第二部

 

「新憲法世代」から若者たちの世代へ

 

第2編

「永世中立宣言」を政府に要求しよう

一市民の戦略的構想の提言

 

はじめに

20067月、地元柏市のイベントホール「アミユゼ柏」で、「軍隊の無い国コスタリカ」講演会を、カルロス・バルガスさん(国際非核弁護士会副会長)と、早乙女勝元さんの両講師をお呼びして開催しました。

「かしわ9条の会」の誕生が、あと2ヵ月後という日程のズレで、急遽「市民実行委員会」を結成して、私が委員長を引き受けるハメになりました。(「第一部」

 

この準備のためにそれまでは余り関心が無かったコスタリカの現代史を紐解いている中で、1983年のモンヘ元大統領の「永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」に出遭って、「黎明」の感に打たれました。

その講演会の壇上で、バルガスさんに、「かしわ9条の会」の誕生後に「永世中立研究会」を立ち上げたいので、その名誉会長就任をお願いしました。

そもそもこれが、私の「永世中立宣言」運動の始まりです。

(「第一部Q「九条の会」参加に人生の収斂を求めて」に触れています。)

 

そのとき以降の3年間「かしわ9条の会」の中で、「日本国憲法の前文と九条」と「永世中立宣言」の関係を素人なりに試行錯誤して来た纏めとしたもので、この第2編は、「永世中立宣言」の旗の下に、日本に自主独立を闘い獲ろうとするための、一市民の戦略的構想の提言であり試案です。

この試案をひとつの「叩き台」にして頂いて、「日米安保条約」で自主性を失いアメリカへの従属性を深めている日本からの脱皮の突破口を、みんなで考えて観ようと言う無党派1市民の提言です。

 

1年前通告で、破棄されるはずの「日米安保条約」が、39年、成立以来あと1年で50年を迎えようとしているのに、破棄の声はか細く、運動は遅々として進まないのはなぜか?

 

素人の一市民だからこそ言いたいことを言って、素人の発想で仮設をぶつけて、議論を沸騰させて頂くのが狙いです。

「袋たたき」に逢うことを覚悟で、勇気をもって発言してみることにしました。

どうか大勢の方からの、率直なご批判を切にお待ちして居ります。

さてまずお詫びしなければならないのは、旧版の「新憲法世代を生きて」で表現していた「非核・非武装・永世中立宣言」を、冠無しの「永世中立宣言」に改めたことについてです。

その重要な最初の示唆を与えてくれたのは、「日刊ベリタ」(1.19)紙上の、「平和をどうつくるか、その提案憲法を生かし、非武装日本を」の安原和雄論文です。

http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200901191147261

安原和雄さんは「コスタリカに学ぶ会」の世話人の一人として「平和をどうつくっていくか」をめぐって議論を深めたい」と念願され。私のロゴス社隔月刊誌「もうひとつの世界へ」(812月号)の『「非核・非武装・永世中立宣言」運動を―「憲法を守る」を超える攻勢的構想』を採り上げて、「きわめて示唆に富む刺激的な内容」と過分な評価をして頂き、安藤構想()2)と要領よく紹介して呉れながら、僕のいくつかの過ちを正して呉れ、安原感想(1)(2)(3)として、突っ込んだ論点を提示して下さいました。

 

安原感想は(1)で、「非核」よりはオバモも要求している「核廃絶」にすべきだと正しく提案され、私も一度は「核廃絶・非武装・永世中立宣言」としましたが、その後の検討の中で、冠無しの「永世中立宣言」に衣替えしました。なぜそうでなければならないかは後述します。

 

安原感想の()については、「永世中立宣言」運動が大きく広がっても、それが自動的に米軍基地撤退や日米安保条約改変の動きにつながるとは言えないのではないか?というご指摘ですが、戦争屋ブッシュ時代と違って、「ソフトオバマ」の「変革」姿勢に乗って、オバマの対日姿勢が定まらない間に、「永世中立宣言」を、日本の外交政策の転換としてぶつける政府を創る運動を、国内と国外に一挙に広げる。

「モンヘ元大統領的ドラマツルギー」に学んで、短期決戦で一挙に、日本の外交政策の転換を果す可能性はないだろうか?

みなさんと討議したい緊急の戦術です。

 

安原感想の()については、「永世中立」よりは、「軍隊廃止」が先決だという主張のようで、ここには双方にかなりの距離がありそうです。充分な意見交換が必要だと思いますが、僕は前者の方が後者より現実的な可能性が高いし、もし「永世中立宣言」してしまえば、極端に言えば、軍隊の廃止は何十年かかっても、国民(自衛隊員と家族を含めて)の納得で縮小していけば良い。「宣言」により、自衛隊員の生命が奪われる危険そのものがなくなるし、家族の生活も保障される。

安原さんご提案の「自衛隊から非武装の「地球救援隊」(仮称)への全面的改組」も、時間をかけて取り組むことができる。米軍基地の廃止、思い入れ予算の廃止、戦争のための核を含めた陸・海・空の高度の武器や施設の廃止で、軍事費は、今をピークにして「宣言」後は、極端に縮小軌道に向かうことは間違いない。

「イラク訴訟」で果たされた箕輪さんの意見と立場から、積極的に学ばなければならないと考えています。

安原感想は、それぞれ非常に重要な問題提起で、この論点に付いては、この第2編で、折に触れて考えてみたいと思います。

そして大事なことは、安原さんが最後の処で述べられている次の言葉です。

「いまや変革の時代である。既成概念、既存の枠組み、さらに特定の政党党派に囚われているときではない。特に「平和をどうつくるか」という視点に立つとき、このことは必要不可欠にして緊急の課題となっている。もちろんタブー(批判を許さぬ聖域)をつくってはならない。安藤構想を前向きに発展させる方向で論議が深まることを期待したい。」 

これこそ僕の心からの願いそのもので、「平和をどうつくるか」の視点で、「永世中立宣言」は「日米安保条約」破棄の、有効な戦略戦術でありうるかどうかを、みなさんに一緒に考えて頂きたいと思います。

@「日米安保条約」破棄こそ緊急の政治的課題

「九条」を本物の「九条」に深めるためには、「日米安保条約」の破棄を避けては通れません。

「九条条文」と「アメリカに従属した世界第5位の軍事国家」という条文と実体のとてつもない乖離を、一日も早く無くさなければ、日本の安全ばかりか、アジアの安全、世界の安全も守れません。

ところが現在の日本の革新陣営は、「九条を守る」運動には熱心でも「日米軍事同盟」破棄の運動には、必ずしも熱心では無いように思えて残念です。

 

もっとも、九条そのものの闘いに負ければ、国会で九条が危機に曝されるわけですから、この闘いには絶対負けられません。

ですから僕は「ヨコ」の組織を拡散する運動に併行して、「九条遺言」による未来への歯止めの「タテ」の運動に、力を入れるよう提唱しています。

しかしその負けられない「永遠の一票運動」とは「別の磁場」で、「永遠の一票運動」そのものも必要でなくなるような「憲法を守る」を超える攻撃的構想として「永世中立宣言」運動を提唱しました。(隔月刊「もうひとつの世界へ」08.12月号)

 

ついでながら「別の磁場」とあえて申しましたが、「九条の衣をまとったアメリカ従属の軍事大国」反対を、「九条の会」に正面から持ち込むことは戦略的に正しいとは思はないのです。なぜなら「九条の会」は、「九条を守る一票を広げることだけを目的にした会」で、実態の「アメリカ従属の軍事大国」を破棄する闘いを、「九条の会」の正面に持ち込むことは間違いだと考えています。

極端に言えば「九条の会」は「アメリカ従属の軍事大国」とは考えない人でも、「九条を守る一票」を入れて下さる方は、ぜひ参加して下さい。

僕の所属する「かしわ9条の会」は、この3年で600人を超える会員になりました。その組織拡大の中心になって活動されている中村明さん(高校数学教師)は、自民党を支持する人にも参加を訴えて、近所の商店にも勧誘ビラを置き活動されています。ですから僕は、自分が世話人の一人であるけれども、「かしわ9条の会」に「9条を超える運動」として、「永世中立運動」を、直接持ち込むことは間違いだと考えています。

「九条を守る」と「九条を超える」は、それぞれ「別の磁場」で、しかも同時に拡めていかなければならない、重要な戦略だと考えています。

 

「九条を守る」を超えた構想とはなにか?

ずばり「日米軍事同盟」を破棄するために、「永世中立宣言」の旗を立てて闘うということです。

 

誤解を恐れず言えば、たとえ「九条の衣をまとったアメリカ従属の軍事大国日本」が実態であっても、まず「永世中立宣言」する運動を起こせば、その時点から「アメリカ従属の軍事大国日本」の解消に向けて、国民の側の具体的な戦略戦術がそれなりの力を以って動き出すと考えています。

「永世中立宣言」は、対外的に、世界のどの国とも永遠に武力で戦争をしないという「宣言」ですから、そこから今度は内に向かって、「武器を捨てた真の九条国家」としての手かせ足かせを解いて行かざるを得ない。その結果「真の九条国家」が建設され、どの国とも平等に友好を結んで、平和の「国際貢献」ができる日本が誕生するというわけです。

「そんなこと本当にできるの?」

僕の考えていることをここに申し上げて、批判の素材にして頂きたいと思います。

 

A「従属国から脱皮せよ」と日本に勧めるアメリカ

こんなことを書き始めると、また共産党の言うことの「オオム返し」ではないかと、この後を読んで頂けないかも知れません。

チット待って下さい。

これを勧めているのは、元レーガン大統領特別顧問のバンドウです。

最初の外遊でアジアを歴訪したヒラリー・クリントン国務長官への歴訪前の忠告というかたちで、外交政策雑誌ナショナル・インタレスト発表された「アジアの世紀がきた」という論文です。

これを報じたのは田中宇の「国際ニュース解説」2009224日。

http://tanakanews.com/

「日本政府が拉致問題を重視する真の目的は、拉致された自国民を奪還することではなく、北朝鮮が日本にとって脅威であり続ける状況を長引かせ、戦後の基本方針である対米従属維持するための「永久未解決」を作り出すことである。バンドウはおそらく、この日本側の真意を見抜いた上で「拉致問題を解決したいなら、むしろ対米従属なんかさっさとやめて、米国に頼らないで独自に北や中国と渡り合い、ア
ジアでの外交的信頼を獲得するのがベストだよ」と言っている。」
どうですか?おもしろそうではありませんか?

