K・ウォルフレン『日本の権力の謎』は掘り出し物だった。紀伊国屋書店でみつけ、英書購読を兼ねて学生ゼミのテキストにした。そしたらアメリカで話題になり、その日本語訳はベストセラーになった。ここに収録するのは、日本語訳が出る前に、当時担当していたNHK国際放送ラジオ・ジャパンのニュース解説のために準備したものである。テレビと違ってラジオなら原稿を準備して朗読することができた。それを1990年に加藤『社会主義の危機と民主主義の再生――現代日本で市民であること』に収録するさい、後半部分を書き足した。その後ご本人とシンポジウムで同席することもあった。ここで論じたアメリカのジャパン・バッシングは、パッシングを経てナッシングになりつつあるが、ウォルフレンの『エニグマ』自身は、今では文庫版になって学生用のいい教材になっている。(1997・10)


『日本の権力の謎』と日本の市民革命

 

  1 ウォルフレン『日本の権力の謎』をめぐって

 

 日米経済摩擦の激化と「日本異質論」の台頭

 1989年9月末に、ソニーによるコロンビア映画の買収が発表されると、アメリカの対日論調は、一斉に反発を示しました。アメリカの週刊誌『ニューズウイーク』は、コロンビア映画のシンボルである自由の女神像に着物を着せた写真を表紙にかかげ、日本人はついに、証券や不動産ばかりでなく、アメリカ文化をも買占めはじめた、と特集をくみました。『タイム』誌も、同様な論調で、大きく報じました。

 日本とアメリカとの貿易摩擦が、為替調整や構造協議を繰り返してもいっこうに改善されないなかで、「日本は市場メカニズムが働かない社会だ」「日本側といくら交渉してもラチがあかないから、通商法スーパー301条を適用してアメリカ市場からしめだすほかない」といった議論が、公然と主張されています。

 こうした論調の、理論的ベースになっているのが、「日本異質論」とか「修正主義(Revisionism)」とよばれる、海外の日本研究の新たな流れです。

 「レヴィジョニズム=修正主義」というと、まるでマルクス主義のレッテルみたいですが、それとは全く関係ありません。従来の通説を修正するという意味です。ここでとりあげる、カルル・フォン・ウォルフレンの著作『日本の権力の謎(The Enigma of Japanese Power)』(マクミラン社、1989年)は、その代表的な作品です。

 「菊グループ」対「タカ派」

 ソニーのコロンビア映画買収を特集した『ニューズウイーク』1989年10月12日号によると、「ソ連の軍事的脅威」よりも「日本の経済的脅威」をおそれるアメリカの支配的論調のなかで、「ジャパン・プロブレン(日本問題)」をめぐり、二つの流れが真っ向から対立しているそうです。

 一方には、日本との戦略的同盟関係を重視する伝統的流れがあります。政界では、マイク・マンスフィールド前駐日大使、ジェームズ・ベーカー国務長官、学会では、アメリカ日本研究の大御所であるエドウイン・ライシャワー教授や、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で知られるエズラ・ヴォーゲル・ハーバード大学教授らが属します。

 他方で、アメリカは日本に対してもっと強硬に出るべきだとする、修正主義者=レビジョニストたちの発言権が増しています。政界では、下院民主党院内総務のリチャード・ゲプハート議員、共和党上院議員でスーパー301条成立の立て役者の一人であるジョン・ダンフォース議員、学会では、『通産省と日本の奇跡』で日本でも知られるチャーマーズ・ジョンソン・カリフォルニア大学教授、マサチューセッツ工科大学のチャールズ・ファーガソン研究員、それに、カーター大統領のスピーチライターを勤め『アトランティック・マンスリー』誌に「日本封じ込め」論を発表したジェームズ・ファローズ、「日本問題」の火付け役となった在日25年のオランダ人ジャーナリスト、ウォルフレンらです。

 『ニューズウイーク』は、前者の知日派を「菊グループ」、後者の「ジャパン・バッシング」グループを「タカ派」と名づけていますが、このタカ派のバイブルともいうべきものが、ウォルフレンが89年はじめに日米同時に英語で出版した『日本の権力の謎』です。日本では、『月間アサヒ』が一部を翻訳紹介し、この秋には全訳がでるそうです。

