人々は互いに協議し、契約という形式によって、自由意志で一部の自然権力を国家に与える。「これは、立法と行政権力の原始権力であり、またはこの両者の生成原因でもあり、政府と社会自身の起源もここにある。」_

 ここで、J.Lockeは、社会が国家であるという過去の伝統的な観念を変更し、社会と国家を分離させ、社会が国家の前に生成し、又は国家は社会を基礎にし、形成したと認めていた。J.Lockeの観点によると、社会は理性のある人々からなったものであり、人々は理性的思考に通じ、自然状態を脱率し政治共同体に入ったとき、構成した政治結社は、いわゆる市民社会である。国家は、市民社会に同意され、権力を与えらあれた上こそ設立されたものであり、或は国家は市民社会の社会成員たちはある目的を達するために契約に合意した結果でもあると言える。「あきらかであるが、J.Lockeは国家の機能は自然な状態を代替することではなく、むしろ、社会の一つの道具であり、その目的は自然状態に含まった隠含した自由、平和などを具体に実現させることである。もし国家は契約に違反し、民衆の利益を侵したとすれば、民衆は自分の自然的自由権力に回復することにより、その統治を覆すことができる」。4

 J.Lockeらの市民社会と国家の分離理論によって、国家権力に対する制限または社会より国家を決め、そして原則として社会が国家政治権力に制御されないという理念は、国家権力が全てであるという政治専制思想を破り、その後の欧州社会の民主と民主化に思想上の前提条件を提供した。

 19世紀の初め、ドイツの哲学者(G.W.F.Hegel)は、市民社会の概念を新たに解釈した。彼は市民社会の概念をそのまま踏襲した同時に、それに新たな意味を加え、市民社会を、政治社会に対応する一つの概念として使用するようになり、言い換えれば、彼は市民社会と政治社会の分離説を完成した。

 G.W.F.Hegel は、市民社会は家庭と国家の間にある地帯であり、それは既に野蛮な自然状態のみと相応する概念ではなく、同時に自然社会(家庭)と政治社会(国家)と相応する概念である。市民社会は人類の生活論理展開の一つの段階とし、一種の現代現象であり、市民社会の出現によって、現代世界と古代世界との間に質的な区別が発生した。この意味での市民社会は、国家の前に或は国家の以外に存在したものではなく、長期且つ複雑な歴史の変革過程による結果である。具体的には、現代世界は古代世界になかった市場を作り出し、即ち、その自身の法則性に調整される経済分野が生まれた。その分野において、人々は互いに需要を満たすために、関連関係ができ、これにより、新たな社会的きずなが生じ、これは市民社会である。

 ここに、ヘーゲル(G.W.F.Hegel)は、社会が国家から独立し存在するJ.Lockeらの観点を受け継いだが、彼は既に政治構成の角度から市民社会を定義させたではなく、高度な自律性をもつ市場といった体系を通じて市民社会を定義させたことになった。市民社会と国家の関係について、G.W.F.Hegelは、国家は市民社会から生まれ、市民社会に制約されるものではなく、また国家は自然状態を維持し、完全させる道具でもなく、国家は市民社会への保護と超越であり、市民社会に相対するより高い新段階であると考えていた。「市民社会と国家の区別は、極言すればそれらの構造特徴によるものではなく、それらの各自がもっている内在的規定性及びそこから生じた異なる最終目標によるものである。市民社会の全ての活動は個人私欲を目的とする特殊な利益を追求し、人々が契約性の規則に基づき活動を行なう私的領域であり、そこに人々の身分は市民である。国家は重要視するのが公共の普遍的利益であり、人々が法律や政策に基づき活動する公的領域であり、そこに人々の身分は公民である」。5

 要するに、G.W.F.Hegelの観点によると、近代欧州の市場経済の出現によって、人々が政治社会以外に、互いの需要を満たすために、自覚せずに協力し合い、徐々に政府に制御されない自我領域に、即ち市民社会に発展した。しかし、市民社会の多元性はその自身の私的利益と他の市民社会との矛盾衝突をもたらした。従って、市民社会と市民社会との関係を、政治の秩序によって、即ち政府によって調整するのが唯一の方法である。

 以上の分析によると、市民社会を国家から分離させたことはJ.Lockeの市民社会理論とG.W.F.Hegelの市民社会理論の共通点であるが、二者の理論は大きな違いがある。J.Lockeは市民社会は国家の前に或は国家の外に存在し、国家を決めるものであり、国家は契約に基づき市民社会から権力を貰い、市民社会に奉仕する組織だけであると考えていた。一方、G.W.F.Hegelは、国家が市民社会の上にあり、市民社会に対し、国家の干渉が必要とすると考えていた。

