「新憲法世代」から若者たちの世代へ
第1編
「今の時代」を一緒に考えて観よう
地域多極化による平和と、日本のあるべき姿
はじめに
今年の正月に、永年年賀状の交歓をしている友人知人に、僕の九条遺言「新世代を生きて」を、年賀状替わりに送らせて頂きました。
明けましておめでとうございます。
今年はこの自分史を送ることに決めて、作業に入ったのが年の暮れ。
すこし遅い年賀になりましたがご容赦を。
昨年は「九条遺言」に始まって「九条遺言」に終わりました。
2月23日僕の誕生日に開催された「憲法と私」討論集会での「九条遺言」発言。
8月15日敗戦記念日83才の地元の大先輩元波尊さんと「九条遺言をすすめる会」を発足。
9月5日妻の誕生日に、「言い出しっぺ」の責任を果たすべく書き始めた九条遺言「新憲法世代を生きて」が一応完成。
その後、この拙文が、「韓国併合100年ネット」や、母校の立命館大学やその他アチコチのブログに拾って頂いて、その都度関連部分にスポットを充てて加筆修正していましたら、こんな大分なものになってしまいました。
そしてその締めくくりは、昨暮れにこの駄文に対して、一橋大学大学院社会学研究科の加藤哲郎教授(政治学博士)が、「伝記プラス論文」として評価して下さって、彼の「ネチズンカレッジ」で、2009年正月更新の「学術論文」の目玉にしたいとの連絡を頂きました。(ネチズンとは、Network+Citizenのこと)パソコンのある方は、ぜひ開いてご覧頂ければ幸いです。
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/database.html
考えてみれば、みなさんとは長い人では50年以上の年賀交換を続けさせて頂きながら、その時々の生活報告はしても、僕のお粗末なトータルヒストリーを語る機会は、まだどなたとも有りませんでした。もっとも女房や息子娘たちにも語らなかったことばかりですから、ご容赦を。
長い拙文で恐縮ですが、正月の退屈しのぎに冷やかし半分でぜひご笑読下さい。
今年挑戦したいと考えている政治課題は、「永世中立宣言」運動です。
僕の人生最後の挑戦になるはずです。「新憲法世代を生きて」の第二部第2編で触れさせて頂きましたのでご覧下さい。そしてぜひご支援とご協力を!
今年がみなさまの幸多い年になりますように、心から願っております。
2009元旦
この年賀状に対して、久しく逢って居ない友人からも、それぞれ一緒に生きた想い出など語った返事を幾つも頂いたのですが、その中にとくに僕が感激したのは、尊敬する先輩、古波倉正偉弁護士から頂いた葉書です。
古波倉さんは沖縄の出身。特に在日朝鮮人の権利問題と取り組んで来られた真摯で心温かい正義派の弁護士です。
「――「新憲法世代を生きて」を送って頂き有難う。1月7日からじっくり読み始めて、1月15日に一応読み終えました。深沢さんや飯尾が読んだら喜んだと思います。
深沢さんならきっと感激したと思う。
私の感想は次のとおりです。前半の自分史の部分は、大変面白い。正に安藤洋の面目躍如、快男子の自分史が生き生きと描かれていると思いました。後半の部分は、あれもこれも言って置かねばという焦りのようなものにつき動かされて、未整理のまま筆を走らせた感じがします。字の間違いや表現の不適格と思われる所も気になります。」
深澤、飯尾というのは、古波倉さんの旧制五高時代の朋友。深沢さんは80件以上もの日本特許を持つ食品科学者で、僕が全財産を失って路頭に迷った時、化学に疎い僕にもかかわらず拾ってくれた恩人。飯尾さんは、芥川賞候補四回、直木賞候補二回の小説家飯尾憲士のことで、僕の高校生の時から、人間的に影響を与え続けたくれた先輩。いずれも「敗戦世代」に属し、それぞれの専門分野で特筆すべきいい仕事をされた、素晴らしい先輩たちです。
僕は10歳も年下のヤンチャな若造でしたが、この先輩たちには弟のように可愛がられて、数十年もの間、「ヨウ(洋)チャン。ヨウ(洋)チャン。」と声を懸けられ、たびたび「角打ち」に誘って呉れました。
お互いが年齢、職業を超えて議論する構図は、丸山真男が晩年に勧めていた、あの「対話」方式と期せずして同じでした。
「皆さん、横につきあってください。残念ながら、個人の知性がこれだけ高いにもかかわらず、少なくも私の知っている外国人、西欧人だけじゃなくて、アジアの人々と比べても、なにか日本はおかしいところがある。教育の問題とか、いろいろあると思いますが、もう一度申しますけれど、皆さん、どうか、横につきあっていただきたいと。みんなじゃなくていいです。違った職場の方。もったいないです。日本のためにはたいへんな損失です。」(丸山)
酒を酌み交わしながら論じたテーマも内容もその時々でまちまちでしたが、「対話」の質は高かった。今にして思えば、全部を録音して残して置きたかったと思います。
古波倉先生は、赤坂見附に事務所を構えていたのですが、僕の妻慶子を事務員に雇って呉れて、僕も再々訪れては女房をヌキにして、近所の飲み屋で一杯ご馳走になり、侃侃諤諤の教えを請いました。
その敬愛する古波倉大先輩から、こんな率直な批評をもらえる僕は、なんと幸せなことかと、あらためて喜びを噛み締めている次第です。
さすが有能な弁護士。僕のあいまいな誤魔化し文章を鋭く見抜いて、素直な批評を下さいました。
この忠告に従って書き直したのが、この第二部第1編と第2編です。
彼の厳しい目をパスするかどうか、まったく自信はありませんが。
@時代が抱えている深刻な危機
僕たちが「今の時代」を考えるとき、「今とはどんな時代か?」を。最初に考えなければなりません。
僕たち「新憲法世代」と、いまの「若者たちの世代」が抱える時代の課題の決定的な違いは、生きる時代のグローバル性ということでしょう。
抱えている問題も解決の方法も、国際的、いやむしろ人類的観点からしか捉えられないほど歴史は進んで、深刻で、深く、多岐に渡っています。
それをどう絞り込んで考えるか?