 

クリントン国務長官の最初のアジア歴訪は「聞き取り外交」だったと言われています。そのためのバンドウの忠告は、日韓両国のアメリカ従属姿勢を両刀切りしたもので、軍事力の増強と対北朝鮮に武力対決する日韓協力を催促する結論には、到底賛成出来るものではありませんが、現状認識はさすがレーガンの特別顧問だけあります。

英語に強くないので、田中宇の解説記事をそのまま紹介しますが、バンドウの英文原文をアクセスして確認して下されば幸いです。

少し長くなるけれども、とても面白いので、田中宇の「国際ニュース解説」から前半を引用させて頂きます。

 

田中宇のこの「国際ニュース解説」の内、ここに引用していない後半部は、

日中は売れ残り米国債を買うか、

資源大国になる中国、無策の日本

自由貿易体制を守れなくなる米国

などと続いて、アメリカとアジアの未来にとって示唆に富んだ報告をされているので、ぜひアクセスして全文を読んで欲しいのですが、ここでは前半の引用に続いて最後の部分の

世界からの撤退傾向に入った米国

を一緒に掲載して、アメリカ自身の対日戦略を浮き彫りにして、オバマアメリカのスタンディングポイントを、しっかり掴んでおく必要があると考えます。

さて前口上も少し長くなってしまいましたが。

田中宇の国際報告をどうぞ。

 

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「アジアの世紀」の光と影
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『米国の保守系シンクタンク「ケイトー研究所」(Cato Institute、リバタリアン)の上席研究員であるダグ・バンドウ(元レーガン大統領特別顧問)が、外交政策雑誌ナショナル・インテレストに「アジアの世紀が来た」 The Asian Centuryという論文を書いた。最初の外遊でアジアを歴訪したヒラリー・クリントン国務長官への、歴訪前の忠告というかたちをとっている。
http://www.nationalinterest.org/Article.aspx?id=20844
The Asian Century by Doug Bandow
この論文でバンドウは「米国の覇権はすぐには失われそうもないものの、覇権の終わりは、多くの人の予測よりは早く訪れるだろう。21世紀はアジアの世紀になりそうだ」と書き、その上で、日韓などに対して彼がかねてから言い続けてきた「バンドウ節」とも呼ぶべき大胆な主張を展開している。
たとえば彼は「日本は、世界有数の経済大国なのだから、もはや米国に頼る必要はない」「クリントンはアジア歴訪時、特に日本において、アジア諸国の全体的な責任について語るべきだ。日本は貿易大国なのに軍隊が矮小だ。日本の国是について米国が干渉すべきではないものの、米国が今後もずっと日本の本土と太平洋の航路を防衛し続けるわけではないことを、日本政府に伝えるべきだ」「北朝鮮(拉致)問題などで、日本人の不満は高まっているが、日本がこの不満を解消するには、アジアの安定についてもっと貢献できることを示さねばならない」と書いている。
バンドウの主張は、日本政府にとって大迷惑なはずだ。日本政府が拉致問題を重視する真の目的は、拉致された自国民を奪還することではなく、北朝鮮が日本にとって脅威であり続ける状況を長引かせ、戦後の基本方針である対米従属維持するための「永久未解決」を作り出すことである。バンドウはおそらく、この日本側の真意を見抜いた上で「拉致問題を解決したいなら、むしろ対米従属なんかさっさとやめて、米国に頼らないで独自に北や中国と渡り合い、アジアでの外交的信頼を獲得するのがベストだよ」と言っている。
バンドウは、自国に依存し続けようとするアジア諸国の姿勢を嫌っており韓国に対しては「北朝鮮をめぐる問題は(米国が深入りせず)韓国に任せてしまうのがよい。もう冷戦は終わったのだから、米軍は韓半島やその周辺(日本?)から早く撤退すべきだ。韓国は、北朝鮮の40倍の経済力と2倍の人口を持っているのだから、米国に頼らず北との問題を解決できるはずだ。(韓国の左派が言う)宥和策が良いか(右派が言う)強硬策が良いかは(米国が指図せず)韓国民が決めればよい。米国は、日韓の協調をうながし、日韓協調で北朝鮮問題を解決させ、台頭する中国の監視も日韓にやらせればよい」と書いている。
米国の良いところは「人に頼らず、自分で頑張ってみる」という独立精神が旺盛なことだ。リバタリアン(自律論者、小さな政府主義者)は、この米国の理想を特に重視する。日韓では、親米派ほど対米従属に固執するが、バンドウの主張を読むと、実は対米従属は独立精神に欠け、米国から何も学んでいないことがわかる。
日本の右翼(右派、民族主義者)の多くが、表向きは「民族主義」を掲げつつ、実は正反対の、日本人を腐らせている対米従属体制を維持するための言論を繰り返している。日韓の対立を扇動するのも、日韓相互の対米従属策の一部である。右派は対米従属を棄て、日本人の民族的な自立心(精神的強さ)の回復をうながすバンドウを支持し、朝鮮人を敵視せずに日韓協調を目指すべきである。
最近の米国が発する覇権衰退のにおいをかぎつけ、北朝鮮の金正日政権は脅されたくなければ金を出せと言わんばかりに、日米韓の側に対し、強硬姿勢やミサイル試射準備を見せている。米国は、北の強硬姿勢を放置しているので、対米従属の日韓も、右へならえで北の強硬姿勢を無視している。自立重視(主体思想)でやってきた北は、そんな日韓を馬鹿にしている。
北から馬鹿にされたくないのなら、日韓は、たとえば米国抜きの日韓合同軍事演習を北朝鮮沖の日本海で行うなどして示しをつけ、その上で北との外交を再開するのがよいが、こうした主張は「好戦的で違憲」と却下される。護憲思想も、対米従属の正当化に利用されている。』

世界からの撤退傾向に入った米国
米国は、アジア以外の世界各地でも、単独覇権戦略をすてて地元勢力に覇権を明け渡し、撤退傾向を強めている。バンドウと似た視点から、米国の世界介入策や覇権主義の愚かさを指摘してきた保守派の米言論人パット・ブキャナンは、米国がイラク、アフガニスタン、中央アジア、東欧やグルジア、北朝鮮、中南米などで、反米勢力と対決する姿勢を放棄して不干渉政策に転じていく「長い撤退傾向」に入ったと指摘している。
http://www.antiwar.com/pat/?articleid=14286
The Long Retreat - by Patrick J. Buchanan
米国は、アフガンではまだ表向きは「これから増派」の姿勢だが、実際には国防総省は「もう軍事だけでは勝てない(タリバンと交渉せざるを得ない)」と宣言しており、これは撤退開始と同義だとブキャナンは書いている。米軍は最近、中央アジアのキルギスタン政府から、同国内で米軍が借りている基地からの退去を命じられた。米軍は今のところ退去を拒んでいるが、これもブキャナンは退却の一つに数えている。私流に言うと、キルギス政府が親米から非米・親露親中に転換したのは、米国が外交戦略の間違いを長く放置してキルギスを怒らせた「未必の故意」的な失策の結果である。
ブキャナンはまた「ウクライナとグルジアは、もうNATO加盟を許されないだろう」「米国は、チェコとポーランドへの地対空ミサイル配備もしないだろう」と言っている。米国は、パキスタン経由でないアフガンへの補給路を確保するためにロシアに譲歩し、これまでの対露包囲網を放棄しつつあることが、米露間の言動からうかがえるという。
オバマは、北朝鮮がいくら騒いでも在韓米軍を増強しないだろうし、米国は中南米でも、ベネズエラを筆頭とする反米左翼政権の諸国と折り合いをつけそうだという。これらの転換(挫折)は、オバマ政権になって顕在化しつつあるが、実際の挫折はブッシュ政権下で起きていたと、ブキャナンは指摘している。
ブッシュ政権のチェイニー副大統領らが、米国覇権の大木を斧で何度も叩いた末に任期末で去り、謀ったかのように、オバマになってから大木がぐらつきだし、いよいよ倒れそうになっている。
ブキャナンによると、2000年から08年にかけて、世界経済の総生産額に占める米国の割合は、31%から23%に下落した。2013年には21%にまで低下すると予測されている。中国の生産額は逆に、この間に4%台から9%へと拡大した。この9年間の米国の衰退の速さは、英国が覇権を取って以来(ナポレオン戦争以来)の近現代世界における国家衰退の速さとして突出している。今回の米国の衰退をしのぐ急速な衰退を見せた唯一の前例は、1991年のソ連崩壊だけだという。
ブキャナンは論文の末尾で、オバマの役目は、戦略的に重要でない地域や分野から、できるだけはやく撤退することで、米国の生産性を早く回復することであると書いている。ここでも、日韓の米軍駐留の余命が短いことが暗に示唆されている。』

田中宇報告引用はこれで終わり。

どうですか?とても参考になる内容ではありませんか?

日本人の対アメリカ感覚は、アメリカと一体の軍事協力を最優先する対米従属のひも付き国家として忠誠を励むことですが、体力の弱ったアメリカは、それをもはや望んではいない。

アジアの国も「九条の衣をまとった対米従属の軍事大国」に、2000万人が殺された侵略国日本を重ね合わせて観ている。

いまこそ日本人自身が、アメリカの言いなりでなく、従属から脱皮して、しっかり自分の頭で考えて行動する「自主独立国家」の誇りある国民にならなければ、アジアの人々の信頼を築くことは出来ません。そればかりかオバマアメリカとの間に、対等平等な関係を築くことさえ不可能です。

Bオバマの対日政策の矛盾

イラク戦争を批判して来たアメリカの新大統領オバマは、外交・安全政策の基本路線をブッシュの軍事優先の「ハードパワー」から、対話優先の「ソフトパワー」に切り替えることを自ら宣言して、米国民と世界に約束し勝利しました。

「武力」から「対話」への転換です。

そしてこの「ソフトパワー」理論の最初の提唱者であるジョセフ・ナイを、日本大使に任命しました。

ここで注意しなければならないのは、日本外交の直接の窓口である新しい日本大使に、ジョセフ・ナイが指名されたというそのことです。

学者時代のナイと違って、クリントン時代の国防次官補としての実務家としての経験から、彼の「ソフトパワー理論」は、ハードとソフトを両用する「スマートパワー」へと変貌を遂げ、95年には「東アジア戦略報告」を発表し、同年日本の「新防衛計画大綱」に、大きな示唆を与えました。「周辺事態」での日米共同軍事行動や、PKOはじめ海外派兵の促進など、自衛隊の役割を大きく変えました。

さらにブッシュ政権発足にあたって、200010月第1次「アーミテージ・ナイ報告」、20072月第2次「アーミテージ・ナイ報告」を積み重ねて、「地球規模に関する日米同盟」を構築して、自衛隊の「海外派兵恒久法」の制定を促進奨励しました。

そしてこのウラでは、あの悪名高いアーミテージが、今も影を引いています。

そのアーミテージ元国務副長官は、「来年は日米安保条約から50年にあたる。日米間では、1996年に安保共同宣言が出されて以降、明確な共同宣言が出されていない。同盟を強めるための取組みを改めて論じる理想的な機会であり、新たな共同宣言が作成されることを強く望む」と、アメリカの要求を明確にのべています。

「新たな共同宣言を論じる理想的な機会」その限りでは間違いありません。

 

そしてナイは日米安保について、「単なる二国間の安保協定を超えなければならない。オバマ氏は日米関係を、より広範化させる構想を持っている。」「日本との緊密な協力は、アジアにおける米国の政策や利益の出発点なのだ。」(朝日新聞08.6.27.

