私の返信=「『市民』と『アカデミズム』と『有機的知識人』」への早速のコメント、ありがとうございました。相変わらずの素早く精力的な対応に、舌をまきます。「アカデミズム」の丸山批判者たちが「市民のための丸山真男ホームページ」に恐れをなしてたじろぎ筆鋒がビビって沈黙する、なんて事態が生まれれば面白いのですが、それはまだないでしょう。私たちのこの討論についてさえ、私自身が聞かれたのはインターネット・マニアの院生一人からだけです。メールでの第三者の言及もありません。もっとも、実は固唾をのんで注目している読者が無数にいるとでも思いこまなければ、なかなかこんな公開「対話」は続きませんが。
先日、来日中のB・ジェソップ夫妻と共に、経済理論学会というマルクス経済学者の大きな集まりに初めて出席しました。ホームページとメールを介して知り合った赤間道夫さん、大石高久さんらと初めて顔を会わせ、もうずっと知り合いだったような気分で楽しく話し合いました。たしかにインターネットは活字文化の世界とは異なる「もう一つの知的共同体」の可能性を秘めています。しかし赤間さんと話し合ったのが、当のインターネット社会科学の可能性について一緒に本を作りませんかという話題であったように、少なくとも「アカデミズム」の世界では、まだまだ認知度は低いのです。ただし書店でパソコン雑誌やインターネット本のコーナーが政治や経済の専門書棚よりはるかに大きいスペースを占めている程度には、「市民」の中に広がり、確実に大きくなっているようです。
もっとも世界に目を広げると、インターネットは確実に「アカデミズム」内部に浸透し知の技法を変革しつつあります。先日見つけたアメリカのキャメット博士のグラムシ研究のサイトでは、世界のグラムシ研究のビブリオはこれからは出版物化することなくHP上でどんどん更新増補していく、と宣言しています。世界政治学会のここ十数年のペーパーの集大成がCD一枚のデータベースになって先日送られてきました。出版物や図書館の機能も大きく変化するであろうことは、貴HPも指摘されるとおりです。私はこれを「アカデミズム」と「市民」のボーダーレス化、相互浸透とみます。貴HPのご指摘は、にもかかわらず印刷文化媒体へのアクセスや大学図書館の利用で「アカデミズム」と「一般市民」には「生産手段」で歴然たる違いがあり、インターネットを「市民の遊び=自由時間空間」、印刷文化を「アカデミズムの労働時間空間」と使い分けるのはまやかしだ、そんなことができるのは「印刷文化世界」に居住権を持つ特権階級だけだ、ということのようです。
「貧困化論」と争点が似ていますが、貴HPも好んで用いられる歴史的アプローチが必要でしょう。平田清明さんは「市民」が好きで、京都にいる頃「クルマはシビックにしろ」といわれたと、平田門下のある研究者から聞きました。丸山真男が二〇年代福本イズムの受容基盤について述べた「青白きインテリの『自己否定』を通じて労働者大衆と自分を同一化しようとした」時代の名残りでしょうか。その若手助教授氏は、シビックどころかクルマそのものも買えなかったのですが。
丸山真男は、歴史的に「学者・学者先生」「学識者」「有識者・有識者階級」「知識階級」「インテリ」「文化人」「知識人」と整理したうえで「インテリ」と「文化人」の同心円を論じたわけですが、現代の「アカデミズム」の住人は、どこに入るのでしょうか? 今日「アカデミズム」に所属していることは、その経済的位置や社会的地位においては、「労働者大衆」と大きく異なりません。かつて「インテリ」とよばれた高等教育卒業者は、日本の労働力の多数派ではありませんが三割以上を占めますから、「アカデミズム」の労働手段である書籍や留学への投資をコストと考えれば、可処分所得は平均的労働者なみでしょう。かつてのような希少価値はありません。絶対数では医者・歯医者とほぼ同じで弁護士の十倍といわれます。つまり近所に医院や歯科医がある程度には、「アカデミズム」の住人は身近に棲息しているのです。
