『季刊 アソシエ』第6号(御茶ノ水書房、2001年4月)所収
21世紀の幕開けにあたって、一つの提案をしたい。本誌『季刊 アソシエ』はもちろんのこと、日本語の新聞や雑誌は、原則として横書きにすべきではないか、インターネットの時代にあわせて、と。
といっても、小渕内閣の「21世紀日本の構想」懇談会最終報告書「日本のフロンティアは日本の中にある」がいうような、「グローバル・リテラシー」としてコンピュータと英語を第二公用語にせよ、というのではない。最高裁判所は、せっかく21世紀の1月1日から公的裁判文書をA4版横書きの規格に変えておきながら、年号は相変わらず元号を使用しているが、そんな時代錯誤の中途半端な「技術的合理化」でもない。
日本語でいいから、新聞記事や雑誌論文の執筆者は、必ず公用電子メールアドレスを併記しよう(私用はもちろん別に持って)、ソースにインターネット情報を用いたら、引用文献と同じようにURLを明記するようにしよう、それによって、読者の批判や意見に接し、記事や論文の応答責任(アカウンタビリティ)を明確にしよう、という提案である。
インターネット情報だからといって、馬鹿にしてはいけない。編集委員会から寄稿を頼まれた「インターネットとマルクス主義」に関してだって、いまやウェブ上だけで、小論文程度なら簡単にできる。
マルクスに「インターネット」の概念があるはずはないから、たとえば「情報」概念をみてみよう。かつてなら『資本論』や『グルントリッセ』を読み直し、あるいは邦訳『マルクス・エンゲルス全集』の索引巻を使って、「情報」に関わる言説をシラミつぶしにあたり、引用の山をつくっただろう。その抜き書きを集めた『マルクス・レキシコン』のような書物さえ、20世紀に奇形的な「マルクス文献解釈学」の発達したこの国では、「偉大な業績」に数えられた。
今ならどうするか? まずは私の個人ホームページ「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」に入り、「情報処理センター=リンク案内」をクリックする。リンクは私個人の心覚えであるから、入口は日本語版ヤフーでもいいし、日本語ODINでも何でもいい。サーチエンジンで「マルクス」と打ち込んでみよう。ODINなら6869件・3526グループがたちどころに表示される。
だがこれでは多すぎる。1字分スペースをあけて「情報」と入れてみよう。東京大学の科学研究費報告書「情報と市場──マルクス経済理論の観点から」ほか2928件1824グループまでしぼられる。学生の課題レポートなら、この水準で手当たり次第にサーフィンし、重要箇所をペイストしてつなぎあわせれば、古参マル経学者を感激させるぐらいのひとかどの論文は、簡単にできる。出所を明記しないで自分で考えたかのごとく書くこと、教師の方に検索能力がなくネット情報と見破られる心配がないこと、自分のふだんの言説からあまりかけはなれない文体・水準に直すこと、が前提になるが。
だが、『季刊 アソシエ』にそんな寄稿では、失礼だろう。改めてサーチエンジンODINを用い、「情報」の方からしぼって、「マルクス インターネット」と入れてみる。1018件730グループまでしぼり込まれた。といっても実は、インターネットの森は、ジャンク情報に覆われている。実際に役立つものは、そう多くはない。
しかし、この検索で2番目にでてくる愛媛大学赤間道夫氏の「AKAMAC HOMEPAGE」は、知る人ぞ知る、マルクス情報の宝庫だ。世界中のマルクス研究サイトとネットワークでつながれ、『資本論』ドイツ語原本はMEW全5巻分が収められている。とはいえテキストは、各分冊・章の各節毎でファイルされている。いちいち検索を繰り返すのは面倒だ。
少し発想を変えて、今度は英語版Yahooに「Marx」と入れてみる。すると、
(2)Marx/Engels Internet Archive - searchable collection of their writings.