そしてあのアーミテージは、「オバマ政権が発足しようとする今の時点での日本へのアドバイスは、日本が米国に来て「何が出来ないか」を言うのでなく、国内で「何をしたいか」を定め、その決断を米国に示すべきだということだ。」(読売09.1.9)と、ブッシュ時代の5人の日本首相の施政を皮肉って、その上で脅迫さえしている。

 

C日本国民が要求する対米外交の転換

さもあらばあれ。日本が何をしたいかを、正確にお応えしよう。

それは日本外交政策の「永世中立宣言」への路線転換である。

日本政府やアメリカが期待する「地球規模の安保」路線では決してない。

 

オバマの「ソフトパワー」平和政策の最大の弱点は、「軍産共同体とイスラエルロビー」に、決然と絶縁状を叩き付けられないアメリカの現状です。オバマをオバマらしくさせるには、オバマを支持した80%以上のアメリカ国民が、アメリカのガンである「軍産共同体とイスラエルロビー」を、どうオバマから遠避けられるかの懸かっている。

そこで、オバマ大統領の「スマートパワー」と、ジョセフ・ナイの「スマートパワー」の対日政策の間にある微妙なすき間に「楔」を打ち込んで、オバマの選挙運動以来主張してきた「ソフトパワー」平和外交の立場をしっかり貫かせるためにも、日本側がアメリカ追随の自民党的「国際貢献」から脱して、独自の自主的な要求を突きつけることです。

そのための具体的政策が、理論的、戦略的、実践的にしっかり確立されていなければ、アメリカ利益優先のナショナル・インタレストに押し捲られてしまいます。

日本側の理論的、戦略的、実践的提案とは何か。

日本国民の側に立った自主・自立の平和外交で、日米関係を「ソフトパワー」で律する関係に押し戻すためには、「永世中立宣言」の旗への外交政策の転換こそが、最も有効な戦略であると考えます。

 

「日米安保条約」破棄の「力」の要求でなく、「永世中立宣言」の「外交政策の転換」と申し上げた処に、重要な戦略的提言のカギがあるのです。

 

そこには、アメリカ側には、先のバンドウやブキャナンの対米従属からの脱皮論の背景があって、同時に、中央アジアのキルギスタン政府のように、下手をすると、日本を、親米から非米・親中に追い込む心配もある。

日本国民の運動が、「60年安保反対」の再来とばかりに、「安保反対」「安保反対」の力で反米感情を煽った運動で押し捲くるなら、日本は共産主義国家の方向に舵を取って仕舞うかも知れないという不安があって、それが米軍基地返還を長引かせてしまう状況も生まれるかもしれない。

 

アメリカは「民主主義」を外交政策の売り物にするほど、「民主主義」の体面にこだわる国です。

そこで日本が外交政策の転換として「永世中立宣言」の道を選べば、オバマは面子に懸けてもこれを拒否出来ないはずです。

もしこれを拒否すれば、日本が非米・親中路線を選かも知れないという、際どい選択に立たされる。その上で「永世中立宣言」を認めれば、親米の枠を外れることなく、軍事的に親中国に走ることも無いし、自分の「ソフトパワー」のよる、アジア平和外交の勝利に結びつけることが出来る。まさに日米で納得できる外交政策の勝利ではないか?
ここが、「永世中立宣言」戦略のキーポイントである。

 

いま日本国民の側からこの正しい要求が出なければ、現状を「地球規模の日米安保条約」路線での政府提案が、日米交渉のテーブルに乗ることは可能である。だからこそ、日本政府の思いのままに安保継続の対案を出すことに任せるのでなく、オバマが絶対に逃げられない、国民的な外交上の対案を出すべきです。

その対案こそ、市民団体を結集して闘う、「永世中立宣言」を政府に要求する運動が、いまこそ必要なのです。

この「対話」路線が拒否された時には、国民の怒りも爆発して,再び60年安保闘争を組もうではありませんか?

 

D日本共産党の綱領と大会決議に学ぶ

 

1.日本共産党の綱領に学ぶ

最後の「効力終了」通告を、38年間一度も通告出来なかったという問題にこそ、「日米安保条約」破棄のための戦略の根本的な見直しが求められなければならないという理由があると考えます。

この38年間、「日米安保条約」破棄は、「赤旗」紙上でも何度となく採り上げれました。今月の共産党の機関誌「前衛」(93月号)にも「日米同盟の本質と日本の進路」(山根隆志)という、現状をしっかり分析した精緻な論文があり、おおいに勉強させて頂きました。

しかし残念ながら、この論文の限りでは「日米安保条約」破棄のためにどう闘うかの、戦略戦術的提案は見当たりませんでした。

 

それはおそらく日本共産党の綱領に書いてあるのだろうとそちらを読んで観ましたが、僕の勉強不足かも知れませんが、「日米安保条約」破棄という日本政治の最大のガンについて、その破棄のための具体的な戦略戦術については、僕が期待した回答を見つけることが出来ませんでした。

この綱領上のこの問題について、どなたかぜひご指導下さい。

 

その綱領の中で、「日米安保条約」破棄を中心に採り上げているのは、四、民主主義革命と民主連合政府の中に、(国の独立・安全保障・外交の分野で)という項目があって、そこには次のように書かれています。重要な部分なので、この項目全部を引用します。

 

「1 日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。

   経済面でも、アメリカによる不当な介入を許さず、金融・為替・貿易を含むあらゆる分野で自主性を確立する。

 2 主権回復後の日本は、いかなる軍事同盟にも参加せず、すべての国と友好関係を結ぶ平和・中立・非同盟の道を進み、非同盟諸国会議に参加する。

 3 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。

 4 新しい日本は、次の基本点にたって、平和外交を展開する。

   ──日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する。

   ──国連憲章に規定された平和の国際秩序を擁護し、この秩序を侵犯・破壊するいかなる覇権主義的な企てにも反対する。

   ──人類の死活にかかわる核戦争の防止と核兵器の廃絶、各国人民の民族自決権の擁護、全般的軍縮とすべての軍事ブロックの解体、外国軍事基地の撤去をめざす。

   ──一般市民を犠牲にする無差別テロにも報復戦争にも反対し、テロの根絶のための国際的な世論と共同行動を発展させる。

   ──日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還をめざす。

   ──多国籍企業の無責任な活動を規制し、地球環境を保護するとともに、一部の大国の経済的覇権主義をおさえ、すべての国の経済主権の尊重および平等・公平を基礎とする民主的な国際経済秩序の確立をめざす。

   ──紛争の平和解決、災害、難民、貧困、飢餓などの人道問題にたいして、非軍事的な手段による国際的な支援活動を積極的におこなう。

   ──社会制度の異なる諸国の平和共存および異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係の確立に力をつくす。」

以上です。

この限りで、僕も基本的に賛同します。

 

しかしこの項目は「四、民主主義革命と民主連合政府のなかで」(国の独立・安全保障・外交の分野)で論じられているので、「民主連合政府」の「成立後」に、その政府が取り組むべき政策が中心に書かれていると解釈できます。

民主連合政府」をどう創るかは、単なる「安全保障・外交」だけの戦略でなく、壮大な分野での総合的な闘いが進められなければなりません。

しかし「安全保障・外交」のための戦略が、「民主連合政府」成立させるたもの重要な柱の一つであることは、誰も否定はしないはずです。

 

更にこの「四、民主主義革命と民主連合政府」の中で、次のように触れられています。

「日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。日本共産党は、「国民が主人公」を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する。

統一戦線の発展の過程では、民主的改革の内容の主要点のすべてではないが、いくつかの目標では一致し、その一致点にもとづく統一戦線の条件が生まれるという場合も起こりうる。党は、その場合でも、その共同が国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つかぎり、さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす。」

 

この後半の部分が、非常に重要だと考えます。

 

「民主連合政府」が出来る前に、「さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす。」

この「さしあたっての統一戦線政府」こそ「永世中立宣言」の政府であると堅く信じます。

 

「日米安保条約」破棄は、「民主連合政府」が出来て、その政府が破棄を通告して1年後に可能と言う、従来認められた戦略でなく、「民主連合政府」が出来なくても、日本の外交政策を「永世中立宣言」に転換することに合意をした政府が生まれれば、あの夢に見た最初の統一戦線政府が誕生します。

この外交政策への転換要求は、「九条派」の政党政派とすべての個人が一致出来る旗ではありませんか?

 

「日米安保条約」破棄の闘いの重さは、60年安保闘争でいやと言うほど経験した日本国民にとって、運動を組む困難さが予想されますが、「永世中立宣言」への外交政策転換は、戦略として明快で、運動としての展望に確信が持てます。それが「日米安保条約」の成立要件そのものを切り崩す、明快な旗印だからです。

 

2.日本共産党「第21回党大会決議」

さらに「綱領」では掴めない方針を求めて「党大会決議」を甦りながら学習しました。

この「第21回党大会決議」は、222324と続く党大会決議の中では、「日米安保条約」を論じた最も充実した決議論文だと思います。その後の大会で、「日米安保体制」について、正面から論じられた部分が見られないのはなぜか?

