『葦牙』第34号(2008年7月、所収)

 

  「社会主義」中国という隣人    

 

 

 


 今日の中国(中華人民共和国、PRC)を「社会主義」と呼ぶとき、そこでの「社会主義」には、共産党一党独裁以上の意味は、含まれていない。含めようがない。かつての「社会主義」で含意された、生産手段の私的所有の廃絶も、資本主義・市場経済への協働主義的対抗も、医療や教育が誰にでも供給される平等主義と福祉も、もちろん労働者階級が職場の主人公として現場を自主管理することも、とっくになくなっている。いや、もともと日本帝国主義に対する抵抗戦争に発した中国革命の所産に、「民族自決・独立」と「飢餓からの解放」「奴隷的貧しさの平等」以上のものが本当にあったかどうかも、歴史的に再検証されなければならない。

 中国を、久しぶりで、三月にまわる機会があった。そして、帰国後、百万アクセスを超えた私のホームページ「ネチズンカレッジ」に、以下のような紀行文・体験談を記した。ネット上より、やや詳しく述べてみる。

 これは、エープリル・フールではありません。実体験です。中国の上海・北京・長春を旅してきたのですが、その間、ある世界的政治問題について、知ることができませんでした。
 外国人の宿泊するホテルでは、NHK衛星テレビも、英語のCNNも、見ることができます。台湾総統選挙やアメリカ大統領選選挙の動きは、わかりました。中国国内ニュースも、ちょうど全人代の最中で、大々的に報じられていました。
 ところが、チベット暴動関連報道が始まると、突然電波がとぎれるのです。停電かと思ってNHKの隣のハングル語放送にチャンネルを変えると、ちゃんと映ってます。NHKに戻すと映らず、しばらくすると突如復旧して、温家宝首相の「黒幕はダライ・ラマ」といった談話だけは映るのです。中国国民には、中国政府の公式発表や新華社電だけが伝えられる仕組みです。
 やむをえずインターネットで知ろうと、外国人も泊まれるホテルの有料LANで、グーグルやヤフーの日本語ニュースをあたると、こちらは何とか読めます。ところが、チベット独立運動のことをウィキペディアで調べようとすると、日本語グーグル検索で出てくるウィキペディア・サイトが、一切アクセスできません。現地に長く滞在する日本人に聞くと、そもそもウィキペディア中文版「維基百科、自由的百科全書」は、在米中国人と台湾在住者向けで、中国では存在しないことになっており、日本語版も英語版も見られないのだそうです。オープン・ソースどころか、言葉の定義の国家的独占です。
 そのうえホテルのLAN接続プロバイダーは限定されていますから、一般サイトについても検閲があるようです。実は二週間の中国滞在中、私のホームページ「ネチズンカレッジ」は、一切見ることができませんでした。検索にはかかるのですが、ページが開きません。トップページばかりではと、直接入れるはずの現代史研究の論文など個別ページの閲覧も試みましたが、一切出てきません。勤務先の大学サイトは開きましたが、そこから「ネチズンカレッジ」へのアクセスもできません。
 私のサイトばかりではありません。有田芳生さんの「酔醒漫録」も、最近一千万ヒットを越えた「世に倦む日日」さんブログも開きません。言論の自由は、地球民主主義の原点なのに。
 二〇〇五年秋の上海のホテルでは、確かに本サイトを見ることも更新することもできましたから、その後どこかで検閲にひっかかり、開けなくなったのでしょう。なぜチェックされたかの、心当たりはあります。一昨年から昨年、私はホームページ上の「国際歴史探偵」の一環として、元東大農学部講師で戦時在独日本大使館から中立国スウェーデンに亡命した「崎村茂樹の六つの謎 」についての情報収集を行いました。その謎の一つが、一九四五ー五五年の崎村の中国長春・北京滞在、「社会主義」中国での禁固五年の刑の謎でした。彼が連座したとみられる日本人山口隆一とイタリア人アントニオ・リヴァが死刑になった「一九五〇年天安門毛沢東暗殺未遂事件」についての情報提供を求め、その中間報告を論文にしてネット上にも公開したからでしょう(「情報戦のなかの「亡命」知識人ーー国崎定洞から崎村茂樹まで『インテリジェンス 』誌第九号、紀伊国屋書店、二〇〇七年一一月、所収、http://homepage3.nifty.com/katote/sakimura.html」)。
 有田芳生さん「酔醒漫録」の場合は、 テレサ・テンについての情報満載で、天安門事件時香港の抗議集会でテレサが唱った「私の家は山の向こう」が出ていますから、これも中国政府にとっては、見てもらいたくない情報でしょう。
 「世に倦む日日」さんは、「市民のための丸山真男ホームページ」から出発した現代日本の超人気ブログ、リアルタイムでチベット暴動問題での鋭い自主的分析を連日掲載していますから、チャックされたのでしょう。まさか、かつて本『葦牙』誌上で行った、「世に倦む日日」主宰H・田中さんと私の論争まで検閲されたわけではないでしょうから(「市民とアカデミズムと知識人ーーH・田中との往復書簡、『葦牙』二四号、一九九八年三月)。
 ただし、すべての時事サイトが検閲されているわけではありません。五十嵐仁さんの「転成仁語」や日本共産党の「しんぶん赤旗」は普通に読めますし、サンケイ新聞記事も開きました。反中国のナショナリスティックな群小サイトやブログの多くも、ちゃんとつながります。それに、私たちのサイトがいっさい開かないわけでもなさそうです。今回会った北京や上海の友人たちの中には、勤務先や自宅から私のサイトをその日に見て会ってくれた人もいますから。どうやらウィキペディアのような完全検閲ではなく、外国人客の泊まる大きなホテルに有料LANを提供する、特定のプロバイダーでの検閲のようです。
 とすると、わが「ネチズンカレッジ」や有田芳生さん「酔醒漫録」、「世に倦む日日」さんは、中国政府から「影響力ある要注意日本語サイト」と認定された(?)、インターネット・ジャーナリズムの、光栄ある情報戦サイトになるのかもしれません。
 私の情報を見て、早速ログチェックした「世に倦む日日」さんによると、三月に入って、急に中国からのアクセスが減ったそうです(四月二日ブログ「『解散総選挙に追い込む』の嘘 ーー『ねじれ国会』の操作と隠蔽」)。有田芳生さんも、思い当たるところがあるとのことです(四月八日「ネット言論への見えない介入を許すな!」)。
 本サイトを見ている中国大陸在住の皆さん、もしも勤務先や自宅からも見られなくなったら、何らかの方法で連絡ください。