 『アトランチック・マンスリー』89年5月号に発表され、日本でも『中央公論』89年7月号に紹介されたファローズの衝撃的な提案、かつてソ連の軍事的脅威に「封じ込め」戦略をとったように、日本の経済的脅威を封じ込めなければならないとする論文も、ウォルフレンの著作を各所で引用しています。ファローズの『日本封じ込め』の翻訳は、霞が関や兜町でもベストセラーなようです。

 ウォルフレン『日本の権力の謎』の主張

 それでは、ウォルフレンの主張はどのようなものかと、『日本の権力の謎』をひもといてみると、英語で500頁に及ぶこの大著の内容は、「ジャパン・バッシングのバイブル」というセンセーショナルなイメージほどには、政治的ではありません。意外にまじめな研究書です。もっとも、各章の表題のつけ方は、ジャーナリストらしく、挑発的ですが。

 第1章「日本問題」では、日米交渉などで日本政府代表者が決定権をもたずに交渉にのぞむように見える事態をさして「責任ある中央政府の欠如」とよび、日本経済は「自由市場の虚構」のうえに国家の行政指導にしたがっている、と論じます。問題は、知日派がよくいう「日本文化」にあるのではなく、日本の政治経済の権力体制にある、というのです。

 第2章「つかまえどころのない国家」では、日本の権力の所在が、西欧的意味での民主主義にはほど遠く、一人一票から偏った選挙区制のもとでの自民党一党支配、権威主義的な官僚制、それに経団連に代表される大企業中心の財界の三者にありながら、それらを統合する責任ある政府が存在せず、相互にもたれあっている、ちょうど先端を切り取ったピラミッドのようなものだ、と形容します。

 第3章「のがれようのない抱擁」では、市民運動や圧力団体が十分に機能しない「日本における政治的競争の欠如」を指摘し、それを、農村における自民党と官僚制の農協を補助機関とした支配、職場における左翼的労働運動の抑圧と労使協調型企業別組合をとりこんでの労働者支配と長時間労働、それに、アウトサイダーの排除によるものだとして、一部の日本研究者のいう日本政治が多元主義的民主主義であるという説を退けます。

 以下、第4章「体制の奉公人たち」では、教育システムを「反知性的学校教育」「受験地獄」「規律の強制」ときめつけ、マスメディアの「自主的検閲の伝統」「権力への迎合」を、論じます。

 第5章「行政官たち」では、東京大学法学部出身のインフォーマルな人的ネットワークでかためられた、官僚制と民間機業への天下りや金権政治のしくみに、注目します。

 第6章の「従順な中間階級」は、サラリーマンの企業への忠誠と企業一家主義、下請け・系列の存在を、多くの社歌やエピソードを交えて、これでもかこれでもかとあばきだします。

 第7章「民衆の看護人たち」とは、警察制度のことで、交番・駐在所と戸籍・住民票・町内会などの制度を基礎に、住民同士の相互プライバシー監視が地域にゆきわたり、日本は「フレンドリーな近隣警察国家」だ、といいます。

 第8章は、「統制下にある法秩序」として、そもそも弁護士が少なく、裁判官は注意深く体制に従順な人々のみが選ばれていて、日本では普通の人々が裁判で人権を擁護すること自体がむづかしい、とします。

 第9章「現実性の管理」では、こうした現実が、自民党の「挙党一致」やマスコミのスポンサーつき報道などでおおいかくされ、排外的なナショナリズムと結びつくことが告発されます。

 第10章「文化の外見のなかでの権力」では、いわゆる日本人論・日本文化論のイデオロギーによって政治経済的権力の所在があいまいにされることが、「単一民族の神話」から「生涯を通じての教化」にいたるまで、手厳しく指摘されます。

 第11章「宗教としてのシステム」では、日本には西欧的意味での道徳的倫理的基準となる宗教はないが、会社と地域社会が世俗的宗教の教会としての役割をはたし、日本人であること自体に特別の意味をもたせ、体制と権力を支えているといいます。

 第12章「支配への権利」は、自民党・官僚制・財界エリートたちによる支配の正統性が、「中流意識」の広がりや「脱政治的な政治」により民主主義の問題とならない、日本の未熟さを説きます。

 第13章「儀礼と威嚇」では、日本のいわゆる「和の政治」「合意形成」が、天皇の政治的利用や、無責任で異論をはじめから排除する「稟議制」によりつくられたものだと告発します。

 第14章「一世紀にわたる統制の強化」では、戦前の権力保持者が戦後も支配層の中核に残された連続性を強調します。

 第15章「不死鳥日本」では、「欧米に追いつきおいこせ」と、日本が敗戦から経済復興・高度成長をとげ、官民一体で超経済大国にのしあがるプロセスを、西欧的市場原理とは異質な経済発展の姿として描き出します。