どなたか教えて下されば幸いです。

さて21回大会まで甦えってようやく「非核・非同盟・中立の日本への転換」への「外交政策の転換」を発見しました。

「永世中立宣言」とのかかわりが深い決議で、少し長くなりますが引用させて頂きます。

 

(6)日米安保条約をなくし、アジアと世界の平和に貢献する日本

 

「 (2)日米安保条約の廃棄によって、日本国民は米軍基地の重圧から解放され、アメリカのひきおこす戦争に動点される危険な遥から解放される。それはまた、世界とアジアの平和にとって、希望ある巨大な変化をつくりだすだろう。

 安保の鎖をたちきった独立・中立の日本は、アメリカと対等・平等の関係にたった真の友好関係をうちたてる。主権の尊重、領土不可侵、紛争の話しあい解決、平等・互恵の経済交流を内容とする、日米友好条約を締結する。わが党は、アメリカの安保や基地についての政策をきびしく批判するが、「独立宣言」にはじまるアメリカの民主主義の歴史のなかには、多くの価値あるものをみいだしている。世界のGDP(国内総生産)の4割をしめる日米両国の関係が、戦前の敵対でも、戦後の従属でもない、真の友好関係へと前進することは、世界の平和と進歩への大きな貢献となるだろう。」

 

「日本が日米軍事同盟から離脱することによって、アジアの緊張した関係は大きく変わり、アジアに新しい平和の枠組みをつくる通がひらかれる。それはアジア情勢全体の歴史的転換点となるだろう。独立・中立の日本は、憲法の平和原則を生かして、つぎのような内容で、東アジア諸国と平和の関係をつくるために積極的、能動的に力をつくす。

 ――日本の非核化を内外にはっきりと宣言し、東アジアにおける非核の流れの拡大をめざす。すでにASEAN(東南アジア諸国連合)諸国によって東南アジア非核地帯条約が締結されるなど、アジアで非接地帯拡大の新たな動きがすすんでいる。日本ははこの被爆国として、この流れを北東アジア地域にひろげる先頭にたつ。

 ――非同盟諸国首脳会議に参加し、アジアでの軍事ブロックの解消、外国軍事基地撤去のためにカをつくす。かつて米軍のベトナム侵略戦争に基地を提供したタイやフィリピンからも、米軍基地が撤去され、23のアジア諸国のなかで日本、韓国、中国の3国をのぞくすべての囲が非同盟運動に参加している。日本がこの流れのなかにくわわることは、この運動の発展にとって大きな貢献となる。

 ――憲法の平和原則をもつ国として、大幅軍縮に率先してとりくむ。アメリカの軍事的関与もあって、東アジアは世界で唯}軍事費が増大している地域であり、中東にかわって最大の武器輸入地域になっている。日本が軍拡政策をとりつづけてきたことは、この地域の軍拡競争を促進する重要な要因になっている。この悪循環をみずからただし、アジアに軍縮の流れをひろげる。武器輸出三原則をもつ国として、武器輸出入の規制と禁止をよびかける。

 ――あらゆる覇権主義を許さず、紛争の平和的解決への努力をはかる。この地域にも民族対立、領土問題など、紛争の火種になる問題は残されているが、それらは軍事力ではなく、国際的道理にたった話しあいによってこそ正しい解決が可能となる。

 ――日本軍国主義が過去におかした誤りへの反省を内外にあきらかにする。歴代自民党政権が侵略戦争と植民地支配への無反省をつづけ、居直り的な美化さえおこなってきたことが、アジア諸国の日本への不信の根本にある。これをただすことは、日本軍国主義の犠牲となった南北朝鮮、中国、東南アジアなどアジア諸国民と、心のかよった友好関係をきずくうえでの大前提となる。未解決の戦後補償問題を誠意をもって解決 することは当然である。

 ――アジア諸国との経済協力の民主化をはかる。多国籍企業化した日本の独占資本のアジアでの横暴をやめさせ、民主的規制をはかる。大企業の経済進出の道具となっているODA(政府開発援助)政策のゆがみをただし、各国の国民生活に有益なものに改革する。各国の経済主権を尊 重した真の平等・互恵の経済協力への転換をはかる。」

 

「わが党は、この道こそが憲法を忠実にまもる道であると確信している。同時に、「あらゆる戦力の放棄」という方策が、安保条約を廃稟する政権ができたからといって、ただちに実行できる方策でないことは、明白である。安保廃棄での国民的合意と、自衛隊解消の国民的合意とは、おのずからちがいがある。安保廃棄とともに自衛隊の大幅軍縮、米軍との従属関係の解消、政治的中立性の徹底などにとりくみつつ、憲法9条の完全実施――自衛隊解消は国民的な合意の成熟によってすすめるというのが、わが党の立場である。」

 

「独立・中立の日本が、アメリカとも、アジア諸国とも、真の友好と平和の関係をうちたてることは、日本の安全を保障するもっとも確実な道をひらくことになる。いま日米安保推進論者たちがいいたてる「脅威」なるものが、根拠をもたないものであることが、事実をつうじてあきらかになってくるだろう。そうした方向でアジアに新しい平和的な関係がひろがり、その現実にたいする国民的な認識が発展することは、憲法の平和原則の完全実施への国民的合意を画期的に促進するものとなるだろう。」

「今日の世界史の発展段階は、わが国が恒常的戦力によらないで平和と安全を確保することを可能としている。第1次世界大戦までは、侵略が天下御免の時代だった。しかし二つの世界大戦をへて、武力行使の禁止、紛争の平和解決が国際的ルールとなるところにまで、人類史は発展している。第2次世界大戦後にも百数十の武力紛

争がおこっているが、侵略がおこなわれたケースは、軍事同盟がてことされた場合、民族内部の対立が口実とされた場合、領土問題が口実とされた場合が、ほとんどである。独立・中立を宣言し、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、国民的団結によって主権を確保している日本には、どの国からであれ侵略の口実とされる問題はない。わが国が恒常的戦力によらないで安全保障をはかることが可能な時代に、私たちは生きているのである。」

これはとても重要な指摘であると思います。

 

この「第21回党大会決議」は、「日米安保体制」に対する闘いの方向を示す、必読の文献です。ここに全文を運用できませんが、下記にアクセスして、読んで下さることを希望します。

http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/congress2/21th/decision21th.htm

 

60年安保闘争は、あれほどの大衆動員を成功させて、巨大はエネルギーを費やして、なお自動延長を認めてしまいました。

その後の運動の極左化暴力化が、「日米安保条約」破棄の闘いの再構築に、決定的なダメージを与えたわけですが、その陰には、この「日米安保条約」に日本代表としてサインした元首相岸信介が、CIA要員であったことが「週刊文春」記事(2007104日号)により暴露されています。それが事実だったとしたら、「日米安保条約」は、アメリカCIAの自作自演の謀略だったことになり、その後の学生運動の暴力化も、CIAの謀略の一貫だったのではと、勘ぐりたくなります。

 

今日の情勢を観るに、社会を変革するエネルギーは、政党だけでなく、目的の雑多な市民運動の中に、深く拡がっていて、それを一政党が指導して変革する古典的な革命スタイルで構築することは不可能に近い。そうではなくて、市民社会の政治的成長を促して、反共を超えて広範な変革エネルギーを結集する、戦略的戦術的構想が、新しく構築されなければならないと思います。

 

「日米安保条約」破棄の闘いを、「安保反対」「安保反対」の掛け声で終わらせないために、また同時に暴力的運動に終わらせないために、「日米安保条約」の存立条件そのものを切り崩す戦略、歴史的、国際的に実績のある「永世中立宣言」を運動の中心に据える。

「オバマアメリカの民主主主義」か「日本国民の民主主義か?」

「永世中立宣言」こそは、まさに国際政治学の論理の対決で、日本人とアメリカ人・アジア人・ヨーロッパ人・中南米人など、世界中の人が見守る中で対決するに相応しい戦略構想だと考えます。

「永世中立宣言」は、外交政策変更の要求です。

実効性のある戦略と強調するのは、この外交政策の変更という極めて現実的実際的政策だからです。

誤解されないために申し上げたいのは、60年安保のような街頭デモやゼネストが必要ではないといっているのでは在りません。

ブッシュのような戦争狂が政権を担っているアメリカであれば、最初から「力」で対決する戦略が必要でしょう。しかしオバマ大統領は、「民主主義」を売り物にするアメりかで、「ソフトパワー」を謳い文句に政権をとった大統領です。

まずは彼の路線に乗って、こちらも「ソフトパワー」の外交政策で、しっかり対決しましょう。それが「永世中立宣言」です。永世中立宣言国家に外国基地が必要で無いし、存在し得ないのは明々白々です。

その外交政策を柱にする内閣を創ろうという要求は、「日米安保条約」破棄の内閣を作ろうという従来型の呼びかけよりも、国民にとって幅が広くて、ソフトで受け入れやすいはずです。

Dなぜ冠ヌキの「永世中立宣言」運動でなければならないのか?


私たちの運動の旗が、当初「非核・非武装・永世中立宣言」から「核廃絶・非武装・永世中立宣言」に変わり、結局「永世中立宣言」という極めて単純明快な旗印となりました。

 

そのことについて、この運動に関心を持てれている人の中から、何故そうなったかの質問も多々ありましたし、その議論の中で、そもそも「永世中立宣言」では運動にならないのではないかという根本的な疑問も出されています。

 

そこでこの旗印の変更は、単なる名称の変更というよりも、戦略と戦術の根本に拘わる問題だと思いますので、この運動が始まる前に、あえてなぜ冠ヌキの「永世中立宣言」運動でなければならないのか?の一項目を加えて問題提起させて頂いた次第です。
ぜひみなさんで充分に討議してもらいたいと存じます。

なぜ「核廃絶」「非武装」を外して、あえて「永世中立宣言」にしたのか?
経過を踏まえてご説明します。

当初は「非核三原則」「9条」「平和的生存権」の「国是三原則」から、素直に「非核・非武装・永世中立宣言」としてスタートしました。その後、安原和雄さんから、すでにオバマも核廃絶を主張して時代に、「非核」は「核廃絶」だとすべきだという正しいご意見を頂き、「核廃絶・非武装・永世中立宣言」に変更しました。さらにその後、岡田卓己さんから、「核廃絶」は「核兵器廃絶」であるべきだとの意見があり、また原子力発電所の廃絶を闘っている「たんぽぽ舎」は、僕たちのために会議室の貸与まで協力下さろうという組織ですが、核利用そのものに反対する立場に立っておられて、この「核問題」をどう表現すべきかという問題意識に直面しました。

非武装についても「非同盟中立」の立場からの批判もあり、現状の日本は第4位とも第5位とも言われている軍事国家が実態で、正しくは「武装中立国家」ではないかなどの問題提起もあって、意見の違いは時間をかけて議論することとして、いっそのことすべての冠を外して、「永世中立宣言」だけを要求することにした場合にどうなるだろうか?ここから考え直すことからスタートしました。

ご存知の通り、日本は既に、揺るぎない自明の「国是三原則」を持ち、国内法的範疇として確定しています。
問題の核心は、それが意図的な法解釈で無視されて、条文と実態が乖離した「9条を衣に着たアメリカ従属の軍事大国」としての恥ずべき姿が、日本の現状であることです。
さてそこで、もし冠ヌキの「永世中立宣言」を宣言したとすれば、それだけで現実の政治は一体どうなるだろうか?
そのときは、「非核」も、「非武装」も、「平和的生存権」も、それぞれが抱えている現状の条文と事態の乖離の問題は、「永世中立宣言」との間で、その矛盾が炙り出され沸騰して出てくる。「三つの国是」はびくともしないばかりか、「アメリカ従属の軍事大国」は、ガタガタに崩れる。

この段階では、国民の統一した意思は、「永世中立宣言」に不動のものとして確立されているから、その意志に従って、それぞれの抱える現状の矛盾は、解決を迫られて、永年の桎梏からは遂に解放される。

つまり、冠ヌキの「永世中立宣言」こそが、それだけで戦後60年の日本政治の深刻なヒズミを,根本的に解決の方向に大きく転換する魔法のような「キーワード」になるのではないか?

