学術論文データベース13

 

 

世界史の最初と最後

 

 

 

宮内広利

 

 


1 マルクスとヘーゲルの歴史観

 

近代の歴史観の礎を築いたのはヘーゲルだった。彼は世界史を@東洋世界Aギリシャ世界Bローマ世界Cゲルマン世界Dゲルマン世界の最終段階としての近代世界に区分した。ヘーゲルの歴史哲学は、理性が世界を支配しているにとどまらず、理性の活動の結果としてすでに近代世界が成立していることを疑うことなく、それを証明するための学問であった。そこでは、歴史哲学に必要な理性的認識とは、理念によって歴史が作られていることを前提にしてはじめてなりたちうる歴史学という意味であった。つまり、はじめから世界史の目的が決められており、世界史とは理性的精神という前提に向かう「記述」の叙述にすぎない。

 ヘーゲルは、理性の体現者として「自由の精神」を体現しており、そこから遡って人類史を眺めた場合、自分のような「自由の精神」の到達点に辿りつく過程を見出すことができると信じた。そう信じているヘーゲル哲学を観念論だと批判することは何も意味しない。理性が現実的であり、現実が理性的であるヘーゲルの根源的な歴史認識を掘り崩さない限り、彼を批判したことにはならないのだ。

むしろ、問題は別のところにある。ヘーゲル哲学自身が辿りついたところから逆算する方法をとっているとしたら、彼の射程は「記述された歴史」の範囲までしか及ばないのではないかということである。これは、彼にとって歴史は、なぜ、国家の歴史でなければならないのかを問うことと同義である。

彼は、目的を実現する材料として歴史における国家、民族精神の役割を力説しているが、国家こそが絶対の究極目的であり、「自由の精神」を実現した一般的意思と主観的意思の統一体であるとみなす。だからこそ、彼の思弁哲学にとっては、国家を形成した民族しか対象にならないのである。その秩序に反するものは、自然状態とみなされ、不法、暴力、自然衝動と非人間性の感情世界として否定される。そのため、ヘーゲルの世界史の流れは近代世界の固い殻にくるまれて遮られる。

国家の歴史性について、マルクスは『資本主義的生産に先行する諸形態』で定式化している。ここでマルクスが用いている方法は、ヘーゲルとちがって、国家の問題を共同体のありかとし、所有の問題と関連づけることである。マルクスにとって所有とは、≪自分のものとしての、人間固有の定在とともに前提されたものとしての自然的生産諸条件にたいする人間の関係行為》であった。この「関係行為」という場合、自然的生産諸条件は二重である。その前提となるのは、まず、自らが属している種族団体であり、人間が自然発生的な社会に属しているということである。人間が生産的に生きるのはこの既成の条件のもとである。したがって、所有とはある種族に属することであり、その上、その共同体における大地、土地にたいする関係行為一般のことを指している。マルクスは、それだけのことを言っているにすぎないが、むろん「関係行為」のみでは舌足らずである。正確には、関係行為を時間化し、「欲望する」とみなすことが大切なようにおもう。

マルクスが辿った「アジア的所有」、「ローマ・ギリシャ的(古典古代的)所有」、「ゲルマン的(中世的)所有」は、「ブルジョア的所有」関係とは大きく異なる。貨幣の資本への転化が労働の客観的諸条件を分離し、労働者にたいして自立化させた歴史的過程を前提とすれば、他方ではすべての生産をみずからに従属させ、また、いたるところで、労働と所有のあいだの乖離、労働と労働の客観的諸条件のあいだの分離を発展させ貫徹するのは、ひとたび成立した資本の自然的作用である。この資本の作用をつうじて、国家的所有を含め、以前の狭義の共同体的所有は完全にその存在意義を失う。

では、ブルジョア的所有関係のあとにくるのは何か。マルクスが『共産党宣言』においてスローガンにした「私有財産の廃止」という言葉は、あたかも国家的所有に受け取られかねない、とても誤解されやすい言い回しである。この言葉とともに、共産主義者の任務である、@土地所有を収奪するA強度の累進税B相続権の廃止C国立銀行によって信用を国家の手に集中するDすべての運輸機関を国家の手に集中するE国営工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良、をつけ加えると、マルクスは限りなく国家的強権主義者に見える。これらの言葉が不思議におもえるのは、一方で、マルクスは、《ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件》である「協力体」のことを語っていたからである。なぜ、マルクスの言説は矛盾しているように見えるのか。これを解く鍵は、彼の次のような言葉である。

