練達した歴史家が二十世紀を振り返るには、色々な手法がある。エリック・ホブズボーム『二十世紀の歴史』は、戦争と革命、資本主義対社会主義、経済成長と自然環境、第三世界や女性の台頭の視角で、「短い二十世紀」をオーソドクスに切り取ってみせた。
同じイギリスでも、オクスフォードの碩学アラン・ブロックの切り口は異なる。プルタルコス「対比列伝」の手法で、ヒトラーとスターリンという二十世紀の二大独裁者を対比し、それぞれの個性と権力支配のメカニズムを浮き彫りにする。全二十章のほとんどで、スターリンの生きた一八七九年から一九五三年の歴史の中に、ヒトラーの一八八九年から一九四五年の生涯を寄木細工のように埋め込み、両者の類似点と相違点を論じる。
いわゆる全体主義論ではない。グラビア冒頭に二人の学校時代の集合写真がある。「ともに最後列の中央で身構えているのは偶然とはいえ驚くべき一致」と共通性が暗示される。しかし本文では、絶望から出発したヒトラーと過去を振り返らぬスターリン、「総統」ヒトラーのカリスマ性とカリスマを欠く「指導者」スターリンといった差異が論じられる。
圧巻は一九三四年を扱う第十章、ヒトラーが突撃隊を粛清したレーム事件と、スターリンがキーロフ暗殺から大粛清に向かう段階での両者の独裁体制を、それぞれの気質・環境から政治・経済・軍事・外交・イデオロギーまで立ち入って論じ、三九年独ソ不可侵条約を可能にする性向と、四一年独ソ開戦を不可避にした動向のせめぎあいを析出する。
しかも二人の権力は、狂気や抑圧のみから生まれたわけではない。恐怖と歓喜は紙一重で、彼らを受け入れ支持した人々が加担し成立したことを示す。読者はいわば「われらの内なる英雄願望」に気づかされる。それを媒介する宣伝煽動・情報イデオロギー操作の対比、読書・建築の好みや家族・女性観の分析が抜群に面白い。当然そこから、テロルとは何かを、アメリカ一極支配や北朝鮮金正日体制に連なる問題を、考えさせられる。
なにしろヒトラー伝で知られる老大家が、スターリン伝を並べ組み込んだ、円熟した職人芸である。歴史好きの経営者には、指導者論として読まれるだろう。邦訳全三冊千七百頁の史書なのに、日本への言及はゾルゲ情報程度で少なく、E・H・カーの引用がたった一度だけなのはなぜなのかと、イギリス歴史学の楽屋裏を垣間見る読み方も楽しい。