いま私たちの人類社会は、その存亡にかかわる「三つの危機」に直面しています。
1.核拡散による人類滅亡の危機
2.地球温暖化による環境破壊の危機
3.カジノ資本主義による世界経済崩壊の危機
この「人類的危機」について学んだのは、日本反核弁護士協会の会長池田真規弁護士との対話からです。
池田先生は既に80歳を越えておられますが、矍鑠とされて居られ、僕が昨年12月の寒い日、四ツ谷の事務所を訪問したのが午後の四時、それから始まった対話は、延々と食事ヌキで6時間。夜の10時過ぎに事務所から四ッ谷駅までの道すがらも「対話」「対話」。そしてプラットホームで右に左にと、お別れを惜しまなければなりませんでした。
先生のお話の中で最も印象に残ったのは、原爆被害者に対する深い尊敬と、痛みを共にした深い愛情です。「弁護士魂の精粋」を観ました。
「反核国際弁護士協会」のホームページから、今年1月、コスタリカのサンホセで開催された「核廃絶と平和のための国際セミナー」での池田先生のあいさつから、一文を紹介させて頂きます。
『一瞬にして数十万人を殺した原爆地獄から奇跡的に生き残った被爆者たちもその後の人生は、死を迎えるその日まで原爆の傷跡に苦しみ続けてきました。被爆者らは、原爆は「人間らしく生きることも、人間らしく死ぬことも許さない悪魔の兵器だ」といいます。原爆地獄を体験した被爆者たちは「二度と原爆を使わないで欲しい、アメリカは原爆を使った罪を認めて謝罪して欲しい、謝罪の証しとして核兵器を捨てて欲しい」と叫び続けてきました。原爆被爆者は、人類の核戦争による自滅の危険を、学者の理論や政治家の主義ではなくて、自らの原爆地獄の体験によって語ることのできる、かけがえのない人たちです。だから私は、原爆被爆者は、人類にとって大事な宝のような存在であり、核時代における預言者だと思います。人類が原爆被爆者の声に耳を傾けないで、広島と長崎の原爆の悲劇を忘れたならば、人は間違いなく核戦争で自滅するのです。このような意味で原爆被爆者は常に、地球上から核兵器をなくすための運
動のシンボルであり原点に立っているのです。』
http://www.hankaku-j.org/data/ialana/001.html
さて、この三つに危機を、どう克服するか?
僕が危機を乗り越える糸口だと考えているのは、
1.「核戦争の危機」ついては、一番危険なのはイランでなく、実はイスラエルの好戦的動向。そしてそれを支援するアメリカの軍産共同体。世界の期待を担っているオバマは、この二つからの圧力を跳ね返して「核兵器廃絶」を達成できるかどうか?
2.「環境破壊の問題」については、世界的な絶対不足を生じようとしている深刻な食料生産を背景に、世界中の飢えと飽食の格差を解決する方策は、どうあるべきか?日本の食料問題はいかにあるべきか?
3.「世界経済の崩壊」については、新経済主義から脱皮するために、人間の平等を志向する社会主義社会への展望をどう構築できるか?
いずれも能力に余る難問を抱え込んでいるのですが、ぜひみなさん一緒に考えてくれませんか?