という、その道の2大サイトが現れる。
この程度なら、すでに「AKAMAC HOMEPAGE」や私の「リンク集」に長く入っていて、多くの研究者にブックマークされている。ここからが職人芸で、マルクスの原典検索なら前者、マルクス主義理論研究なら後者になる。
前者(1)Karl Marx and Fredrick Engels Internet Archiveで、 Works Archiveに入る。全集とまではいかないが、主な著作・書簡は大体読める。たとえば『共産党宣言』なら各章毎4つのファイルに分かれているが、「information 」で検索すると、「情報」が1語もないことは、10秒も要せずにわかる。「ドイツ・イデオロギー」ならどうだろう? やはり10秒ほどで1つ拾えたが、残念ながら本文ではなく、英文翻訳者の解説文中である。
The First International Working Men's Associationという、いわゆる第一インターナショナルの正式名称が男性中心主義的なので気になって、冒頭の INAUGURAL ADDRESS OF THE INTERNATIONAL WORKING MEN'S ASSOCIATIONを検索する。
すると、ついに、マルクスの「information=情報」への言及が出てきた。"In 1850 a moderate organ of the British middle class, of more than average information, predicted that if the exports and imports of England were to rise 50 per cent, English pauperism would sink to zero." という具合に。
これを繰り返せば、自分流の『マルクス・レキシコン』が、手作りで簡単にできる。イギリスでは、"Essential Classics in Politics: Karl Marx and Friedlich Engels"という『資本論』を含む主要著作を一枚のCDに収めた電子ブックも出ていて(ElecBook)、検索は、より容易になる。
だから、このさい「解釈学」はやめて、「インターネットでマルクス主義」に、発想をきりかえてみよう。日本語でも、上記赤間道夫氏のサイト「AKAMAC HOMEPAGE」からさまざまな方向に進めるし、英語なら、後者(2)Marx/Engels Internet Archive から、無限に広がる世界である。ちょっとパソコンを使えて、ローザ・ルクセンブルグやアントニオ・グラムシを研究している人なら、先刻ご存じだろう。このMarx/Engels Internet Archive では、マルクス、エンゲルスからレーニン、トロツキー、ルナチャルスキー、ルカーチまで、20世紀マルクス主義の基本的思潮は、大体拾える。そこにも背景解説・資料案内があるが、本格的に研究するなら、「グラムシ・リンク」のような専門的国際ネットワークに入って斯界の最新の研究水準を知り、アムステルダム国際社会史研究所のような専門アーカイフ・サイトに進むべきだろう。そうしたサイトは相互にリンクされ、簡単にサーフィンすることができる。
そこから、マルクス研究の国際的ネットワークを、自分たちで構築することもできる。
私は、世紀末の昨2000年12月2日−3日、勤務先の同僚渡辺雅男教授等と共に、一橋大学大学院社会学研究科主催国際シンポジウム「20世紀──その夢と現実」を組織した。日本語・英語同時通訳つきで、基調報告は、安丸良夫一橋大学名誉教授"The Twentieth-Century Japanese Experience"、アシス・ナンディー・インド発展途上国社会研究センター所長 "The Twentieth Century: The Ambivalent Homecoming of Homo Psychologicus"、共に、E・ホブズボーム『20世紀の歴史』(原題「極端の時代」)を参照しながら、20世紀全体を深く洞察した。
