だから、川上は医学から、評者は政治学から国崎定洞の構想した「社会衛生学」に接近し交差したのだが、本書も実は、鋭く政治の問題を孕んだ戦後日本社会の、綿密な解剖図となっている。例えば「公害・薬害」患者の認定は、医学・医療技術に還元できない。厚生行政にとどまらず、資本主義と政治の問題であったことが、本書の膨大な歴史的叙述から浮き彫りになる。およそ何が病気で何が健常であるかは、聴診器やCTスキャンで定まるものではない。誰がどう線引きするかは、すぐれて社会的・政治的決定である。本書を読むと、敗戦から今日にいたるこの国は、膨大な病人をつくりだし、その治療と予防の過程で、薬害から手術ミスにいたる新たな病いを再生産してきた。医学史でも医療史でもなく「病人史」であることで、患者と医師が、療養者と介護者が、病院と世間が、厚生省と労働省が、行政と政治がつながる。人間であることとないことの境界が社会的・政治的に設定され、目次がそのまま社会病理のパノラマになる。七三一部隊から臓器ビジネスまで、DDTからヒトゲノム計画まで、医学・医療の病いも社会の病いの縮図と診断される。
門外漢でも、これはわかる。「社会衛生学」の今日的到達点であり、日本社会史研究の金字塔が生まれたと。川上武と医療史研究会は、国崎定洞の初志を蘇生し完遂したのである。
(『東京大学新聞』2002年11月19日号、掲載)