いずれにしろ危機を乗り越えるには「人間の知恵と力の結集」しかありません。
それぞれの危機を根本的に克服するには、今後数世紀もかかる人類的な挑戦が必要でしょう。しかし危機の側からは進行を待ってはくれません。否が応でも君たちの世代が先頭に立って、この克服に挑戦しなければなりません。避けて生きることは絶対出来ないはずです。
君たちひとり一人が、どんな勉強をしようと、どんな職業を選ぼうと、この三つに危機を頭に置いて、人生に挑戦して貰いたい。つまり未来は君たちひとり一人の「生きざま」そのものに、懸かっているのだと思うのです。
さてどう生きるべきか。
「新憲法世代」の一老人の失敗の経験と、遣り残した課題を重ねあわせながら、一緒に考えてみて下さい。
A世界に誇れる、真の「文化国家」日本を
先輩たち「敗戦世代」と僕たち「新憲法世代」が、廃墟の中で誓ったのは、戦争と完全におさらばして、世界に誇る「文化国家」日本を建設することでした。
しかし現在の日本は、僕たちが夢に描いた「文化国家」とは、はるかに遠い処に居ます。「経済大国日本」の陰に、「軍事」「貧困」「失業」「差別」「低福祉」「軍事」など等。オマケに「姥捨て山」まで用意される「反文化国家」。これが日本の姿です。
こんなに「負罪」を溜め込んだままでは、死ぬにも死にきれません。何とかしたいのですが、それぞれの分野に高い知的水準が要求され、その水準も、もの凄い勢いで進歩し拡がっています。残念ながら僕たち老人は、精神的、体力的にも限界に来ていて、わずかのことしか出来ません。
君たち若い世代に期待するしかありません。
君たち若者には、「自分のやりたいことに力一杯挑戦できる」特権が在ります。
自分の人生は自分のものですから、どう生きようと君の勝手です。
誰でも自分がやりたくもないことに、真剣になれるはずがない。
生涯を貫く仕事を見つけたいと思うなら、「今の時代」をしっかり掴むこと。そして何よりも自分の好きなことに徹底的にこだわりなさい。親の意見は聞くべきだけれども、決めるのは君です。君が好きな道を選んで下さい。
僕が炭鉱労働者として生きる道を選ぼうとした時、僕の親父は「お前の人生だからどう生きようとお前の勝手。ただ将来を悔いないように生きるためには、もう少し勉強してからの選択でも良いのではないか」と忠告してくれました。
この忠告が無かったら、僕の選択はもっと違った方向に向かって、それで満足できる人生を送れたかどうか、まったく自信がありません。
この僕のオヤジの忠告を、そっくりそのまま君たちに贈る言葉とします。
ぜひ生涯を懸けて学ぶべき課題を一日も早く見つけて、真剣に挑戦して下さい。
国家には個人の学習を支える義務が在ります。
ところがそれを国民ひとり一人の自己責任にしてしまって、憲法25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する義務を放棄しているのが日本政府です。「健康」も「文化」も大事ですから、老いた老人としては、「健康」に就いても言いたいことが山ほどあるのですが、ここで僕は、若者から「文化」をも奪う処まで追い詰めてきている政治の貧困に、憤りをぶつけることからはじめたいと思います。
日本は世界一高い学費の国です。
子育て世帯についての実態調査(国民生活金融公庫)によれば、高校入学から大学卒業までにかかる費用は一人平均1045万円、わが子のための教育費は年収の34%に達しています。
日本は教育分野においてその水準はとも角、新自由主義政策への従順度では、世界一の優等生だと想います。教育の機会を平等に与えるのでなく、世界一高い学費を入学の関門にした、階級的選別を黙って許しているのですから。
新経済主義の弊害と先駆的に闘っている中南米では、キューバにしろ、ヴェネゼーラにしろ、コスタリカにしろ、大学までの学費はタダです。医療費と共に。
「貧しい国」の人たちが、貧しい国の予算の中から工面して、大学まで学費をタダにして、教育・文化を大切に守っているのに、「富んだ国」日本が世界一学費の高い国とは、どう考えてもおかしい。
日本もあの敗戦の戦禍と貧困から立ち上がるときに、「文化国家」としての再建を目標にしたのだから、憲法25条に基づいて、すべての学費を無料にすべきだったのです。そうすれば、世界第5位の軍事国家などなるはずも無かった。この責任は僕たち古い世代にあります。今からでも遅くは在りません。誰でも大学までタダで進学できる教育環境の水準を引き上げて、真に世界に誇る「文化国家」を建設すべきです。
国際人権規約(1966年に国連総会で採択)は、「高校や大学の教育を段階的に無償にする」と定めております。欧米のほとんどの国では高校の学費はなく、大学も多くの国で学費を徴収していません。しかし世界第二位の経済を誇る日本政府は、この条項について「留保」したままです。無償化条項を留保している国は、条約加盟国157カ国中、日本とマダガスカル、ルワンダの3カ国だけです(2008年2月現在:赤旗記事)。
これでは世界に誇る「文化国家」など言えた柄では在りません。
みなさん。この文化に対する新自由主義攻撃と闘って下さい。
すべての若者には大学に進学して、自分の好きな学問を学ぶ権利があり、国は小学校から大学まですべての学費をタダにして、それを完全に保障する義務がある。
これが文化国家日本の「最低限度の生活」ということではありませんか?