第1セッション「福祉国家」は、クリストファー・ピアソン・ノッティンガム大学教授、リン・チュンLSE講師、ロビン・ブラックバーン・エセックス大学教授("New Left Review"編集委員)、高田一夫一橋大学教授の4人が報告、宮本太郎立命館大学助教授がコメント、第2セッション「戦争・歴史・文化」はバレンタイン・ダニエル・コロンビア大学教授、レイナルド・イレート・オーストラリア国立大学講師、ハーバート・ビックス一橋大学教授が報告し、油井大三郎東大教授がコメント、 第3セッション「 技術と環境 」について、アンドリュー・フィーンバーク・サンディエゴ州立大学教授、ジョン・ベラミー・フォスター ・オレゴン大学助教授("Monthly Review"編集委員)、御代川貴久夫一橋大学教授が報告し、矢澤修次郎一橋大学教授がコメントという陣容で、密度の濃い議論ができた。
そのシンポジウムの内容は、いずれ英語・日本語で公刊される予定であるが、"New Left Review"誌のブラックバーンが提起した、「グレー資本主義」が話題になった。つまり、もともと労働者・市民の拠出・寄託した巨額な年金資金が、政府機関・多国籍資本により投資・運用され、所有権が曖昧になり、国籍も不透明なかたちで、グローバル金融市場の動向を決するまでになった資本主義である。
これをギデンス風「第3の道」への接近と見るか否かは別として、百年を隔てた19世紀末資本主義と対比すれば、大きな変化である。もっとも世界平和や民主主義の行方もグレーで、生活世界における家族や宗教の行く末も曖昧で不確実である。だから私は、主催者としてのシンポジウムの結語を、次のマルクスの言葉でしめくくった。「すべてを疑え!」「学問に王道はない」「問題が問題として生起する時、その問題の解決の物質的諸条件も、すでに与えられているのである 」と。マルクスの警句は日本語全集から抽出したが、その英訳は、もちろんインターネットから簡単に入手できた。
だが、ここでいいたいのは、「グレー資本主義」論の是非ではない。ソ連崩壊と共に "Marxism Today" が消えた今日 、E・P・トムソン、R・ウィリアムズの流れをひくイギリス"New Left Review"と、P・スウィージー、H・マグドフのアメリカ"Monthly Review"のどちらのホームページが、ネット上でより「マルクス主義的」かの詮索でもない。実は、この「20世紀:夢と現実」シンポジウム、実行委員会の一年余の準備も、外国人ゲストとの連絡も、ほとんど電子メールで済ませた。
12月の本会議の半年前に、歴史家ペリー・アンダーソンをよんで「プレ・シンポジウム」を組み、彼のホブスボーム『20世紀の歴史』批判を聞いて、本シンポジウムの参考にした時も、そうだった。あるインターネット・サイトにアクセスし、電子メールを送って、ロンドンで"New Left Review"を編集しながらロスアンジェルスでUCLA教授をつとめるアンダーソンをみつけ、世界中を飛び回る彼が、たまたま日本に立ち寄る数日をキャッチして、ラウンドテーブルを組んだ。もっとも、そこでのわれわれの討論は、彼が京都に立ち寄って浅田彰氏に依頼した「20世紀日本の左翼」の総括、"New Left Review"誌2000年9/10月号インタビュー Asada Akira"In the Place of Nothingness"には、あまり反映されていなかったが。
ちなみに、ペリー・アンダーソンが東京での「プレ・シンポジウム」を快く引き受けてくれたのも、日本語を読めない欧米マルクス主義者にとっての日本左翼についての定番情報源であるアジア太平洋資料センター=PARCにアクセスしていたからであった。日本での講演を電子メールで依頼した一面識もない私が、PARCの英文雑誌"AMPO"2000年春のSPECIAL ISSUE: A NEW NATIONALISM? に、作家小田実氏や本誌編集委員姜尚中氏らと共に登場し、"From a class party to a national party: Japanese communist party survives through the worldwide decline of communist parties "というインタビューに応じていたのを、読んでいてくれたからであった。残念ながら、「アソシエ21」のホームページは、担当者の奮闘努力にもかかわらず、まだ海外では、あまり知られていないが。