 こう書きながら、私は、昨年刊行した『情報戦の時代』『情報戦と現代史』(共に花伝社)の分析の延長上で、中国における言論統制の実態を、醒めた眼で眺めていた。「社会主義なのに」という義憤はなかった。むしろ「社会主義だから」という諦観に似た気分で、妙に納得してしまった。

 「社会主義」という点では、かつて東独に留学して「ベルリンの壁」の内側に住み、監視社会の不自由は十分体験した。旧ソ連では、「プラウダ(真理、党機関紙)にイズベスチア(報道、政府機関紙)なし、イズベスチアにプラウダなし」のアネクドートを、心ある党員たちの口から、自嘲気味に教えられた。一九八九年五ー六月の天安門事件時には、中国の知りうる電話番号に無差別に抗議ファクスを送ったこともあった。だから、同年夏から秋の東欧革命を「テレビ時代のフォーラム型市民革命」と規定した。その延長上で、中国はなお「社会主義=共産党独裁」なんだと納得して、むしろ中国人の友人たちに迷惑がかからないようにと案じてしまう。こんな民主主義以前の国家体制=「党治国家」を、「社会主義をめざす市場経済」とか「計画経済と市場経済の結合」などと評価する脳天気な日本の「科学的社会主義」指導者の老醜には、憐れみを覚えるのみである。

だから、一部の友人ネチズンたちからは、まだ甘い、もっとチベットの人権抑圧を告発せよとも言われたが、そう片意地を張る気にもなれない。

 無論、日本人であることの、後ろめたさも働く。中国革命が、日本帝国主義の大陸侵略の副産物であることは否定できない。その間に、中国社会の受けた民衆的被害は膨大で、抗日戦争勝利がなければ今日の中国はなかった。スターリン粛清以上の犠牲者をうんだ毛沢東の文化大革命さえ、中ソ対立、日米安保条約、ベトナム戦争に対する「敵の包囲」への過剰反応と理解することはできる。