《所有ということが、自分のものとしての生産諸条件にたいする意識された関係行為―そしてこれは個々人にかんしては、共同団体によって定められ、また掟として公布され、かつ保証されるもの―にすぎないかぎり、したがって生産者という定在が、生産者に属する客観的諸条件における一定在として現れるかぎり、所有は生産自体によってはじめて実現される。》『資本主義的生産に先行する諸形態』マルクス著 手島正毅訳

マルクスはここで、所有という概念が共同体の掟によって作られるものだとしたら、共同体と同義だといっていることになる。その意味では、私的所有も国家的所有も変わらない、ともに、広義の「共同体的所有」なのである。いいかえると、その「共同体的所有」の概念は「アジア的所有」その他などよりもはるかに射程が長く、起源としての共同体、国家の成立まで延びていることになる。わたしたちは、すでに「共同体的所有」関係の中に首までどっぷり浸かっているものだから、過去に遡っても、「共同体的所有」以前の世界が分からず、また、同じ意味において、ブルジョア的所有関係以後の世界がイメージできないのだ。ほんとうは、マルクスが未来の「協力体」というとき、あらゆる所有、あらゆる「共同体的所有」をなくした世界のことを考えなければならないのであり、それを確証しようとすれば、共同体または「共同体的所有」の成立時まで遡らなければならなかった。マルクスにたいする遠近感の誤差は、マルクスが所有一般の廃棄ではなく、ブルジョア的所有の廃棄をめざしていると言ったことにはじまっている。なぜなら、マルクスはブルジョア的所有が最後的にもっとも完成された「共同体的所有」を象徴するものと捉えていたからだ。わたしたちは、ここから未来を描くためには、所有の根拠を求めて、もっと時間を共同体、国家、所有の原型にまで遡らなければならない。

 

2 野蛮、未開ということ

 

エンゲルスが『家族・私有財産・国家の起源』で共産制的段階と呼ぶのは、母系制が家族形態であった野蛮段階から未開の中位段階ぐらいまでである。また、それは、氏族制社会の入り口に当たっている。生産様式においては、家畜の馴致、食用植物の栽培が本格化し、石の武器や石の道具を使って調理しはじめる以前の先史段階である。その共産制的段階においては、食糧は日々の需要を満たすのみであり、毎日、新たに獲得されねばならなかった。つまり、人間の労働力の水準は、まだ、日々の生活資料の余剰をもっていなかったことになる。しかも、共産制だから、獲得した食料はまだ希薄な人口を前提にして、皆に公平に分配された。いわば、人間は自然との関係において、自然に拮抗する「時間」を蓄積しないまま、一人ひとりは無限大の消費時間をもっていたことになる。

このゼロまたは無限大の消費時間は、国家の発生の問題と無関係ではありえない。ゼロまたは無限大の消費時間は、国家を発生させる文明史の時間と折り合えなかったからだ。この段階においては、人間と人間社会が種々の階級に分離される前であるとエンゲルスは述べている。その結果、エンゲルスは原始と未開の間にまたがって、楽園(ユートピア)のイメージさえもちたがっているようにみえる。

しかし、わたしは、国家が発生する過程は、次第に生産方式の変更が先行し、人間の秩序が追いつこうとする社会システムの誕生の過程におもえる。野蛮段階の集団婚からプナルナ家族が生まれ、氏族制以降、国家が発生するまでの道すじは、いわば、何千年の年月で量られる停滞の過程にみえる。これはマルクスが原始的なものとして示したアジア的所有形態以前の概念に照応する。なぜなら、農業、牧畜、工職の自給自足的一体性のもとでは、征服、被征服の関係は持ちようがなく、共同体相互間の所有関係がないので、他の共同体自体を自然的生産諸条件に組みすることができないからだ。