ですから丸山真男の時代とは違って、自治体や市民運動に「先生」としてよばれなくても、住民運動のなかにも町内会にもPTAにも「アカデミズム」で生業を得ながら「市民」としく加わり活動している人たちがおり、近所の八百屋さんやスーパーで買い物もしているのです。私が「アカデミズム」と「市民」が相互浸透しているというのは、ひとまずこうした生活世界の客観的・構造的規定です。
無論、「アカデミズム」を生業とすると(研究所の場合は別ですが)、学生への「教育」という労働が義務となります。その「学生」がどのようなものか、「教育」にいかに苦労しているかは、同業者のなかではよく話になりますが、あまり「アカデミズム」の外の世界では理解されていないようです。貴HPも最近の「大学改革」に触れていますから、ある程度はご存知のようですが、マニュアルのない「大学教育」の世界でなんとか学生に理解してもらおうと努力している「アカデミズム」の教育労働者たちの苦労は、バブル崩壊で売れ行き不振にあえいている中小企業者や、預金ノルマがあげれずに悩んでいる銀行員と、そんなに変わりません。ビデオやOHPを使い、『資本論』でもウェーバーでも図式化し、なんとか「古典」の入り口に入ってもらう手がかりをつくろうと工夫しています。
前に電子メールでお話ししましたが、今年の夏学期、私は勤務先の大学で「丸山真男『日本の思想』を音読する」というゼミナールを開きました。二年生を対象として二〇人ほどの学生に『日本の思想』の小見出しを一つずつ割り当て、事前に調べてきて朗読し解説し批評させるという形式です。いうまでもなく「『文明論之概略』を読む」の技法を丸山自身に適用したものですが、半ば成功、半ば期待はずれでした。成功というのは、ともかく全員がついてきて、半年で『日本の思想』の半分を読めたことです。期待はずれというのは、日本語で「読む」のにせいいっぱいで、何よりも学生たちの日本近代史の基礎的知識が乏しいため、学生の下調べも私の解説も歴史的事実や「ササラ型」のような言葉の説明に時間がとられ、「考え、批評し、討論する」以前の「文章と内容を理解する」段階でせいいっぱいだったことです。それは、昨年(丸山真男の存命中)の『現代日本の思想と行動』をテキストにした三年生のゼミナール(ただし音読はなし)でも同様でした。つまり丸山真男は、学生たちにとって、かつて私やH.Tanakaさんがマルクスや山田盛太郎を読んだ時よりも手強い(「思想」以前の)「理論」として眼前にあるのです。「マルクスよりも」というのは、私たちが時代の動きの中で持ちえた内発的動機づけが、今日の学生たちは持ちにくくなっているからです。たとえば「論点を出せ」と報告者に催促すると、「西欧を理想化しすぎている」とか「自分たちの知らない六〇年頃はそうだったかもしれないが、バブル崩壊後の今は」といった(『現代思想』の特集とか)どこかで聞いた話が無理にひねりだされるのです。
貴HPの常連層の年齢構成、メールでの反応をぜひ知りたいところですが、かつて丸山真男が「文化的、知的な好奇心」の集中的担い手とした「十代後半から二十代という若い世代」はどの程度入っているでしょうか? そして、学生という社会層が、客観的範疇としての「市民」のなかで多数派ではないにしろ重要な位置を占めているとすれば、「学生=受益者・消費者」をたんなる「労働力商品」ではない「市民的主体性」を持った存在にしようと日々努力している「生産者=アカデミズム」の人々は、私流にいえば、後述「有機的知識人」としての機能を、その「教育労働」においても果たしているのです。