日本が「文化国家」として世界に誇る水準にあると言うことは、人類が存亡を賭けている「三つの危機」に、正面から立ち向かう勇気と気概のある若者たちが、どれだけ育つかに懸かっています。
そのための国家の教育予算を増やすこと。教育水準を上げること、これこそ「文化国家」日本が、いま取り組まなければならない大事な義務だと思います。
学校には行くことの出来ない貧しい仲間たちためにも、学問に参加できる希望を取り戻すために、みんなで一緒になって闘って下さい。
もし僕がいまの若者なら、全国の仲間に「軍事費を廃止して教育費をタダに」のゼネストを呼びかけたいですね。
ここまで書いて。今日(09.0225)、ラジオで東大や京大などいくつかの国立大学が、親の収入が一定以下の場合に、学費を無料にするというニュースを聞きました。正確に掴んだわけでは在りませんが、もしこれが本当だとしたら、時代はその方向に動いているということですから、「最低限度の教育」要求の声を、もっと大きく上げていきましょう。
B「古い世代」を批判して学べ
僕の地元千葉県柏市には、いま「かしわ青年9条の会」を立ち上げようと奮闘している素晴らしい若い仲間たちがいます。その代表の一人であるY.A.嬢に、若者の雇用の不安定、低賃金、派遣労働者の時間帯の違いの中で、会議の日程を合わせることさえも困難で、何かやろうとしても出来ないなど深刻な悩みを聞かされ、僕のような「貧しいけれども毎日が日曜日の年金生活者」とはまったく違った悩みをきかせてもらったのですが、その話の中で、彼女は『「九条の会」には40才前後の人たちの結集が極端に少ないと思いませんか?』と厳しい問題を指摘されました。
「40才前後」とは、どういう時代だったのでしょうか?
まさにそれは「バブル時代」です。
「バブル世代」の生き方に、疑問を投げかける彼女たち「若い世代」にこそ、日本の未来を託すことが出来、展望が開けるとそのとき確信しました。
僕は「バブル世代」は、戦後世代の歴史の中で、新自由主義文化に洗脳されたマイナーな世代と考えているのです。もっともそれをとっくに克服した優秀なこの世代の人たちも、大勢居られるのでしょうが。
「世代」とは、彼らが青春の中で、その時代の主要な政治、経済、世相の潮流に、どう対峙したかによって決まる意識の共通体だと思います。
神武景気が1955〜57年、岩戸景気が1960〜63年、いざなぎ景気が1966〜70年、それからバブル景気の絶頂期の1989年まで日本の経済は、総じて「うなぎ登り」。
世界が羨む経済成長を築いたのは、世界の高い水準の成果を、日本人の繊細な感性と結びつけ改良に改良を重ねてきた、日本人の労働に対するひたむきな努力でした。
それが「バブル時代」に来て、価値観に異変が生じます。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の言葉に酔って、何処までも続く幻想に踊らせられた時代。株投機、土地投機、ゴルフ、マージャン、パチンコ、競馬、競艇、飽食、ディスコ、ブランド嗜好(衣服・装飾品)etc.カジノ資本主義万歳!
「バブル世代」には、仕事の厳しさを紛らわし発散させる世相と、厳しい仕事からの「逃げ場」がありました。しかしそれが歴史をしっかり観る眼を失しなわせました。
1991年12月30日にはソ連邦が崩壊し、アメリカの世界単独支配が築かれるなかで、資本主義万能論で、「アメリカ万歳」の生活スタイルが拡がり、カジノ資本主義文化が蔓延した日本、その世相に不安も疑問も持ち得なかった世代。ホリエモン神話に酔った「アメリカンドリーム」を追いかける生活スタイルが追い求められた時代。
その絶頂期に青春を迎えたのが、いまの40才から50才の「バブル世代」で、日本の進路に何の不安もなかった時代なのですから、現状に対して、信頼こそあれ不安はありません。
その幸せ世代にも来襲した突然のバブル崩壊。
長い不況の中で、今までと違った生活の不安が襲いかかり、バルブ崩壊後の経済のキメ手に、「郵政民営化」という「ニセ構造改革」を派手にぶち上げた「小泉旋風」に、夢よもう一度とわけもなく煽られて、自民党に投票し、貧富の差を拡大する新自由主義の路線を選択して、寸部の間にそれが崩壊したという事実は、哀しいことですが否めない。そのツケと責任が、いま根本的に問われているのです。
この世代の人たちは日本の歴史上経済的では最も恵まれた青春時代を過ごして、他のどの世代の人たちよりも楽しんできただろうとは思うのです。
戦後の歴史上、この世代ほど、現状肯定の世代はなかったのではないか。
それだけに「三つ危機」は、彼らに他の世代とは違った重たい自己変革を迫るのではないでしょうか。
彼等が踊った小泉時代こそ、対米従属を深め、新自由主義に毒され、日中関係に深い汚点を残した罪を、歴史上問われ続ける内閣だと思います。
その内閣成立に図らずも加担してしまった「バブルル世代」の人たちに、あえて聞きたい。
「あなたちの世代の生きがいとは何だったのですか?」
「まだあの生きざまを恥ずかしいと思わないのですか?」
「次の世代にどんな誇りを引き継ぐのですか?」
と問うて観たい。
時代への抵抗感覚を失った「若もの世代」が、どんな罪を犯すことになるのか。
「バブル世代」は、その後の若い世代が反面教師として学ぶ貴重な世代経験です。
新自由主義は経済的に克服されなければなりませんが、同時に新自由主義的文化も変革されなければならない。ホリエモン的金もうけ立身出世主義が、トコトン軽蔑される文化を、一日も早く築こうではありませんか。
C古い世代に共通する「反共主義」の弱点を克服する
その時代を特徴づける主要な時代潮流に対峙する青春の「生きざま」が、世代を特徴付けると申しました。
僕は戦後の世代交代を、次のように特徴付けています
「戦中世代」「敗戦世代」「新憲法世代」「安保闘争世代」「「ヴェトナム反戦世代」「大学紛争世代」「バブル世代」そして君たちの「若い世代」。
その区分けや名称が正しいかどうかは大いに異論のある処でしょうが、その正否はともかく、時代潮流の「正負」を敏感に感じ取る若者の感性に乗って、戦後の青春が、それぞれの時代の潮流に真面目に対決し悩んで出来た構図は、これで良く観えてくるのではないでしょうか?