 だとすると、この停滞の過程は、生産方式が先行する過程とは逆に、人間の秩序、つまり「消費」が先行する過程にちがいないとおもえる。人間が自然に働きかける量を仮に「価値」と表わせば、その量より自然から人間がもらいうける「価値」量が上回っているということだ。なぜなら、後世の誤解とはちがって、まだ、「稀少性」を知らない原始人たちは、粗末な道具を使って、毎日、狩猟や果実の採取を行っているのだが、食物の十分な備蓄や複雑な加工を知らない分だけ、価値以上の消費がそれを待ち受けているからである。つまり、消費が先行する社会は、生産する価値の移転を知らないので、価値以上の価値を取得することができる。これは、消費する時間が生産する時間を上回る状態を示している。一単位あたりの使用価値にたいして、より多くの消化、臭覚、味覚をひきだせる段階のことであり、その時々、消費力のレベルが飛躍的に増加しているのだ。

逆にいうと、一単位あたりの使用価値を取得するために、どれだけ多くの視覚、聴覚や臭覚を消費しているか分からない状態でもある。それを自己感情としてとりだせば、いちばん迷妄で発達していないとみなされるが、実は、これは空腹感や満腹感がかたちづくられる原初段階に当たっている。そういう原始、未開の意識は、のちの生産労働を中心に据えた唯物史観では決して見えない世界である。

この場合、わたしたちの信頼できる尺度は、人間と自然の対応函数だけであり、それを決定するのは、人間の自然にたいする働きかけ=生産及び自然の人間にたいする働きかけ=消費である。そして、エンゲルスが示した血縁家族、プナルナ家族、対偶婚家族、単婚などの家族形態の推移は、その消費のカテゴリーと関わる限りで重要なのだ。そこにおいて決定的なのは、生産と消費のあいだの空間的な距離ではなく、人間を媒介する距離である。つまり、生産は一人ひとりに多くの時間を与えられた消費の時間に換算できる。そして、その時間によって消費力というものを推定することができる。 

さしあたって、消費力の度合いを測る基準は人口である。一方、生産の度合いは自然をどれくらい耕作(労働)しているかの生産力である。まず、自然意識が自己意識と区別されないで、自然にまみれて生存していた段階を想定すれば、これは明らかに、一単位当たりの自然にたいする人間の取り分(消費)がはるかに大きい意識形態をもたらしているのはまちがいない。もし、これを社会システムに換算すれば、ある面、みずから耕作(労働)することなく、自然からたくさんの恩恵にあずかる自由を保有していることを意味し、また、気候の変化で収穫物が減少して、飢餓のおそれもあるという意味で、より大きい不自由さをもっていることでもある。 

このような生活にたいして、やがて、自己意識の対象としての神をつくりだし、それを崇め、宗教意識が形作られるようになると、自然にたいする耕作技術が高まった段階に移行する。人間の外にあらわれた自己意識が宗教として、また、法として、自らがつくった自己意識を対象化できる段階をイメージできる。それは、自然にたいする働きかけが増大し、消費の度合いと均衡をもちはじめたときにほかならない。もはや、自然は人間と地続きではなくなっている。自然と人口がバランスを保つ入り口にさしかかってきたのだ。当然、収穫物の余剰は占有され、または私的所有されるようになる。生産主導で人口の問題が遡上にのぼりはじめる。自然との格闘は迫っている。「稀少性」まであと一歩の距離である。おそらく、国家の起源は、この人口と自然の均衡が生まれたとき、いいかえれば、生産と消費が均衡し、生産主導に転換する往復点にある。

 

3 内在史と外在史

 

では、なぜ、人類の野蛮、未開期を人間と自然の時間の函数でみることが可能になったのか。高度資本主義社会の現在が、いわば「最後性の欲望」を露呈させたからである。吉本隆明はその転換期を「超資本主義」と呼んだ。吉本は、高度資本主義社会が、国民大衆一人ひとりの経済的な潜在能力を、どんな政治支配をもってきても制御できないくらいに大きくしており、国民大衆の自己制御によっては政府の動向をも左右するという。しかも、就業人口の産業構成比でも国内総生産からみても第三次産業が過半数を占めている。また、選択的な消費や支出が、総消費や総支出の過半数を超えており、個々の国民大衆や民間企業体が選択的な消費や総支出を引き締めてしまえば、政府がどんな景気対策をほどこしても不況を脱出することができないとみなしている。

