社会主義理論学会編『20世紀社会主義の意味を問う』(御茶の水書房、1998年)所収


20世紀社会主義とは何であったか

 

加藤 哲郎(一橋大学・政治学)

 


 1 はじめに――インドで考えた「何が社会主義ではないか?」

 

 21世紀の社会主義について、インドで考えたことをお話しします。コラコフスキーというポーランドの哲学者が、1968年「プラハの春」の頃、ワルシャワ大学学生新聞の求めに応じて書き、それがもとで大学を追放された「何が社会主義ではないか?」という有名な詩があります。私の著書『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990年)では表紙カバーに入れ、大変反響が大きかったものです。

 そこでコラコフスキーは、「現存した社会主義」の言論弾圧や恐怖政治、物資不足を風刺しながら「何が社会主義ではないか」と問い、「なんの罪もおかさなかった者が、家でじっと警官のくるのを待っている社会」「意見というものをぜんぜん持たない方が暮らしいい社会」「一部屋に十人も住んでいる社会」「自分のことをいつも正しいと思っている国家」等々と延々と述べ、最後に1行「さて、これから社会主義とは何かを申し上げるからご注意を。諸君、社会主義とはいいものである」と結んでいました。

 「ユートピア」の語源は「そこにないもの」ですが、「そこにあるもの」に対する「ないもの」からの批判と運動が、もともと「社会主義」だったわけです。20世紀に現存したソ連や東欧の体制をどう規定するかはともかく、「そこにあったもの」の批判的省察なしには、「21世紀の社会主義」は語れません。

 生産手段の国有化や計画経済、共産党の指導権やマルクス主義の国教化を前提としない、このような広い「社会主義」理解のもとでは、日本での社会主義論議でほとんど視野に入ってこなかった発展途上国インドでさえ、なにかしら「社会主義」へのヒントを与えてくれるでしょう。それが、これからお話しすることです。

 インドは、アジアでもっとも経済的に遅れた国の一つです。一人あたりGNPは300ドル、日本の100分の1です。イギリスの植民地から独立したのが1947年、つまり建国半世紀です。ガンジーの非暴力不服従運動がよく知られていますが、そのガンジーや初代首相ネルーの娘で首相であったインディラ・ガンジーが暗殺されたように、宗教的対立があり、カースト制度の残った国です。

 しかしインドは、社会主義国でもあります。冷戦時代に非同盟運動の盟主でありながらソ連と親しくしていたことはよくしられていますが、それだけではありません。インドの憲法に、はっきりと明記されているのです。政治学者として恥ずかしいことですが、私自身、昨1996年インドに滞在して、そのことを初めて知りました。

 インド憲法前文には、正式国名が「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」とでてきます。「主権をもつ社会主義の宗教的に中立な民主共和国」というわけです。その理念は「正義・自由・平等・友愛」の4語にまとめられています。フランス革命の3理念に「正義」を加え、第一にもってきたものです。インド憲法は全395条の分厚い書物で、カースト差別の禁止から労働時間の制限まで、細かく規定されています。条文だけからみれば、すばらしい民主主義の国です。インドの日本研究者と「憲法からみるとわれわれの国は似ている」とジョークをいいあいましたが、それは「プログラム規定」とよばれる憲法の社会的定着度です。理想的目標はかかげていても、現実とはあまりに距離があるからです。

 「似ている」といえば、インドも1997年現在、連合政権の国です。長く国民会議派の統治が続いてきましたが、汚職や政治腐敗で国民から見放されました。といっても一党独裁ではありませんでした。政治的民主主義は、時に戒厳令で制限されることはあっても、建国以来保たれてきました。日本の「55年体制」における自民党支配と似ていないこともありません。しかしインドの連合政権には、14の与党のなかに旧ソ連派と自主独立派のふたつの共産党も加わり入閣しています。もともと人民党というヒンドウ原理主義に対抗して国民会議派も閣外協力した連合ですから、計画経済がとられているわけではありません。むしろ国民会議による長い「インド型社会主義の実験」が90年代初頭に終わって、外資導入型近代化に踏み出したところで、共産党が入閣しました。実際にはなお国有・国営企業、中央官僚制の力が根強く、共産党もその利権にくいこんでいるようです。