ここから観えて来るのは、迷路に迷い込んだ「バブル時代」を除いて、社会の反動的潮流に対決し、歴史を前向きに勧めようと苦闘した、貧しくとも真面目でエネルギッシュな若者たちの姿です。日本の素晴らしい未来は、この延長線上にこそ築くことが出来ると確信するのです。
若者が時代への抵抗感覚を忘れたトタンに、悪魔は爪を研ぎ伸ばします。
バブルに酔って小泉チルドレンと騒ぎ立て踊り騒いでいるその瞬間、「九条改憲」の策謀がこのときとばかり策動を始めた事実は、それを典型的に物語っています。
若者の闘いこそは、時代を逆戻りさせない最大の防波堤なのです。
しかし残念ながらそれぞれの世代のエネルギッシュな闘いも、結果として日本の恒久的な平和と民主主義を確立するには至らなかった。
「バブル世代」が踊らされたように、体制側の巧妙な策略が在ったからには違い有りませんが、世代と世代を貫く一本の骨格を貫き通せなかった。
その骨格とは何か?「民主主義の徹底した成熟」です。
アメリカ=民主主義の幻想があって、ソ連崩壊で共産主義は滅んだという「反共」に洗脳されたこと。
歴史はいま資本主義の存亡が問われ、逆に社会主義への期待が高まっています。
しかしこの数十年の間、逆説的な言い方ですが「反共」こそが「正義」でした。
「反共」攻撃を許すことが、民主主義の破壊に必ず結果するという原則的認識が希釈だったと思います。「反共」とは真理を構成する原理の半分を、思考の外にブン投げて放棄するということです。片方の頭でしかものを考えないということです。
こんな姿勢からは、未来を正しく展望することなど出来るはずがない。
そればかりか、あのナチス時代を許してしまった、真摯な宗教者の痛恨の言葉を忘れることは出来ません。マルチン・ニーメラン牧師の、有名な告白の言葉です。
「ナチスが共産主義者を弾圧したとき、私は不安に駆られたが自分は共産主義者ではなかったので、何の行動も起こさなかった。その次にナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、社会主義者ではないので何の抗議もしなかった。それから学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、その度に不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。私は牧師だったから行動に立ち上がったが、もうその時にはすべてがあまりに遅すぎた。」
いまこそこの地の底から悶えるような叫びを、日本の民主主義の基底にしっかりと刻まなければなりません。
そして忘れることの出来ない犠牲の上に人類が学んだ基底から一歩足りとも後退しない決意を新たにしようではありませんか。
D挫折した「戦後民主主義的市民革命」を復権しよう
「九条の会」は、最初は「あれは共産党系だ」と言われながらも、全国に8000近い組織を広げて、改憲派の代表的なメディアだった読売新聞の世論調査でさえも、「九条派」が二割から六割以上に伸びてきたという数字を揚げざるを得ないところまで、「改憲派」を追い詰めて来ました。
この実績は「九条の会」が反共を許さず「九条を守る」という一点で団結して、自由に討論し、人間としての信頼を深めたからだと思います。
これはアメリカの干渉で一度挫折した新憲法体制がようやく復権して、「市民社会」の成熟による「戦後民主主義的市民革命」の基盤が固まったという評価に値すると思います。
いま「戦後民主主義の旗手」と言われた丸山真男が生きていたら、彼の理想とした社会実現のための理論化に参加して、この先頭に立って闘いくれたに違いないと残念な想いでいるのは、私だけではないと思います。日本共産党の丸山批判が何だったのか?それもまた「反共」主義と同じレベルで、「戦後民主主義革命」の深化のために、今後どこかで議論されるべきだと思います。
国民の世論の積み重ねが直接政治を動かすことを実績で示した「戦後民主主義的市民革命」のこの運動スタイルの確立は、「憲法九条」を守る運動の直接の成果に負けないほど意義があると思いますし、高く評価されるべきことだと考えます。
あなた方「若い世代」は、まずこの基盤から出発して、この「古い世代」が抱えて来た「反共」体質の弱点を変えるべく、広く日本社会の中の隅々にまで拡げて行かなければなりません。過去の世代間では、そこを乗り越えようとしても、過去の怨念に取り付かれていて、なかなか困難ですが、あなた方「若い世代」はそれが出来るはずです。
日本共産党も過去には幾つかの運動上の誤りを冒しました。
日本共産党の方針に対して、常に厳しい批判の眼をもち、注文を付ける自由があるのは当然です。
運動が生き物である以上、あやまりは避けられません。実践の中で、そこを厳しく見つめながら、相互批判と自己批判を繰り返す中で真理に到達するしかありません。そうしなければ共産党員たちの質も上がりません。