これは何を意味しているのだろうか。わたしなら消費と生産の関係が逆転してしまった高度消費社会のイメージを思いうかべる。というよりも、生産に引率された消費(生産的消費)が減少したことを意味している。生産した価値のうち、その消費する価値が半分以下だとすれば、マルクスのいう価値法則が機能しなくなったばかりでなく、衣食住、つまり生産する(働く)ための価値が低減してしまっているのだ。これを「欲望」の函数としてとらえなおしてみれば、一単位あたりの生産の欲望が、1/2以下の消費の欲望で満たされることになる。それはさらに拡大再生産されるだろうから、あくまでも仮定だが、生産することによる価値は、相対的にますます逓減していく。この関係はつまるところ、生産力の極大化と消費力の極小化を意味しており、生産と消費の関係が著しくバランスを崩していることになる。もしかしたら、こういう不均衡は、生きるために働くという人類の長い歴史を覆すものかもしれない。もちろん、ブルジョア的段階を一歩進めた段階ともいえる。もし、これに対比させるものがあるとすれば、エンゲルスの描いた人類の先史としての国家の登場する以前の原始、未開の初期段階しかない。ただし、その場合、生産力と消費力の函数が鏡に映ったように、まるっきり逆立ちしているということだ。

吉本隆明の『アフリカ的段階について』は、プレ・アジア的段階として、「アフリカ的段階」を人類史の母型として掘り下げ、かつ、それが歴史の未来につながるものとして、世界史を流す要請に応えた唯一の世界認識である。まず、吉本は、ヘーゲル、マルクス、エンゲルス、デュルケム、モルガンなど、19世紀から20世紀にかけて広がった歴史認識の方法が、絶対的な近代主義として、西欧の文明社会を基準にすれば、まるで野蛮、未開とみえる場所を世界史の枠外においたと指摘する。アフリカ的段階の内包する時間を、宗教心も倫理感もない動物状態の野蛮な暗黒空間として、意図的に世界史から除外したという。

ところが、アフリカ的段階は、その実、人間の「内在史」としてみれば、自然物や人間を染み透るように理解し、深く豊かな感情や情念をもたらす世界であった。これこそ人類の母型であって、樹木や生き物と言葉をかわし、自然にまみれ情念を交換しているアフリカの原住民やアメリカインディアン、アイヌ等の土着の精神的評価にもつながっていく。この世界では鳥や獣や河川のなかに精霊がひそんでおり(擬人化)、自分もいつでもこれらの自然物に溶け込んでいける精神のありかを教える。人間の自然の樹木、動物、雷のような自然現象にたいする感情は細やかで、自分を天然の自然や、植物、動物と区別したり、差別したりせずに、同じ目線に同化している状態を維持している。まだ、宗教になっていない宗教性がここにはある。

しかし、この段階から次第に、山が神体となり、河川も神を祀り、樹木も神社になり、自然現象も雷、風の神になって、村里の周辺や要所に配置され、次第に神社信仰になっていくときから、自然物の宗教化、自然との区別を意識に上らせるようになったことを意味し、アジア的な段階がはじまると言っている。そして、吉本はアジア的段階とアフリカ的段階を次のように線引きする。

《王権の専制という概念がアフリカ的な段階では両義的で、王の絶対的専制は、裏面からは住民(全臣下)の総体的な専制に転化されることだ。アジア的専制は住民の貢納とひき換えに灌漑水利や軍事的な保護が王権の役割になってついてくる。アフリカ的な王権の絶対専制にある両義性が分離されて、制度、生産物の占有と、霊威(権威)の専制とに分れて次第に固定していった。》 『アフリカ的段階について』 吉本隆明著

つまり、アフリカ的段階は総体的専制であり、土地、財産、奴隷(臣下)、生産物などの全所有がひとりの専制的な王に帰属する。これは、国土の全所有を物語っている。ところが、そのアフリカ的段階では所有と権威の統一であったものが、アジア的段階になると分離し、固定化したというのである。これは、吉本によると、王権として絶対専制と相対専制の違いとして表れる。アフリカ的段階では、王は自然の精霊の代理者として住民によって祀られるため、臣民は宗教的な要因から王を絶対的な生き神にし、じぶんを服従させる。そして、王は臣下の土地、収穫物、財産の所有権、女性、人命の生殺権すべてを所有しており、そのかわり、不都合な事態が生じたときには、臣下によって罷免されたり殺されたりして、王権交代が徹底して行われるとする。