 そして、最後の第16章は、「世界の中の日本にはなったが、世界の日本にはなっていない」として、政治的には自民党一党支配がつづき、経済的には企業は世界一になったのに国民生活はいっこうに豊かにならない矛盾をつき、日米関係では軍事的にも経済的にもアメリカに依存してきたのに、戦略がないままナショナリズムを強めつつある現状が告発されます。

 日本の「市民革命」のよびかけ

 ウォルフレンの500頁にわたる日本の権力構造告発の末尾は、次のような「市民革命」のよびかけで結ばれます。いわく、

 「システムを本当に近代的な立憲制に変え、日本の臣民を市民に変えるというすばらしい選択を実現するためには、正真正銘の革命に近い、権力の再編成が必要とされるであろう」と。

 こうした全体の流れは、どこかで聞いたことのあるものです。そうです。かつて、丸山真男が、日本の戦前ファシズムをさして「無責任の体系」と述べた、あの分析方法で、今日の日本を告発しているのです。

 実は、こうした日本政治認識は、1960年頃までは、日米の政治学者・歴史学者たちに共有されていた考え方でした。日本の官僚支配の強さ、自民党・官僚・財界の結びつきも、「三角同盟」などとよばれて、なじみの深いものでした。アメリカ政府の公式見解でも、1970年代はじめにアメリカ商務省が「日本株式会社」と呼んで市場開放を迫ったころまでは、ウォルフレン流の日本の権力構造理解がありました。

 それが、70年代なかばから、日本も独自ではあるが自由貿易主義に立脚した国ではないか、高度経済成長で日本の文化もアメリカナイズされ対話可能になった、日本政治も日本的にパターン化されてはいるが民主主義国家であることに変わりはない、という論調が広がり、いわゆる日本的経営や日本の教育制度から学ぼうとする風潮が、流行したことさえありました。

 今日の日本異質論の台頭は、実は、こうした欧米の対日協調的論調の10年を経たうえで、やっぱり日本は変わっていないのではないか、もはや対話は不可能だ、というかたちで主張されているところに、問題がはらまれています。また、1970年頃までのアメリカには、日本の「遅れ」を指摘しても、やがては欧米流の民主主義国になるだろうという、自国の世界的位置の安定を背景とした余裕がありましたが、1985年以降の日本異質論台頭には、世界一の借金国に転落して証券や不動産がつぎつぎに日本資本により買い占められているという、あせりと追いつめられた感情が秘められているだけに、深刻なのです。

 学問的にいえば、ウォルフレンの目に映った日本の権力構造は、丸山真男や辻清明により「日本の民主主義のひずみ」として語られてきたものと、大きくは違いません。その意味では、目新しいものではありません。しかしそれが、今日の日米貿易摩擦の深刻な状況のもとで改めて主張され、ワシントンの議会筋や対日交渉担当者たちのあいだのベストセラーとなり、「日本たたき」や「日本封じ込め」のセンセーショナルなバイブルとされているところに、20年前とは異なる、政治的性格があるのです。

 こうした日本観に、日本文化論や日本政治の多元主義化という主張で対抗することは、容易なことではありません。ウォルフレンは、あくまで政治的経済的な権力の所在と、それへの民主主義的統制能力を問題にしているからです。

 日米関係を考えるうえで、おそらく一番必要なことは、日本にも少数者の人権や自由を保障し、野党との政権交代など民主政治の可能性があることを、日本の市民たちが事実により示すことです。ウォルフレン流にいえば、日本にも「臣民」ばかりでなく「市民」がいることを、アメリカ市民や世界の人々に、わかってもらうことです。

 また、いわゆるジャパン・マネーが、アメリカの不動産や企業の買占めに向けられているばかりでなく、日本国内での高物価是正や「兎小屋の働き中毒」解消、国民福祉や外国人労働者の救済、第三世界へのひもつきでない援助にも向けられうることを、説得的に示すことです。

 ウォルフレンの分析の個々の事例に反証を出すことは不可能ではありませんが、ウォルフレンを受け入れる世界の人々の日本観をただし、対話を回復・促進することは、今日、容易なことではないのです。

 

  2 日本における市民革命のイメージ

 