「すべてを疑ってかかれ」は、マルクス自身の言葉なのですから。
「反共に反対する」と言うことと、「共産党を批判しない」ということはイコールではありません。反共に反対することを許さない立場は、同時に共産主義を批判する権利も守るということです。
あのボルテールの有名な言葉、「君の意見には賛成できないが、君が意見を述べる権利は、死んでも守る。」を、決して忘れることができません。
すべてを偏見無く観て、自分の目で批判的にものを考えて、意見を堂々と述べて注文を付ける。
いまの政治情勢の中で、日本共産党を除外して、未来の展望を切り開くことは不可能だと思いはじめている人たちがどんどん増えているだけに、注文も厳しく多くなることは当たり前のことです。
いま日本が抱えている諸課題は、若者の問題、教育の問題、暮らしの問題、失業の問題、不正規雇用の問題、中小零細企業の問題、高齢者の問題、生活保護の問題、医療の問題、学校の問題、農業の問題。そしてアメリカの軍事基地撤廃の問題、新自由主義の金持ち優先主義からの転換の問題。etc.
日本共産党党員はそれぞれの問題に対して懸命に闘っている。社会民主党の党員たちも、「平和・自由・平等・共生」を理念としてこれらの問題に積極果敢に闘っています。その他の「九条派」といわれる政党党派の真面目な努力にもかかわらず、国民の変革の期待に応える結果を生むには至っていない。
今日(09.02.10.)の朝日新聞の世論調査は、麻生内閣の支持率が14%に下落し不支持率が72%に達したと報じています。麻生支持率の凋落は予想される当然のことで、さほど驚くに値しません。それよりも僕にとってショックだったのは、各党に対する政党支持率です。
自民22%・民主42%に対し、共産3%・社民1%という「憲法派」の低迷ぶりには驚かされました。
麻生首相は、選挙で決め手となると言われている景気対策を画策して一日でも解散を延ばしにしているのですが、その陳腐な景気対策に呆れる国民感情を背景にして、民主党が44%を獲得しているのです。しかし小澤民主党は、「集団安全保障」の道を選ぶことで、アメリカと一体になった海外出兵の危険な「国際貢献」路線を進もうとしていることは明らかです。新駐日大使ジョセフ・ナイとの符合を危惧します(後述)。
何よりもなぜ共産党と社民党が、票を伸ばせないのか?
国民はどちらかの党が今度の選挙に勝利して政権党なることを、望んでもなれないことは百も承知です。しかしもし両党が選挙協定をして一致して闘えば、情勢を大きく変えられる希望に誰も疑いを持っていない。
問題はなぜ選挙協定が出来ないか?
浅井基文さんは、2007年5月3日の憲法記念日に、日比谷公会堂で行われた講演会で、共産党の志位委員長と、社民党の福島党首との同席上で、次のような発言をされています。
「私は、今日のこの機会に、共産党の志位委員長と社民党の福島党首に、心からお願いしたいことがあります。憲法改悪を阻止する潜在的なエネルギーを結集するためには、両党が小異を残して大同につかなければ、展望は出てきません。しかし、私が各地に窺ってしばしば経験するのは、第一線における両党の党員・支持者の間の溝の深さであり、歴史的に積み重なってきた相互不信の根強さです。自民党と民主党を中心とし、改憲派を糾合する政界再編はいずれ避けられないでしょう。そういう大状況を前にしてもなお、共産党と社民党が改憲阻止で手を結ぶことができないと言うのであれば、両党の国民に対する政治的責任は極めて重い、と申し上げないわけにはいきません」
「小異を残して大同につく」僕もこの意見に大賛成です。
「大同につく」ためには、どうすればよいのか。
その処方箋を見つけることこそ、全国民の緊急の課題です。
僕が困難に出会ったときの、個人的な問題解決のための処方箋は、迷ったときには身近なことはすべてカッコに入れて保留にして、より遠くを眺めて、納得できる「星」を見つけること。その「星」を見つけたら、それを不動の座標軸にして、フィードバックしながら、現実の問題解決にクロスして一つ一つカッコを外して考えること。
それは第一部で述べた通りで、さまざまな分野で失敗を繰り返してきた僕がたどり着いた「経験の叡智」と、ちょっぴり誇っているものなのですが、この国民的課題についても、一市民としての責任全うする立場から、僕はこの「経験の叡智」を適用しながら考えるしか、僕にはほかに方法が無い。
日本国民と政党政派が「小異」をとりあえず全部「カッコ」に入れて、思い切って思考のチャンネルを切り替えて、できるだけ遠くの天空を駆け巡りながら「大同」して一致できる「星」を求めて、これだという「星」を見つけだすことです。そしてその「星」に至る道を座標軸にして、その後は「小異」をポケットからひとつずつ出しながら、各党各派で相互に調整する。
その「星」が「永世中立宣言」であり、これを座標軸にして、日本の未来を考え創ることだと思うのですが、如何でしょうか?
