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立花隆『日本共産党の研究』(講談社文庫)

 

金脈批判以上のボディーブロー

 共産党は、最近元気である。社会党がなくなり総保守となった政党の液状化のもとで、京都市長選で善戦し、東京・狛江では党員市長が生まれた。
 だが、拒否反応も根強い。狛江市長選後に『朝日新聞』投書欄に載ったある声は、「私は無党派層の一人ですが、共産党の顕著な躍進に拍手を送らずにはいられません」といいつつ、「宮本体制改革を考えているか」「開かれた政党にどう脱皮するのか」と問いかけている。日本共産党にとって、コミンテルンの支部であった戦前の歴史は、鬼門なのである。

 共産党がいわゆる戦後民主主義の一翼に位置し、学生たちが一度はマルクス主義をくぐる通過儀礼が残っており、現実政治のうえでも無視しえない影響力を持っていた一時代があった。主要都府県・革新自治体で共産党が与党で、国政選挙でも「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」とうたい躍進していた。
その勢いにブレーキをかけたという意味で、立花隆『日本共産党の研究』のインパクトは、田中角栄批判と同様に政治的であった。通過儀礼としてではあれ一度は日本共産党に関わった100万人をこえる人々に、大文字の「党」を脱神話化し思想的解毒剤を与えた点では、ひょっとしたら田中金脈批判以上のボディーブローだったかも知れない。
 すでに1976ー77年の『文藝春秋』連載中から、共産党側は『犬は吠えても歴史は進む』の75万部発行など、過剰反応ともいえる批判キャンペーンを展開した。78年に講談社の単行本になった時には、当時の宮本顕治委員長の「刎頚の友」袴田里見副委員長の除名に結びついた。15年後に、この時の立花チーム出身の小林峻一・加藤昭『闇の男――野坂参三の百年』が、党名誉議長野坂参三の除名をひきだしたように。83年に講談社文庫に3冊本で入り、96年3月には第12刷が出ている。ロングセラーである。

 共産党は、立花氏を「特高史観」と批判した。戦前の特高警察資料が、基礎資料として使われていたからである。しかし特高資料は、本書刊行後も次々に復刻され、今では戦前社会運動史を論じるさいの不可欠の素材となった。私が旧ソ連秘密文書を用いて、30年代ソ連で粛清された日本人犠牲者約80人の氏名を特定するさいにも、日本共産党側の資料・研究はほとんど役に立たず、当時の特高資料とソ連側資料とのつきあわせが決定的であった(加藤『モスクワで粛清された日本人』青木書店)。
 立花『研究』の巻末「参考文献一覧」には、今日でも日本共産党史を研究するさいの基礎資料が網羅されている。しばしば典拠の不明確な共産党の公式『党史』に比して、学問的研究の出発点にもなりうる。単行本に入っていた人名・事項索引が、文庫版では省略されたのが残念であるが。

 立花『研究』には、いくつかのヤマ場がある。なんといってもスパイM=松村=飯塚盈延の追跡と、宮本顕治現議長の直接関わったリンチ査問事件の探求が、圧巻である。おそらく後者の問題に立ち入ったことこそ、共産党の反論キャンペーンを招いた最大の理由であり、袴田副委員長除名の誘因であった。
 共産党がどんなに反戦平和の伝統を唱え、獄中非転向を強調しても、宮本議長は、ひとりの人間の生命が奪われた事件の陰をひきずっている。党員や支持者からさえ、「宮本体制をどうする」と今日でも問われるゆえんである。
 史実の解明で私が立花『研究』の最大の功績と考えるのは、当時「スパイ挑発者」として除名された全協中央「松原」が、スパイではなく党員でさえなかったことを、当時の全協委員長との対決を通じて実証したことである(第14章)。
 仲間内の疑心暗鬼による密告・告発は、当時のモスクワでは銃殺・強制収容所送りにつながったが、松原氏は幸い存命して、40数年後に「名誉回復」できた。この事例が、立花氏の「リンチ共産党」解明に説得力を与えている。もっとも共産党側は、私や和田春樹氏の在モスクワ日本人粛清研究や渡部富哉氏らの伊藤律研究に対しても同様だが、こうした実証には沈黙するのを常にしている。

 「指導部絶対の組織においては、指導部の誤謬は徹底的におし隠される。過去にさかのぼってまでそうなのである」「野坂参三の転向とか、彼が天皇制に一貫して融和的であったことなどは、決して党の側からは表に出ない。もちろん、野坂が党に背いたりした話は別である」と立花氏が書いて15年後に、野坂の失脚が現実のものとなった。彼の過去の全言説が、「ソ連の内通者」「裏切り者」の誤りとされ、公式党史が書き換えられた。
 立花氏は、すぐに続けていた。「同じ伝で、もし宮本顕治が失脚するというような事態が起きたとしたら、党内でリンチ事件についてまったく別の語り方で語られるようになるだろう」と(第10章)。
 このことは、政治的失脚ばかりではなく、確実にやってくる自然死の場合であっても、あてはまるのかもしれない。

  (『文藝春秋1996・11臨時増刊号』に発表)



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