もっともこの意味では、小中学校・高等学校の先生や、場合によっては予備校の先生とも大きく異なりません。じっさい学生に「過去に一番感銘した授業、影響を受けた先生は?」と聞くと、塾や予備校の教師を挙げる例が八〇年代(小論文試験登場の頃)から目立っています。「丸山真男は予備校の先生に勧められて読んだ」という学生が、結構多いのです。おそらく『丸山真男集』の商業的成功は、受験産業の繁栄とも無関係ではないはずです。これは別に受験戦争に寄生する予備校が悪い、あるいは丸山真男が小論文試験用定番になったのを憂うるというのではありません。その逆です。今日の文化状況のもとでは、入試問題に丸山真男を使うことさえ、「アカデミズム」に棲息する「有機的知識人」たちのささやかな抵抗である可能性が大なのです。いまの若い世代は、私たちの時代と丸山真男への入り口も読み方もちがうでしょうが、それでも読まれるだけの価値を保っている丸山はやはり「大知識人」だ、といいたいのです。『日本の思想』はもう四〇年近く前の本、私たちが学生時代に野呂榮太郎・山田盛太郎や三木清を読んだ時間的距離で、彼らは丸山に接しているのです。
それは「アカデミズム」のプリミティヴな職業技術的問題で「知識人」の問題ではない、と「無名の一般市民」を名乗るH.Tanakaさんならおっしゃるでしょう。「文化的、知的な好奇心」をひきだし「古典」に向かわせるのが「知識人の共同体」としての「アカデミズム」の責任であり職業倫理なはずだ、と。ここで「アカデミズム」における「研究」「知的・道徳的活動」の問題が出てきます。
確かに「生活者として、市民としての大学人」が「教育労働者」としてリクルートされるさいに「研究業績」が最大の資格要件であることは、昔も今も変わりません。その審査が「市民」には見えにくい「学会誌」や「紀要」という「タコツボ型」の小世界でなされており、いわゆる「啓蒙書」や「一般雑誌」論文はほとんど審査対象にさえされないのも事実です。「アカデミズム」の住人が「教育労働者」性・「市民」性を持つにしても、この「研究」のレベルでこそ「知識人」という種差性を担保するはずだ、と思われるでしょう。H.Tanakaさんの議論もこのレベルに集中しています。ところがこの「研究」がまたやっかいな概念です。通常「自然科学・社会科学・人文科学」などと分けられ、その中がさらに細分化されているのはご存知の通りです。
I・ウォーラーステイン『社会科学をひらく』は、私が最近最も刺激を受けた本の一つですが、別に「大知識人による市民への啓蒙」など想定しなくても、「アカデミズム」内在的にも「知の組み替え」が不可避になっていることを教えてくれます。「研究」の周辺の「科学」や「真理」や「普遍性」「法則性」の概念が、二一世紀を前に問い直されているのです。特に示唆的なのは、彼が「社会科学」につきまとってきた「国家中心主義」を告発していることです。政治学・経済学・社会学といった「社会科学」の区分自体が、西欧近代国民国家の影を色濃く帯びていることがよくわかります。「知識人」の定義に「専門性」を入れる用法がありますが、今日では狭い「専門性」にこだわることは「知識人」になるための桎梏になりかねないのです。
H.Tanakaさんは「レギュラシオン」理論や「ネオ・マルクス主義」「ポスト・マルクス主義」は「ポスト・モダン」と同じ流行思想で、山田盛太郎や丸山真男こそ「古典」であり、晩年の平田清明はその「古典」への王道からはずれて「レギュラシオン」によろめいたために「岩波文庫」に入り損ねるかもしれない、と危惧していらっしゃるようですが、「古典」が「古典」たりうる根拠がいまや問われています。少なくとも二一世紀には、かつてルネッサンス期に眼前の中世を批判的に対象化するために古代文明を振り返って生まれた「古典」という概念、その内包と外延が、改めて問われ組み替えられるだろうと思われます。レギュラシオン理論やプーランザス、ジェソップの国家論、ラクロウ=ムーフの言説理論やS・ホールのカルチュラル・スタディーズは――A・トクヴィル、H・アレントやJ・ハーバーマス、M・フーコー、I・ウォーラーステインらとともに――その認識枠組みの組み替えを媒介する機能を担っている、というのが私の現状認識です。