 インターネット上では、次のように続けた。

 とはいっても、中国には言論の自由が全くなく、チベット暴動弾圧は人権抑圧だから直ちに北京オリンピックをボイコットせよ、とここで訴えるわけではありません。北京や上海の友人たちと話す限りでは、彼らは、さまざまな方法で世界の情報を得る術を知ってますし、かつてよりは言論状況もよくなったといいます。共産党支配の正統性と天安門事件などいくつかのタブーに触れない限りでは、いわゆる西側情報も、非マルクス主義の思想・学問も、むしろ氾濫しています。文化大革命の問題も、歴史的・学術的に取り上げられるようになってきたようです。夏の北京オリンピック中は、『プレイボーイ』誌を解禁し販売許可する、という話しも聞きました。
 北京の空気は汚い、食べ物は危険だといわれますが、過去数回の訪問時に比べれば、自動車は増えたものの、河川も公園も格段に綺麗になり、王府井のマーケットは、外国製品で溢れています。毎日中国料理で過ごしましたが、別に食あたりもありませんでした。上海や北京ばかりでなく、旧偽満州国であった東北地方の長春も含めて、工業化・近代化は急速に進み、少なくとも経済発展では日本を凌駕する勢いがあるのも事実です。世界的なドル安も、アメリカと心中して沈没しかねない日本とは違って、中国はユーロにシフトすることで、リスクを分散し緩和しているようです。
 台湾総統選挙にチベット暴動が影響するかの観測が日本のネット情報にはありましたが、中国側は国民党勝利に冷静に対応し、テレビも事実はちゃんと報道していました。
 チベット暴動報道で言うと、実は検閲された日本のNHK衛星ニュースは軟弱で、CNN・BBCなど欧米メディア発の情報と中国政府の情報を並列で報じるため、その欧米発の中国批判報道、ダライ・ラマ記者会見等の特定情報部分がカットされたかたちです。CNNなどは、ニュースは検閲され北京ではこの部分が報道されていない、と繰り返し衛星テレビで流していますから、中国側も全面カットができず、時々中断しても欧米メディアの厳しく批判的な論調は視聴者にわかります。
 むしろ、毒入り餃子事件が尾を引き、胡錦濤主席来日延期とG8洞爺湖サミットを気にして優柔不断な日本の対応が、外国報道の中では目立ちます。ドイツ首相やフランス外相のオリンピック開会式ボイコット発言は英語ニュースで流され、それを私から聞いた中国人の友人たちは、深刻な問題と受けとめたようでした。

 私はここで、別に北京の空気がきれいだといいたいのではない。食品が安全なはずもない。ただ「社会主義」という眼鏡をはずしてみれば、今日の中国は、日本を先駆にアジアでは普遍的に見られる開発独裁による工業化・資本主義化の道、それも「後発利益」を最大限に享受した超高度経済成長を遂げつつあり、新興ブリックス(ブラジル、ロシア、インド、中国)の最先端を走りつつある。東南アジアや中央アジアでは、日本や韓国資本と競合して帝国主義化しつつあり、アフリカ諸国への影響力は急速に強まっている。国内では、アダム・スミス的意味での社会道徳と経済倫理、「民主と法制」の定着が民衆的な課題になっている、と考えればいいのである。

 二〇〇八年北京オリンピック(及び二〇一〇年上海万国博覧会)が、一九三六年ベルリン・オリンピックのように、その国際社会向け厚化粧に終わるのか、一九六四年東京オリンピックや一九八八年ソウル・オリンピックのように、社会構造上での大きな変動をもたらし中間層主導の政治的民主化に帰結する推進力となるかは、ゆっくり冷静に観察し、分析すればいい。

 もちろん中国にとっての最悪のシナリオは、一九八〇年モスクワ・オリンピックの道、前年のアフガニスタン侵略に対する国際社会の批判がオリンピック・ボイコットとなり、その国際社会への復帰のための「新思考」「ペレストロイカ(改革)」が「グラースノスチ(情報公開)」まで広がって、「社会主義」そのものの崩壊に至った悪夢の再現である。

もう一つ、中国で自分自身のウェブサイトが検閲されているのを目の当たりにして、すぐに思い出したデータがあった。二〇〇二年以降、毎年「国境なき記者団」から発表されている、ジャーナリスト、法律家、人権活動家による「世界報道自由度ランキング(Worldwide press freedom index)」である。二〇〇七年の中国は、一六九か国中一六三位で、下にはミャンマー、キューバ、イラン、トルクメニスタン、北朝鮮、エリトリアがあるだけで、イラクの一五七位、ベトナムの一六二位以下である。世界で最も不自由な経済大国といっていい。