したがって、生活意識と宗教意識の区別がつかない原初の歴史的段階では、マルセル・モースのいうような「供犠」は、 ほんとうは王そのものが、神への供犠の対象物でなければならなかったとみなせる。だが、原始人が祭儀を宗教として明確に意識しはじめ、聖なる世界と世俗世界に境界線を引くようになるにつれて、犠牲の対象を動物や植物に転嫁したと考えられる。これは、吉本のアフリカ的段階からアジア的段階への転化と符合する。

 ここで宗教的性格と政治的性格を混交した王権は、自然的な災害・危害にたいしても無制限の神託を与えられていた。原始人は、人間が太陽や星の運行を止めたり早めたり、雨を降らせたり止ませたりすることがあることを不思議におもわなかった。そのため、神と王の間には媒介物(犠牲物)がなく、自然神と王そして臣下の三角関係のみであった。そういう王権の絶対専制が臣下の絶対専制によって相対化されるという意味では、実際の関係は、双方向の二角関係であったといえる。

ところが、自然神から宗教神への転化は、まもなく、神と媒介物と王の三角関係を幻想上の「供犠」にすり変えた。そればかりではない。かつて王に求められた神への自己放棄、聖なるものは、自分を対象にした臣下のそれに代替するとまもなく、王と臣下との間には媒介物が生じた。その媒介物こそが集合的な力、社会的規範を産みだした。自然人から規範、法、国家への道筋はこうして進んだとおもえる。社会経済的には、贈与制から貢納制にかわったときにはじめて、アジア的段階が誕生したとみなすことができる。これは、言葉の厳密な意味で、所有や占有という観念が表面化したことを意味している。

その上で、吉本は、アジア的以降の段階とプレ・アジア的段階を明確に区別しうるか否かを問うており、それが歴史認識の差となってあらわれる。それは、文明的な段階(外在史)と精神的な段階(内在史)が一致していた世界と、そうではない世界の区別だとしている。歴史が概念として成立する世界とそうでない世界の区別があるのだ。つまり、概念の歴史の解体としてでなければ、アフリカ的段階は歴史として成り立たないと言っている。吉本は、ヘーゲル的な「概念の概念」の解体から、概念の解体にまで到達した。 

ここでいう「内在史」、「外在史」の区別は、マルクスの人間と自然の自己疎外関係の哲学に基づいている。すなわち、人間は一方では受苦的な制約や欲求を個有性としてもっている点で動物や植物と同様、自然の一部である。にもかかわらず、そういう自然存在でありながら、人間的な自然存在でもあるのは、人間が対象的世界を実践的に産出し、つまり非有機的自然を加工し、自らの「類」を二重性の意識で眼前に確証できるからである。この対象化活動としての生産を通じて自然は、人間の制作物を現実化し、逆に人間も自然によって現実化していく。というのは、人間はこの過程で意識的にも実践的にも自己を二重化(自己疎外)して、現前に「類」としての自己を確認し、自然も同様に「類」としての人間の自己疎外を介して自己実現するからである。この過程をつうじて、自然が人間の非有機的身体になり、人間は自然によって有機的自然となる。こうして人間と自然の相互規定性が、一方で自然の人間化として、もう一方で、そのことが直接、人間の自然化でもあるという関連が、自然的人間と人間的自然を包む人間の歴史化の総体なのだ。吉本は、この視点を導入することではじめて、未来を歴史の概念に包むことができると述べている。

《現在の世界史についてのわたしたちの哲学がどうあるべきかはおのずからあきらかなことだ。内在(精神)史としてアフリカ的段階をおなじ眼の高さから内在化する過程が、同時に外在(文明)史的な未来を認知することと同義である方法を、史観として確立することだ。》  『アフリカ的段階について』 吉本隆明著

これは、アジア的段階を中途半端に外挿したマルクスにおいても、近代主義的な歴史観を脱皮できなかったことを意味していた。吉本はヘーゲルやマルクスの世界史は外在史(文明史)と同じになっているという。ただ、外在史だけが歴史というような歴史観になっている。というよりも、外在史がそのまま内在史でありえた歴史という理解である。いわば、内在史と外在史のズレを意識していなかった幸運な歴史なのだ。だが、ほんとうの歴史は《全人類の一人ずつが何をかんがえ、その瞬間にどう行動したかの総和》のことであって、外在史をどう追いかけていったかの総和ではない。その理由は、歴史は内在史と外在史のズレによって総合されうると述べている。