 

 現代の学者たちは、基本的にはG.W.F.Hegelの市民社会概念を引き受け、その上により明確な論説を行っている。例えば、ドイツの社会学家であるハーバーマス(J.Habermas)は「公共領域の構造転換型」という本に、三元分析枠、即ち“社会 ― 経済 ― 国家”といったモデルを提出した。彼は、資本主義市場経済が国家と社会との分離を招いたため、国家と対応するのが「公共権力領域」、即ち政治領域であり、一方、社会と対応するのが「私的領域」であると考えていた。コーエン(J.L.Cohen)、アルタ(A.Arato)は、「市民社会と政治理論」という本に、市民社会から経済を分離させ、市民社会を経済と国家との間にある社会領域と見なし、更に進んで“市民社会 ― 経済 ― 国家”といった三元分析モデルを確立し、“市民社会 ― 国家”といった二元分析モデルを取り代わった。彼等は、「以下のような意味のある区別をするひつようがある。即ち、市民社会を党派、政治組織、政治公共団体から成った政治社会と区別すると同時に、生産と分配の組織構造から成った経済社会とも区別する」。

 以上のように、市民社会という概念に対し、歴史的考察を通じて、我々は大体、現代社会に出現した市民社会の定義を比較的に明確し、さまざまな言葉で述べられたに係わらず、その意味は大抵同じである。即ち、個人は社会を組成し、組織化した「個人」こそ、国家の対応物になり、このような「個人」は市民社会である。言い換えれば、集団活動の中に個人は社会を通じて国家との関係が発生し、国家の政治活動に参加する。更に個人と個人の間の相互活動も社会を通じて実現したのである。

 市民社会は、「各々の構成メンバーの独立的個人の聯合とし、即ち形式上の普遍性的聯合であり、このような聯合は構成メンバーの需要、そして人身、財産の保障に関する法律制度、及び彼等の特殊な利益と公共利益を維持するための外部秩序によって、形成したものである」。「市民社会は家庭と国家の間の差別的段階であり……、市民社会は国家を前提としなければならなく、更に確実に存在するために、独立した国家をその前に有る必要とする」。6

 市民社会は、「国家の控制以外の社会、経済、規則、制度を表示し」、「当代社会秩序中の非政治領域を指している」7ものである。

 「社会構成員は契約性規則に従って、自主的に自治を基礎にし、経済活動、社会活動の私的領域、または議政参政活動という非官的活動を行なう」。8

 市民社会は、「数世紀を渡って使用され、政治社会と同じ意味の古い概念ではなく、G.W.F.Hegelの哲学中の比較性のある概念を現したものである。この意味で、市民社会は国家と相対し、また一部が国家から独立している。市民社会は国家と混同できなく、或は国家に埋もれることができない社会生活領域を包括するものである」。9

 市民社会メカニズムの核心は、非国家的、非経済的組織が自主的な基礎の上で、形成したものにある。このような組織は教会、文化団体、学会、独立的なメディア、スポーツ、エンターテインメントクラブ、弁論クラブ、市民論壇、市民協会を包括し、そのほかに職業団体、政治党派、組合及びその他の組織も含まれる。

 市民社会は、政府と企業の間に、共同な利益と自主の原則に基づき組織した非営利団体であり、その主な目的は、個人を代表し、或は個人を団体に整合させ、自分の利益を保護し、社会整体に対し必要な責任を負うことによって、社会全体の安定かつ秩序のある運転を図る。一般的には、民主社会はこのような社会に属する。言い換えれば、民主社会は市民社会の存在が必要とする。

 

(二)現代市民社会の構成条件

 

 市場経済、即ち市場化は現代企業を創り出した。民主政治、即ち民主化は現代政府を創り出した。社会運動及び自治を求める社会運動は現代市民社会を創り出した。この三者の間に、繋がりがないとは言えない。現代市民社会の出現は市場経済、民主政治と密接な関連がある。一般的には、現代市民社会を構成するには、下記の幾つかの条件を備えなければならない。

 まず、市民社会の出現は経済の一定的レベルの発展が必要とする。勿論、具体的に、どうの程度の経済指標に達せば市民社会が出現するといった固定の指標がないだが、異なる国家や社会には、異なる指標と結果があり得るであろう。しかしながら、断じて言えるのは、市場経済は必要な条件であり、市場経済の環境に、政府の控制にされない経済部門が生まれ、比較的に独立した富裕な中産階級が生み出されるはずである。その中産階級の出現によって、必ず自分の特殊な利益を保つ集団が形成され、自分らの利益を実現するための権力を求め、その意欲は即ち市民社会への実現や民主化への要求である。

