時は社会党村山富市首相のもとでの日本社会党消滅の寸前、著者は55年体制の準主役「社会党・総評ブロック」の命名者でありブレーン、副題は「日本型社会民主主義の創造をめざして」――まさにグッド・タイミングであるが、表題は地味である。「回顧と対話」と銘打っている通り、著者自身の文章と田口富久治、兵藤 、熊沢誠、高木郁朗、水野秋、中島正道らの加わった聞き取りの記録である。聞き手もそれぞれに個性的で、「戦後革新」の歴史的評価にかかわる相互討論が含まれており、刺激的な書物になっている。
「半日陰」というのは、戦後革新運動・左派労働組合運動の指導者たちのブレーンとして、黒子に徹してきたという著者清水慎三の控えめな自己規定である。自民党・財界ブロックには陰謀型の黒子が多い。しかし清水は黒子時代も自説を公けにしてきた知識人であり、理論ブレーンとよぶべきだろう。
だから本書には「戦後革新外史の埋め草」という著者の謙遜に留まらない理論的・実践的論点も提示されている。たとえば、戦前「15年戦争」を満州事変、日中戦争、太平洋戦争と区分しての性格づけ、西欧社会民主主義と日本のそれとの比較、革新自治体と労働戦線統一問題の関連と評価、高野実・岩井章・山岸章をぞれぞれ左翼国民政治家・労働政治家・職業政治家と特徴づけるリーダーシップ論などである。
全体は九部に分かれ、戦前の思想形成、敗戦・占領期(1945ー52年)、鉄鋼労連結成前後(50ー53年)、清水私案前後(53ー55年)、総評組織綱領草案(56ー58年)、安保と三池(59ー60年)、構造改革論争(61ー63年)、経済成長と体制支配の確立(65ー80年)、多元化社会における革新勢力(80年以降)、と著者が「社会党・総評ブロック」内で活躍した時期に重点をおいた証言が記録されている。
本書で繰り返し問題にされるのは、著者の60年安保直後の著作の表題でもある「日本の社会民主主義」は果たして本当に存在したのかという論点である。著者の造語である「左翼バネ」にのって福祉国家や構造改良を軽蔑し、「社会民主主義」よりも「社会主義」をめざしてきた社会党が、ソ連・東欧社会主義が崩壊すると一斉に「リベラル」へと変身を始めた。「社会的左翼」の境地に達し「社会主義にこだわりつづける」著者が、「日本型社会民主主義の創造」を改めて提起せざるをえない自省と心境が率直に語られていて、すがすがしい。
評者の関心からすれば、森戸辰男・大内兵衛・向坂逸郎・高野実・細谷松太ら、著者が黒子として接してきた戦後革新・社会主義の主役たちの言動・エピソードが抜群に面白い。61年のソ連科学アカデミー経済研究所訪問時に相原茂がソ連の学者に近代経済学的手法の効用を説いて帰りの車の中で向坂に叱責されるくだりなど、失笑を禁じ得ない。
だが、このくだりにも連なる有沢広巳・都留重人・吉野源三郎から伊東光晴・宮崎義一にいたる人脈と総評型労働運動との関わり、著者の母校である岡山六高から東大経済学部の人的ネットワークが政治的つながりとは別に運動の節々で時には決定的役割を演ずること、総じて日本的「世間」の構造が日本的「社会」主義運動にも脈々と受け継がれていることが、著者の証言から浮かび上がる。その意味で、企業社会批判と「新しい文明体系」を求めて日本古代史から学び直しているという著者の近況は、知的誠実を示して余りある。
そして、著者がこの回想と証言で残したかったものも、大内・向坂ら「進歩的文化人」のビッグネームよりも、若くして亡くなった同志坪井正、八幡製鉄労組金曜会の蔀充、あるいは三井三池でも組合に理解のあった山本常務、といった人々のことであったかもしれない。戦後革新のみならず、戦後民主主義の質を考えるうえでの好著である。
(『週間読書人』1995.12.15に発表)