 9億の人口をかかえるインドは、多様性をかかえた連邦制の国です。宗教的には、インドの語源であるヒンドウが82%を占めますが、ムスリム(イスラム教徒)も12%、キリスト教徒も2.3%います。タクシー運転手などによく見られるターバン・髭のシーク教徒は2%ですが、絶対数では800万人に及びます。ですからブッダのふるさとであり、日本人観光客は仏教遺跡を好んで訪れますが、仏教徒は320万人で0.7%です。数千ともいわれるカースト(ヴァルナとジャーティ)は、もともとヒンドウー起源の内婚身分制度ですが、同時に異教徒をも組み入れた職業的・地域的分業の仕組みになっています。

 識字率は男性64%・女性39%・平均52%と1991年統計にありますが、25の州(state)と7つの連邦直轄区で、大きな差があります。例えば私が住んでいた首都デリー直轄区は識字率75%ですが、ケララ州では90%と高くなり、貧しいラジャスタン州では39%と低くなります。おまけに話し言葉が地域で異なります。最大言語のヒンドウでも43%の人口をカバーするにすぎず、ルピー紙幣には14の公用語に英語・アラビア語を加えた16種類の言葉が印刷されています。100万人以上が話す言葉が33、5000人以上だと281種、少数言語を加えると1600種類といわれます。大学教育で英語が用いられるのは、もちろん植民地時代の宗主国イギリスの影響もありますが、多言語国家での共通コミュニケーション手段でもあるからです。

 そんな国ですから、州政府の権限はかなり大きいわけです。カルカッタのある西ベンガル州では、長く共産党が政権与党です。そうすると、日本と違って共産主義政党が政権に入っていることで社会主義ということになるでしょうか? どうもそうではなさそうです。カルカッタでは1997年1月1日からインド名物、というよりアジアの風物詩の一つである「リクシャ」がダウンタウンから消えました。「人力車」から発して近代日本侵略史と共に日本語のまま広がったものです。日本人にとっては屈辱の遺産ですが、インドではもっともポピュラーな庶民の乗り物です。自転車こぎの力車のほか、バイクやスクーターのエンジンをつけたオートリクシャもあります。タクシーは高嶺の花の下層民衆にとっては手頃な交通機関で、私もよく利用しました。

 ところが共産党主導の州政府は、世界銀行の援助で都市再開発にのりだし、交通渋滞・大気汚染(足こぎなら環境にやさしいのに)の原因になるという名目で、リクシャの市内乗り入れを禁止、一挙に7000人の貧民(ドライバーの多くがバングラデシュ難民の出身なそうです)が職を失いました。実際は、世界銀行の融資条件を整えるためらしく、クリスマスにはリクシャ運転手たちの大きな反州政府抗議デモもありました。共産党政権が反労働者的に開発政治を進めている一例です。

 国有・公営企業の役割がなお大きく、経済官僚による計画経済の要素も強いのですが、カースト制度は厳然として残り、圧倒的部分を占める農村ではなお農地改革が課題になっています。コンピュータ・ソフト開発の世界的最先端にあるバンガロールを見てきましたが、IBMほかの工場・事務所が建ち並ぶ工業団地は大海の一滴で、バンガロール空港の電動掲示板が壊れたままでした。確かに工業化が始まり、中産階級が増えて、電気洗濯機ブームで洗濯を代々職業としてきたカーストの職を奪っています。マクドナルドのチキン・バーガー店さえ昨年開店しましたが、社会構造の基本はほとんど変わっていません。

 西洋史風に言うと、未開・野蛮・文明が共存し、古代・中世から超近代までの時間が重層的に作動し、空間的にもモザイクになっています。こんな国で単線発展型唯物史観や階級闘争一元論が適用可能とは思えません。階級関係とは異質な宗教的・言語的・文化的規制がはるかに生活世界を規定し、社会に構造化しています。そのうえ工業化の始まりで、自然環境破壊・古代遺跡破壊も急ピッチです。そこで独立時の国家目標とされた「社会主義」とは「セキュラー=宗教的中立」の形容詞にほかならず、9億の民がともかくも平和的に共生するための合言葉のようです。多様性の統合=平和と寛容としての社会主義です。