この国際会議では、報告ペーパーの提出も、郵便・ファクスはほとんど用いず、電子メールで送ってもらった。ペーパー集の作成にあたって、デジタル原稿だと簡単にフォント・書式を変換してそろえることができ、その後の加筆・修正にも対応しやすいからである。
外国人ゲスト間のペーパー交換は、草稿を含むペーパーを全部収録した特別の非公開HPサイトを作り、そこへ世界中からアクセスしてダウンロードしてもらい、自由にプリントアウトしてもらった。そのことによって、報告者・コメンテーターは、相互に他の論者のペーパーを事前に読むことができ、当日限られた時間でのかみ合った討論へと発展させることができた。シンポジウム終了後も、この国際ネットワークは今後も存続させようと、外国人ゲスト側から提案され、存続されることになった。十年前の同じ会議で、私も英文報告者になり、同じセッションのI・ウォーラーステインの郵送ペーパー到着を待って直前まで苦労したことを想起すると、隔世の感である。
無論、「20世紀」シンポジウムのなかでも、インターネットの問題は、重要な論点となった。主題的に論じたのは、フランクフルト学派の流れをひく、アンドリュー・フィーンバーク・サンディエゴ州立大学教授であった。フィーンバーグは、英語版Yahooでそのホームページを検索するとわかるように、1943年生まれ、カリフォルニア大学でヘルベルト・マルクーゼに師事した社会学者・哲学者である。主著『技術:クリティカル・セオリー』は、法政大学出版局から邦訳されている。
フィーンバーグは、技術論における単線的発展論と還元主義的土台決定論に反対し、社会的・政治的な構成主義の立場に立つ。彼によれば、技術の発展は、文化的規範に拘束され、社会的文脈で「思わざる結果」をも導く。そこに支配的ヘゲモニーに対抗する「民主的合理化」の余地があり、労働現場や社会生活における技術を媒介とした「新たな公共圏」形成の可能性がある。
インターネットの技術は、アメリカ政府の「インフォーメーション・ハイウェイ」がいうような、在宅勤務・自主出版・多元的アイデンティティ・ネット高等教育といった、バラ色の21世紀を保証するものではない。産業革命や都市化に匹敵するような、すべての人々の生活を革命的に変える効果は、まだ期待できない。インターネットが重要なのは、むしろ、ネットワーク型の公共組織や公的活動、人々のコミュニケーションのあり方を変えるという、民主主義の構造変化に寄与しうる点である。それは、民衆が新しい技術進歩を制御し、新しい公共圏の構築に役立てるという意味で、「民主的合理化」の手段ともなりうる、と(Andrew Feenberg, Looking Backward, Looking Forward: Reflections on the 20th Century, paper presented to the International Symposium "The Twentieth Century: Dreams and Realities", December 2-3, 2000, Hitotsubashi University, Tokyo)。
このフィーンバーグの議論を、論理的につめていくと、日本政府や「21世紀日本の構想」懇談会の唱える「IT革命」や技術主義的将来展望への、批判的分析視角を導くことができる。
確かにインターネットの技術は、東西冷戦時代のアメリカの軍事的必要から生まれ、インテル、マイクロソフトといった多国籍企業の世界支配の基礎となった。だからといって、今日のグローバル資本主義が、国境をこえた電子金融取引に一元化され、Eコマースによっておおいつくされると考えるのは、一面的である。かつて1888年に、アメリカの作家エドワード・ベラミが『顧みれば(Looking Backward: 2000-1887)』で国家的シンジケートによる軍隊的産業社会主義を夢想し、冷戦時代初期の1949年に、イギリスでジョージ・オーウェルが『1984年』で全体主義的管理社会の逆ユートピアを暴き出し、ブレジネフ時代のソ連の経済学者が『コンピュータと社会主義』(岩波新書、1976年)で「国民経済全体の自動的管理」を夢見たのと同じように、ユートピアないしディストピアに帰結するだろう。