同時に「日米安保体制」は崩れ、アメリカの従属を離れた自主独立の国家となり、アジア、世界各国と等間隔の平和貢献の期待に応える日本が再生し誕生します。
同時にこの「永世中立宣言」は、中国や韓国、朝鮮にとっては、隣国からの脅威が無くなるし、アメリカ従属を止めて永世中立した日本を侵略する必要そのものが無くなる。

それどころか隣国日本が「貴方の国には永久に侵略しない」と宣言し、約束するのだから、相手国からは、極端に言えば「日本に軍事力であろうと無かろうと関係ない。どうぞご自由に」ということになる。

 

日本側は米軍基地をなくし、思いやり予算もなくして、まず自主独立する。

自衛隊も縮小に入るが、この段階での自衛隊は、命を賭けて海外に武力で出される心配はないのだから、少し時間をかけて、武力以外の用途に徐々に転換しながら縮小すれば良い訳で、当面自衛隊員の失業も心配ない。イラク訴訟の箕輪さんのように自衛隊員の要求とも一致できる。

僕はこの冠なしの「永世中立宣言」は、「9条からの歪み」を一気に解決する「カギ」で、これによって、現代の日本政治の「コペルニクス的転換」が可能だと考えるようになりました。

「永世中立国家」のなかには「武装中立国家」もあります。
しかし日本が「永世中立宣言」するということは、憲法前文と九条で、明確に戦争と軍隊を放棄している日本が、国際的に「永世中立宣言」をするということ以外の何者でも在りません。つまり「非武装永世中立宣言」と同じことです。

その後の日本政治は、「永世中立宣言」国家としての国際的責務が生じますから、残される問題は、時間をかけても条文と実態の乖離を完全に無くするしかないわけで、それ以外の「逃げ道」は、ありようがありません。
この「逃げ道」のない処に、外交政策の転換要求で追い込む。

ここが決定的に重要な処ではないでしょうか?
60
年,70年安保闘争のように、あんなに激しく、「安保反対」「安保反対」と旗を振っても、解決できなかったほとんどの難題が、この「永世中立宣言」の旗で、解決に進めます。

素晴らしいとは思いませんか?

「永世中立宣言」を、国内法「9条」の完成として位置付けて学問的に最初に確立したのは,田畑忍先生です。

こんなに現実的で理論的な「旗」が,なぜ実質的に降ろされてしまったのか?

理由は幾つか在ると思います。

まず第一に田畑理論が,冷戦下の「中立理論」としてスタートしたために、冷戦体制の消滅によって、「中立」そのものの意味が無くなったと考えられるようになったこと。

第二に「9条は国内法で、それを完成するためには永世中立宣言しかない。」という田畑理論の正しい主張が、社会党の崩壊と共に、国民的運動として継承し発展させられなかったこと。

第三に、岡倉古史郎の「非同盟中立」理論=共産党、田畑忍の「非武装中立」理論=社会党という社共対立の構図の中に「中立論」が埋没されてしまって、肝心の「永世中立理論」の理論的実証的研究の発展が阻害されたこと。

などが挙げられると思います。

 

田畑理論の継承者でおられる澤野義一先生は「永世中立宣言文」(第1案)の追記の部分で、下記のように書いておられます。

これは重要な指摘なので、そのままここに掲載させて頂きます。

 

「一つは、この永世中立宣言(第一次案)は、憲法9条に基づく永世中立宣言ですが、「非武装中立」や「非武装永世中立」宣言としていない理由は、次の点を考慮しているためです。
 非武装を入れると、共産党系の人たちが賛成しないと考えられるからです。この系統は、当面は「武装中立」や「非同盟中立」路線の立場だからです。他方、旧社会党とりわけ社民党系も、「非武装中立」を捨てたままで、非武装化には、直ちに賛成しないでしょう。社民党系の安全保障論は、前田哲男さんらの「平和基本法」制定論の影響を受けています。
 しかし、非武装化を留保したうえでの安保廃棄のための永世中立宣言なら、賛成してもらえる余地があります。
それはまた、日米安保に批判的な保守派や、専守防衛論ではあるが、海外派兵や集団的自衛権行使に反対する保守派にも受け入れられる余地があります。」

 

「もう一つは、これまでの革新派の「中立宣言」が、日米安保廃棄後の平和政策として提言されているのに対し、今回の「中立宣言」は、日米安保廃棄の方法として、また日米安保に変わる平和政策の代案として、さらに憲法9条の国際()化の視点で提案されている点に特色があります。」

この現実的でリアルな政策提案が、私たちの立場です。

 

九条を持つ日本政府に対して「永世中立宣言」で外交政策を転換せよという、極めて当然の国民の要求を掲げて、その政府を作ろうと言う運動は、「9条派」の市民の結集に、納得できる理論的、実践的方針を与え、旧社会党、共産党、社民党を含めた統一戦線を築くための、時勢に叶った運動であり、必ず成功すると信じて止みません。

そして、オバマの対日政策が定まらない前に、私たちの市民運動が「永世中立宣言」の旗を鮮明に掲げる必要があります。そしてバンドン精神に基づいた「日米友好条約」を締結する。このことにオバマが抵抗するとは思えません。バンドン精神は、いまやアジアの精神であリ、世界の流れです。

 

「九条」は日本国が存在する限り、永遠に変えてはならない、世界の誇るべき条文であるからこそ、その完成を目指す「永世中立宣言」の運動の旗もまた、永遠に終わることのない運動でなければならないと考えます。
そしてそれは何よりも、既に世界では非同盟・中立国は百数十カ国も存在しており、アジアにはTACがあります。世界の大勢の国が、中立・非戦の大きな役割を果している現状の中で、日本が「永世中立宣言」すれば、これらの国家群の中立政策を、永世中立政策に高めて、「世界の永遠平和のために」(カント)決定的な役割を果すことが出来る。現代は直ぐそこまで来ているというリアルな構想力が、今こそ必要

なのです。

 

E永世中立国の国際的義務

「永世中立宣言」によって、「9条を衣に着たアメリカ従属の軍事大国」が、どういう立場に置かれるか?

そして具体的な転換をどう迫られるか?

国際法学上の永世中立国の理論的な地位を学びことによって、確信を深めよう。

 

澤野義一先生は「永世中立と非武装平和宣言」―非武装永世中立論研究序説(大阪経済法科大学出版部)で、オーストラリアの永世中立の権威的理論家としての国際法学者A.ファエアドロスの理論を紹介しています。(P127129

とても大事なことなので、少し長いですが、その部分を引用させて頂きます。

 

『一般論としていえば、永世中立とは、いかなる軍事的紛争に対しても中立ということで、戦時には戦時中立法上の(一次的)中立義務(永世中立の第一次的義務といわれる)を選択の余地無く負う(通常の国家の場合には戦時中の選択は自由)が、平時からも紛争に巻き込まれないような中立外交を行う義務(通常の国家にとっては義務ではないが,永世中立国家には、固有の義務で、第二次的義務とか事前的活動とかいわれる)を有する国家の国際法上の地位を意味する。

これらの義務は、オーストラリアの永世中立の権威的理論家である国際法学者A.ファエアドロスによれば、おおよそ次のように説明されている。

第一次的中立義務

すべての中立国は以下の義務を負う。

(a)   一般的原則

1.      大気圏及び領海を含む中立国の領土が交戦国によって何らかの方法で使用されることを防止すること。国際法上要請される防止の態様は状況により左右される。

2.        交戦国へのあらゆる援助を控えること。したがって中立国は交戦国に軍事物資を供給することも、戦争目的のための借款を認めることもないしえない。

3.        すべての交戦国に対して、国際法上の中立規範と同じく中立国国内の通過運送規則も、平等かつ無差別に適用されること(公平の原則)

(b)   陸戦特別規範

4.           軍隊、弾薬または軽重部隊の領土内通過を容認しないこと。

5.           交戦国または交戦国兵力との通信の用に供するための、新しい通信施設

の設置、ならびに現存する公衆の用に供されない通信施設の利用を黙認しないこと。

6.           交戦国のために戦闘部隊を編成し、徴募事務所を開設することを防止すること。

7.           中立国領土に侵入する戦闘員を戦場から出来る限り隔離して留置しておくこと。

(c)   海戦特別規範(省略)

第二次的中立義務

 永世中立国のみは以下の義務を負う。

1.      いかなる戦争をも開始しないこと。---

2.      第三国間のいかなる戦争にも参加しないこと。---(個別的自衛権も手段的自衛権も否定)安藤

3.      平時においても、中立国の独立と平和を擁護するために武力を自由に使用しうること。---永世中立国は、確かに効果的な防衛をする義務を負っている。しかしこの目的のためにいかなる処置がが不可欠であるかにちての判断は,永世中立国の裁量内に委ねられている。

4.      武力紛争に巻き込まれないために、一般的な中立政策を行うこと。』

以上を引用しましたが、この国際法学の到達点に立って、現実の日本の「アメリカに従属した軍事大国」の実態を、「永世中立宣言」によってどう変革できるかの展望を、みんさんで具体的にイメージして議論してみて下さい。

そしてその変革が、政府の一方的な外交政策の転換だけで出来るという、現実的で具体的な政治課題であることに、しっかり確信を持って頂きたい。

 

Eなぜ「永世中立宣言」運動が有効と考えるのか?

1.「永世中立運動」の有効性に対する歴史的確信

コスタリカのモンヘ元大統領の「永世中立宣言」こそ、その第一に挙げるべき歴史的成果です。

83年11月、当時のコスタリカは、隣国ニカラグアとの国境では、レーガンアメリカのサンディニスタに対する武力攻撃が激しくなり、コスタリカを基地にしたアメリカの侵略が執拗に行われ、貧しいコスタリカ人を傭兵にする買収が平然と行われた。国民のレーガン支持とサンディニスタ支持が二分する中で、モンヘ元大統領は、突如世界へ向けて「如何なる武力紛争に対してもコスタリカは永久に非武装中立である」との「永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」を発表する。(詳しくは澤野「序説」P112168参照)

国民が二分し賛否の議論が沸騰する中で、レーガンは、アメリカ帝国主義の本性を顕わにして、侵略を強行する。その侵略を目の前にして、議論を闘わせた国民の世論は、不法に続けられるコントラの軍事攻撃と、「永世中立宣言」のモンヘの平和政策が、目の前で検証されて、国民の82%が、大統領アンケートで支持を表明する。同時に世界各国の「永世中立宣言」が続々と集まり、結局はレーガンが2年後に、コスタリカの「永世中立宣言」を認めざるを得なくなります。

 

この歴史的過程は、知れば知るほど面白い。

まさにモンヘ元大統領の政治を読み尽くしたリアリスティック・ドラマツルギーを見る想いです。

日本の「日米安保体制」が、イラクやアフガニスタンなど、不当にもアメリカの直接の侵略基地になっているという危機的状況にあるからこそ、この歴史的現実のドラマから、大いに学びたいと思います。

 

2.日本の戦後政治の上での反省

戦後の政治状況の中で、「永世中立宣言」を戦略として検討さるべき政治状況があったのではないでしょうか?