 次は、民主化への推進と保障が必要とする。市民社会と民主化は直接連動の関係である。西側社会の早期市民社会は国家を民主化に促進する重要な要素であったが、同時に民主化の実現が市民社会をもっと完全に、もっと保障されるように発展させた。一方、東側の国々において、後者の状況が顕著であり、その原因は東側の国が西側の国と違い、民主的観念や伝統が乏しく、民主化の実現は大部分は市民社会の基礎から発展したものではなかった。市民社会が出現しても、その力が弱く、往々として非政治の領域に制限され、国家の民主化過程において、決定的な影響を及ばない。無論、それは東側国家の市民社会は全く被動的であり、民主化の実現に全く影響を及ばないというわけではないが、ただその市民社会への形成過程に民主化の役割が割と大きいである。実際には、如何なる意味での民主化には市民社会を基礎とするものが必要とする。

 更に、相対的な独立した個人が必要とし、即ち、地縁と血縁の関係を脱離し、教育を受け、独立の社会地位、独立の個人意識、独立の人格をもっている人間が必要である。このような人間を育成するには、経済の発展と共に大規模的都市化の発展が必要とし、即ち、都会の市民は過去のような地方又は親族に頼っている人ではなく、相対的に独立した個人になっている。このような相対的に独立した個人は、自分たちの利益を維持するために、市民活動をおこし、自治権利を求めるなどの活動は、市民社会への形成に最も直接的な条件となる。市民と言った意識をもっている市民活動や自治に対する願望などはなければ、真の意味の市民社会を成り立たないのは重要である。独立した個人意識、独立した人格をもっている人間を育つために、社会環境や市民社会に関する理論の宣伝や教育は市民社会への形成にとって、極めて重要である。

 

(三)現代市民社会の特徴と役割

 

一般的には、理想的社会構造は、良い政府、効率のある企業及び独立且つ責任を持つ市民社会といった三者は不可欠であり、それぞれ各自の社会的役割を担っている。市民社会としての主な役割は、個人の利益を代表し、団体という形で国家とのさまざまな関係をもち、同時に政府を監督し、一定の社会責任を負う。市民社会の結成は、自由意思という原則に基づき組織されたものであり、なお公益事業とし、非営利の目的として存在するため、自由性と公益性は市民社会の基本特徴である。それと比較すると、政府と企業は、公益性と自由性の特徴をもっているが、その中の一つしか揃えていない。二者を揃えているのは市民社会だけである。政府は権力を行使することによって、強制的に非「自由」といったかたちで「公益」を実現させる組織である。企業とは「自由」、即ち市場自由貿易といった形で私益、非「公益」を実現させる組織である。市民社会こそ自由を公益と結びつけたものである。

次に、非政治性は現代市民社会の一つ特徴であるとも言える。一般的には、市民社会は政府に許可され、或は政府に攻めて国家の一部管理しにくい分野を自治管理に実施する団体である。市民社会が管理する分野は普通は政治分野ではない。但し、これはその追求する直接な目標から出来た結論であり、即ち、市民社会の最も直接な目標は社会生活領域のみにあるわけである。実際は、市民社会は政治に対し、間接的な影響をもっており、その最終的役割がやはり政治に現われている。西側早期の市民社会は、その形成時期においても、政治利益の追求を自分の目標としていた。しかし、東側の国では、一般的には、国家の変革が最初出現し、即ち、初歩的な民主化或は民主化の要求が有ってから始めて市民社会が現われ、またその活動は国家の許可を得てからスタートすることが多い。したがって、東側国の市民社会は、一般的には政治分野にかかわることが許されなかった。但し、市民社会の本質を見てみると、市民社会は、政治権力の追求を自分の目的としなくても、自分の利益を政府に侵されないように努力すれば、必ず政府の権力に関わるようになり、社会に対する政府の控制力を弱めるになり、この意味で、市民社会は政治性をももっている。

一般的には、民主制度は今までの人類社会の最も合理的且つ完璧な政治制度だと言われている。市民社会は民主制度中に不可欠の構成要素である。民主社会にとって、市民社会の意味は、(1)政府を監督することができる。市民社会は常に政府の政策及び官僚制度に対する厳格な批判者である。市民社会の活動により、政府責任感の強化、権力乱用の制限を促進することができる。(2)社会に対する多元的思考と多元的発展を促進する。観点野多様化は社会生存と発展の最も良い方法である。如何なる政府は自分の管制緩和を望めないであるが、政府は全ての生活に浸透することができないため、隙間が常に存在している。(3)市民社会はある分野の知識と情報の伝播者である。これは、政策制定者に対する一般大衆のフィートバックに有利になるだけではなく、その分析と研究は政府の政策決定にとって大きな参考の価値がある。民主化への過程に、市民社会は主な促進作用を発揮することができる。民主制度の実現された社会においても、政府の政治権力と国民の基本権力に対する監督や、最終的に民主制度の存続かつ効力の発揮においても、数多くの市民団体の存在が必要とする。市民社会の最も基本的な役割は、社会を整合し、より合理的かつ有効な社会運行をはかることである。具体的に言えば、市民社会は国家と国民を結び、調整する橋渡しであり、社会の安定、健康、良好的発展を促進する。