実際インターネットは、「デジタル・ディヴァイド」を世界大でつくりだし、中国やインドにも「情報革命」を強制し、日本では中高年「リストラ」解雇の格好の口実にされている。しかし、だからといって、インターネット技術がそれ自体として「剰余価値」を産みだし、労働現場を「全自動ロボット工場」に変容させるわけではない。使うのは人間であり、インターネットを通じて交換される「情報」は、知覚され、選択され、記憶され、加工されることによって、経済的にも政治的にも意味を持つ。マルクス『ドイツ・イデオロギー』でいう「交通(Verkehr)」概念に関わり、『資本論』「労働過程」節でいう「筋肉系統」に対する「脈管系統」に相当するにしても、マルクスの「交通」や「脈管系統」の概念からインターネットを演繹できるわけではない。
20世紀に巨大化し、「生産工場」から「株式会社」「経営者支配」を経て「株式相互持合」「グレー資本主義」にまで展開した資本蓄積にとって、インターネットは、新たな市場と投機機会を創出し、機能的な経営・管理手段を提供する。とはいえ、それに対する「ラッダイト運動」「プロレタリアートの反乱」が、直接生産者の「解放」の契機となりうるか否かは、はなはだ疑わしい。
かつて私は、マルクス=エンゲルス『共産党宣言』の「ブルジョアジー」を「多国籍企業」と置きかえて『宣言』の生命力を述べたことがあるが(加藤「『共産党宣言』の現代的意味──資本主義分析と政治綱領のはざまで」『経済と社会』第12号、1998年)、「ブルジョアジー」の「インターネット」への置き換えの方は、どうもうまくいかない。たとえば邦訳でいいから、「国際共産趣味ネット」所載のデジタル・テキストにアクセスし、「ブルジョアジー」を「インターネット」に検索・置換してみよう。「インターネットは、世界市場の開拓によって、すべての国々の生産及び消費を国籍を超えたものにかたちづくった。インターネットは、産業の足元から国民的基盤を取り去って、反動主義者たちを残念がらせた」あたりはしっくりくるにしても、「インターネットに対するプロレタリアートの闘争は、その存在と共にはじまる」あたりから論理が破綻し、無理がでてくる。
むしろ、マルクスの機械制大工業論にならって、インターネット自体を階級闘争なり政治的・人間的解放の「場」「手段」ととらえ、その技術を解放の諸契機に結びつけていくことこそが、マルクス的であろう。それは、フィーンバーグ風にいえば、社会的・文化的コンテクストのなかで、公論の対象とし、公共圏構築の手段とすることを意味する。
たとえば、こんな議論が成り立ちうる。
2000年小渕内閣時の「21世紀日本の構想」懇談会報告書は、「情報を自在に入手し、理解し、意思を明確に表明できる『世界へアクセスする能力』『世界と対話できる能力』」「コンピュータやインターネットといった情報技術と、国際共通語としての英語を使いこなせること」を「グローバル・リテラシー(国際対話能力)」と名づけ、「社会人になるまでに日本人全員が実用英語を使いこなせるようにするという具体的目標を設定し、修得レベル別のクラス編成、教員の客観的な評価や研修の充実、外国人教員の拡充、英語授業の外国語学校への委託などが必要。また、国、地方自治体などの公的機関の刊行物やホームページなどは和英両語での作成を義務付ける」「長期的には英語を第二公用語とすることの国民的論議が必要」と政策提言した。森内閣下でも「首相官邸ホームページ」で日本語・英語で宣伝している。
しかし、ここで含意されているインターネット言語としての「英語」は、グルーバル市場を支配しているアメリカ帝国主義の公用語としてのアメリカ語=「英語帝国主義」と、直ちに同定しうるであろうか? 周知のように、英語そのものが、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで独自の展開を遂げている。インド風「英語」も中国「英語」も「ジャパニーズ・イングリッシュ」も、ウェブ上のインターネットやメーリングリストには氾濫している。自国言語もOS・ソフトの発展で使えるようになっているが、ネット上でのグローバルな情報交換=言語コミュニケーションでは、英語のヘゲモニーが確立されている。画像や音声が加わっても、基本的構造に変わりはない。