このことについては第2編で考えてみたいと思います。
ここでもう一度「若い世代」にお願いしたいのは、「古い世代」の乗り越えられない古い対立を、若者らしく遠くの「星」の夢を描いて、自分たちにしか出来ない新しい政治のパラダイムを、「憲法派」の各党各派に提起し要求する。そしてその先頭に立って闘ってもらいたいと願望するものです。
そして挫折した「戦後民主主義市民革命」を完成して欲しいのです。
E世界各国に九条に基づく全方位の「国際貢献」を
その時代を主導的に特徴付ける潮流に、青春をどうぶつけて生きたか。それが世代を形成するのだと申しました。つまり「世代は創るもの」でもあります。
青年ほど時代の潮流に敏感で、既成の価値観に拘らずに体ごとぶつかって、仲間と一緒に立ち向かうことの出来る世代はないのですから。
歴史の大転換期に直面した多難な世代であるからこそ、時代を切り開く世代を創る立場で、時流が良く観え、展望も大きく開けるのでは有りませんか。
とくにいまの君たち若い世代が取巻かれている状況は、古い世代と比べて、「グローバル世界」の拡がりが深く進行して、自分が生きていく設計の上で、国際的条件を無視しては、何も出来ない処にまで来ているということです。
いま君たちが向き合っている「三つの危機」核戦争の危機、環境破壊の危機、新自由主義的資本主義の危機に対決する具体的な処方箋を考えるにも、日本一国の問題としては何も解決出来ません。そのためには、国家の枠を超えた「国際貢献」と言う問題意識で、世界各国の協力を前提にして、日本に何が出来るかを問い直さなければならないと考えることが非常に重要だと思います。
とくに、今注目すべきは、「非同盟諸国会議」の広がりと、「アジアの東南アジア友好協力条約(TAC)」です。
いずれも「バンドン10原則」が原点となって、軍事ブロックの解体、平和共存の達成、民族自決権が、各国の連帯の基礎になっている。
「非同盟諸国会議」には、116カ国、30億人、世界人口の46%が結集し、TACには25カ国、37億人、世界人口の57%が結集している。http://www.japan-aala.org/legacy/nammember.htm#member
http://homepage2.nifty.com/osakaaala/sab6worldat1sekaijyousei1.htm
注目すべきはこのいずれにも、世界を単独支配しようとするアメリカは参加せず、「非同盟中立主義」を掲げ、何かにつけアジアの台風の目にされる朝鮮が、メンバーとして正式に参加していることです。
両国際組織とも、日本が「日米安保条約」から脱して「永世中立宣言」国家(第2編で詳細)として、世界中の国と戦争をしない立場を鮮明にすれば、朝鮮の反日感情にも影響を与え、アジアのそして世界の平和と安全保障に大きく貢献できると考えます。
日本の外交政策の根本的転換は、この世界の二つの「磁場」に結集した、世界各国人民の共通の願いでもあり、一方的に「永世中立宣言」の旗を揚げさえすれば、一挙に支援の輪が拡がって、日本の未来は、前途洋々としているのです。
かくしてこそ日本の「国際貢献」に対する各国の期待と支持が広がって、君たち若い世代の人生は、この闘いの中でこそ生きがいを感じ、歓びを設計できるのだと思います。
世界各地にメルトモを持っている人が沢山いるでしょう。海外で活動されている仲間も大勢いると思います。
こんな素晴らしい国際環境でのびのびと活動ができるチャンスに恵まれている君たち若い世代が、羨ましくてしかたが在りません。
ぜひそれぞれの立場で外国人との友情を深め、「国際貢献」して頂きたいのですが、この「国際貢献」に、日本人にとって大きな「落とし穴」があるように思えてならないのです。
日本が戦後アメリカの占領下にスタートして既に60余年、この間に日本人にとっての「国際貢献」とは、アメリカに対する貢献を第一に優先的に考える国際化思考が最も正しい選択で在るとされてきたこと。その考え方が習性にさえなっていると言えるというゆゆしき問題です。
ブッシュ政権の8年間対応した政府首相は、森、小泉、安倍.福田、麻生と、五代の政権交代が在ったわけですが、そのいずれもがアメリカとの関係を最優先し、ブッシュの言いなりになるばかりか、九条を無視して、アメリカへの軍事的経済的従属度を深め続けている。
すでに役割を終えたブッシュ自身がイラク問題ついて「在職していたすべての期間中の最大の痛恨事」と悔やんでいるにも拘わらず、日本の歴代首相は、アメリカと一緒にはじめたイギリスが誤りを認めて退陣した後も、世界で唯一の支援を続け、麻生内閣に到まで、「あれは正しかった」と、一人も反省の色も見せていない。