 

二、 民主と民主化の概念

 

民主とは、近代西側政治思想発展の産物であるが、その由来は2400年余りに遡ることができる。最初の民主概念は古代ギリシャのポリスに因んで、一般には、古ギリシアの歴史学家ヘロドトスは「歴史」という本の中に始めてこの概念を用いたと思われる。当時、この概念は君主制、或は寡頭制と対立する民治又は公衆制を指していた。厳格に言えば、古ギリシアは近代的国家とも言えなく、一種の都市共同体にすぎなかった。そこから機縁した民主政体は近代国家政体の民主政体と比べることができない。現在、我々は言っている民主はもはや古ギリシアの民主と大きな違いがある。しかし、何れにしても民主という概念は古ギリシアからできたと言えろうが、しいて言えば、古ギリシアの民主は古代民主とも言え、現在の民主は近代民主と言うべきである。この意味上で、民主は近代西側の政治思想の産物であると言える。

 

(一) 民主と民主化の概念及び定義

 

民主とは、言葉の通り、人民が統治を行い、簡単明瞭に理解すれば、民衆は主人公になるという意味である。いわゆる人民又は民衆は、主に一国の大多数の人々を指す。統治又は主人公というのは、政治上の権力をもっていることと指し、即ち、国家事務を管理し、処理する権力である。したがって、我々は民主と言った概念を、簡単に以下のように表現する。即ち、民主は一国の大多数の国民が国家の事務を管理し、処理する権力を行使する一種の政治制度である。

しかし、このような表現は簡単明瞭であるが、人々に満足できる解釈とは言えない。「多数専制」の可能性を排除できないからである。まだ、このような解釈は、如何にこの制度を実現するか、制度の実施を如何に保証するかを表明してないからである。実際には、一現代国家は本当に大多数の国民に直接管理するのは、技術上において不可能であるだけではなく、もし誰かは本当にやってみたいとしたら、まったくでたらめであり、更に国家秩序の混乱を及ばすことになるであろう。

我々はここに言う民主は、一般的に代議制民主と指し、即ち大多数の国民は憲法又は関連法律規定の秩序により、指導者を選出し、国民の代わりに国家の管理権力を行使するという制度である。これにしても、民主の概念を廻って、数多くの理解と定義が生じている。大雑把にまとめると、民主に対する理解は二つの観点に分かれている。一つは、西側の経済学家シュンペムタム(J.Schumpeter)は提出した定があり、も一つは(G.Sartori) は提出した定義がある。J.Schumpeter)は、その著作「資本主義、社会主義及び民主」に、民主のプロセンスにふまえて、「選挙民主」の概念を提出した。彼は「民主は政治に関する制度上の配置である。一部の人々は人民の選票を獲得することによって、決策権を獲得する」。10 つまり、現代国家において、国家の指導者は有権者(選民)の自由、公正、定期的選挙によって生まれ、そしてこのような選挙に、立候補者は自由に選票を獲得し、成人になった全ての公民は投票権をもっているならば、この国家は民主国家である。この定義によると、選挙は民主の本質に構成した。しかし、(G.Sartori) らは、このような民主の定義に対し、疑問を出した。彼等は「当然、投票は勿論自由政体の必要な条件であるが、一つの既定の政体において、投票の範囲及びその拡大は必ずしも我々が思った通り重要ではない」と考えた。11  彼等は、民主の実現から民主を定義するではなく、民主を実行する実際の結果から民主を定義し、そして「自由民主」という概念を提出した。即ち、民主は選挙が不可欠であるが、選挙はイコール民主ではないと主張する。「自由民主の国家は、選挙を実施するだけではなく、行政権を制限し、司法の独立により法治を堅持し、個人に対する言論の自由、自由結社、信仰自由などを保障し、少数派の権利を尊重し、与党の自己有利の選挙制度の設立を制限し、勝手の逮捕や暴力の氾濫を有効に防犯し、新聞の審査を行わなく、メディアに対する政府の制御を最小限にするなどの特徴がある。選挙民主を実施する国家において、政府は相当の自由と公平により選挙されたかもしれないが、但し、これらの国は自由民主国家に存在した権利と自由の保護に関する諸制度が欠如している」。12