 私の友人のインド有数のNGO活動家は、政府開発援助(ODA)や世界銀行融資は政治家・官僚の汚職の温床になっているので、自分で直接世界をまわり、ドイツのキリスト教慈善団体からの援助で農村の開発教育にとりくんでいる、と話していました。かつて社会主義は、国有化経済、中央計画経済と同義と考えられてきましたが、20世紀後半の歴史は、貧しい国ほど対外援助依存度が高く、国家セクター中心の経済になりやすいことを教えています。政治的民主主義の媒介がなければ、国有化・中央計画経済は開発独裁の温床となり、社会主義どころか、逆に反民衆的なものとなることを教えています。共産党の入閣や社会主義者の政治指導も、それが下層民衆の福利にまわることを保証しえないのです。そしてそれが、外資導入型の経済開発の軌道に乗ると、中国沿岸部がすでにそうなり、インドもそうなりつつあるように、一方で政治的民主化を求める都市中間層を形成するとともに、他方で従来よりも大きな経済格差を生み、環境汚染や都市スラム化をもたらすのです。実際にはそれも、伝統的カースト・ラインに沿った社会階層分化になるのです。

 したがって私は、短いインドの生活体験からも、「何が社会主義ではないか」を考えることが重要だと痛感します。さしあたり、三つの点を考えました。一つは、18世紀に思想・運動として始まった社会主義と、20世紀に体制・国家として存在した社会主義とを区別することです。第二に、「資本主義がないこと」と「社会主義があること」との間には、広大なグレーゾーンがあることです。資本主義が未発達だから「社会主義」を求める人々もいるし、「社会主義」から資本主義への「発展」が現にみられるのです。20世紀の経済システムでは、どんなに工業生産力の高い国でも(ヘゲモニー国家アメリカにおいてさえ)「資本主義的なもの」と「社会主義的なもの」とがさまざまな程度で共存しています。その中で「何が社会主義か」を考えるには、「何が社会主義ではないか」を考えることが必要です。第三に、「社会主義(socialism)」を文字通り「社会(society)」から考えることです。それも還元主義的に経済システムや国家権力で定義するのではなく、人々の生活世界の織りなす日常的社会関係の次元で考え直すことです。以下ではこの観点から、皆さんの関心の中心であろうソ連型社会主義の歴史を振り返ってみようと思います。

 

2 「短い20世紀」に現存した社会主義の意味――「長い19世紀」との対比で

 

 「短い20世紀」とは、ハンガリー科学アカデミー総裁ベレントがいいだし、イギリスのホブズボーム『極端の時代――短い20世紀の歴史(1914−91年)』(原書199歴史家4年、邦訳『20世紀の歴史』三省堂、1996年)で世界に広まった、現代史像です。ホブズボームは1917年=ロシア革命の年の生まれ、周知のように長くイギリス共産党を代表してきた知識人です。彼は「長い19世紀」について革命・資本・帝国をキーワードに3冊の部厚い書物を出していました。二つの世界戦争を含む1945年までの「破局の時代」と45年以後の「黄金時代」(70年代からその分解・危機)を1冊にまとめたこの著書は、彼なりの「現存した社会主義」の総括を示しています。

 「短い20世紀」の始期が1917年ではなく1914年であることが、一つの立場です。和田春樹さんらの「世界戦争の時代」という規定と重なります。そしてそれが1991年、ソ連の解体と共に終わった、というのがホブズボームの立論です。彼の分析自体が大変面白く、特にロシア革命とレーニンの評価は共産主義者ホブズボームの自己批判として必読ですが、ここではその紹介ははぶきます。むしろ私なりの「短い20世紀」論を、先に述べたインド体験で学んだ視点で述べたいと思います。一つは、「長い19世紀」における「思想・運動としての社会主義」との歴史的対比であり、いま一つは「現存した社会主義」を――主に旧ソ連を念頭におきながら――「社会」として振り返ることです。

 第一にそれは、思想史的にいえば、マルクスや初期社会主義の理念の現実態ではなく、帝政ロシアのバイアスを帯びたレーニン主義の産物でした。19世紀の社会主義は、フランス革命の「自由・平等・友愛」理念の「自由」が資本主義的工業化で一方での富の蓄積と他方での貧困の累積につながりつつあったことへの「平等・友愛」理念からの抵抗でした。おおむね「財産共同体」を共通目標としましたが、その意味づけや実現方法については、実に多様な考えが含まれていました。マルクス派は19世紀後半に有力になった共産主義派の一つですが、労働運動では後の社会民主主義派やアナーキズムも有力でしたし、普通選挙を求める運動や協同組合運動、社会改良や小共同体主義、ウイリアム・モリスのような工芸文化運動も広い意味での社会主義に含まれていました。