この自民党的「国際貢献」の路線が、もはや国際的に通用しないという認識が何よりも大事なのではないでしょうか。
君たちが選ばなければならない道は、アメリカ一辺倒の「国際貢献」から脱して、自主独立の国として、世界各国に対して全方位の平和の「国際貢献」が出来る日本への道でなければなりません。
F アジアを磁場に置いて考えることの重要性
戦後60数年、日本は深くアメリカ支配の下にあり、その影響力は政治・軍事・経済・文化と大きく、世界といえばアメリカ中心にしか考えられない政治家や経済人が、日本の国政を主導してきました。これは大変不幸なことです。
しかしそのアメリカが、いまや単独一国支配の国際的地位を追われて、世界の多極化が常態になろうとしています。
地球はアメリカ中心には回らなくなったことを、肝に銘じて欲しい。これこそ21世紀が達成しえた画期的な潮流変化です。
半世紀以上のアメリカ支配からの脱皮は、簡単なことでは出来ないと思います。
先ずは政治的にアメリカ離れをしなければなりません。そして自主独立の立場に立って、アメリカとの間に対等な立場で、真の「日米友好協約」を結ばなければなりません。そして広大なアジア地域の平和地帯構築に貢献しなければなりません。
全方位の「国際貢献」で、EU、中南米、アフリカ諸国などとの積極的な政治、経済、文化の交流が求められます。
しかし何よりも日本は「北東アジア」の一国です。日・中・韓・朝は、国の境界がなかった何万年も前から、同じ人種・同じ地域の同一居住民です。目前に「東アジア共同体」の誕生が産声を揚げようとしているこのチャンスに、「北東アジアは一つ」の原点に立ち戻って、そこを出発点として政治、経済、文化を考え直さなければなりません。
「東アジア共同体」が、ASEAN+日中韓と言われるように、現状での問題点は、+日中韓と呼ばれなければならない三国のそれぞれに在ると思うのです。2004年、この共同体が浮上した時、アメリカの元国務長官パウエルは、露骨に三国に対し、各国が統一してASEANに結びつくことに反対し、それぞれが別個に結びつくべきだと干渉しました。
中国と対決する安全保障上の立場からは、いかに中国の日・韓に対する影響力を抑えるかが彼の発言になったのでしょうが、ASEANの基本条約である東南アジア友好協力条約(TAC友好協力条約)は、国際連合憲章の諸原則、バンドン会議の平和10原則、東南アジア諸国連合設立宣言などを再確認し、主権・領土の相互保全、内政不干渉、紛争の平和的解決と武力行使の放棄など、東南アジア地域の平和、安定、協力の諸原則を明記して、政治的立場を鮮明にし、アジア地域の中心的な核になろうとしています。
このTACこそ、三国が生きて行くアジアの「政治的フレーム」です。
そのTACには朝鮮も加盟していて、現在のこのTACに調印している国は、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、ブルネイ、ヴェトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー(以上、ASEAN加盟国)、東ティモール、パプアニューギニア、オーストラリア、ニュージーランド、日本、中国、韓国、朝鮮、ロシア、モンゴル、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、フランス。
加盟国は25ヵ国・37億人・地球人口の57%という巨大な共同体です。
このアジア共同体の中で活動する日本こそ、未来の日本の姿です。
ところが「北東アジア」の実体はこの流れに立ち遅れて、「プラス三国」としか言いようのない不統一の状況です。「六ヶ国協議」がそのための枠造りのように言われていますが、現状ではこれも硬直化しています。
これにはアメリカの対アジア政策が深く影響していますが、それに追随した日本の政治姿勢にも、大きな責任があります。これを克服するためには、政府に任して置けば解決できるというものではありません。
朝鮮を含めて四国の政府がどう変わろうとも、日・中・韓・朝の市民レベル、NGOレベルの友好と連帯をしっかりと築いてさえ置けば、それが理想の共同体の揺るがぬ地盤になるのです。その方向はTACが明確に示しています。
その受け皿に向かって、各国がそれぞれの立場で努力することです。
四国の市民レベルの友好と連帯を築く上で、何がガンになっているか?
侵略され支配された「虐げられた側」から観える日本は、「九条の衣をまとい、アメレカに従属した軍事大国」です。その実態を認め許している日本人です。
「貴方の国を二度と再び侵略しない」という立場を、対外的に鮮明にする「永世中立宣言」がどうしても必要です。
第二部 第1編 了