 「臣民」が「市民になる」こと

 ウォルフレンのよびかけを受けて、日本で「臣民」が「市民になる」とはどういうことなのか、イメージをふくらませてみましょう。

 わたしたちはふつう、「臣民」であるとは、意識していません。「市民」であることの自覚も「○○県○○市の住民」という程度で、ふだんはあまり意識しません。

 私たちの日常的生活世界は、家庭を拠点とし、通勤ラッシュにゆられて職場に行き、時には残業までして働き、また家庭に戻ってくる繰り返しです。その間に、家庭には家族との関係がありますし、職場には職場での上司や同僚との関係がありますし、休日には趣味やスポーツでの集まりや、地域での行事もあるでしょう。私たちの生活世界は、家族・職場・地域の空間での人間関係に囲まれ、24時間をそれぞれに使い分けています。

 「市民になる」というのは、これら生活世界の社会関係を、自分自身の意志で制御することです。もっとも、私たちは、生活するために働かなければなりませんし、自分自身がさまざまな社会関係の網の目のなかで生きているのですから、それは、外界から遮断された孤独な生活を意味しません。むしろ、働くこと自体を生活のなかに位置づけ、自分のまわりの社会関係を積極的に創造していくことを意味します。いいかえれば、人権・市民権を、日常生活のなかに、貫いていくことです。

 「市民権」というと、私たちは、通常、国政や自治体の選挙での投票=参政権を考えます。たしかにそれは、市民権の中核的一部で、20世紀民主主義の貴重な獲得成果です。しかし、そうすると、私たちは、何年に一度の選挙の投票の一瞬のみ「市民」なのでしょうか? そうではないはずです。国政や自治体を監視し、必要があれば異議を申し立て、他の人にも働きかけ政治をよくしていく運動も、当然に市民権に含まれます。思想・言論の自由、集会・結社の自由などは、そうした運動の歴史的産物です。

 生活世界の主人公=民主主義的「主権者」になること

 こうした政治参加ばかりが「市民になる」ことではないでしょう。

 家族と団らんをもち、地域隣人と交わり、趣味や読書の時間をもつことも、立派な「市民権」なはずです。「市民になる」ことを「民主主義」と結びつければ、私たちが日々のくらしで主人公になること、私たちの生活世界のすみずみまで「市民主権」を及ぼすことこそ、「市民になる」ことなわけです。

 かつて、19世紀の「市民社会」では、政治参加の要件が「教養と財産をもつ白人男性家長」に限定されていましたが、20世紀の「市民社会」では、普通の労働者や女性やいろいろな人種・民族の人たちをも「市民」に包みこんでいます。

 このことを、「教養と財産を持たない人々が市民になった」としてなげく人々もいます。底辺が広がったことで、一票の重みが相対的に軽くなったことも事実です。

 しかし逆に、「教養と財産を持つこと、だれでもが持てるようになることも市民権だ」と開き直ることも可能です。事実、労働者や女性に市民権が広がってくる過程とは、学校教育がゆきわたり、労働組合が権利を認められ、男女平等や同一労働同一賃金が原理となり、人格的差別が撤回され国民福祉がゆきわたる過程でもありました。

 いわゆる「近代市民革命」は、封建的身分的秩序を崩壊させ、こうした「民主主義=自由・平等・友愛」原理の浸透過程の端緒となりました。19世紀から20世紀の人類の歩みとは、身分から階級へ、階級から階層・年齢・性・人種・民族へ、国内政治ばかりでなく戦争と平和の問題へ、所得の分配から生産過程の労働秩序へ、労働時間の短縮と自由時間の獲得へ、政治ばかりでなく家庭生活・職場社会・地域社会へ、ヨーロッパから非ヨーロッパ地域へと、民主主義の適用領域を広げ、原理的に深化する過程でもありました。さらには人間と自然との共存や、科学技術発展と人間性のあり方へと、エコロジーや遺伝子組替えへも「市民権」が及ぼうとしています。

 いわば、民主主義が、生活世界にまで浸透し、地球大へと広がり、産業民主主義・職場民主主義・地域民主主義・家庭内民主主義・社会集団内民主主義・人種的平等・民族自決権・民主主義教育・民主主義的モラル・核兵器廃絶・生態系保護へと、新たな「市民権」の問題領域をつくりだす歩みがあったのです。

 社会主義の理念とレーニン型国家主義

 この過程で、身分的・人格的差別が撤廃され、商品交換の自由競争=市場原理でおおわれたはずの資本主義社会に潜む経済的不平等を、社会主義思想は、生産手段の所有と階級の問題として提起しました。その解決策が、生産手段の社会化と階級廃絶でした。