実際に、民主はプロセンスと効果の両面内容を含むはずであるが、言い換えれば民主実現の過程と民主結果の保証といった両面の内容がある。二者の間は矛盾がないが、ただ程度上の差があるだけである。選挙民主は、民主を実現するプロセンスを表明したものであり、勿論、これは民主にとって、重要な内容である。もし選民の定期、自由、公正的選挙による国家指導者の産出過程がなければ、民主は実現できない。この意味から、有権者の定期、自由、公正の選挙による国家指導者の選出プロセンスがあれば、この国家は民主国家と称するべきである。しかし、更に民主の効果を観察すると、選挙民主があるだけは不十分である。選民の定期、自由、公正の選挙によって、選出した国家指導者は、専制統治を実施しないことが保証できない。これについて、最も最有力な事例は、20世紀30年代に、ドイツのナチズムが台頭し、歴史において最も悪名の専制統治は選挙によって実現されたものであった。従って、選挙民主にプラスアルファ自由民主、即ち権力に対する制約と監督を加えると、完全な意味での民主になろう。

このように、民主というのは、一国は憲法、法律に基づき、規定されたプロセンスによって、自由、公正、定期的に指導者を選出する上に、一定期期限の権力を与えて、彼等に国家事務を委託する同時に、その権力乱用の防止、公民自身の政治権利の実現を保障するために、権力に関する制限と監督の機構が必要とすることである。実際に、民主は三つの内容を含むものである。一つは選挙、二つは制限、三つは監督。如何に対多数の人々の意志によって、優秀な指導者を選出するか、選出された指導者の権力を、如何に制限し、彼等を廉潔且つ有効に国家を運営させ、なお権力の乱用をしないように監督を実施するかは、民主の要素である。即ち、選挙(定期、自由、公正の選挙)、制限(権力機構の設置と分権)、監督(機構、団体やメディアによる自由監督)は、民主の三大要素である。

民主化は、民主制度の形成及びその拡大であり、民主の方式で国家を管理し、このような方式を維持し拡大する過程である。世界近代歴史において、民主化は幾つかの波を経ていた。アメリカ  大学の政治学教授によると、今まで、民主化は三つの波を経ていた。19世紀初から20世紀の20年代までの間は民主化の第一波であったが、世界におよそ30国の自主民主制度が実現された。しかし、第二次世界大戦中のナチズムの台頭により、民主国家の数が減少した。第二次世界大戦が終わった後、第二次の民主化波が現われ、民主国家の数は30以上に上った。20世紀の60年代末に、世界に約三分の一の国家が民主化された。20世紀70年代から民主化の第三次波が始めた。その後、20年余りの民主化の波によって、世界の60%以上の国家が民主国家になった。現在、民主化の流れはもはや拒むことができない潮流となっている。如何なる政体の国家にしろう、如何なる意識、観念をもっている民族、社会にしろう、まだ民主と民主化に対し、如何なる異なる理解と解釈をしている国家にしろう、みんな公然に民主を称し、崇拝し、そして自分なりの理解に基づき民主化を推進している。民主制度は、今まで人類社会の最も健全かつ有効な制度であり、最も人性に適う制度でもあることが公認されている。無論、民主制度は完全無欠のものとは言えない。西側の学者たちが描いたのような、民主政体の前に歴史が終焉になるというわけではない。民主制度は一層の完全化する必要があり、そして未来の人類社会は最も公平的、効率的な新しい社会制度を見つけることは、誰でも排除できない。その新しい制度を見つける前に、民主制度はやはり最も現実的、合理的な制度である。予測可能の未来において、民主化は世界政治発展の主流である。

 

(二)民主制度のモデルと民主化実現の条件

 

民主は世界大部分の国家と人々の政治追求になりつつ、人々が民主に対する多様な認識、理解をもっているため、自分の必要に適うように、民主を解釈し、さまざまな民主のタイプが生じてある。例えば、上述の選挙民主や自由民主以外に、異なる分類の標準によって、古典民主、現代民主、直接民主、間接民主、東側民主、西側民主、資本主義民主、社会主義民主などがある。

古典民主とは、一般的に、古ギリシアから設立した直接民主、即ち国民が直接的に政治管理に参与し、大会を開き、投票により国家大事を決め、いわば国民は統治者である同時に被統治者でもある。このタイプの民主は最も原始的な民主であり、国民が民主権利を行使するには最も直接的である。現代社会において、国家の規模が古ギリシアよりはるかに大きくなり、国民一人一人が大会に参加し、投票し、又政治管理に参与することは技術上不可能になったほかに、多数投票による国家政策を決めるには、往々として多数専制を生じるので、現代民主とは、選挙を通して選択されたリーダにより国家を管理する代議制民主となり、即ち間接民主である。このような民主体制の下で、民衆によりリーダを選出し、一定の権力を与えると同時に、暴政を防ぐために権力に対する制限、また、民衆の自由と監督権力も規定されたのである。

