この間の両党関係の変化は、双方の世代交代と実利の思惑が結びついて生まれた。日本側は昨年の党大会で長く党を指導してきた宮本顕治氏が引退、中国でもとう小平が世を去った。両党それぞれが市場経済を認め、柔軟な政治姿勢を打ち出してきた背景がある。
日本側は昨年の党大会で、東アジア重視を新しい柱として打ち出し、宮本氏流の共産党間外交優先、国際的孤立の路線を軌道修正した。不破・志位体制は、首相指名選挙で菅直人と書くかもしれないという柔軟路線を示し、対中国外交も、政権参加を射程においた現実的姿勢の表れである。
中国側からすれば、長年のパートナーで日本との重要なパイプだった社会党が社民党になって衰退、日米防衛協力ガイドラインや歴史認識といった問題で、野党内地位を高めた共産党との関係を復活させ、政府や自民党以外とのパイプを確保し、日本政治をチェックする足場を築こうということだろう。
両党には兄弟党だった特別な歴史もある。日本共産党は一九二二年、コミンテルン(国際共産党)日本支部として誕生し、戦前モスクワとの連絡ルートは常に中国が一番重要で、国際共産主義運動の中でも特別な関係だった。戦後も日本共産党にとって、中国共産党はソ連共産党と並んで、善かれ悪しかれ特別な存在だった。
かつての兄弟党時代には、両党関係は常にソ連を強く意識していた。両党断絶の間に日中国交回復や天安門事件、東欧革命、ソ連崩壊など大きな環境変化があったが、過去の対立を一応清算した今回の会談では、隠れた第三の主役がソ連から米国になったのも特徴だ。異例に長い意見交換のなかでも、両党は、アジアと世界における米国の存在を強く意識していたと思う。
かつての共産党は、海外の共産党や革新団体との対外関係しか持てなかったが、今回の中国や交渉をはじめた韓国との関係樹立といった経験を重ね、国際共産主義運動の枠を離れた、普通の対政府・対政党外交もできる党に脱皮しようとしている。
しかし、そうした外交を進めようとすると、コミンテルン以来の伝統や党の組織体質と矛盾が出てくるだろう。本当の脱皮のためには、閉鎖的な民主集中制や党員の権利より義務を優先する党規約を変えるべきだろう。
もっともインターネット上では、今回の訪中についても、多くの党員・支持者が天安門事件・人権問題、中国の核保有をどう考えるかを活発に議論しており、党内問題を党外で議論することを禁じてきた民主集中制は、事実上崩壊しつつある。党指導部にはそうした新しい時代認識と、コミンテルン型伝統からの脱却が求められているのではないだろうか。
(朝日新聞、1998年7月22日朝刊)