 だが、日本にも、自慢できるような自由はない。二〇〇六年の五一位よりはやや上がり、盟友アメリカ合衆国の四八位よりはましだとはいえ、三七位という、経済力に比すれば格段に低い順位を低迷している。北欧諸国が軒並み上位を占めたのは当然とはいえ、旧「社会主義」国でも、エストニアとスロバキアが同点三位、ラトビア一二位、チェコ一四位、ハンガリー一七位もある。日本は、言論統制と言うより、記者クラブ制度や言論自主規制が体質化した国とみなされている。特に最近始まった、出入国管理における外国人写真撮影・指紋押捺は、ジャーナリストには悪評だ。世界でアメリカと日本だけが、こんなことをしている。

 だから、中国のインターネット規制やチベット人権抑圧を世界に発信して問題にしても、足下のうすら寒さに、想いをいたさざるをえない。ウェブ上では、こう続けた。

 中国旅行中に、かの『帝国』『マルチチュード』の著者アントニオ・ネグリが、日本政府から「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)として入国を拒否されたというニュースが、メールで届きました。ネグリは、過去五年間に中国や韓国を含む二二か国に入国していますから、この点では、日本は中国以下の不自由国です。それも国際文化会館が、牛場記念フェローとして公的に招聘していたものです。洞爺湖G8サミットでの「反グローバリズム」運動への影響を気にしてのことでしょうが、実に狭い了見で、世界への恥さらしです。
 アントニオ・ネグリ『帝国』の議論には、私も『情報戦の時代』で異論を述べていますが、同時に、体系的で刺激的な学問的問題提起としての重要性は、十分評価できます。だからこそ、日本の社会科学・人文学の最先端の人々が集い、京大・東大・東京芸術大での学術講演会を企画していたのに、直接の対話ができなくなったことは、きわめて遺憾です。日本政府の措置に、世界中から抗議の声があがっています。ネグリのメッセージも届いています。
 
日本の友人たちへの手紙
 皆さん、 まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。
 およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。
 ところが二日前の三月一七日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌一八日、私たちは一九七〇年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この五年間にトニが訪れた二二カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。
 飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
 数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さんに対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
 パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。 友情の念と残念な思いを込めて……
 
   二〇〇八年三月一九日 パリにて                      
   ジュディット・ルヴェル 、アントニオ・ネグリ (訳 市田良彦神戸大学教授) 

 

 もっとも、この点でも、インターネットは、新時代を創っています。私自身ネグリとの直接の対話は、二〇〇五年五月日仏学院での衛星テレビを通じての討論会でした。インターネットを通じての対談なら、簡単にでき、今ではyou tubeを通じてビデオ画像でも配信できます。
 中国では見られませんでしたが、帰国して探したら、ネグリ招聘の中心になった神戸大市田良彦教授や東大姜尚中教授らの画像入りビデオでの抗議ファイルが、すぐに入手できました。この意味でも日本政府は、時代錯誤の非民主的措置で、世界の笑いものになってしまいました。
 おまけに、在日中国人リー・イン監督の撮った文化庁助成、香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー受賞映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止も、エイプリル・フールではなさそうです。一九八八ー八九年、昭和終焉時の「自粛」が想い出されます。
 ジャーナリストや人権活動家によって、言論の自由が空気のように感じられる国は、地球上では「北」のスカンディナビア半島近辺に集中している。そこは、福祉と環境、男女平等の最先端地帯でもある。アジアは、全体として自由度が低く、台湾の三二位が最高、日本の世界三七位は、実はアジアでは二位である。ネグリの出身国イタリアは三五位、彼の住むフランスも三一位で、日本並みである。

 もっとも、オリンピック聖火リレーを実力で阻止しようとする「国境なき記者団」の人権感覚にも、深層での「オリエンタリズム」を読みとる複眼的視座が必要だろう。

 世界地図の見方を、変えなければならない。第一に、メルカトール図法の、それも日本を真ん中におく思考から離れ、球体の地球のさまざまな地点からグローバルに考えること、第二に、面積やGDP地図とは別に、言論の自由度、福祉の充実度、環境や女性・老人・こどもにやさしい地域、人権や労働環境の世界的普及度、核ミサイルや米軍基地の地勢図を重層的に見直し、かつて「社会主義」の理想を「労働者の祖国」ソ連邦に投影し収斂させた単線的見方、俗流唯物論を克服すること、そして、第三に、自分の「社会主義の夢」を他国に託し、ソ連→中国→キューバ→ベトナムと放浪するような「青い鳥探し」を、今日の中国やベトナムに求める悪弊をやめること。

 そのような眼で見れば、現代中国資本主義は、マルクスが一九世紀のイギリスに勃興期資本主義の典型を見出したような意味で、二一世紀の行方を占う知的探求の、豊かな対象なのである。                                 (了)


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