西側民主と東側民主は、欧米国家の民主類型とアジア・アフリカなどの国の民主類型である。一般的に、欧米国家の民主化過程は始まるのが早く且つレベルも高いため、その民主政体を民主制度の典型パターンと見なし、即ち、前述した選挙民主と自由民主が含まれる。一方、アジア・アフリカの多くの国が民主化の過程において、遅れている状態にあると同時に、その民主化を追求する過程で、権威主義が多かれ少なかれに存在しているし、設立した民主体制も多かれ少なかれ権威や専制が存在している。民主制度と見なす国家には、選挙民主という段階は、定期選挙制度があっても、完全な公正、自由の選挙が保証されなく、かえって非制度的要因に妨害され、或は公正、自由な選挙に選出されたリーダの権力は制限されていなく、民衆とメディアの自由と監督の権利も保証されない現状である。有名になった「アジア式民主」というのはこの東側の民主類型である。

資本主義民主と社会主義民主の区別はイデオロギーの違いによって生じたものである。実際には、いわゆる資本主義民主又は社会主義民主は存在していないであり、二者は相対的なものである。資本主義社会と社会主義社会は異なる政治理念と政治哲学、異なる社会制度であり、民主は国家管理に関する一種の政治運営手段である。即ち資本主義社会と社会主義社会ともに民主制度を取り入れる可能性がある。ただし、資本主義の誕生は社会主義により早かったため、その民主制度はわりと健全的であり、欧米の早期資本主義国家の民主はもっと健全的である。一方、社会主義国家の民主は、また初歩的な段階にある。しかし、資本主義民主と社会主義民主は大きな違いがあり、その最も大きな区別は、社会主義民主は共産党の主導によって実現され、社会主義国家は資本主義民主に存在している制度を、例えば三権分立という権力の制限やメディアの自由などを認めていない。

実に、いずれの民主モデルにしても、その基本的な意味は多数の民衆の意志による統治実現という政治制度への追求である。モデルが違っても、民主の原則は共通であるかぎり、その民主化の過程において、民主に対する人々の異なる認識や理解は徐々に近く、統一になっていくのではないか。どの政治制度にしても、どの国家にしても、民主化実現のスピードが大小違うが、しかし違った意味の民主が長期に存在しないはずである。民主政治は世界範囲で確立される理由は、民主がもっている実用的価値、例えば、社会安定をもたらすや、経済を推進するというものだけではなく、民主はやはり人間の深い奥の要求を反映しているからである。「民主は普遍的価値をもっていると信じるのは、人類が自分の同意なしに統治されことを許せないと確信しているからだ。民主は体面的に扱いされたい人々に対するフィットパックである。民主は人類自然な本性的希望であり、人々はそれぞれの運命に対して自ら発言できるのが望んでいる。その個人に対する最も良い保護とは民衆によって、責任のある管理者を選ぶことである。他のイデオロギーは人間に幸せにすることを承諾するが、民主は人々が自由に幸福を求めることだけを承諾する。民主政治が作った奇跡は、自ら自由を追求し幸せを獲得した人々は、他人の恩賜により幸せをもらった人々により多い。」13

要するに、民主は歴史的現象として時間的には西側で早く現われ、その後の発展はいろんなパタンが生じている。しかし、その原則と基本制度はやはり全人類の財産である。民主化の条件、民主のパタン、民主の過程はどう違っても、民主化の実現は人類の社会にとって、避けられない道である。

無論、民主化は努力なしで、或は社会の諸条件無しで実現できるわけではない。民主化の実現には、主観的な努力以外に、客観的条件が揃わなければならない。それは主に経済発展の水準、国民の素質及びその教育のレベル、民主に関する政治、歴史、文化、伝統、市民社会の形成と成熟などの要素が必要とする。

一般的には、経済発展の後進国家には人々の民主に対する要求や願望は強くなく、貧困の解決は社会の優先課題となっている。経済の発展につれて民主に対する要求や願望が現われるものである。どの程度の経済発展になると、民主に対する要求や願望が現われることについて、固定的な標準がないが、人々は常にこの二者の間に必ず何かの必然な関連があるじゃないかと考えているが、実は、民主の出現は経済発展との一定的関連がある。特に、国家の経済体制は自有経済、伝統的な自然経済又は国家主導の計画経済体制から市場経済に移行した後、多元化経済の存在は経済の発展を促進するだけではなく、相対的に独立した中産階級も形成され、民主に対する要求や願望も現われたのである。