また「市民」には無縁な横文字の羅列とお叱りを受けそうですが、これは「アカデミズム」のみの問題ではありません。「近代的生産力」、その一大源泉としての近代知=科学技術発展の総体がある種の行き詰まりを示していることは、エコロジーやフェミニズムを持ち出すまでもないでしょう。私のホームページでお勧めした「Bulettin of Concerned Asian Scholars」最新号が重要なのは、最近のG.Almondの論文と共に、二〇世紀後半の世界の知をリードしたアメリカ合衆国起源の一学問領域(=Area Studies)とその研究者たちが、いかに深くアメリカ合衆国「国家」にビルトインされていたかを、具体的に明らかにしているからです。ここでは個々の研究者とCIAとのつながりばかりでなく、「地域研究」という(「学際的」と思われてきた)学問領域・研究方法自体の政治性・歴史性が――ウォーラーステインも述べているように――明証されているのです。
ですからここでの「研究」とは、「近代知」を構成し精緻化してきた過去の理論的言説の学習、その歴史的現実への適用・応用には留まりえません。その枠組み自体の再審問・再構成が含まれます。より思想史的にいえば、「近代社会科学」の文法・話法の総体が問題になっているのですから、「専門的知識人」はもとより、いわゆる「教養主義的知識人」の枠をもこえなければなりません。H.Tanakaさんが、「大学を出て社会人となった者が、自分の理論的必要から書店で手を伸ばす学問と書物」と「私流の社会科学」を再定義されたのは、こうした時代の要請と理論的混沌を表現したものとして、卓抜です。また氾濫する情報の海の中での自立の根拠地づくりとしても理解できます。
じっさい私たち「アカデミズム」の住人とて暗中模索です。海外出版物の取次店のカタログや書評紙に目を通すだけでも、うんざりするほど「不確定性」「複雑系」に溢れています。そこで時代をトータルに捉えるには、むしろ自分の解きたい問題を特定し、それを通じてより普遍的な近代世界の問題に迫っていく方法を採らざるをえません。もちろん横文字を縦に直したり、『現代思想』『思想』風の新しい枠組みを追究するのも、ひとつの「研究」の技法で「アカデミズム」では十分それでも生活の糧を得られるのですが、今日の地点で近代社会をトータルに認識しようとする時、「研究」はマルクスや丸山真男にはとどまりえません。また対象と方法がそうであるとすれば、「研究」の主体そのものが「アカデミズム」にとどまりえません。「実学的知識人」という表現もありますが、経営学や法学では実業界から「アカデミズム」への人材流入が盛んです。二〇世紀末の「市民」は、「市民」としての属性から「研究」に加わる資格を持ち、現に環境問題でも哲学・思想でも「在野」に立派な「研究者」を見出しうるのです。「丸山真男研究」という領域も生まれつつあるようですが、「市民」であるH.Tanakaさんは、現にその最先端にいるのです。
私が好きな丸山真男の言説に「『大理論』への生得の懐疑」という自己規定があります。実は私自身は学生時代から「同質性の原理により関心を持つグループ」に属してきたので、ここ十年ほど意識的に「特殊化」「歴史的個性」に研究対象を移してきました。ここから「市民」と「知識人」に関わります。
歴史的「近代」をトータルに問い直すという知的作業が、「アカデミズム」のみの問題でないことは、「市民」を名乗るH.Tanakaさんもお認めになるでしょう。むしろ二〇世紀民主主義の土俵上では、「市民」の側からの原発や環境や性差への問題提起が、マイノリティの自己主張やオリエンタリズム批判の文脈と相まって「アカデミズム」に浸透し「近代知」が組み直されようとしている、と言っても過言ではないでしょう。ボーダーレス・エコノミーのもとで進行するボーダーフルな政治、その国民国家的政治に対する「市民」の強い不信は、日本だけではないようです。ある種の政党は「市民政党」と名乗り、ある種の運動は「市民主義」をかかげます。しかしその「市民」とはなんでしょう?
