以下に収録するのは、『三省堂高校通信』1992年1月号に寄稿した、高校の先生たちに向けたエッセイである。


 現存社会主義の崩壊をどう教えるか?

 

 加藤 哲郎(一橋大学・政治学)


  1985年のソ連におけるゴルバチョフの登場を背景とし、89年のポーランド・ハンガリーから「ベルリンの壁」崩壊をへて、チェコスロヴァキアのハベル大統領誕生、ルーマニアのチャウシェスク独裁打倒にいたる東欧の革命を、こどもたちは、どううけとめたのであろうか?

  1991年8月のソ連のクーデタと共産党の解体は、1917年のロシア革命に始まる世界史の一つの見方を最終的に崩壊させたが、学校教育の現場では、これをどう教えたらよいのだろうか?

  一方での東西冷戦の終焉、核兵器削減の始まり、他方での湾岸戦争での多国籍軍への日本の90億ドル「支援」、自衛隊のPKO派遣――近年の世界史の動きはあまりにめまぐるしく、教科書の現代史・現代社会や地理の記述は、日々色あせていく。たとえば、国際連合の加盟国数。つい先日まで159ヵ国と教えていたのに、ナンビアが独立して、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が消え、韓国と朝鮮民主主義人民共和国が同時加盟し、バルト3国が独立する。ソ連やユーゴスラヴィアがいくつになるかわからないが、これまでの連邦体制は解体に向かうと国連加盟国はどんどん増えていくだろう。

 ソ連は国連安全保障理事会の常任理事国の一つで拒否権を持つが、それはロシア共和国にとってかわられるのか? 北方領土の交渉相手はソ連なのか、ロシア共和国なのか、サハリン州なのか? スイスやスウェーデンを永世中立国と教えてきたが、ECに加盟したらどうなるのか? 世界の政治体制ではアメリカ・イギリスとソ連や中国を対比してきたが、中国のみを「社会主義国」としてとりあげるべきなのか? アフリカにも社会主義を名乗る一党制国家があったが、どうやらつぎつぎに自由選挙と複数政党制に移行しているらしい。なによりも、東欧・ソ連の崩壊の原因を、どのように説明するのか?

  高等学校でも大変だろうが、大学教育でも事情は同じである。私の場合は、1989年以来、一橋大学の政治学の講義を「資本主義・社会主義・民主主義」というテーマで設定し、世界史的激動を正面からとりあげてきた。経済学者や歴史学者のなかには、評価の定まらぬ現実の変化を避けて、経済学原理や市民革命の講義に逃げこむ人もいるようだが、学生が関心を持ち質問してくれば、答えないわけにはいかない。

  日本の学生たちの平均的受けとめ方は、がいして経済主義的・物質主義的である。私の論文「東欧革命の日本的受容」(『季刊 窓』8号)で紹介したが、アメリカの若者が東欧革命のなかに東欧民衆の「自分の手で政府を選ぶ政治的自由」への熱望を読みとるのに、日本の若者は圧倒的に「生活水準の向上」をあげる。つまり、日本の「豊かさ」との対比で「東欧・ソ連の人々は貧しいからたちあがった」という。

  もっともそれは、ただちには「資本主義の勝利」につながらない。同時に学生たちは、「長期の一党独裁は必ず腐敗する」「市場原理を導入して東欧・ソ連が学歴主義・競争社会になっていいのだろうか」「アメリカが一人勝ちして『世界の警察官』になるのは面白くない」「これからは人権と南北問題と地球環境問題だ」とも考えている。

  ソ連の経済危機と共産党の崩壊については、いくつかの説明がありうる。素朴経済学的には、技術革新と国民の生活向上に失敗したから政府が倒された、となる。だがそれが「社会主義」とどう関わるかとつっこまれると、説明は分岐する。学生たちは、「社会主義」とは、国有企業中心の中央指令型計画経済で、市場も競争もないから停滞し失敗した、という。「ソ連崩壊=社会主義崩壊」という常識的理解である。