ではそれは、「米語=アメリカ文化」の世界支配の確立であろうか? 確かに英語情報のマーケットが広がり、英語を媒介とした思考・表現様式を世界化するという意味では、「文化的侵略」である。しかし同時に、それは「英語」自体の多元化・多様化でもあり、事実、文法や冠詞のいい加減な「ジャーマン・イングリッシュ」や「ジャパニーズ・イングリッシュ」も、ネット上では堂々と公開され、コミュニケーションできている。
いいかえれば、「英語帝国主義」は、世界に言語的植民地を広げたところで、発生地であるイングランドや普及地であるアメリカ合衆国の国籍を曖昧にし、「インターネット語」として受容され、変容しつつあるともいえる。技術が文化のコンテクストで、受容されたり、反発されたり、変容したりするプロセスと、見なすこともできるのである。
かつてエスペランティストが夢想した「世界語」となりうるかどうかは措くにしても、また「電子マネー」がドルやユーロ貨幣に代わる流通・決済手段になるかどうかははなはだ疑問であるにしても、「ジャパニーズ・イングリッシュ」と「メキシカン・イングリッシュ」や「カザフスタン・イングリッシュ」とのコミュニケーションの場面では、「インターネット英語」は、イギリス色やアメリカ色を脱色して、技術的コミュニケーション手段に近づいている。
たとえば『共産党宣言』末尾の「万国の労働者団結せよ!」は、マルクス公認のサミュエル・ムーア英訳では、「WORKERS OF ALL COUNTRIES, UNITE! 」である。しかし、この「workers」が「labours」になったり、「countries] が「nations」になったとしても、マルクス=エンゲルスの主張の骨格は、十分伝達される。あとは、それぞれの文化的文脈で、たとえば日本語で「共産主義者宣言」と訳すべきか「共産党宣言」と訳すべきかといった問題を議論すればいい。現段階ではまだ心もとないが、翻訳ソフト・音声入力ソフトが発達すれば、「英語」ならぬ「インターネット語」で、地球上のさまざまなcountriesの人々が交信し、uniteすることができるだろう。
さらに現代的文脈に置き換えて、かつてハーバード大学の女流ラディカル経済学者ジュリエット・ショアが「働き過ぎのアメリカ人」に警告して試みたように、「Workers of the World, Unwind(時計を巻き戻せ!)」(Technology Review, Nov.-Dec. 1991)と労働時間短縮のスローガンに置き換えてもいいし、和製英語で「workers」を「salaryman」にしても、ネット上では立派に通用する。ポスト・マルクス主義流に「citizens」や「subalterns」に置換したり、私のホームページ風に「network citizens=netizens」に読み替えたりしても、グローバル資本主義に対する「国際主義」の主張となりうる。
以上の思考実験は、「英語帝国主義」の弁護ではない。「21世紀日本の構想」懇談会風「英語の第二公用語化のススメ」でもない。フィーンバーグの最も重視する論点、インターネットの「民主的合理化」へいざなうための、前提として述べたまでである。
というのは、インターネットの最大の効用は、国境を超えたネットワークの構築がきわめて容易であり、それが実際にグローバルな民主主義の構築に結びつく、潜在的可能性があるからである。「アソシエ21ホームページ」を含めて、多くの日本の社会運動・市民運動サイトの弱点は、その双方向性と脱国民国家性のメリットを、十分に生かしきれていない点にあるだろう。
たとえば十年ほど前に、私は、日立製作所をたった一回の残業拒否で解雇された田中秀幸さんの裁判闘争を支援して、最高裁に提出する国際署名の作成に関わった。苦労して英文よびかけ文・署名用紙をつくり、日本の労働問題に関心をもちそうな世界の労働組合や研究者を各種名簿からリストアップし、その住所に郵送して承諾のサインを返送してもらった。ILO関係者やI・ウォーラーステインを含む数百名の署名を半年以上かけて集め最高裁に届けることができたが、その作業は大変手間と費用がかかるものであった。