それは朝鮮戦争とべトナム戦争の時期です。

 

僕自身二つの戦争反対のデモに何度も参加し、神奈川の路上に座り込んで、戦車の運搬阻止を闘ったことなど、それを悔いることは毛頭在りませんし、その行動がそれなりの貢献をしたと誇りに思ってさえいるのですが、同時にあのエネルギッシュな運動から、もっと政治的実効性ある、しかも歴史的実績として残る運動の結果を生めなかったかどうか?という、深い反省があります。

 

アメリカ軍は、いずれの戦争も日本を極東最大の基地にして戦ったのですから、もし当時、日本が「永世中立宣言」という旗を、しっかり立てることが出来ていたら、米軍基地の存在を許さず、どれほどの朝鮮・韓国人そしてベトナム人の命を助けることが出来たのだろうかと考えます。

 

ベトナム戦争当時には、「永世中立論」に対する理論武装も、同志社大学の田畑忍教授を中心に「憲法9条と永世中立」の優れた理論化が進んでいたにも拘わらず、実践的に取り組めなかったことを、非常に残念に思います。

モンヘ元大統領の現実政治に対する創造的構想力が、日本人に無かったことを今こそ考え直して観なければならないとつくづく思います。この点に付いて、みなさんとしっかり議論してみたいと思います。

 

3.「力」より「対話」の外交政策で

交渉の相手が「ハードパワー」のブッシュから「ソフトパワー」のオバマに替わったことが、何よりも絶好の交渉のチャンスです。

60年安保闘争は、大衆デモ動員を中心に据えて、「力」で要求を押しつける戦略だった。あの闘いは、結局岸信介とCIAの謀略に押しつぶされてしまった。

しかしオバマは、ブッシュ「ハードパワー」路線に反対することを目玉の姿勢にして、新大統領に当選し、アメリカ国民の80%以上の支持を得ました。

その「ソフトパワー」路線のオバマは、日本が今でも、ブッシュ路線のまま対米関係を続けることを、本気で望んでいるのでしょうか?

出来れば彼が国民に約束した路線の延長線のどこかで、日本との間の外交路線の変更の接点を望んでいないだろうか?彼の面子を潰さぬように。

この機会に日本国民が、自民党や民主党の「日米安保体制」を、そのまま擁護する路線ではなく、国民の側から「永世中立宣言」の旗を掲げた闘いが始まれば、これに耳を傾けざるをえないのではないか?

 

60年、70年の「安保反対」は、アメリカ側にとって、まかり間違えば、冷戦体制の中で日本が中ソ側に移るのではないかという危機感があって、絶対に負けられない勝負であった。その後イラクはじめ「ならず者」路線のなかで、最も信頼できる根の下の同盟国日本と位置付けたブッシュと日本首相たちの蜜月が続いた。

しかしいまや、オバマアメリカ側は、一日も早くイラク・アフガンから手を引いて、地域の平和を、地域の政府に絡ませて解決したい。

アジアでは「六カ国協議」を母体にした地域共同体化が図られている。

そのとき、旧来の「拉致」問題に拘る反朝鮮の日本の対外政策は、アメリカにとって重荷なのである。(バンドウ発言)

そこで国民の側から旗揚げする「永世中立宣言」への外交政策転換の要求は、オバマにとって全く歓迎出来ないものでもないと読むのは間違いでしょうか?

もしこれをオバマが拒否すれば、それはオバマ自身の「政治理念」への裏切りであり、日本国民と世界の人たちから指弾されて、安保闘争当時と比べものにならない国際世論の圧力に包囲されて、オバマ大統領の国際的政治姿勢は確実に失墜します。

その結果はアメリカにとって一番大事な「同盟国日本」を失います。

 

「日米軍事条約」から「日米友好条約」への転換は、もはや避けられません。

全世界の期待を担って誕生する「永世中立宣言」日本は、恒久的な世界平和の確立に、多大な貢献をするでありましょう。

 

F「永世中立宣言」運動への戦術的提案

「地球規模の日米安保同盟」の政府路線から「永世中立宣言」の国民路線に日本の外交政策を転換するためには、国民的な大運動を展開しなければなりません。

そのためにどうするか?

@「憲法第九条」

A「非核三原則」

B「平和的生存権」

日本はこの三ッを国是とした民主主義国家です。

この「国内法」を基に、対外的に「核廃絶・非武装の永世中立」を「宣言」する、論理的、歴史的、正当性を確信することです。

 

しかし実態は、「日米軍事条約」があり、アメリカの軍事基地が沖縄はじめ全国136箇所にあり、世界第四位とか第五位とかいう軍事力を持つ危険な軍事国家です。

過去に日本から侵略された中国や韓国、朝鮮の人たちから観れば、「九条の衣をまとった軍事大国日本」と観えるのが実態です。

 

この批判に応えて、名実共に「三つの国是」を完全に実施する国にするためには、国内法で確定している「三ッの国是」からの当然の帰結である「核廃絶・非武装の永世中立」を対外的に「宣言」して、日本から外国の軍事基地を撤廃し、自衛隊の規模を縮小することだと考えます。

この「宣言」要求には、「九条側」のすべての政党、政派に異存は無いはずです。

なぜなら憲法九条と実体の乖離を無くす運動なのですから。

 

もともと「九条にもと基づく永世中立宣言」を最初に理論付けし主張したのは、元社民党の土井委員長の恩師である同志社大学の田畑忍でした。(「非戦・永世中立論」ほか)僕は学生時代、京都の市内で、田畑忍の講演会に参加し、彼のパッションに感銘を受けた記憶があります。

そしてその田畑理論を実践ようとしたのが、石橋正嗣元社会党委員長です。ですから社会民主党や新社会党に「永世中立宣言」について根本的な異論はないはずです。

僕の社会党論は、この田畑忍以来の「非武装永世中立」路線をしっかり守って、憲法党に徹していれば、今日のように潰れることは無かったはずだ思うのです。

その後の「日米安保条約」の容認が.党の命取りになった経過はみなさんご存知の通りです。

日本共産党も岡倉古志郎の「非同盟運動」を支持し、「第21回党大会」で、次のように決議しています。

 

「日本が日米軍事同盟から離脱することによって、〜それはアジア情勢全体の歴史的転換点となるだろう。」とあり、

@日本の非核化と東アジアの、非核の流れの拡大

A非同盟諸国会議の参加、アジアの軍事ブロック解消、外国軍隊基地撤去

B大幅軍縮、アジアに軍縮の流れ拡大

C覇権主義反対、話合いによる紛争解決

D日本軍国主義の誤りの反省

Eアジア諸国との経済協力の民主化

と決議されています。」

 

今日では「非同盟諸国」と同時に、国際多角化による地域の共同体、とりわけアジアではTACがバンドン十原則を継承して進んでいますから、「非同盟国運動」の時代よりは、情勢は数段有利に進んでいると考えます

どこかで誰かが書いていましたが、日本人はもともと厭戦気分が強く、闘うことよりも中立を好む民族だとありましたが、九条の下での平和の60余年間で、これが定着したと僕も思います。いまの圧倒的国民は「中立」を望んでいます。

この国民的中立意識を引き出して、対外外交政策の基本に据える。それが「永世中立宣言」です。

 

そこでこの「永世中立宣言」が戦略構想として確立されれば、その後は戦術的に充分の討議が積み重ねなければなりません。

大事なことは、早急に国民と外国の世論を喚起して、徹底した討論の場を起こして、賛成、反対の世論を国内的国際的舞台で沸騰させることだと考えます。

ここにコスタリカの歴史的経験、とくにモンヘ元大統領のドラマツルギー(演出性)の叡智から学ばなければならないと思います。

国民に広く呼びかけて「宣言文」を練り上げて、国内の各党各派の代表に対して、賛同するか、しないかの「公開質問状」を出す。

それと同時に、この「宣言文」は、国内法の改正と違って、外国に対しても「宣言」する行為ですから、オバマ大統領や、国連事務総長や、特にアジアの中国・韓国・朝鮮の首脳など、主要な国際政治指導者にも、この「宣言文」を送って支援を要請しては如何なものかと考えています。

その理由は、日本人の島国根性は、明治維新にしろ敗戦後にしろ、外からの進歩的な外圧に弱い。「外から包囲して内に迫る」には、現在の国際情勢は、極めて有利な展望がもてると考えるからです。

そして今の若者たちは国際化の流れの中で、メルトモを世界中持っていますから、彼等のパワーを動員できれば、支持が一気に世界中に拡がります。

 

肝心なことは、この同時にこの「永世中立宣言」は、中国や韓国、朝鮮にとっては、隣国からの脅威が無くなるし、アメリカ従属を止めて永世中立した日本を侵略する必要そのものが無くなる。

それどころか隣国日本が「貴方の国には永久に侵略しない」と宣言するのだから、極端に言えば「日本に軍事力であろうと無かろうと関係ない。どうぞご自由に」ということになる。軍事力は対外的に使わないことを宣言しているのだから。

日本側は米軍基地をなくし、思いやり予算もなくして、まず自主独立する。

自衛隊も縮小に入るが、「宣言」と同時に自衛隊は、命を賭けて海外に武力で出される心配は無くなるのだから、少し時間をかけて、武力以外の用途に徐々に転換しながら縮小すれば良い訳で、当面自衛隊員の失業も家族の心配もない。イラク訴訟の箕輪さんのように自衛隊員の要求とも一致できる。国内的、国際的賛否両論の議論を沸騰させて、メディアも連日採り上げて、徹底した民主主義的「対話」を深めることにより、国民の政治意識が深まり、戦後民主主義が更に徹底されて、世界の恒久平和に貢献することができると考えます。

 

この「永世中立宣言」国家こそ、人類が国家を中心に生きるかがリ、いずれの国家も最終的には到達しなければならない国家の理想であり、世界中に拡げなければならない、理想の国家形態だと信じるからです。

 

G「永世中立宣言」は夢物語か?

