これは、『東京大学新聞』創刊70周年記念号への特別寄稿で、たぶん1990年頃に執筆したものである。松井坦は、私に社会科学のあり方を教えてくれた、かけがえのない親友だった。東京大学大学院経済学研究科在学中で歴史学研究会総会担当委員であった1980年秋に、研究職就職を目前にして、不慮の交通事故で亡くなった。『東京大学新聞』1980年11月24日号に「松井坦君の急逝を悼む」という記事がある。彼の学問的・実践的軌跡は『松井坦遺稿・追悼集』に残されてはいるが、今は私たちの記憶の中でのみ生きている。いや今は若き東洋史研究者になった遺児美緒ちゃんの学問によって、甦るかもしれない。

 成蹊大学での日本政治学会研究大会からの帰路のバスのなかで、内川芳美教授と、18年ぶりでお会いした。松井君が亡くなった1980年当時の東京大学新聞社理事長で、私たちの始めた「松井坦遺児育英基金」に全面的に協力いただいた。美緒ちゃんが立派に育って大学院に進んだことをご報告したら、大変喜んでくださった。

『丸山真男集』の「年譜」を読んでいたら、私と松井君が一緒だった法学部自治会緑会委員会の団交の相手は、本来なら団籐重光・辻清明ではなく、丸山真男になるはずだったことを知った。教授会で学部長に選ばれたが、健康上の理由で辞退したのだという。あの時私たちの交渉相手が、東大新聞で旧知の辻さんではなく、あこがれの丸山真男であったら、私たちの学問はどんな方向に向かったんだろうか? 歴史におけるイフでしかないが……。  


松井坦君と二人三脚の頃

加藤 哲郎(1965年入学)


 私が東京大学新聞の編集にたずさわったのは、1965ー67年、日韓条約の締結から、いわゆる東大紛争の直前までである。当時自分が書いた記事の切抜き帳を、先日研究室を整理していて偶然発見した。「セルロイドの塔」という「象牙の塔」をもじった大学の自治の形骸化を告発した連載があった。教授会メンバーになって読み返すと、複雑な感慨である。

 私と一緒に1965年秋に入社した同期の仲間に、ちょうど十年前に交通事故で急逝した、松井坦君がいる。私の東大新聞時代は、彼の思い出と分かちがたく結びついている。同じ文一で政治学志望であったから、駆出しの学内取材から特集記事まで、よく二人でコンビをくんだ。もっとも、私の方はデモ取材や大学問題・時事論文依頼といった社会派で、やがて自治会活動にのめりこんでいったが、松井君の方は、劇評・映評から文芸評論・スポーツ論までなんでもこなし、長く編集長や理事をつとめた。

 1966年1月1日号の「編集室」欄は、当時年頭恒例の編集部員寸評である。

 「たいら…寸ずまりの武蔵坊弁慶。ケタタマしく笑い、ケタタマしく議論する不気味な精力家」――これが、松井君である。「たいら」名での劇評は、クロウト筋に受けていた。「陣…小粋でいなせで、小生意気。まだあどけない18歳。赤いネクタイ、キリリとしめて、今年も元気にやってくれ」とはっぱをかけられているのが、私である。

 当時の編集長の鈴木秀幸(邦輝)氏は「綾…常にアルカイックスマイルで思索にふける」、現在共同通信の竹田保孝氏は「保…屋根裏の乞食王子」、総理府の中川良一氏は「良…永遠の絹のハンカチ」、国会図書館の伊藤一彦氏は「彦…明るくかわいい現代青年」、厚生省の田中慶司氏は「慶…腕白坊主でまだ反抗期」。「美…たくましき紅一点。食欲旺盛なれど、消化不良の気味あり」とあるのは、先日某出版社のはからいで二十数年ぶりで再会したブレヒト研究家、東京外語大学の谷川道子女史である。

 だが、これらを執筆した「哲…おのが凡庸さを知りて神秘のベールでつつまんとするがむなし」氏がだれであったか、どうしても思い出せない。

 松井君と組んで、上智大学の自治会活動規制を特集したことがあった。上智大学の関係者からの「たれこみ」で取材中、当時「東大パンフ」とよばれた東大内学生自治規制文書の一部が、上智の規制文書にそっくりそのまま使われていることを知り、大々的に報じた。東大側の見解を十分取材しなかったためであったか、当局から抗議がきて、当時の辻清明理事長にご迷惑をかけた。その1年後には、私は緑会委員長で辻法学部長と「団交」する立場になり、松井君は安田講堂に連れ込まれてリンチを受ける事態になっていた。その辻さんが、松井君の死にさいして、心のこもった一文を『松井坦遺稿・追悼集』に寄せてくれた。日本政治学会で15年ぶりでお会いしたときも、松井君の思い出を話し合った。

 最近中央大学の伊藤成彦さんと、なにかと同席する機会が多い。伊藤さんは東大新聞の大先輩で名編集長であった。私はまだ打ち明けていないが、実は昔、東大新聞で幾度かお目にかかったり、原稿を頼んだりしていた。東大新聞は、私にとって「出会いの場」であったし、今後もそうなりそうである。



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