かつて六〇年安保闘争のなかで、久野収は「市民」を「職業を通じて生活をたてている」が「職業と生活が分離」している存在としました(「市民主義の成立」)。この意味では、一般企業に勤める人も商店主もアカデミズムに生業を持つ人々も、職域を問わず「市民」になりえます。「知識人」の概念にも似た事情があります。「インテリ」が少数エリートとして明示的に「市民」から識別しえた時代ならともかく、「知識人」を「アカデミズムの住人」と職域的に規定するのは無意味です。むしろ「市民」のなかで「知識人」を相対的に区別する指標を考えるべきでしょう。「知識人」も「職業と生活が分離」した地平で定義すべきです。
私が「大知識人」「小知識人」の表現を用いたのは、グラムシの「大知識人」(「小知識人」は「自らの愚かさや行動力のなさで気むずかしくなった」存在としてでてきます)、久野収の「大インテリ」や丸山真男の「疑似インテリ」などにならったものですが、私の「知識人」理解は、広義で機能的なものです。それは「市民」のなかにありながら、そこでの分子的な知的・道徳的活動を通じて「市民社会」形成を媒介し方向づけ、「政治社会」へと媒介していく存在です。
「アカデミズム」の客観的規定は、上述「教育労働者=市民」ですが、機能的にみると、すべての教育労働者は「知識人」でもあるでしょう。また政治家・公務員や企業経営者、専門職・技術職の多くの職域に「知識人」の機能を見出すことは容易でしょう。ただし、その「同質性」ではなく「特殊性」に着目して立ち入ってみると、かつての「革新的知識人・文化人」の時代とは違って、「知識人」の内部はさまざまな社会への方向付けで満たされ、イデオロギー的にも四分五裂しています。
また社会的に流通する「知識・情報=近代知」が二〇世紀に量的にも質的にも飛躍的に拡大したために、その担い手の裾野が広がっただけ、専門的分化も進みました。ここでの専門性とはアカデミズム内部の職域的分化も含みますが、それだけではありません。教育と研究の分化、知識・情報のビジネス化による職域的分業、「生涯教育」による教育内部の階層化、メディアを媒介とした技術的コミュニケーション手段・表現手段の分化などを含みます。ですからグラムシ流にいえば、「すべての市民は知識人」でありえ「知識・情報」の受け手であるばかりでなく生産者でもありえますが、同時に「すべての市民が知識人の機能を果たすとは限らない」ことになります。私の理解では、「アカデミズム」にもほとんど「知識人」機能を果たしていない人がいる対極で、インターネット上で華々しく丸山真男を論じるH.Tanakaさんや「民主集中制」について貴重な資料・情報を公開している宮地健一さんご夫妻は、「知識人」の機能を果たしている「市民」の典型なのです。
ただしこの構造は、歴史的です。ひとつは社会構造全体の知識による媒介=情報化の進行と関わります。その深奥に「ヘゲモニーは工場に生まれる」というフォード主義・アメリカニズムの世界化があるにしても、それが資本主義世界で支配的になったのは20世紀の後半です。また問題が経済構造に発するにしても、当の経済自体が今日では政治的・文化的(グラムシなら「倫理的」というでしょう)な諸制度・イデオロギーに媒介されてのみ作動します。同時に政治的民主主義の媒介、すなわち思想・表現の自由や言論・集会・結社の自由、治者と被治者の同一性の原理が「市民が知識人の機能を果たす」土俵を飛躍的に拡大し、教育の制度化・高度化が「市民=知識人」の潜在的担い手の範囲を著しく拡大したのです。いわゆる「知識人ー大衆関係の弁証法」ですが、それは同時に「市民の知識人化」と「知識人の市民化」を伴うものです。
また「知識・情報」は言語・文化の制約も受け、「知識人」はひとまず国民国家との関係性のなかで歴史的・具体的に機能します。そこには「伝統的知識人の古典化」を含むナショナルな歴史的特殊性が媒介します。一般に国民国家内では政党・官僚を含む支配的ヘゲモニーを支える知識人が、集団的に秩序維持のイデオロギー的機能を果たし、それに対する対抗ヘゲモニーも、多くの「市民=知識人」の多様な知的活動によって担われ構成されます。
