労働旬報社『平和憲法と国際貢献』寄稿(1990年頃?)

 

平和と「怠ける権利」を庶民の哲学に!


 「19世紀にマルクスがイギリス資本主義を分析したように、現代では、日本資本主義が世界資本主義の最先端にあり典型だから、この日本資本主義の秘密を解明することこそが現代資本主義を理解するカギである」――こんな論調が、世界中に広まっている。私と『季刊 窓』誌上で「日本的経営は世界になにをもたらすか」を論争したカルフォルニア大学のマーティン・ケニー教授もその一人だ。彼が来日した機会に、ひさしぶりで議論した。

 彼は、過労死や受験戦争など日本社会の弊害を認める。しかし、多能工化など日本的経営システムの世界化は不可避だ、という。彼が「フジツー主義」とか「ポスト・フォード主義」とよぶように、いまや資本主義は、アメリカの繁栄を支えたファード主義的「大量生産大量消費」を超えた、新しい歴史段階に入った。日本資本主義は、その最先端で「少量多品種生産」を可能とするシステムをつくりあげたのだから、このシステムに反対するのは現代のラッダイトで、時代錯誤である。世界の左翼の任務は、すでに提案・小集団制度で「労働者参加」を部分的にしろ組み込んだ日本的システムを学び、より人間的・労働者的に発展させるところにある、という。私は、日本は市民社会や民主主義をミニマムに抑え発展した「ウルトラ・フォード主義」「煮つめられた資本主義」だ、と反論してきた。

 だが、論争は、政治システムにも波及してきた。今回は日本の大国化がトピックだった。日本の政治的・軍事的大国化には、マーティンも反対する。だが、まさにこの「理念なき」経済超大国の出現を、彼はポジティヴに評価する。イギリスもアメリカも、経済的に成功すると「世界の警察官」になった。日本は、経済主義に特化し、湾岸戦争もマネーで解決した「よりましな帝国主義だ」というのだ。そこで私は「それは憲法第9条があるからだ」という。しかし彼は納得しない。日本の軽軍備経済大国化は、平和憲法でも日米安保条約でもなく「日本企業の叡智」の産物だという。民衆に「平和の哲学」などなく、PKOへの自衛隊派遣に世論も労働組合も賛成しているではないか、と痛いところを衝く。

 財界が政界に「哲学がない」といい、その財界の「哲学」は、証券スキャンダルで泥まみれだ。「顔のみえない経済大国」で、せめて日本の庶民の「哲学」を示さなければ、世界の人々は、ますます日本資本主義にあこがれ、生産性とマネーにからめとられ、市民社会をむしばまれ、権利をうばわれる。平和憲法を守るには、働きすぎ社会からの脱却が必要だ。かつてマルクスの女婿ラファルグが夢見た「怠ける権利」の行使と成長テンポの鈍化こそ、本当の「国際貢献」かもしれない。



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