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三浦聡雄・増子忠道著

『東大闘争から地域医療へ ――志の持続を求めて』

(勁草書房、1995年)

 


 この本は、1968ー70年の東大医学部民主化闘争を中心的に担い、その体験から地域医療にとびこんだ二人の医師の四半世紀の軌跡をまとめたものである。医学部は東大闘争の発火点であり、東大闘争は全国大学闘争の一つの焦点であった。だが東大闘争といえばもっぱら「全共闘」がとりあげられ、参加者のその後も『全共闘白書』まで公刊されている。東大ではむしろ多数派で「確認書」締結の原動力となった共産党系「全学連」=東大民主化行動委員会側からの記録・回想はきわめて少ない。最近国会図書館で閲覧可能になった当時のビラ類の膨大な資料集成も、収集者の立場を反映してか全共闘系に著しく偏している。「燃え上がる炎」の真相と行方に迫るうえで、本書は一つの貴重な証言となる。

 こういう本の学問的コメントは難しい。今の学生には神話になっているとはいえ、東大闘争は四半世紀前、当事者たちはまだ第一線にいる。かくいう自分自身が、著者たちとは学部もその後の生業も違うとはいえ、当事者の一人である。おまけに最近は、元東大医学部助教授国崎定洞のモスクワでの非業の死の研究から、著者たちの共通の師である川上武医師と一緒に仕事をしており、三浦氏・増子氏とも何度も会っている。私のもとで政治学を学ぶ大学院生には「68年大学紛争」を専攻する者も出てきているから、そんな若い世代にコメントさせた方が客観的になろうが、ここでは敢えて感情移入のままに読んでみる。

 三浦聡雄氏は、当時の医学部のリーダーであり、東大民主化行動委員会議長であった。したがって三浦氏の証言は、「もう一つの東大闘争」の指導的総括という意味を客観的にもつ。たとえば東大闘争の「関ヶ原」は、69年1月安田講堂とマスコミでは神話化しているが、三浦氏によれば、前年11月12日の図書館前集会だったという。それは、東大闘争の歴史的意義をどこに見いだすかに関わる。三浦氏にとってそれは「夢とロマン」の舞台で、「運動内部の民主主義」「統一戦線」を体得する場だったという。だが民主化行動委結成が本当に共産党と無縁な「自然発生」であったかどうかは、私にはわからない。

 「東大闘争にひっぱりこまれた一兵士」と語る増子忠道氏の目線は、三浦氏と微妙に異なる。もともと学寮闘争から運動に関わり、医者になることに疑問をもち経済学部に出入りしていた氏は、「民主化と思っていたものが近代化にすりかわってしまう可能性」に執拗にこだわる。東大闘争も自己変革・社会的実践の一ステップと、突き放して回想する。

 二人の著者は、1971年に共に医学部を卒業し、一緒に民医連の柳原病院に入る。そこに後輩活動家を結集して、柳原病院・みさと健和病院を中核とした医療法人健和会グループを築きあげる。この卒業後の地域医療活動の軌跡が、本書のもう一つの主題である。三浦氏のみさと健和病院開設の苦労話、増子氏の老人医療の実践談は感動的である。

 出身学部は異なるとはいえ、二人は私の先輩であり戦友である。三浦氏と共に学生大会を防衛し、増子氏と一緒に勝共連合を論破し『赤旗』全頁をその記録で埋めた記憶は、私にも鮮明である。当時の印象は、三浦氏は文学青年政治家風、増子氏は哲学青年学者風であった。その面影はそれぞれに個性的な二人の回想に残されているが、巻末の二人の討論は柳原病院就職後の共通体験を扱ったためか、個性の面白さが減殺されている。三浦氏の「統一戦線からネットワークへ」という「総括」はいかにも指導者・組織者としての氏をほうふつとさせるが、増子氏の「民主化か近代化か」という問題提起とはすれちがっている。

 「トロ」「ネトライキ」など今では注釈なしでは伝達不能な運動用語がそのまま頻出するのは不親切だが、当時の運動体験者が読めば、臨場感があるのかもしれない。本書の二人の文章は聞き書きのようだ。聞き手が明示されず典拠が省略されているのは、歴史的資料としての価値を低めている。三浦氏は、旧全学連系活動家に、それぞれの「総括」と「持続する志」を表明せよというメッセージを込めているようだ。それは、加藤登紀子の「われらの世代の男たちへ」と題した「いつも時代の先端にいるという宿命」をもちつつ「見事に転身をとげた」全共闘運動体験者へのメッセージと、どれだけ異質だろうか(『朝日新聞』1995年8月28日)。三浦氏は「沈黙している人たちの胸のなかにも、かつての火種が燃え残っているのではないか」と「新しい変革」をよびかける。医学部出身の医者たちや、法学部出身の弁護士たち、それに私のように研究職に就いた者たちについていえば、たしかにあの時代を「総括」して社会的に発言すべき季節がめぐってきたのかもしれない。

 だが、私にはためらいもある。若い時に左翼運動をくぐったことが一つの勲章でありえた時代は終わった。多くの同世代の友人たちは、当時の体験を繰り返し内省しながらも、「夢とロマン」のみでは生きられない日本社会の現実となお格闘している。三浦氏も触れているように、一昨年夏に東大民主化闘争二五周年の集いが開かれ、私も出席した。そこに集った仲間の「志」は、かつては同じ方向であるかに見えた。しかし四半世紀後の私には、実は当時もその「志」ははるかに多様多彩であったのではないかと感じられた。本書の三浦氏・増子氏の運動体験の記述にもそれは読みとれる。自殺したり事故死した仲間もいた。転向も偽装転向もあった。最近刊行された加藤長『青春のハノイ放送』のような選択もあったし、川人博『現代社会と東大生』のような総括の仕方もある(共に花伝社刊、1995年)。

 学生時代の私は、どちらかといえば三浦氏タイプだった。だからこそ本書では、むしろ増子氏の軌跡からより多くを学んだ。私なりの「中間総括」は、両氏の師でもある川上武氏と共著で『人間 国崎定洞』に客観化した(勁草書房、1995年)。東大医学部助教授から革命運動に飛びこみ粛清された国崎定洞の悲劇のみならず、ベルリンで青春を共にすごした有沢広巳・千田是也・勝本清一郎らのその後の軌跡を追いかけ、なお進行中である。要するに、何が「志」で何が「総括」かも、日本社会と私たちのこれからが定まらない以上、さまざまな可能性と開かれた選択に委ねてよいのではないか。私は本書を宮田親平『だれが風を見たでしょう』(文藝春秋、1995年)と一緒に読んだ。「志の持続」という一人の人間内部での思想的完結性よりも、それぞれに個性的な「志」の挫折・苦悩・再生のプロセスと、それらのリンケージによる社会的・歴史的な継承・断絶のあり方に、より心を魅かれた。

 最後に、本誌への注文を一つ。本書のメッセージを受けて、また全共闘伝説の神話化にかんがみ、すでに歴史となった「学園民主化闘争」のさまざまな角度からの証言を「みのべ都政」なみに残してもらいたい。私の知る限り、東大に限らず、学園民主化闘争時代に「志」を持った多くの青年が、ちょうど本書の著者たちが大学病院はでなく地域医療に飛び込んだように、自治体職員や住民運動の世界に入って革新自治体を下支えした。彼らの中には、鈴木都政の「冬の時代」に専門的ネットワークを築き上げ、今日の青島都政や市民運動に新たな「夢とロマン」を託している人々もいるのだから。

(東京自治問題研究所『月刊東京』に発表、ただし枚数の都合で削った部分を草稿から復元)



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