1992年9月のこの欄は、アメリカ通信である。本誌がでる頃にはアメリカ大統領選挙の結果がでているだろうから、ブッシュかクリントンかを予想したり、草の根キャンペーンがどうなっているかを紹介しても、すぐに色あせるだろう。そこで、やや旧聞に属するが、ハーバード大学ジュリエット・ショア教授の問題作『働きすぎのアメリカ人――予期せざるレジャーの衰退』(Juliet B.Shore,The Overworked American, Basic Books, 1991)をとりあげる。
わが国でも『日本経済新聞』読書欄でいち早くとりあげられたが、手硬い研究書であるにもかかわらず、『ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴュー』で7週連続ベストセラー入りした、話題の本である。すでに丸善から出ている『学燈』1992年9月号には、一橋大学経済研究所の都留康教授が周到な短評を書いている。『中央公論』10月号に仰々しく掲載された日本経済研究センター高橋克秀氏の「数字が語る『時短』後進国アメリカ」という論文は、ショア教授の本から一枚の図のみを引用しているが、本文で出所を明記せずにふれられた労働時間・家事時間のデータはほとんどショア教授の本から、という代物である。
93年6月末にでた過労死弁護団事務局長川人博氏の新著『過労死社会と日本』(花伝社)では、ショア教授の西欧中世から近代への労働時間の長期的変化の部分が、早くも用いられていた。ちょうどそのころ脱稿した拙著『社会と国家』(岩波市民大学、9月刊)では、エドワード・トムスンのいう「過ぎ去る(pass)時間」から「費やす(spend)時間」への変化を論じる文脈で、期せずして川人氏とちょうど同じ箇所を引照しておいた。
私は、最近、日本の過労死を世界史的視野で考える必要を痛感して、古代・中世・近世の日本列島の生活記録から、旧ソ連の「土曜労働」や「収容所労働」を含む実労働時間のデータまで、手当り次第に労働時間・自由時間・社会的時間の分割に関する史資料を集めている。古代ローマ帝国の暦には年175日の休日があったとか、中世職人は年1440時間労働、アンシャン・レジーム期フランス農民も年半分は休み、などという話がでてくるショア教授の本は、まさに私の問題意識にぴったりで、「出会い」という感じだった。
この本の主題そのものは、一世紀にわたる工業化過程で1967年に年1796時間まで短縮されてきたアメリカの年間総労働時間が、その後逆転して1987年には1949時間へと163時間(約1ヵ月分)も増加したのはなぜか、という問題の理論的・実証的検討である。私の本でも紹介した近代労働時間についての常識、マルクス『資本論』の本源的蓄積やエンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』に描かれた産業革命期の長時間労働が労働運動や工場法制定、ILO条約普及、機械化・技術革新・生産性向上により徐々に短縮され余暇と自由時間が増えていくという見通しが、20世紀ヘゲモニー国家アメリカではこの20年間で逆転した、というのである。産業化から脱産業化で労働時間短縮へという図式は、アメリカではなりたたず、逆に、国際競争のための機械化・効率化、所得水準維持のためのアルバイト・残業が、労働時間増大をもたらしているのである。
ボールズ、ギンタスらのSSAアプローチに属するラディカル経済学者ショアは、さらに、女性の労働市場進出に伴う家事労働時間、家計単位労働時間の変化にも注目し、清潔・ヘルシーや育児の質の基準が高まって家庭電化が家事労働短縮に結びついていないこと、この20年間で労働時間プラス家事労働時間は男性も女性も約169時間増加したことをあげ、レギュラシオン理論風に、そこに「長時間労働とコマーシャリズム消費の悪循環」を見いだす。この悪循環をたちきる「所得より余暇を」というライフスタイルの刷新が必要だ、という。高橋氏は、ここから「ここ数年で日米の労働時間逆転は不可避だ」とする。
ショア教授は、この本の刊行とほぼ同時期に、本の内容を要約した「万国の労働者、巻戻せ(Workers of the World, Unwind!)」という論文を、マサチューセッツ工科大学(MIT)編集の雑誌『テクノロジー・レヴュー』1991年11・12月合併号に書いている。いうまでもなく、「万国の労働者、団結せよ(Workingmen of all countries, unite!)」(『共産党宣言』)をもじったものである。英語で読むと、男ばかりでなく女も、世界は一つ、の皮肉が効いている。「巻戻し」は、自由時間・余暇の方へ時計を巻戻せという意味に、「労働者たち、しっかりしろ」という「ペレストロイカ」の意味を、かけている。
ショア女史の本の序文冒頭に、ある日ふと、自分の歩くテンポがなぜこんなに速くなったのかと考えるシーンがでてくる。かつてのわが国政治運動・社会運動では、自己を犠牲にして組織に献身し、歴史の必然的歩みを速めて革命を願望するスタイルが、もてはやされた。しかし「24時間たたかえますか」スタイルでは、どうやら社会変革どころか、資本の時計にからめとられるだけなようだ。「アメリカより長時間働く唯一の工業先進国日本は、同時に、アメリカ人以上にテレビをみる唯一の国民である」とショアはいう。だから私も、『社会と国家』の「あとがき」で、ライフスタイル刷新の決意を述べておいた。過労死とたたかって過労死するのでは、ソ連の国家主義的社会主義の二の舞であるから。
(『月刊フォーラム』1992年10月に発表)