『アエラムック 新版 政治学がわかる』(朝日新聞社、2003年)掲載「国家論」改訂版
プラトン、アリストテレスの時代から、政治学は国家論として始まり、民主主義の思想や運動と結びつくことにより発展してきた。国家論が政治学の代名詞であった時代もあったし、国家論抜きの政治学が提唱された時代もあった。そのような国家論とはどんな学問で、何を問題にするのだろうか?
日本で国家について考えると、すぐにつきあたる問題がある。日本語の「国家」につきまとうしがらみである。「イエ」の家族的絆を「クニ」への郷土愛に広げたように見える。言葉そのものは中国からの伝来で、「日本」や「天皇」と同じくらい古い。聖徳太子の十七条憲法(六〇四年)にも「國家自治」とでてくる。だから政治家中曽根康弘は、首相時代の一九八五年自民党サマーセミナー講演で、「国家というのは、日本のような場合、自然的共同体として発生しており、契約国家ではない。勝っても国家、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民。汚辱を捨て、栄光を求めて進むのが国家であり国民の姿である」と述べて、物議をかもした。
しかし、今日の国家論が主たる対象とするのは、西欧近代に発する国民国家(nation state)である。近代政治思想がマキアヴェリやホッブスから始まるように、今日国際連合加盟百九十一ヵ国としてイメージされる国家は、ヨーロッパの絶対主義から市民革命・産業革命を経て形成されたとされる近代的国家組織=stateである。ホッブズ、ロック、ルソーらの社会契約説が重要な理論的基礎を成したので、中曽根氏は「契約国家」と呼んだ。この意味での日本の近代国家形成は、通常明治維新以降とされる。現代日本の政治学で扱う国家とは、stateの訳語として、明治以降に定着したものである。
近代ヨーロッパの政治は、主として国家権力をめぐって、国家単位で発展してきた。国家についての考え方そのものが、ある種の政治的性格をおびざるをえなかった。法の支配や人民主権、最大多数の最大幸福を保障する政府や代表制議会の理念は、早くから唱えられた。アダム・スミスの描く商業社会では国家は経済秩序を維持する最小限の役割で足りたが、後進国ドイツではフランス革命の衝撃からヘーゲルが国家を「倫理的理念の現実態」にまつりあげた。マルクスはそれを逆転して、国家を「社会の人為的強力」「幻想的共同体」と特徴づけた。
二十世紀に普通選挙権で国家の裾野が広がると、ロシアのレーニンはマルクスを単純化し国家を「階級支配の道具」と割り切ったが、ドイツのウェーバーは「一定の領域内で正当な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体」と物理的暴力の担保と国民への正統性の双方に目配りし、フランスのデュルケムは「社会的分業の発展による機能的分化の統合の役割」に着目した。イギリスには市民社会の自発的集団形成の一階梯とするラスキらの多元的国家論も現れたが、ファシズムと対決したイタリアのグラムシは、「国家=政治社会+市民社会、強制の鎧をつけたヘゲモニー」と国家の合意調達能力を重視した。
国家論の基礎には、権力論がある。軍備や富を権力と見る素朴な権力実体説から、権力行使の相互性に着目する権力関係説を経て、正統的暴力を独占する国家権力ばかりではなく、医者と患者や教師と生徒の関係に注目する規律・訓練の権力、男女の性差など社会に偏在するネットワーク権力も問題にされ、国家論にも応用されてきた。
だが十九世紀までの政治学といえば、多くは国家についての思想史・政治史や、憲法学・国法学による制度論であった。
戦前日本の政治学に圧倒的影響を与えたドイツ国法学の系譜は、国家についての単純明快な説明を与えた。曰く「国家の三要素は、領土・国民・主権である」と。こうした説明は初学者にはわかりやすいが、二十一世紀の国家論としてはものたりない。およそ現代国家を解こうとするものは、少なくとも三つの問題をくぐらざるをえない。ひとつは、近代に支配的な経済システムである資本主義と国家の関係、第二に、ステイトとネイション、つまり国家と国民・民族との関係、第三に、グローバルな地球社会と国民国家という仕切り、政治単位の問題である。
