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  『山本正美裁判関係記録・論文集──真説「三十二年テーゼ」前後』刊行に寄せて

                    加藤 哲郎(一橋大学教員・政治学)

 山本正美の名を、今日知る人は少ないだろう。日本の社会運動史に詳しい人でも、今時なぜと思うかもしれない。戦前の短い期間ではあるが日本共産党の最高指導者となり、敗戦直後にも一時期湯本正夫の名で論客であった。しかし徳田球一のような華々しい活動家ではなかったし、宮本顕治のように文芸理論にまで手を広げるイデオローグでもなかった。一九六一年に日本共産党を除名された山本正美は、主要には「アキ」の名による「三二年テーゼ」作成期の日本人解説者として、歴史に記憶されてきた。

 そこには、二〇世紀の日本社会運動史研究における、ある種のバイアスの作用があった。すなわち、あらゆる社会運動は階級闘争ないし階級闘争に従属するもので、階級闘争は労働者階級の前衛党=共産党に指導されるものであり、共産党の歴史において決定的なのは「正しい」戦略・戦術と「民主集中制」の組織である、と。その戦前史においては、徳田球一・市川正一・宮本顕治ら「非転向」幹部が予審や公判で主張した「天皇制との闘争」が評価の基軸であり、たとえかつて最高指導者であっても後に「転向」したり「除名」された佐野学・田中清玄・風間丈吉・山本正美・志賀義雄らの言説は信用できない、と。

 しかし、第一次世界大戦・ロシア革命から東欧革命・ソ連崩壊にいたる一回転した「短い二〇世紀」の後に虚心に歴史をふりかえると、いわゆる社会主義・共産主義の運動に孕まれた無数の神話・伝説と史実との距離に驚かされる。筆者がここ五年ほど読んできた旧ソ連公文書館日本関係文書には、神話のヴェールをはぎとる多数のドキュメントが含まれており、それゆえにまた、新たな史資料の裏付けが必要な検討課題が山積している。

 本書『山本正美裁判記録・論文集』は、そのような文脈で光彩を放つものである。かつて風間丈吉の「転向」前の獄中手記(『「非常時」共産党』三一書房、一九七六年)が公刊され、今日ではその基本的信憑性が確認され日本共産党史解明の重要資料とされているが、風間同様クートベ出身でソ連からの帰国直後に日本の党指導を任された山本正美の供述記録も、当時の最高指導者自身による貴重なリアル・タイムの証言になっている。

 本書には、山本正美の予審調書と獄中手記が収録され「三二年テーゼ」の成立事情が詳述されている。無論そこには党指導者として権力に秘匿したり故意に事実を曲げたりしている部分もあるが、「三二テーゼ」がオットー・クーシネン以下コミンテルン東洋部主導で作られ、片山潜・野坂参三以下当時の在モスクワ日本共産党指導部は作成に関与できず、わずかに山本正美のみが基礎資料作成・分析である種の役割を果たしえたことが、明確になる。その獄中手記は佐野・鍋山らの「転向」批判で、「転向」や「変節」とよばれた現象にもさまざまなあり様があったことをうかがわせる。山本自身は「テーゼ」を確信し、本書収録の戦後の論文でもその解説者としてふるまうが、その解説の変遷そのものが、一つの歴史的ドキュメントになっている。刊行委員に名を連ねた筆者=加藤と岩村登志夫氏のほかに、小山信二氏も「解説」を寄せており、三人三様の「三二年テーゼ」評価が今日の研究状況を浮き彫りにしている。山本獄中手記は、日本共産党創立をなぜか「一九二三年」としている。筆者自身は、その後の旧ソ連日本関係文書の発掘によって、日本共産党の二二年七月創立説・初代委員長堺利彦伝説を覆し、「天皇制との一貫した闘争」の脱神話化をはかる手がかりをえた(『大原社会問題研究所雑誌』一一月号以下の連載参照)。

 本書は一冊四万円と高価で、個人での購入は困難かもしれない。しかし図書館等に入れて熟読する価値は充分にある。それでも収録しきれなかった山本「公判ノート」については、刊行委員の三輪隆氏が『埼玉大学教育学部紀要』で逐次紹介する予定という。本書と共に参照すれば、「偽装転向」研究にも一石を投ずるであろう。(新泉社、四万円)

  (『図書新聞』に


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