幸い昨年、田中さんの33年がかりの争議は、職場復帰は認められなかったものの、日立側の責任を認めさせるかたちで決着することができたが、今日なら、こうした国際連帯は、もっと簡単にできたであろう。海外の労働組合や大学はヤフーで簡単に検索できるし、多くはホームページから直接メールできる。英文よびかけ文作成も、電子メールを使えば、海外のネイティヴの力を借りられる。それを「事件」を伝える画像・資料と共にホームページに入れて、クリック一つのアンケート方式で電子署名を集めれば、短時間でほとんど費用もかけずに、日本の裁判闘争の国際署名が集まる。A4版横書き規格を採用した最高裁判所は、もはや印鑑が押してないといった理不尽な理由で、受け取りを拒むことはできないだろう。現に私のところにも、環境問題や原発問題のNGO・NPO・市民運動から、詳細をホームページで紹介しつつ、署名を電子メールで集めるスタイルの要請が、よく届くようになった。
もっとも「民主的合理化」の観点からすると、インターネット世界の膨大な情報のなかから、意味ある情報をとりだすこと自体が、21世紀の市民的教養の一部となる。
私は、去る1月1日から、すでに16万ヒットを記録した個人ホームページ「加藤哲郎の研究室」を、「ネチズン・カレッジ」へと拡充改組した。それまでのリンク集を「情報処理センター」に組み替えるにあたって痛感したのが、インターネット宇宙の幾何級数的膨張と、その中から意味ある情報を見分け、批判的に解読する<眼>の重要性であった。「ネチズンシップ」の醸成以前に、こどもたちにまで広がったジャンク情報の洪水の中で、ハンナ・アレントやハーバーマスが前世紀に夢見た「公共圏」=交響の広場を、いかにして構築していくか? そんな課題をみすえて、「ネチズン・カレッジ」では、「情報学」を必修とした。
マルクスの文献をいかにひもといても、インターネットやデジタル情報社会の話は、でてこない。世界のマルクス主義者と称する人々の著作から、自分なりの思考のヒントを得ることは可能であるが、それが「マルクス的」である保証は、何もない。
21世紀に必要なことは、マルクスの遺した著作の言説を墨守することでも、マルクスの権威を借りて自説を飾りたてることでもないだろう。マルクスが19世紀半ばの世界の現実と格闘し、理論的メスを入れ、「ブルジョア社会=市民社会」内弱者としての「プロレタリアート」を発見したように、グローバルな情報の海のなかから、多様な現実の基底にひそむ基本的矛盾・傾向を見きわめ、そこから生じつつある新たな「自由・平等・連帯」の方向を見定めることであろう。こんな風に、「21世紀の妖怪」を想像しながら。
もしもマルクスの時代に、インターネットがあったならば、マルクスは『共産党宣言』のような政治的文書を、どのようなかたちでホームページに載せ、どのサイトとリンクし提携して、広めようとしたのだろうか? 彼は大英博物館にこもって『資本論』を執筆したように、パソコンの前に座りデータベースを漁り続けたであろうか、それとも第一インターナショナルでバクーニン派と闘争した時のように、世界の「同志」に電子メールを送り秘密のメーリングリストを作って地球的弱者の組織と解放にとりくんだのであろうか?
パリ・コミューンのさなかに同時進行で書かれた『フランスにおける内乱』は、もしもパリの民衆と即時に双方向で連絡でき、マルクス自らがバーチャルに参画することができたならば、第一草稿・第二草稿、総評議会最終声明という今日のかたちで終わっただろうか? 「国家権力の社会による再吸収」という第一草稿の視点で、エンドレスな評論をホームページに掲げ、晩年までその意味を考え、書き換え続けたのではなかろうか?
そうすると、マルクス死後の1891年にエンゲルスがコミューンを「プロレタリアートの独裁」と同定し、レーニンやスターリンがロシア革命・ソ連邦を通じて「独裁」を実現しようとした歴史は、はたしてわれわれがすでに結末を見た20世紀現存社会主義と同じ道をたどったのだろうか?
── このようなイマジネーションを喚起し、歴史と現実を読み解くインスピレーションを与えるものとして、マルクスはなお、21世紀にも生き続けるであろう。もっとも、それを「マルクス主義」とよぶべきか否かは、マルクス自身にとってそうであったように、どうでもいいことなのであるが。