 20世紀に有力になったのは、そのなかでマルクス、エンゲルスの正統的継承をうたい「社会主義革命」を成功させたボリシェヴィキ派であり――当然ロシアにもさまざまな社会主義思想があったのですが――、その体制・国家でした。それは、平等主義や財産共有の思想を19世紀から継承していましたが、同時に自由や民主主義の概念を階級還元主義的に分割し、「社会」を経済に還元し、そうして集権的国有化・計画経済に「社会主義」を矮小化してしまいました。

 その生成の条件は、ひとつは帝政ロシアというレーニンらの直面し打倒目標とした政治体制であり、いま一つは帝国主義列強間の戦争でした。工業的に遅れた後進国で組織労働者が少なかったというのは、後にソ連社会主義の問題性が露わになってきた段階で工業先進国共産党が「弁明」のためにつけた経済主義的理由です。今日では、むしろ工業的に発展し労働運動が強い国――例えば当時のドイツや現在ならスウェーデンのような国――では、なぜ20世紀に「社会主義革命」に到らなかったのかを、深刻に考えるべきでしょう。

 帝政ロシアでの社会主義運動は、ナロードニキの時代から非合法地下活動を余儀なくされました。そのなかで生まれた軍事的規律型の陰謀結社が、ボリシェヴィキの前身でした。19世紀後半の西欧社会主義の主流は、合法政治舞台と労働運動との結合の中で、ドイツ社会民主党に代表される契約的で分権的な大衆組織政党へと向かっていましたが、1917年のロシア革命勝利と、18年ドイツ革命が、その後の社会主義を分裂させます。帝政を打倒しワイマール共和制を樹立したドイツでは「社会主義革命」は流産しました。そのため国有化・計画経済への距離と、「プロレタリアート独裁」の承認・非承認によって、一方が「社会主義革命」、他方が「ブルジョア民主主義革命」と評価され、単線発展型唯物史観に沿って、価値的にロシアの方が「労働者の祖国」の現実化、ドイツは「挫折し敗北した革命」とされました。その後の労働者の生活世界から見たバランスシートは、「ベルリンの壁」崩壊で20世紀末には明らかになるのですが、共産主義が「社会主義革命」の担い手、社会民主主義は「修正資本主義」「資本主義の枠内での改良主義」というイメージは、ここで決定的になりました。

 ともあれボリシェヴィキ型の軍事的「党」による武装蜂起が、ロシアで帝政を打倒し政権につくことによって、20世紀の社会主義は、第二に、「軍事的社会主義」という性格を色濃くしました。それは、帝国主義世界戦争のなかで、「戦争を内乱へ」のスローガンをかかげた「階級闘争」として達成されることによって、理論的にも軍事への傾斜を深めました。「戦略・戦術」といった軍事用語が「党」の思考を支配しただけではありません。「前衛党」「赤旗」「民主集中制」「統一戦線」「革命戦士」「同志(コムラード=原意は戦友)」といった軍事的言説体系が「社会主義」の主流になりました。共産党は労働者の軍隊であり革命戦争の最前線の戦士であるというイメージです。ファシズムの獄中で機動戦から陣地戦へ、市民社会のなかでのヘゲモニー闘争を考えたアントニオ・グラムシの思考は、20世紀後半に影響力を強めたとはいえ、傍流にとどまりました。

 それは、19世紀にマルクスが「プロレタリアート独裁」を掲げた段階で定まっていたわけではありません。マルクス自身の軍事的比喩による社会主義・共産主義イメージは主旋律ではありませんでした。エンゲルスには相応の責任がありますが、むしろブランキ型陰謀秘密結社からロシア・ナロードニキ、レーニン=ボリシェヴィキの流れ、それが帝政ロシア軍内に勢力を持ち革命軍=赤軍に転化したことが決定的でした。「社会主義」思想の国家主義化、それも軍事的国家主義化は、時に唯武器論的革命論にまで純化され、第二次世界大戦後には「社会主義国の核兵器は防衛的で革命的」とするところまで戯画化されました。19世紀社会主義思想から発した協同組合主義や小共同体主義は、20世紀にひきつがれてもあくまで傍流とされ、ケインズ主義と結びついた社会民主主義の労働者的達成である福祉国家は「資本主義の枠内」ゆえに「改良主義的・欺瞞的」と軽蔑されました。