アダム・スミス的な経済的自由主義の夜警国家観からすれば、国家は経済活動を自律的市場の「見えざる手」に委ね、度量衡制定や治安維持・対外防衛など最小限の役割に限定した「小さな政府」が望ましい。
ところがマルクス主義の説明では、それは絶対主義に対抗したブルジョアジーのイデオロギーにすぎず、現実の世界史上の国家は、その時代に支配的な階級勢力の利害を国民的利益の装いでおおいかくし、既存秩序への抵抗は物理的暴力の独占で抑圧してきた。
実際、資本主義経済秩序と近代国民国家の歴史的関係をふりかえると、「夜警国家」や「小さな政府」の理念を貫きえたのは、ごく一部の先発国(英米)の例外的な時代にすぎなかった。それも国外植民地からの暴力的な搾取・収奪や、国内における広大なフロンティアの存在を前提にしていた。近代日本の「富国強兵・殖産興業」に典型的なように、多くの国家は、軍事力で先発国の圧力を牽制しながら、全国的市場創設と工業化自体に強力に介入した「開発国家」だった。
とりわけ二十世紀になると、いずれの国でも、国家の経済的役割は飛躍的に増大した。二度の世界大戦と冷戦期の国際関係が、国家の軍事力と経済力の垣根をあいまいにした。資本主義が世界のすみずみに広がって、国力はGNP(国民総生産)ではかられるようになった。
さらに国家は、市場経済の発展ばかりではなく、人権・市民権の発展によっても活動領域を広げ、国家財政・要員を膨張させた。労働者や女性が政治に加わり、さまざまな社会運動や圧力行動に政府が応答を迫られた。こどもの教育や老人・社会的弱者への福祉供給が典型であるが、最低賃金や労働時間など労働条件も国家による規制が当たり前になった。限られた国家財政を軍需にまわすのか、経済発展・開発に投資するのか、それとも福祉や民生向上に重点をおくのかで、同じ資本主義経済を基礎にしても、異なる国家の型が現れた。北欧諸国に典型的な「福祉国家」や、日本やアジアにみられる「経済成長国家」である。
二十世紀のある時期まで、国家の経済的基礎を基準に資本主義国家か社会主義国家かと問題を設定する国家論が優勢であったが、東欧革命・冷戦崩壊・ソ連解体後の今日では、市民社会のいかなる要請に応える、どのような資本主義国家なのかが重要な問題になる。
戦後日本で支配的になったのは、東西冷戦下で西側資本主義のヘゲモニー国家となったアメリカの政治学であった。
アメリカ政治学で行動論や多元主義が隆盛な時代、階級国家論を強調するソ連型マルクス主義への理論的対抗もあり、「国家論なき政治学」が語られた。しかし各国がケインズ主義的高度成長を経験し、ベトナム戦争やドル危機でアメリカのヘゲモニーに翳りがみえた一九七〇年代以降、逆に「国家論の復権」「国家論のルネサンス」が世界の政治学の合言葉となった。
比較政治学や政治過程論の方法が導入され、実証密度の濃いコーポラティズム研究や開発独裁論、比較デモクラシー論も現れた。今日では、かつてのドイツ国法学とも、国家を階級支配の道具に還元したレーニン主義国家論とも異なる、国家をも社会の独自な重要アクターとして扱う政治経済学や新制度論、公共政策論が隆盛をきわめている。
現代国家論の第二の重要な問題領域は、世界市場の広がりであらわになった、ステイトとネイションのギャップである。
ヨーロッパの近代国家は、もともと中世の数百に分散した領邦権力が絶対主義の中央集権化をくぐって三十ほどに整理されて生まれた。その理念が国民国家で、国家は「過去における共通の栄光、現在における共通の利益、未来における共通の使命」(H・コーン)をもつネイションを基礎につくられるとされた。言語や文化を共有する民族が国民の一体感を保証し、その範域は、古代帝国に比すれば小さく、中世領邦国家に比すれば大きい、人口数千万人程度の中規模な政治的統合を可能にすると観念された。
だが、第二次世界大戦後でもせいぜい五十程度にすぎなかった近代国家が、民族自決の理念で旧植民地が独立し、アジア、アフリカで増殖して今日二百近い政治単位となり、地球の国民国家的領土分割が、最終的に完成された。
