2001年11月22日付けの『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された記事(河内謙策訳)( Elisabeth Bumiller, A NATION CHALLENGED: THE PRESIDENT Bush says War May Go Beyond Afghan Borderより訳出)
ブッシュ大統領は、30州のうち27州においてタリバンが支配権を失い、アメリカとそれに協力する軍隊がテロリストの通信網を遮断したという時点で、上記の発言をしたのである。彼は特殊部隊がオサマ・ビン・ラディンを捕まえるまでは軍事的勝利を宣言できないと注意を促した。
しかし、大統領は「我々は、決して倦むことはないであろうし、我々は彼らを必ず捕まえるであろう」と述べた。
大統領はまた、アメリカと国連は、アフガニスタンの復興においてはそれぞれ異なった人々と協力することになるであろう、と述べた。
彼は、「我々は、広範な基礎を持ち、多民族により構成され、婦人を含むアフガニスタン市民の尊厳と人権を擁護する政府の建設に向けて急ぐことを主張している」と語った。
先週、コーリン・パウエルを含めたブッシュ政権のメンバーがアフガニスタンの閣僚には婦人を含めるべきであると主張してきたが、大統領自身がそのことを明確にしたのは初めてであった。
大統領の演説を聴いたのは、第101空挺師団のメンバーだけでなく、1944年のノルマンディーの上陸を助け、スティーブン・E・アンブロースの『戦友の絆』に描かれた人々、第160特殊飛行連隊、第五特殊部隊、陸軍のエリートであるグリーン・ベレーの一団も含まれていた。特殊部隊の一部は、10月に秘密裏にアフガニスタンに配置され、正体が明らかになった後はオサマ・ビン・ラディンらの捕捉の任務を与えられていた。
群衆の中にいたキャンディス・ドモイヤーという婦人は、2日前にアフガニスタンにいる特殊部隊の友人から通信衛星の電話をもらったと語った。
このドモイヤーという婦人は、「特殊部隊にいる友人が私に話すことが出来たのは、ひげを伸ばさなければならないということだけだし、私がそのほかに知っていることは、彼はテント住まいで、数日ごとに場所を移動しているということだけです。」と語った。
大統領は、ホワイトハウスでブッシュ・ドクトリンと呼ばれている”テロリストの滞在を認めるものは、テロリストと同罪である”という考えを、かつてよりありのままに述べた。
ブッシュ大統領は具体的な名前をあげなかったが、アメリカが先に述べたドクトリンを侵犯していると考えているイラク、ソマリア、スーダン、シリアは含まれるだろう。
ブッシュ政権の内部で戦争の次の局面をどうするかについて激しい討論がなされるであろうが、ブッシュ大統領の父であるブッシュ元大統領を困らせたサダム・フセインを打ち負かすためにイラクに戦争を拡大するかどうかも議論されるであろう。
「誰もが気遣っているが、我々は訓練につぐ訓練をしている」と第101空挺師団のウィリアム・エイク軍曹は語った。
大統領の発言の後で、専門家のノーラン・カルモナは「ブッシュ大統領の発言を聞いて、俺も出かけて行って敵を殺したくなってきたよ」と語った。
「今すぐにでも、そうしたい気分だよ」と専門家のカルモナは付け加えた。
大統領と大統領夫人のローラがケンタッキー州とテネシー州の境にある基地に到着したときは、第101空挺師団の150人の兵士たちの昼食時間だった。大統領は、給食を待つ人の列に加わり、鞘豆、マカロニ、七面鳥の肉、ロールキャベツや葡萄をとり、数人の兵士のために七面鳥を切り分けた。
ブッシュは、月曜日にローズ・ガーデンで行われた式典で彼が助けてやった大きな鳥のことに触れながら、「この鳥がホワイトハウスにやってきた七面鳥でないことを祈るね」と言った。また彼は、写真撮影家が写真を撮り尽くした後で、兵士に向かって「これは、写真にいい場面じゃないかね」と話した。
司祭である陸軍中佐のケネス・ブラウンが、食事の前の祈りの時に「大統領に神の祝福を」と述べた。
その祈りの最後の言葉は「空爆が成功するように」であった。
ブッシュ大統領は、「結構だ、食事にしよう」と言った。
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