 じっさい「現存した社会主義」は、戦争と結びついて世界に広まりました。コミンテルン加盟の共産党=前衛党の軍事的規律が、世界の社会主義をおおうものと構想されました。民主集中制は、党ばかりでなく国家・経済・社会の組織原理とされました。それが第二次世界大戦での東欧諸国での赤軍支配下での「人民民主主義革命=社会主義革命」に受け継がれ、アジアでも中国・朝鮮・ベトナムと「共産党指導下の人民解放軍」により体制・国家となりました。こうした意味で、20世紀の現存した社会主義は、「世界戦争の時代」の副産物でした。

 こうした生成の論理に刻印されて、第三に、現存した社会主義の政治体制は、人間の自由と民主主義からかけ離れたものとなりました。共産主義政党は「労働者階級の前衛」と自称して、政権を独占しました。レーニン的意味での「社会主義」が国是とされ、「マルクス・レーニン主義」が国教とされることによって、19世紀社会主義に孕まれていた多様な可能性が一元化され、異なる考え方は抑圧されました。その教会=共産党内部では、司祭となった政治指導者の言説が正統とされ、異端審問は時に異論者の生命を奪うところまで徹底されました。それも「プロレタリア国家」の名によって、「国家反逆罪」という法的擬制をまとって、大量の生命が奪われました。

 確かに19世紀の初期社会主義のなかにも、「裏切り者は死刑」という陰謀的秘密結社の流れがありました。ブランキの四季協会やマルクスの加わった共産主義者同盟の前身である義人同盟がそうでした。私はマルクスの社会主義運動論での重要な貢献の一つは、共産主義者同盟に加わるにあたって「大衆的宣伝団体」にするために「組織内死刑廃止」を実現したことにあると思っていますが、20世紀「現存した社会主義」は、その歴史を逆転させ、しかも国家権力を用いてそれを結社外「社会」にまで及ぼしたのです。

 政治的司祭である指導部=「党」内部に「裏切り者は死刑」の思想があることは、被指導民衆の生活世界に恐怖政治が浸透することを意味します。異端審問や魔女狩りは、当の異論者への迫害もさることながら、その周辺に「沈黙」を強いるところに社会的効果があります。コラコフスキー風に言えば、「自分のことをいつでも正しいと考えている国家」「自分を批判する人間と批判の仕方を指定する国家」のもとでは、「自分の意見を言うと不幸になり、自分の意見を言わないでいると幸福である社会」「意見というものをぜんぜん持たない方が暮らしいい社会」になるのです。

 そこでは「ノーメンクラトウーラ」とか「長い手」とよばれた一握りの党官僚エリートたちが、「指導者たちが自分を任命する国家」をつくっていました。いや中国や朝鮮には現に残っています。19世紀社会主義の原点である「自由・平等・友愛」の現世での実現は、国家体制がかたまればかたまるほど遠ざかっていきました。レーニン風の「プロレタリア独裁=多数者の独裁=真の民主主義」「ブルジョア民主主義=ブルジョア独裁=欺瞞」という議論は、70年代ユーロコミュニズム期に一時話題になり、日本では訳語問題という喜劇的エピソードまで生みましたが、89年東欧革命後はだれも議論さえしなくなりました。それどころかヒットラーのナチスとスターリンのソ連をひとくくりにする冷戦型「全体主義」論が復活し、旧ソ連・東欧では社会科学・歴史学の支配的説明になっています。

 そこまでいかずとも、「短い20世紀」に一党独裁、権力集中・情報独占、言論・思想・表現の自由の欠如、秘密警察と強制収容所が「社会主義・共産主義」の代名詞になったことは、19世紀以来の社会主義思想と運動にとって、致命的です。学校教育でマルクス・レーニン主義思想を強制され、日常生活で沈黙を強いられた民衆は、それ以外の「社会主義」を知らない以上、「あれは真の社会主義ではなかった」という言説は無力になります。「社会主義=全体主義」を生活世界から感じ取った人々には、むしろ「資本主義」「自由民主主義」のもとでの労働者・社会的弱者の権利保障、民生向上・福祉国家実現に寄与してきた社会民主主義の方が、まだしも「自由と民主主義」の名に値するように映るのです。

