このエッセイは、『月刊社会教育』1993年4月号の巻頭言で、次項にかかげる文部省非検定外国人留学生向け教科書『日本の政治』の意味付けでもある。
昨1992年、拙著『社会と国家』(岩波書店)の執筆と並行して、二つの学校教科書作成に加わった。一つは、某大手出版社の『高校現代社会』、いま一つは、東京外国語大学留学生日本語教育センター発行の外国人留学生向け『日本政治』のテキストである。いずれでも、『社会と国家』同様、国際化の視点を前面に出し、地球市民の形成の必要を説いた。
しかし、高校教科書には文部省の検定がある。私の担当した部分にも、多数の修正意見がつけられた。外国人の人権については、特に厳しかった。日本国憲法第14条「法のもとでの平等」の説明で、GHQの当初の草案に外国人の人権についての明確な規定があったことを注記したが、検定官は教科書には適切でないと指摘し、削除せざるをえなかった。やむなく修正に応じたが、後味は悪かった。そこでこれらは、もうひとつの教科書に生かすことにした。幸い、外国人留学生向け教科書には、文部省の検定はない。次の叙述が入った。
「GHQの初めの憲法草案には、『外国人は法の平等な保護を受ける』と明記した独立の条項があった。……ところがこの独立条項は削られ、『法のもとでの平等』条項に含まれることになった。その条項は、初めの案では『すべての自然人は、その日本国民であると否とを問わず、法律のもとに平等にして、人種、信条、性別、社会上の身分もしくは門閥または国籍により、政治上、経済上または社会上の関係において、差別されない』となっていた。……それがやがて、『日本国民であると否とを問わず』が削られ、『国籍』が『門地』に変えられた。最後に、『すべての自然人は』が『すべて国民は』と修正された」
こうした経緯は、憲法学者のなかでは知られている。だが、ふつうの日本人で知る人は少ない。外国人の人権をも「すべての自然人」の権利と受けとめ、痛みを感じ、擁護することができること、このことが、今日要請される地球市民の出発点である。