その過程で、さまざまな人種・民族で構成されるモザイク国家が多数派になり、そもそもネイションとはステイトのつくりだしたフィクションではなかったかという疑問がおこってきた。
一方で国家形成が先行して国民形成に苦しむ新興国家の現実と、他方で民族学・人類学のエスニシティ研究の発展によって、「ネイションとはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」というB・アンダーソンの規定が、多くの政治学者にも受け入れられていった(『想像の共同体』NTT出版)。
実際日本のように単一民族神話が成立しうる国家は、現代では例外的である。朝鮮半島のように一つの民族が国家的に分裂していたり、アメリカ、カナダ、オーストラリアのように白人入植移民によってつくられた多人種・多民族国家もある。アフリカの地図を調べてみると、帝国主義時代のヨーロッパ宗主国が植民地を分割した名残が、そのまま国家形成の土台になったことがわかる。
それでもいったん設立された国家は、建国神話をつくり、国旗・国歌・国語ばかりではなく、貨幣や切手・記念碑、元号・暦・叙勲、教育・軍隊・福祉をも用いて、ナショナリズムを醸成する。オリンピックやワールドカップでは、郷土愛の延長上で「国民であること」が実感される。この「国民」としての一体感=「愛国心」こそ、国家活動の正統性を支え、政治的秩序の安全弁、対外戦争の基盤となる。
社会主義の崩壊、東西冷戦終焉以降、グローバリゼーションが進んだ。伝統文化や宗教の違いを越えて、市場経済が地球的規模に広がった。多国籍企業となった巨大企業が世界のすみずみに入り込み、IMF(国際通貨基金)・世界銀行・WTO(世界貿易機関)など国際組織の取り決めが、受け入れ国の経済や政治に大きな影響を与える。欧州連合(EU)のような一つの市場・通貨を持つ国家連合体が生まれ、APEC(アジア太平洋経済会議)など地域別国家間組織も重要になった。移民・難民・外国人労働者が増大し、ヒトの流れも地球大になった。そのうえテレビやインターネットで、世界は情報で一つにつながる。NGO(非政府組織)・NPO(非営利組織)や市民の運動も地球的規模になり、ある国の出来事は瞬時に他の国に伝えられ、国内政治がただちに国際政治につながり、国際政治が国内政治にリンクするようになった。
このような国家と国民の乖離、国民と民族のギャップ、資本と労働力の国際移動による領土や国境イメージの変容を背景にして、国民国家の「ゆらぎ」や「たそがれ」が語られている。しかも、二〇〇一年九月十一日の米国同時多発テロ以降、軍事大国アメリカ合衆国が、グローバリゼーションのもとでの「世界の保安官」として、世界中に自国の価値観やルールをおしつけようとしているかに見える。
しかし、そればかりではない。国家を中心とした政治そのものが限界につきあたり、国家論を超える新たな発想が求められている。
二十一世紀に人類が先送りした二十世紀の負の遺産として、核兵器と地球生態系危機がある。国益を求める競争が二度の世界戦争を生み出し、国家の安全保障を絶対視する軍拡競争が、人類絶滅を可能にする核兵器を集積させた。GNPと開発主義の競争は、経済発展の基盤でもある原料資源を枯渇させ、自然生態系を破壊した。
こうした問題は、一つの国家による規制では限界がある。空気や水や土は地球全体でつながっている。国家間の国際政治ばかりではなく、地球市民による地球政治が必要になった。グローバリゼーションが進めば進むほど、国家統治にたずさわる政府(ガバメント)のみならず、国際組織や地域統合、NGO・NPO・企業、自治体・地域社会・市民が重合するグローバル・ガバナンス(地球統治)が問題になる。地域住民の分権・自治・直接参加の要求が高まり、ローカルな自立・分離の動きによっても、国家の絶対的・主権的地位はおびやかされている。
国家の基礎には社会がある。社会がグローバルに広がり、ローカルな政治が活性化し、企業や市民のネットワークが地球をおおいつくした段階で、かつては絶対的と思われた政治単位・帰属対象としての国民国家の意味と限界が、改めて問い直されているのである。