「宣言」にこそ必然の理があり、客観的根拠が明確で、歴史的、現実的可能な裏付けがあることの証明をしたいと思います。すこし重複する所もありますが、確認のためにもう一度整理して論じたいと思います。

 

1.「核三原則」と「憲法九条」は、日本国の「国是」であることが、すでに国民的権利意識となって定着して、正面からこれに反対することはできない国家理性である。(広辞苑:国家理性=国の政治は、何よりも先ず自国の利益によって規定され、他のすべての動機はこれに従属せしめるべきだとする国家行動の基本準則。仏:レゾン・デトール)

 

2.名古屋高裁判決は、憲法前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」と位置づけた平和的生存権を尊重し、「平和的生存権」は、「核時代の自然権的本質を持つ基本的人権である」と定義しました。

そして「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」

「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」

「他国に民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」

「新興に基づいて平和を希求し、すべての人の幸福を追求し、そのために非戦・暴力・非暴力平和主義に立って生きる権利」であることを認めています。

この権利のすべてが「非核・非武装の永世中立宣言」への権利的根拠であり、その国是化への行動を促していると考えます。

 

3.この国是三原則を、未来永劫に変えないことを誓って、国の内外に向かって「宣言」し完成させることは、極めて自然なことで、日本国家として「非核・非武装・永世中立宣言」をしなければならない歴史的必然があると確信します。

1.「核廃絶」「非武装」と「永世中立宣言」

(1)「核廃絶」について。

「非核三原則」が在るにもかかわらず、原子力潜水艦は横須賀に寄港し、核弾頭は沖縄はじめ軍港に、軍事基地に、配備されています。

「非核永世中立宣言」は、そのすべての存在にN..を突きつけて、堂々と撤去させる明確の根拠になります。そして世界で緊急に求められている「核兵器完全破棄」の運動の先頭に、「非核永世中立国」の立場で先頭に立って、最初の被爆国日本の国際社会に対する責任を果たし、人類社会に大きく貢献できます。

さらに国内の原子力発電所は、対外的に軍事標的として極めて危険なばかりか、地震列島日本は、地震大活性期に地震に入ったといわれ、これは正に「核時代の自然権的本質を持つ基本的人権」を侵す問題そのものです。電子力発電の存在そのものが名古屋高裁判決で認められた訴訟の対象としての要件を備え持つのではないか?

(2)「非武装」について。

沖縄の米軍基地はじめ日本国中の基地が、「非武装永世中立国」として即刻不用になり、「70年日米安保条約」で決められた、双方のどちらかの国が破棄を通告すれば、一年後に破棄が、この「永世中立宣言」するその日を期日として有効に働きます。

その上で、アメリカとの間で、「日米軍事同盟」でなく、双方対等の立場で、「日米友好条約」を結ぶことが出来ます。これこそ日米が戦争のための協力でなく、平和と繁栄のための、末永い安定した協力の柱になる条約であり、世界中から祝福される条約が初めて誕生します。

また自衛隊の存続問題については、「宣言」前の現状では、直ちに解散廃止すべきだとの意見と、実体に見合うよう改造すべきだという主張が正面からぶつかり合っています。しかし「宣言」後の状況の中では、外国からの攻撃は無くなり、「非武装」に向かって、いかに段階的に縮小すべきかだけが具体的な政治課題で、その前進の規模とスピードは、国民的合意に基づくことになります。

とくに注目して置きたいのは、「永世中立国」になれば、自衛隊員が人命を失う危険な戦闘を目的に海外に派兵されることは永久に無くなり、自衛隊員と家族の安全を確保できます。「永世中立宣言」運動は、自衛隊員とその家族のための運動でもあります。

(3)「永世中立」について。

コスタリカのモンヘ大統領の歴史的英断が先進的な叡智を与えてくれます。コスタリカに不法に基地を建設してサンディニスタを執拗に武力攻撃したレーガン元大統領自身が、二年後にはコスタリカの永世中立を正式に認めざるを得なかったという歴史的経験が、このことを雄弁に物語っています。

アメリカ国民の80%以上の支持を獲得したオバマ大統領は、選挙演説の中で戦争からの脱皮と、平和の建設を高らかに謳っているのですから、日本との友好関係を深めることを重視するというその立場から、日本国民の永世中立運動が拡がれば、それを拒否して日本人の望んでもいない「日米軍事同盟」を、いつまでも押してけるこことは出来ないはずです。

もし日本国民の期待を裏切って、ブッシュ時代そのままに、軍事同盟のこだわって日本をアメリカの戦争に巻き込むよなことがあったら、世界各国の戦争回避と中立を柱にした多極化の流れの中で、アメリカは日本ばかりか国際的にも孤立化を深めるでしょう。

そして何よりも「永世中立」は国際法上に認められた国家形態です。

 

2.「永世中立宣言国」日本が、武力で攻撃されたらどうなるか?

まず国際間の意見の対立は、国家がある限り避けられないでしょうから、紛争そのものは永久になくならないでしょう。

しかし、永世中立を内外に宣言して、武力を完全に放棄して、言論以外闘う術の無くなった日本に対し、あえて武力で攻撃する「テロリスト国家」など.現れるはずがありません。「対話」こそ紛争解決の唯一の手段ですし,世界はその方向に大きく動いています。

 

それでも万が一「永世中立宣言」をした日本が、外国から武力で攻撃されることがあるかもしれません。ブッシュアメリカのイラク攻撃のような理不尽な攻撃もあったわけですから、絶対無いとは言えません。不幸にもあったとしたら、最後までそれに抗議して「対話」に「対話」を重ねて説得し、それでもどうしてもダメなら、最初の一撃は、残念ながら受ける覚悟をしなければならないかも知れません。

現代戦は、小さな武力が即核戦争につながります。何万、何十万、何百万の犠牲者を生んでしまいます。この大量破壊の核戦争阻止のための、どうしても避けられない最小の犠牲になるのでしたら、日本人は誇りをもって人身御供として身を呈して受けようではありませんか。あのガンジーや、あのヴェトナムの僧侶たちに心を重ね合わせながら。

その勇気ある姿を目の前に観た世界中の人々が、黙って日本を見捨てるはずは絶対にありません。このような「テロ国家」は、直ぐに全世界中から厳しい非難を受け、必ず孤立して、その国の存亡そのものが問われることになるでしょう。

 

「武器は何も持たないことが一番強い。」

これはコスタリカの国民の口から自然に出てくる言葉です。「テロ」には「対話」で応酬する。これが現代戦に勝利する唯一で最高の戦略です。

 

日本国憲法は、自衛権を認めていません。個別的自衛権も、集団的自衛権も放棄しています。武力に対して国を守るための唯一の方法は、「対話」に「対話」を重ねて説得するしか方法はありません。

それでも一部に、国家には「自衛権」が付き物だとこだわる人たちもいます。

その人たちには、貴方が欲しい「自衛権」について二つのことを考えてもらいたい。

「革命権」としての武器使用権を考えるなら、日本国憲法を国民の総意で変えてから後に言って下さい。今の日本国憲法は、「武力による革命権」を認めていません。

それでも「自衛権」にこだわりたいなら、日本国民の「自衛権」は、「対話」を武器にした「自衛権」である。日本国憲法の下ではそれしか自衛する方法は、絶対にない。

「対話の自衛権」。

素晴らしいことではありませんか?

 

3.「永世中立宣言」の旗を挙げる方法。

「日米安保条約」破棄のために、「永世中立宣言」が、最も有効な戦略であること。それが「夢物語」でないことは、これで理解頂けたことと思います。

 

「永世中立宣言」は、「地球規模の軍事同盟」からの外交政策の転換の要求です。

外交政策をどうするかは、その国の基本的権利で、他国が圧力を書けたり干渉したりすることは許されません。

私たちの運動は、日本政府に対して「永世中立宣言」をして、対米外交政策を転換しようという運動です。日本国が外交方針を、「永世中立宣言」に決めれば、その日から1年後に「日米安保条約」を破棄出来るのは当然です。

それが結果として、「日米安保条約」破棄に結びつくのです。

要は、「永世中立宣言」の旗の下に結集する運動体をどう創リ、どう組織するかにかかります。

 

H「永世中立宣言」運動の拡がりの中で

1.「九条問題」は、今まで自民党政府側は憲法改悪のための諸立法や解釈改憲で、あの手この手と攻撃を仕掛けてくるのに対して,わが方は、いつも「九条を守れ」という防御の構えで闘わざるをえない状況でした。「九条を守れ」という要求には、「九条を纏った軍事大国日本」を守れというスローガンでもあるのです。

しかし「永世中立宣言」という明確な戦略には、基地も軍隊もまったく不要で、「解釈宣言」など出来る余地がありません。

これによって「憲法審査会」や「海外派兵恒久法」の悪辣な画策は吹っ飛びます。

今後どのような悪辣な策動があろうとも、日本の国是は、「永世中立宣言」であるという明確な論拠をもって、納得的、説得的に潰すことが出来ます。

2.アメリカに対する基地撤廃要求は、「永世中立宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく拡がれば、「宣言」そのものが出される前に、沖縄はじめ日本国中で、米軍基地の存在そのものの根拠が崩れ、この「永世中立宣言」を支援する運動が大きく拡がれば、アフガニスタンからも武力を撤退させようとしているアメリカは、アジアからの撤退を本気に考えざるを得なくなり、撤退が具体的な日程に登り、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化されるはずです。

 そのためにこそ、国内と国外の運動の急激な広がりが肝心です。

 アメリカのオバマ支持の80%は、わが方の味方の戦力でもあります。

そしてなによりもオバマアメリカ自身が、日本の自立化を望んでいると考えられる背景があります。(A「従属国から脱皮せよ」と勧めるアメリカ)

3.従来、「安保条約破棄」、「軍事基地撤廃」がまず解決されなければならない第一の課題とされ、そこからは現に軍事基地があるから「中立宣言」など、とんでもないと考えられてきたのではありませんか?