 しかし、レーニンらのロシア革命による「プロレタリア独裁」のもたらしたものは、労働者階級内部の階層別・職業別利害の調整の困難ばかりでなく、「前衛党指導部」からの距離に応じた「市民」内部の経済的・政治的格差、民族問題や男女平等の問題の未解決、労働組合や大衆組織の「唯一政権党」への従属、国有化至上主義と中央指令型計画経済の硬直化、物不足と飢餓の「平等」化、などでした。

 たしかに「市民権」の生産領域への浸透は、私的所有の制限や職場の自主管理を当然に要求します。国民経済でも課税の公平や所得再配分・福祉充実を必要とします。問題は、それを可能にする民主主義のメカニズムでした。

 レーニンはそれを、共産党と国家に委ねました。旧国家権力を「粉砕」して「前衛党」が政権を掌握し、「武装したプロレタリアート」が軍隊式に資本主義を廃絶し、生産手段を国有化し、中央集権的計画経済で「社会主義」を国民におしつける方式を採用しました。そのさい、「プロレタリア民主主義」は「鉄の規律」としてイメージされました。しかし「全人類の解放」を労働者階級が担い、その労働者階級を「唯一前衛党」が「代表」し、その「全知全能の前衛党」が国家権力を独占的に掌握し、その「前衛党」を指導するのは「マルクス・レーニン主義」で武装した職業革命家たちであり、その指導者集団のなかでは「中央委員会」や「書記局」や「書記長」が絶対的権力を持つシステムは、およそ民主主義とはかけ離れたものでした。

 民主主義の作動メカニズムを伴う「市民社会」

 「市民権の平等」にもとずく民主主義は、もともと階級利害ばかりでなく、階層・職業・性・人種・民族・学歴・世界観などの異なる人々が織りなす、利害と価値観の競争・調整プロセスです。

 そのうえ、ふつうの「市民」は、労働者であると共に特定の企業で特定の仕事をし、労働組合や趣味のサークルに入っていたり入っていなかったりし、男または女であり、何らかの人種・民族の一員であり、家庭や地域でもさまざまな社会集団に所属し役割をもつ、さまざまな社会関係を重層的にひきうけた存在です。かつての地主貴族のような、上流階級のサロンをたまり場にして、政治に全人格を投入するような余裕はありません。政治参加そのものが、私たちの日常生活のなかでは、マイナーな一部にならざるをえません。

 ですから民主主義は、選挙や議会や政党や労働組合や自治体など、日常的にはさまざまな制度としてくみたてられざるをえません。直接民主主義は、とりわけローカルな生活世界で不可欠ですが、同時に、代表制民主主義の作動メカニズムが必要です。

 「市民革命」とは、この「市民社会」の日常的あり方の民主化であり、「独裁」国家に対する市民の異議申し立てです。詳しくは、私の『東欧革命と社会主義』(花伝社)に「永続民主主義革命の理論」として原理的な問題を整理しておきましたから、それを参照していただきたいと思います。

 さしあたりは市民の「時間主権」と「空間主権」を!

 では、日本における「市民革命」の課題、ウォルフレン流にいえば「臣民」から「市民になる」ための課題はなんでしょうか? ウォルフレンの示唆によれば、それは、自民党・財界・官僚制の「先端を切り取ったピラミッド」の政治的経済的支配を、「外圧」によってではなく、日本人自身の手で変革することです。平たくいえば、まずは自民党一党支配の自由選挙による打倒です。

 しかし、日本人が「臣民」であることの多くは、今日では、学歴競争と企業社会にしばられた、私たちの生活世界そのものに根拠をもっています。私はそれを、私たちの生活時間と生活空間が資本によって支配されていることだと思います。

 これに対抗するのが、「時間主権」であり「空間主権」です。いわば私たちの生活世界のありかたと生き方を、人間らしいリズム・ペースと、人間らしくくらすことができ自然と親しめるスペース・環境に、合わせて行くことです。詳しくは、『東欧革命と社会主義』や、本書の序章を参照してください。

 そして、そのためには、私たちのまわりに無数の「フォーラム」を創り出し、ネットワークをはりめぐらし、「市民社会」と「国家」の双方を活性化していくことが必要です。

 日本における「市民革命」とは、実は、企業社会にとらわれた私たちのライフ・スタイルを見直し、「人生80年」のライフ・サイクルをグローバルに設計することから、はじめなければならないのです。



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