経済地理学会第40回大会共通論題シンポジウム「空間と社会」報告要旨

1993・5・29 於:明治大学


現代政治空間における国家と民主主義

加藤 哲郎(一橋大学・政治学)

 


 日本の政治学では、空間と政治の問題は、原理的に論じられることは少ない。しかし西欧政治思想の歴史においては、プラトン、アリストテレス以来の長い伝統を持つ。近代の政治空間は、国民国家(nation state)を中心に構成され、古代ポリスの小規模政治社会、古代帝国・中世キリスト教普遍共同体のような大規模政治社会との対比で、中規模政治社会と歴史的に位置づけられる。そこでは経済空間と政治空間との相対的乖離が進行した。フランス革命から19世紀までの国家の数は西欧を中心に約20ー30といわれるが、今日では地球大に増殖して180以上になり、「諸ネイションによる地球の国民国家的再分割」が完了した。

 19世紀に近代国家形成が西欧から地球大へと広がるにあたって想定されたのは、数千万人の規模で主権を国家に委ね、国民としてのアイデンティティと厳格な国境で仕切られた領土と国民経済を持つ国家を構成することであった。それゆえドイツ国家学やわが国戦前社会科学では、「国家の3要素=主権、領土、国民」などという「理論」さえまかり通った。しかし現実には、一民族一国家は今日では全体の5分の1以下にすぎず、多民族・多エスニシティ国家が常態化している。国家形成と国民形成は異なり、ネイションとは国家により構成された擬制であった。多国籍企業の経済力は、中小国民国家のGNPよりはるかに大きく、一企業で国家の運命を左右しうる。そのうえ今日の地球は、核兵器のような人類絶滅装置をもち、環境生態系危機も深刻である。民族自決原理は、国家主義を増殖するだけである。ネオ・マルクス主義、ポスト・マルクス主義は、この「国民国家のたそがれ」に注目し、世界システム論とも接合して、新たな国家論を展開している。国家空間と社会空間の合致は偶発的・状況的で、ボーダーレスな経済空間=資本主義世界システムのもとで自律的に構築・脱構築を繰り返しているから、民衆の政治空間は、国家単位である必要はない。

 政治空間内部の編成原理としては、デモクラシーが古代ギリシャから再発見され、発展してきた。そこにはポリスのような小規模社会こそ最適政治であるという理念が潜んでいたが、現実には中規模政治社会である国民国家と接合された。政治空間の民主主義的編成は、「国民国家のたそがれ」のもとで、ローカルで小規模なコミュニティ=生活世界単位での自律的市民の公共的コミュニケイションを活性化し、その意思決定をナショナル・リージョナル・グローバルへとボトムアップにつみあげ地球大へと拡大・深化する方向で再考察された。

 政治空間のボーダーレス化は、さしあたりは国家的仕切りの相対化、国境線のソフト化・フレクシブル化、移民・難民・外国人労働者の非対称的相互浸透のかたちで現れ、NGOネットワークは、92年国連地球環境サミット開催の原動力となった。それは経済空間のボーダーレス化の従属変数のように見えながら、実は人権・デモクラシー原理のグローバル化、地球市民化の作用でもある。問題は、それが経済空間とどう接合されるかである。今日の市場空間は、法人企業を単位とした営利活動の展開する場であり、内部は階層的なトップダウン原理が支配している。空間編成全体に市民の空間主権を及ぼし、国家=公、市民社会=私ではなく、公私の境界を再構成し、デモクラシー原理を経済空間に及ぼして企業の公共的性格を明確にすることが、今日の理論的課題である。 


 
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