 しかしコスタリカの経験は、日本と同じように「武器を放棄した国」として.米国との間に協定があったにも拘わらず、モンヘ大統領は一方的に「永世中立宣言」して、その宣言が、ものの見事にレーガンが執拗に建設したサンディニスタ潰しの軍事基地を撤廃させ、コクタリカ国内での傭兵募集も潰してしまったのです。

4.現行の「日米安保条約」は、1970年に改定されて39年になります。

60年の「日米安保条約」から数えると、2010年で50年になり、「破棄の闘いの記念すべきチャンス」です。対日本国民対オバマ政権の、日米関係を根本的に変える闘いになります。

「ソフトパワー」を重視するオバマに対しては、日本も「ソフトパワー」で対抗したい。それがダメなら「力」で対決する。

日本の「ソフトパワー」とは何か?それは「三ッの国是」の対外宣言であり、歴史的に実証されている「永世中立宣言」です。

5.60年安保、70年安保の「安保反対」の大闘争を直ぐに組んで全国民のゼネストや街頭行進の波状攻撃で、破棄を力で認めさせる戦術が組めない現実の中で、もっとも有効な戦略戦術は、「力」での対決は最後の最後にして、まず「対話」で正論に基づく理論武装で、オバマの「スメートパワー」を逆手にとって破棄を説得する戦術が必要だと考えます。その要求と抵抗の実態を国民と世界世論の前で明らかにする。

まず「永世中立宣言」を外交戦略の旗に掲げて「対話」を直ぐに始めて、それでもなお軍事基地の居座りを図るなら、この当然の要求に対して「ハードパワー」で抵抗するその理不尽な姿を、国民と世界の世論の前に曝して、その怒りを拡げて結集し、「60年安保」を超える闘いを組む。

全国民のゼネストと連日のデモで、ガンジーやアーサー・キングのように非暴力主義を貫いて、「対話」による「ソフトパワー」での解決を、オバマアメリカに迫る。

6.2010年の「安保条約50年」こそ、破棄か存続かの決戦場です。

そのためのスタートは、今すぐ始めなければなりません。スタートさせる条件は整っています。

1.オバマアメリカ自身が、改悪にしろ改正にしろ、「日米安保条約」の改訂を望んでいること。

2.どう変えるかの日本側の発案を待っていること。

3.「九条の会」はじめ自覚的な護憲派勢力が広範に拡がっていること。

4.アジアをはじめ多極化した国際共同体が、すべて中立政策を中心に据えていること。

 

いまオバマアメリカを含めた国際情勢は、日本が「永世中立宣言」するためには最適な情勢にあります。

それは、政府に外交政策の転換を迫ることで出来るのです。

7.1年前の破棄通告するための「民主連合政府」が出来ることを待ち望んで39年。

そして未だに見通しが定かでない運動を待っていれば、すぐに「安保体制50年」の絶好のチャンスが過ぎてしまう。

そればかりでなく、いまは白紙の「ソフトパワー」のオバマに、色がついていく。

先に紹介した浅井基文さんが共産党の志井委員長、社民党の福島党首を前にして発言した「そういう大状況を前にしてもなお、共産党と社民党が改憲阻止で手を結ぶことができないと言うのであれば、両党の国民に対する政治的責任は極めて重い、と申し上げないわけにはいきません。」

その大状況が、「安保条約50年」であり、両党が「非核・非武装永世中立宣言」の旗の下に大同団結して国民的大運動を展開しなければ、末代まで禍根を残す。

8.私たち市民に与えられた任務は、両党を動かすためにも、早急に市民運動の「核」を創って、永世中立宣言」の旗を鮮明に掲げ、日本国中に、世界市民に支援を訴えることです。この「宣言」は、核三原則・憲法九条・名古屋高裁判決の「国是」に基づく正当な行為で、同時に政治結社の自由で認められている基本的人権で、誰からも妨げられない国内的、国際的に合法な行為です。

9.オバマを誕生させた80%以上の平和を願うアメリカ市民、中国、韓国、朝鮮の「北東アジア」の平和を願う各国市民、国連を中心にした世界中の市民は、日本が「日米安保条約」を破棄して、オバマ政権と真の「日米友好条約」を結ぶために、「永世中立宣言」運動を興した日本国民の取組みの実態を報告すれば、必ず支援してくれます。平和を愛する日本国民と世界の市民に対する絶対の信頼こそ、この運動のエネルギーであり、勝利の秘訣です。

10.「永世中立宣言を政府に要求するという運動」は、市民レベルで今すぐにでもスタートさせられますし、この運動体の市民組織が生まれれば、戦術的に運動のスタイルを、具体的に検討して起案出来ます。直ちに「安保条約破棄」、「米軍事基地撤廃」を、「永世中立宣言」を要求の根拠にして、国内的、国際的に宣伝できます。その広がりに中で、「日米安保体制」の流れは、縮小から廃止の流れに大きく転換できます。

11.この「宣言」によって、基地の撤廃、思いやり予算の撤廃と「軍事費削減」により、教育・福祉・医療予算の充実に振り替える国家予算の根本的組換えを要求することを容易にし、貧困を再生産する「新自由主義」経済からの離脱・脱皮を可能にします。

自衛隊を、いつ、どの程度縮小するか、廃止するか否かは、「宣言」成立後の戦術問題として、国民の合意を取り付けながら時間をかけて行うべきでしょう。

しかしこの運動のスタート時点から、軍事予算の増額は困難になるでしょう。

12.とくに未来展望に不安を持つ多くの若者達が、「永世中立宣言」で、展望に確信を持ち、夢と希望をもって戦線に参加するはずです。

「九条の会」に若者達が結集してくれないという悩みは、全国の会が共通に抱えている問題ですが、私たち老人にとっては、自分たちの世代が創った憲法だから「九条を守る」は当たり前のことのように響くが、若者にとっては、この「古い?」シンボルでは、直ぐにピンと来るようにならないのは理解できるようにも思えます。

しかし自分達の恋人、子供.孫たちのために、未来永劫戦争の無い国を作るために、自分たちが「永世中立宣言」文を創って、この旗の下に国中に、アジア中に、世界中に連帯を求めて、自分達の力を中心にして運動を興し広めて行こうという呼びかけは、若者達の現状変革の心を、必ず振るい立たせるに違い在りません。

君たち「若い世代」が、この闘いの先頭に立って闘い、「永世中立宣言世代」と言われるような、日本の歴史を飾る栄誉に輝き、その誇りを後世に贈りつなげる。

これこそ、いまの困難な時代潮流に立ち向かう君たち青年にしかできない自分たちの新しい「世代の創造」だと思うのです。「永世中立世代」の誕生と創造。

何と誇りに満ちた旗印では有りませんか!

未来に輝く世界を創る気概を持って、あのドラクロアの「自由の女神」が掲げる旗に、あなたたち世代が掲げる「非核・非武装永世中立」の旗を重ねてイメージして、自信を持って立ち上がって頂きたい。

 

F遠い彼方に輝く星は、「永世中立宣言」である。

人間は誰しも、迷い悩み苦しみもがきながら生涯を生きていかなければなりません。そのときどうするか?

必ず「複眼の眼」で考えることが大事だと思います。

「第一の視点」

遠い宇宙のかなたに不動の星を見付け、生涯の進むべき方向と路線を揺ぎ無いものにするために、常にその線に立ち返って考えることです。

僕にとってそこのは幸い「新憲法」が在りました。

君たち若い世代は「永世中立宣言」の旗を、遠い空の彼方の星として輝かせて下さい。

「第二の視点」

身近な世界のなかに、問題解決の糸口を探り出す。

僕にとってそれは、「大学生活」であり「ビジネス生活」であり「争議団生活」であり「経営者生活」であり「NPO生活」でありと、時々にさまざまな様相をして立ち現れました。そのときの僕の心構えは、ベンチャービジネス時代、僕の会社の「社是」にしたスタンスにありました。

 

「創造はすべてにまさる歓び。夢を見よ。仮説を立てよ。周辺にウズを創り、中心身を投じて科学せよ。リスクにたじろぐ者に歓喜の歌はない。」

 

自然科学は、仮説を立てて、ビーカーの中で実験を繰り返すことができます。

しかしビジネスを含んだ広い意味での社会科学は、仮説を立てて、ナマの人間社会に跳び込んで、弁証法的対話を引き出す。そかから仮説を修正し更に確信を高めて、さらに前進する真剣勝負しかありません。

 

この「第一視点」と「第二視点」の両方の「知識と知識に脈絡をつけながら」(丸山真男)絡ませながら、抽象化し複合して、考えることです。

第一の「何のために生きるか」という課題を、第二の生活防衛の苦闘の中でも決して忘れず、両方を複合させながら問い直す作業から、決して逃げないことが大事だと思います。

これさえあれば挫折もまた大いに結構。

何回職を替えようと大丈夫。不安になることもないし、心配することもありません。君たちは必ず立ち直ってドンドン成長します。

君たちには、第一の「揺ぎない方向と路線」があり、迷ったら魯迅の「癒しの糧」にも立ち戻れるのですから。

 

「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

 

さて最後になりますが、有名な詩ですから既にみなさんご存の方は多いと思いますが、僕自身もう読み飽きるほど、聞き飽きるほど繰り返したはずなのですが、いつも新鮮で感動し奮い立たされる詩をここに書き残して、この拙文を終わります。

それはサミエル・ウルマンの詩「青春」(岡田義夫訳)です。

 

「青 春」

「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。」

 

「新憲法世代」は、いまあの時代の再来を願って「青春の真っ只中」です。

あなたたち若い世代と手を携えて、「永世中立宣言」の闘いの最後の列に加えて頂きたいと希っています。(2009.4.24

第二部      

 

追伸:第一部は、「新憲法世代」を生きた自分史です。その中で人生最後の挑戦課題として「永世中立宣言」運動にまで到達できた経過にも触れています。

ご関心のある方は、添付の拙文「九条遺言」第一部をご覧下さい。

 

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九条遺言「新憲法世代を生きて」

あとがき

「自分史を書く」という初めての試みですが、自分の過去をつむぐ作業の難しさを痛感しています。忘れた事実のハンディのほかに、生きざまとは多面的で、どの視点から鳥瞰するかが難しい。最初は書かなくてもいいと判断したことが、相互の関連から、どうしても触れなけばならないと浮かび上がったりして、推敲のたびに「積み木崩し」のように、何度も加筆修正してしまいました。

今年の2月23日。73歳の誕生日に発起して始め、そして9月5日。妻の誕生記念日で、ひとまずの区切りをつけることにしました。せめてもの僕の恩返しです。

妻慶子と46年前に結婚した時、結婚の条件として一つだけ彼女に注文を付けました。

『僕の人生選択は、「安定」よりも「挑戦」を選ぶはずで、生涯の迷惑の掛け通しになるかもしれないが、それでも就いてきてくれるか』と。

そして札幌での結婚で囲んだ食卓は、「りんご箱」に紙張りした手作りの燭台で、二人で決意の乾杯をして厳粛に祝い、ここからの出発でした。

誠に自分勝手な話です。

結果的はまさに残念ながらと言うべきか、その通りになってしまって、このまま波乱万丈の結果の押し付けに終わりそうですが、妻は現在71歳。月16万円の年金生活者の貧しい夫を、福祉のアルバイトに毎日通いながら、不満の一言ももらすでなく、いちばん僕が困った時に、いつも黙って支えてくれました。無口で地味な女性だけども芯の強い、我侭な僕の最高の伴侶です。

心臓病で二回の手術を受け、いま「下肢末梢動脈閉塞症」とかいう病で、長距離の歩行が困難です。

症状が脚に来たことがせめてもの救いで、記憶力は惨めなほど減退しましたが、「失敗の経験」という貴重な叡智に助けられて、ここまで漸く到達しました。

そしてこの自分史の「積み木崩し」は、おそらくルビコンを渡る際まで続くだろうと思います。あと幾ばくか生きて挑戦することの中から、これから経験する体験で、新しく付け加えなければならないことも、記録したことの評価を変えなければならなくなることも、いろいろ出てくるはずなのですから。

そして何よりも自分の「生きざま」を、「ブレ」ないように自己批判する心の作業が、この自分史の「積み木崩し」なのですから。

2009年4月24日

安藤 洋 74

「旬報9条の会」/「かしわ9条の会」一老会員

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TELFAX04-7870-5532

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