アジア的段階から近代社会までは、「記述された歴史」と実際の文明の歴史が合致していたから、ズレを意識しなくてすんだが、近代以降、そういう歴史は作れなくなった。それはある意味で、先行する意識形態としてアジア的段階以前のアフリカ的段階と照応している。したがって、吉本の考えが成り立つためには、アジア的段階以降近代社会までの時間を一括りにし、それから除外された現在とアフリカ的段階が通底する要因がなければならないとおもえる。その上、吉本の内在史と外在史を区別すると、現在が、内在史と外在史のいちばんズレた状態であることを前提にしなければならないはずだ。歴史と歴史概念のズレこそが、現在とアフリカ的段階をつなぐ環なのだ。

  わたしたちは、もはや、現在において通常の視覚において外在史をみることが不可能になっている。ヘーゲルやマルクスの時代なら、内在史と外在史は均衡がとれており、距離と目線の移動によって、歴史を映すことができた。つまり、歴史と歴史概念が一致した。ところが、現在は厖大にふくれあがった欲望の産物である外在史をみることができなくなり、個人は歴史に参画できなくなった。

 

4 世界史のこれから

 

マルクスの商品価値論は、この生産力と消費力のバランスの上に成り立っていた。それは商品の価値と使用価値であらわされた。マルクスにとって使用価値とは消費のことをさしている。マルクスは商品の二重性として、価値と使用価値を区別し、価値は人間労働力が対象化した抽象体であり、それは労働時間に還元された。もう一方の使用価値は、対象性としての属性をもっており、交換をつうじて他者に消費される具体物である。この価値はもちろん社会的交換を前提にしており、交換価値と呼びうる。こういう商品の二重性は自給自足的な共同体の内部では起こりえない。それは使用価値でしかないからだ。だから、空気や処女地や自然の草原や野生の樹木などは使用価値ではあっても交換価値ではありえない。マルクスのこの二重性の価値論は、社会的生産条件を加味すると、生産労働と消費活動の二重性に解体される。人間は自然に働きかけるその限りにおいて自然に加工を加えて価値をうみだす。同時に、社会的には他人の使用価値をつくり消費させる。生産は消費とペアになっているだけではなく、互いに依存しあっているのである。この依存関係の図式は、外部共同体との交換や戦争、征服を前提にし、もうひとつは、個別労働と社会的労働の区別を前提にする。

マルクスはこの価値と使用価値の区別と関係から、交換、そして剰余価値をひきだす。消費された労働力(労働力の価値)は、生産された価値と区別され時間として差異をうみだす。消費された以上に生産されること、つまり、生産的消費と生産の差異こそが剰余価値になる。そして、消費された価値はやがて資本をつくりだす。これらが一貫したものを価値法則という。価値と使用価値は、商品生産がこのバランスの上になりたっている生産と消費にほかならない。そして、価値と生産は、使用価値と消費に先行する。

この『資本論』の解釈を現在の資本主義においてどう適用すればいいのか。マルクスが人間労働力が加わっていないものとして想定した空気や水、処女地や自然の草原や野生の樹木などは使用価値のみだろうか。反対に、価値でないものはなくなっているではないか。どうかすればではなく事実として、風景や環境さえ価値になる。また、サービス労働、知的労働などは、社会的労働時間として価値の大きさを測れなくなった。生産された価値は、より多くの使用価値を含むこともあれば、より小さいこともある。明らかに、価値に先導された使用価値との関係は、連動していないだけでなく依存関係にはない、つまり、価値と使用価値の関係の二重性は剥離してしまっているのだ。

また、労働力の使用価値をつくるための生産的消費は限りなく縮退している。といっても、これはマルクスのいう相対的剰余価値の生産メカニズムではない。生産物が安価になるために消費が縮小するのではないからだ。少なくとも、生産価値が増えれば消費価値が減るのではない。生産的消費が減る一方で消費のための消費は増えるから、ここでは少なくとも相対的窮乏化はあてはまらない。

マルクスは、この価値法則の依存関係が断たれるときが、ほかでもなく、「人類の前史が終わる」ときだと期待した。こういう現在の状態は本史に限りなく近づいている。つまり、生産力と消費力が不均衡だということだ。したがって、それらの間には矛盾がない。