経済の発展のほかに、国民の素質は民主化の必要な条件であり、即ち、国民に対し、民主の知識を含め、各種の教育を行い、知識のある且つ独立した人格がある人間を育つことは重要である。民主に要求された選挙及び監督などの実施には、民主に関する各種の知識をもつ且つ自身の権利をどう守るかは判断できる国民が必要である。多くの統治者は国民に対し、このような教育を積極的に行っていないが、しかし国民の素質のアップは統治者の主観的な願望に決めるものではない。経済や社会の発展につれて、民主の知識と独立した人格を持つ国民がしだいに増えつつあり、民主化の実現も加速するはずである。

そして、国家の政治歴史や文化伝統は、民主化の実現について、無視できない条件である。一般的には、民主は西側から生まれたものであるが、東側国家の政治歴史、文化伝統において、民主という成分が少ないので、当然、民主化の実現にも影響されている。いわゆる「アジア型の民主」に強調された権威主義は民主化の要求に逆行している。国家の民主化過程には、必ずしも政治歴史、文化伝統に制約されるわけではない。歴史上、民主の意識が弱い国家にしても、民主制度に対する要求や願望があるものである。民主の要素が乏しい政治歴史、文化伝統は民主化の過程を遅らせることがあるが、根本的には民主化を阻止することができない。

以上に述べた条件の他に、市民社会は民主化社会にとって、不可欠な条件である。無論、市民社会の出現は経済の発展、国民の素質及び政治歴史、文化伝統などに繋がっているが、各種の前提条件において、相対的に独立した地位をもっている市民団体が形成したことこそ、民主化の過程が加速される。経済発展と伴って、現われた中産階級と成熟した素質の高い国民にとって、市民社会という形によって、自分の政治願望を提出し、実現させ、政治歴史、文化伝統中の非民主的要素を変えて、民主化を促進することになる。民主化が実現された国家にしても、成熟した市民社会の存在こそ、民主体制持続の保証である。

 

三、 市民社会と民主化の相互関係

 

市民社会と民主化は、ともに近代に現われた一種の社会思潮と社会政治運動であり、その目的は社会を整合し、管理し、より合理的かつ有効的に運営していくことにある。しかし、両者の社会的役割は全て同じ限りなく、市民社会の主な役割は公民の権利を守り、政治に対する監督ことである。一方、民主化の主な役割は政治運営の体制を構築し、規範することである。市民社会は民主化を促進する同時に、民主化は市民社会への保障を提供し、両者は互いに作用し、現代社会の構築にとって、なくてはならない存在である。

 

(一) 民主化を促進する市民社会

 

市民社会は専制、権威主義を民主化社会に移行させるに必要な条件である。近代における欧州資本主義革命とその民主に対する要求の根源は近代市場経済から生まれた市民社会があり、即ち、経済地位のアップや市場経済の自律性などは個人及び団体意識を強める。彼等は団結し自分の利益を守るために、専制の国王に対し、政治権利、発言の権利、及び政府構成に関する決定権、運営権、監督権などの政治仕組みを求めていた。この意味から、市民社会の出現は近代民主に直接の因果関係があると言えるであろう。

現代の市民社会はみんなその非政治性、非政党性、非イデオロギー性を強調しているが、実際には、制度の選択は回避できない。市民社会がなければ、民主制度の設立又は民主制度の安定は実現できない。直接に政治参与或は政権に入るのを目標としなくても、市民社会はやはり民主社会を形成させる必要な基礎条件の一つである。民主制度は一回の選挙から指導者を選択するだけではなく、最も重要なのは相対的に独立しかつ責任感をもつ市民団体は、政府に対する監督、協力ということである。未来の政治は経済や社会問題に対し取るべき措置はますます多くなり、過去のような統治を維持するための政治が少なくなる。市民社会の協力がなければ、独裁や暴力の防止、政府、国家機関に対する有効な管理は実現し難くなるに違いない。

市民社会の完全かや成熟化は必ず民主化を加速し、成熟をさせる。市民社会がないと、民主制度は実現できなく、安定した民主体制も維持できない。これについて、多くの学者たちは共同の認識をもっている。例えば、彼等は、「政治民主は市民社会の基礎がなければ、多元な利益組織の基礎とする公衆参与がなければ、それは実現することが不可能である」14「活力のある市民団体は、民主政治の責任能力をアップさせると同時に、民主政治の代表性と生命力をアップさせている。自らの志願により結成した団体は民主的政党の制度にとって、極めて重要な補助である。」15 と主張している。

