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B・ジェソップ『国家理論』

(中谷義和訳、御茶の水書房、1994年)

 中曽根康弘氏が最近の政治改革の中での「国家論の欠落」を憂えている。確かに1970年代「国家論のルネサンス」期に比べれば、世界的にも国家の理論的探求は後景に退いた。新自由主義や政治経済学の隆盛、何よりもソ連崩壊による社会主義国家論の凋落が、資本主義国家論をも水に流した。中曽根氏とは異なる文脈で、評者も国家論の衰退を憂うる。

 本書は「国家論のルネサンス」の今日的成熟を示す書の待望の翻訳である。最近の評者の国家論も本書に多くを負っている。しかし大著である。一人で体系的に翻訳するには、おそろしく幅広い知識と根気を要する。昨年の日本翻訳文化賞を受賞したのもうなづける。

 著者のボブ・ジェソップは、イギリス・ランカスター大学社会学部長、70年代ネオ・マルクス主義の旗手であり、N・プーランザスを批判的に継承したネオ・グラムシ主義国家論の中心論者である。わが国でも既に、本書の訳者や評者も加わって、『資本主義国家』(御茶の水書房)、『プーランザスを読む』(合同出版)が翻訳・紹介されている。

 全体は4部12章で、論文集の体裁をとっている。第1部「マルクス主義の法・国家論、および法と国家の、資本主義経済および階級闘争からの相対的自律性」、第2部「政治的代表、社会基盤、国家形態」、第3部「価値形態、資本主義国家、ヘゲモニー的企図」、第4部「国家と社会の再考」と構成され、第4部のみが新稿である。ただし第1ー3部の諸論文は初出発表時に国際的反響を呼んだ話題作であり、本書収録にあたり、それら反響にも留意した著者の長いコメントを付している。さらに「日本語版への序文」には、これまでの著者の訳書と同様、最新時点での著者の考えが要約されている。

 著者は、非マルクス主義や脱マルクス主義の諸潮流に目配りし、自己の枠組に組み込みつつ、なお柔軟なマルクス主義国家論の論理を模索する。本書ではフランス・レギュラシオン学派と共にN・ルーマンのオート・ポイエシス論が組み込まれている。例によって批判的摂取という仕方で。

 本書の中心的テーゼは、第4部第12章に総括されている。いわく「国家装置の中枢は、諸制度や諸組織からなる弁別的総体から構成されており、その社会的に是認された機能は、社会の構成員の共通利益ないし一般意志という名において、この成員に対して拘束的な決定を設定し、これを強制することに求められる」(508頁)。

 このジェソップの定義は、「国家とは階級支配の道具である」とするレーニン主義や「一定の領域内での正当な物理的暴力の行使」とするウェーバーの国家観に比すれば、あまりに冗長で多義的でありすぎるかもしれない。だがそれは、本書全体に貫かれた「戦略・関係アプローチ」とその具体的展開を踏まえれば、そうならざるをえないゆえんがわかる。単純な定義の時代、訓古学的解釈の時代は終った、眼前の資本主義国家を重層的・多角的・動態的に分析せよ、それはケインズ主義的福祉国家からシュンペーター主義的労働福祉国家に転化しつつある、と。 

 訳文は、抽象度の高い理論的書物にしては平明である。ただし仏語起源の「レギュラシオン」を英語の「レギュレーション」にそのまま置き換えるような訳し方には、評者は賛成できない。いずれにせよ、なおマルクス的思考の延長上で現代資本主義の批判的分析を志す者は、本書から無数の知的刺激を受け、自分自身の視座構築のヒントを得るであろう。

(『エコノミスト』誌に発表)



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