この不均衡は、近代市民社会における政治的国家の生成にも影響をおよぼす。なぜなら、政治的国家は個別労働と社会的労働の矛盾のなかから、幻想的に共同性をとりだしたものだからだ。反対に、生産と消費が矛盾しなくなれば、また、個別労働と社会的労働が矛盾しなくなれば、政治的国家は縮退する。政治的国家はやがて死滅しなければならないのだ。ミシェル・フーコーのいう「一望監視装置国家」は、滝村隆一がいうところの社会的国家にすぎないが、それにひきかえ、政治的国家はなくなりつつある。フーコーは、「個別的なものは全体的なもの」であるといった。フーコーのようにもっと割りきってしまえば、個別と全体の関係、幻想と現実の対立はなくなりつつある。わたしはこういう現在の状況を「人類の前史の終わりの始まり」として、世界史の中に組み込むべきだとおもう。

 アントニオ・ネグリは、資本、貨幣、移民、南北問題も世界経済の中に組み込んでしまう現在においては、世界は単一のグローバルな主権として「帝国」に支配されているという。そして、その対極に、知的労働者を中心とする対抗権力「マルチチュード」を設定し、そのせめぎあいの中で生権力に対抗させた。だが、わたしは、格差社会の問題を考えようとするなら、その両極分解の中間に政治的国家を俎上にのぼせないといけないとおもう。世界の共時性は国家間の時間の蓄積との軋轢をひきおこしているからだ。つまり、格差社会とは、国内における先進資本主義国と後進資本主義国の対立だとおもえる。南北問題が、一国規模に投射された問題だとみている。

 そして、ほんとうなら、資本主義の変質は価値と使用価値のバランスを崩すはずだった。それにともなって、政治的国家は限りなく縮退するはずであった。にもかかわらず、歴史はこの終わりの始まりを停滞させてしまっている。その原因は、政治的国家にある。社会経済的には、政治的国家を放散させつづけているのに、当の国家そのものがそれを阻んでおり、後進資本主義国家と同じスタイルで居座りつづけようとする。だから、国内に南北問題を抱えることになる。国内の南北問題とは、国家という共同性にあぶれたものたちをつくる体制である。これは国家の共同性が閉じられているところからやってくる。

 わたしたちは世界史を終わらせるため、歴史的原初意識を精神史として抽出する必要がある。なぜなら、マルクスやエンゲルスの唯物史観であろうがヘーゲルのような思弁哲学であろうと、彼らの歴史観は、同じ発展段階の範疇にあるからである。ここで世界史を終わらせるという意味は発展段階史を終わらせることである。発展段階を終わらせるという意味ならフーコーやネグリと同じにみえるが、彼らには、始まりも終わりもない。

 わたしにとって、終わりの始まりを意識したのは、吉本の「超資本主義」の概念である。

これは歴史の未来を予想させる概念である。そこではじめて、マルクスの価値法則のねじれをみいだし、「欲望の最後性」という言葉につきあたった。この欲望は矛盾した概念であり、極端に言うと、生産なしで消費することが生活することに言い換えられる欲望の「死」ともいえるものだ。吉本の歴史観は、時間の流れを鏡に映して反対の方向に進んでいるから最初が最後であり、最後が最初である。だからこそ、歴史の発展段階を全体として「俯瞰」できることを意味している。この俯瞰とは、最後性としての未来からみた歴史であるからである。逆の面からいえば、歴史が鏡に映っている状態である。鏡とは最後性にほかならない。

未来から現在を見ることは、わたしにとって「死」から現在を見る方法を意味する。しかし、吉本は歴史の最後性を認めていないから、「超資本主義」という概念を、歴史を映す鏡にしたとおもえる。この鏡に映した映像は、単に、ポスト・モダンの範囲にとどまらなかった。吉本の資本主義の現在の到達点と世界史的な視点が統一した問いかけは、わたしたちに、未来から現在を見る方法ばかりでなく、世界史の相対化を教えた。だからこそ、吉本の『超資本主義』や『ハイ・イメージ論』の概念と『アフリカ的段階について』は、あわせ鏡になっている。それをわたしは、現在の未来は、資本主義の「死」ばかりでなく、世界史の「死」を意味していると理解する。

 



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