「有機的知識人」とは、こうした「市民=知識人」の広がりのなかで「ある集団の等質性とその集団そのものの機能に関する意識をあたえる」ような存在です。グラムシはそれを主として「階級」という集団を念頭において論じますが、私は敢えて「市民」という集団を想定し、プロセスとして把握します。つまり、「市民」そのものを「永続民主主義革命」を担う過程的=形成的存在とみなし、「有機的知識人」とはその「市民間関係=市民社会形成」を媒介する機能とすることによって、「伝統的知識人」「大知識人」がかつて個人として担った機能を、集団として分子的に担う一群の「小知識人」を「市民」の内部に見出すことが可能になるのです。
前便では「アカデミズムと市民」イシューが中心であったため、「小知識人」をその存在論的規定を中心に論じ「弁明」「自己正当化」と受けとめられたようですが、ここでは機能論的に、むしろ「小知識人=有機的・分子的知識人」という積極的規定を与え、それをめざす「市民」である限りで、私とH.Tanakaさんにはなんらの指導・被指導関係も上下関係もないことを強調しておきます。
また敢えて日本的文脈で言えば、H.Tanakaさんが私に「知識において権力から正義を守る伝統的な左翼的知識人の系譜の継承」を期待なさるのはそれなりにありがたい話ですが、当の私自身は、その「伝統的な左翼的知識人=進歩的インテリ」類型から脱皮し「地球市民社会の有機的構成の分子的媒体」になるべく努力しているのであり、このたびの私のホームページ開設はその一環です。その直接の契機は、「革命的知識人」を志して異国に客死した国崎定洞の生涯という「特殊」な歴史的対象に執着し、その周辺の有澤廣巳・蝋山政道・山田勝次郎・千田是也・堀江邑一・平野義太郎・野村平爾・勝本清一郎・大岩誠・新明正道・大熊信行・竹久夢二らの思想的軌跡を「研究」することによって、二〇世紀日本の「左翼的知識人」一般のたどった問題性が、おぼろげながら見えてきたことです。「労働者階級・人民の中へ」「民衆への奉仕」「大衆への啓蒙」といった「(大)知識人ー大衆」図式がもった歴史的意味を、改めて考えるべきでしょう。また「分子的媒介」を狭義の政治主義的意味にとった場合の悲劇を、「市民の生きる権利」の側から逆照射すべきでしょう。ですから私の「知識人の市民化=市民の知識人化」は、「革命のために」といった肩肘張った使命感・自己犠牲や「市民の中へ!」の悲壮な覚悟なしで知的に活動できる、構造的にも機能的にも相互乗り入れ可能な、広義のしなやかな規定のつもりです。
私が丸山真男に相対的に惹かれるのは、「大知識人」であった彼がここでも「『大理論』への懐疑」を貫いたことです。「すべてを疑え」を信条とする限りで、カール・マルクスとも合致します。そして、当然のことながら、マルクスにもグラムシにも丸山真男にも「懐疑」と「距離」をリザーブするのが「自律的市民=有機的知識人」のとるべき態度であり、彼らが後の世代に期待したところでしょう。ですから私は、「二一世紀の知性」はありうると思いますが、啓蒙主義的意味や前衛主義的意味での「知性の王国を再建」しようとは思いません。丸山真男の言説に依拠してMarxismやSocialismを救おうとも思いません。MarxismやSocialismが再生できるかどうか、だれが「大知識人」として残り何が「岩波文庫」に入るかは、「二一世紀の市民」や出版ビジネスの決めることで、歴史にまかせておけばいいでしょう。ただしその場合の「二一世紀の市民=知識人」とは、ローカルで分子的であると共に、ナショナルな枠を超え、グローバルにも有機的であるべきでしょう。
私は私の自由時間のなかで、肌の色や言葉の異なる人々を含む「見えない市民たち」に語りかけ、「地球市民社会形成」の一分子になろうと思います。H.Tanakaさんは「丸山真男」のコンテクストで集う「市民=知識人」の有機的組織者として、いっそうのご活躍をなさるよう期待しております。