コムエンとアルタムは、市民社会の各種成分の中に、民主化にとって、最も重要なのは、自由に往来できる「公共権力領域」である。人々は自由に団体をつくり、直接参与し、また自ら体験し、学習することも含まれている。市民社会は政治領域や経済領域をコントロールすることを求めていないが、政治社会や経済社会の仲介を通じ、経済と国家の自主運営を妨げない限りに、その影響をもって働きかけることが求められている。民主制度がわりと健全な西側の国に、民主化を更に推進するには、市民社会に頼らなければ成らないことになっている。東側国においても、より一層の民主化を実現するには、市民社会の形成、成熟が重要な役割を果している。

要するに、市民社会は民主政治を作り、その基礎を堅実にするものである。個人の独立した人格を基礎とし、団体性や理性などは民主社会の堅実な基礎であり、そうでなければ、民主は非理性的民主動乱になるかもしれなく、東側の国において、特にそうである。成熟した市民社会は、専制政府の権力に代わって、真の意味での民主社会を形成させることに役に立ち、国家の一層の民主化を選択している。

 

(二)民主化は市民社会の保障

 

市民社会は民主化を促進することであるが、しかし、如何なる時、如何なる場所もそうであるとは言えない。近代の西側民主社会の出現は、確かに市民社会の出現と発展に強く関連しているが、東側の国家では、西側の国と違い、民主体制の下で市民社会が現われ始めている。つまり、市民社会は民主化の原因である同時に、民主化の結果でもある。実際には、今の民主化が実現された西側の国家にも、市民社会が民主化のレベルを決めるとは限らなく、民主制度は市民社会に保護や支持を提供している。市民社会と民主化は互い連動している関係があると言えるであろう。

東側の国において、長期以来、専制や権威主義がいろんな形で存在しているので、市民団体の出現と発展は制限され、権威政府の極めて強い圧力の下で、市民社会は誕生したしても、規模が小さく、社会に対する影響も少ない。まさに西側の学者が言った通り、「東南アジアのいくつかの国において、市民社会は国家に制限されたラインを到底超えられない。他の国家にも市民社会は発展しているが、政治のプロセンスは民主人士と権威統治者との闘争分野だと思われ、政治のプロセンスに直接に結びつけていない」16 このような状況の下で、市民社会の出現は相当に政治の変化に頼ることになっている。

専制や権威主義の国家にしても、完全に民主を拒むことはできない。特に、世界範囲内第三次民主化波の衝撃によって、大部分の国家は民主化が始まり、或は民主化を進むと宣言している。したがって、大部分の東側の国では、民主制度の基礎が既に設立され、いわゆる選挙民主が実現された。このような状況で、市民社会はこの国に出現され、国家の政治生活に影響を及ぼすことになり、民主化を導いた。

その他に、市民社会の健康的発展は民主化の更なる発展とその保障に頼り、民主的体制の下、市民社会の充分な活動とその監督機能が発揮できるからである。民主制度がわりと健全かつ成熟の西側国にしても、市民社会の更なる成熟と監督機能の発揮は民主制度を保障するには重要な要素となっている。言い換えれば、市民社会の発展は民主化の保障にとって、欠かさないものである。

市民社会と民主化との相互補完、相互促進は、現代社会の構成に不可欠な重要課題である。

 


注:

1.「布莱克維爾政治学百科全書」中国政法大学出版社、1992年版125〜126ページ。

2.ロックの「政府論」、商務印書館、1964年版、77〜78ページ。

3.同上、78ページ。

4._正来の「国家と社会―中国市民社会研究」四川出版社1997年版、28ページ。

5.同上、35ページ。

6.ヘーゲルの「法哲学原理」商務印書館、1964年版。

7.「布莱克維爾政治学百科全書」、125、126ページ。

8._正来の「国家と社会―中国市民社会研究」四川出版社1997年版、6ページ。

9._正来の「国家と社会―中国市民社会研究」中のテーラーらの「市民社会のモデル」。

10.シュンペーターの「資本主義、社会主義と民主主義」商務印書館、1979年版、337ページ。

11.劉軍寧の「民主と民主化」商務印書館、1999年版146ページ中のSartoriの「自由民主は移植できるか」。

12.劉軍寧の「民主と民主化」商務印書館、1999年版、423〜424ページ。

13.劉軍寧の「民主と民主化」商務印書館、1999年版、15ページ。

14._正来の「国家と社会―中国市民社会研究」四川出版社1997年版、19ページ。

15.劉軍寧の「民主と民主化」商務印書館、1999年版130ページ中のラリムダイヤモンドの「民主主義の三大問題論」

 

 




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