  これに対して、ソ連はもともと「社会主義」ではなかった、経済的に遅れた発展途上の独裁国家にすぎず「本来の社会主義」は別だ、という説明がありうる。ただしこれは、「本来の社会主義」の詳しい説明がなければ、答えにならない。「本来の社会主義」は生産力の発展しきった所から始まり、先進国から出発すればうまくいったはずだという説明では、「アメリカにはなぜ社会主義がないのか」という古典的問いに答えられない。

  むしろ20世紀の資本主義は「社会主義」に学んで福祉や計画をとりいれ、そのうえ普通選挙権や労働者政党・労働組合の活動の自由を認めて生き延びたという説明の方が、説得的である。ソ連・中国や東欧の学者が、「日本こそ豊かで計画的で労働者参加の社会主義だ」という時代である。「社会主義」と「会社主義」のちがい、「社会主義」とフランスやスウェーデンの「社会(民主)党政権」とのちがいも、説明しなければならない。

  ソ連は「社会主義」として出発したが、途中から「社会主義」でなくなったという説明もありうる。すると問題は、政治のレベルに転移する。なぜ極端な中央集権主義がとられ、企業や工場・農場が国有化され、計画経済が失敗したかを、説明しなければならない。

  政治レベルのソ連・東欧崩壊の原因は、相対的には説明しやすい。自由も民主主義もない共産党一党独裁だったからである。「自由・平等・友愛」をかかげたフランス革命二百周年に東欧市民革命がおこったという象徴的説明も、学生たちにはわかりやすい。

  しかし、なぜ東欧・ソ連が共産党一党独裁であったかの説明が求められる。東欧についてだけなら、ソ連が他国におしつけたという理由ですんだが、ソ連共産党はロシア革命の末裔である。「社会主義革命」とよばれた1917年の説明が必要になる。ロシア革命時はもともと複数政党だったというのは、説得力を持たない。正義の英雄レーニンの時代には民主主義があったが、スターリンという悪玉が後をついで民衆を70年も抑圧したという説明も、劇画風ではあるが、納得させるのはむづかしい。ボリシェヴィキ政権成立直後に他政党が禁止され、秘密警察も生まれている。20世紀の社会主義のかかえた問題を、理論的・思想的に深くえぐりだすことなしには、関心ある学生は納得しない。

  私は、フランス革命後の19世紀社会主義思想のもっていた解放的・連帯的理念と、その理想を実現する手段として提起された「プロレタリア独裁」や「前衛党」の自己目的化のパラドクスを率直に語る。歴史の主人公としての民衆と、権力にひそむ魔性(『世界』1991年10月号のハベルの言葉は印象的だ)、多元主義と民主主義の重要性につないでいく。

  社会主義は、マルクス以降、とりわけエンゲルス『空想から科学へ』とレーニン以降、生産手段の所有の問題と考えられてきた。「所有の社会化」自体が、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような共同社会」実現の手段であり、労働と生産の場の民主主義の問題であったのに。社会主義とは、「社会」中心主義であり、「社会」が国家や資本を規制・制御していく思想・運動で、本質的に解放的政治の問題である。「市民社会」の民主主義的形成こそ社会主義の基本理念であり、それは人類史の偉大な宗教やさまざまなユートピア思想、市民革命にも含まれていたものだ、と説明する。そのために「市民社会の解剖学」が必要とされ、マルクス『資本論』が書かれた。その理想社会探求の精神は、マックス・ウェーバーやアントニオ・グラムシや現代の「社会科学」にも受け継がれており、あらゆる学問は「社会主義」探求の重要な素材だ、と答える。

  今日の「社会主義の崩壊」は、「民主主義とはなにか」「日本は豊かなのだろうか」「人間の幸せとはなにか」を、こどもたちと一緒に考える好機である。そのなかで、たとえ「社会主義・共産主義」の名前が汚れ、教師の郷愁的思い入れが崩壊したとしても、その思想にはらまれた解放的理念と共同の理想は、地球上に貧困、抑圧、差別、不自由がある限り、生き残るだろう。日本の「戦後民主主義教育」とは何であったかを、いま一度考える時である。「自由・人権・民主主義の世界史的発展」が、同時に「社会主義の崩壊」とよばれる事態をつくりだしたことの意味を、じっくり考えるべきである。

  現場の皆さんの意見や、経験交流を期待したい。

 



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