 こうした党=国家体制を根拠づけ正統化してきたものが、第四の問題領域、「現存した社会主義」の経済体制でした。資本主義は私的所有・労働力商品化による無政府的な商品交換・市場原理の世界であるから、社会主義とは私的所有の否定、商品・市場の廃止であり、生産手段の国家的所有・中央計画経済であるというイメージです。マルクス『経済学批判序言』の「唯物史観の公式」、「生産力と生産関係の矛盾」「土台・上部構造」「階級闘争」論が根底にあり、近代国民国家と「プロレタリア独裁」論に媒介されているのですが、19世紀社会主義の平等主義・財産共同体論に起源があることは否定できません。

 つまり、社会主義思想の社会主義思想たるゆえんは、近代工業社会で支配的になった経済=エコノミーの領域にあり――ご承知のように政治が市民の義務とされた古代社会ではオイコス=家計は私事であり、中世には宗教が生活世界の中心であったとされます――、その社会の管制高地(これも軍事的用語です)たる国家権力を労働者階級が掌握し、産業国有化・計画経済で生産力を解放するという構想が、19世紀後半には社会主義の主流となりました。20世紀の社会民主主義が、共産主義の側から修正主義・改良主義として軽蔑されたのは、この点では両者が構想・目的を共有し、ただ平和主義的・漸進主義的方法か革命的・一挙的実現かという手段とテンポの違いとみなされたからです。ただし19世紀前半まで遡ると、オーウェンやフーリエには国家を媒介しない社会主義構想がありますし、じっさい協同組合主義やアナーキズムは、今日でも広い意味での社会主義思想・運動の有力な流れに属します。

 このレベルでの「短い20世紀」の総括は、実は「国有化か私的所有か」「計画か市場か」「労働の経済か資本の経済か」という争点が、本当に社会主義思想の生命線であり種差性であったのか、という問題を提起しているように思われます。

 二つの原理的問題があります。ひとつは、生産手段の所有関係で規定される階級という社会的存在形態が、人間の自由・平等・友愛の実現のためにどのような意味を持つかという点です。いまひとつは、社会主義は人間が自然を改造しての生産力の無限の発展を前提にできるか、すべきかという問題です。この問題を考えるためには、20世紀が「世界戦争の時代」で21世紀は「世界経済の時代」になるという和田春樹さん流の考え方もありますが、「短い20世紀」自身が人類史上未曾有の物質的生産力拡大の時代であり、地球環境・生態系破壊の時代であり、ホブズボーム流にいえば「極端の時代」であったことを、想起すべきだと思います。20世紀は、いわば「世界戦争=世界経済の時代」であったのであり、それはマルクスを含む19世紀社会主義者の想像を絶するものだったでしょう。

 もちろん生産力発展の基礎に資本主義があり、マルクス『資本論』はその蓄積メカニズムを原理的に洞察した「古典」です。しかしその資本主義も、20世紀に大きく変貌しました。市場と国家の関係は、資本主義の発展そのものによって、相互依存的なものになりました。社会主義者の構想した市場経済の国家管理・計画化は、資本主義そのものにもビルトインされ、労働者の貧困や失業の問題も、社会保障や社会福祉によって補われるようになりました。むしろ問題は地球大に広がって、顔の見える資本家から株式会社、所有と経営の分離、法人資本主義と脱人格化した資本が、世界市場を支配する多国籍企業となり、国家間・国民社会間の格差を拡大しました。レーニン『帝国主義論』は、これを「独占資本主義」「労働者階級の買収=労働貴族」として説明し世界戦争の不可避を説きましたが、今日の世界の生産統合・南北格差は、「民族自決権」による旧植民地の国家的独立では「国民経済の自立」を許さないほどに深化し、深刻化しています。いわば、20世紀資本主義主導の国家と経済の相互浸透と国民国家による地球的分割の完了が、「現存した社会主義」の国有化・計画経済構想を後発工業国の「開発独裁」の一類型と再把握させ、その生産力的パーフォーマンスの貧しさゆえに、社会主義そのものを魅力ないものとしたのです。

 国民経済内部に立ち入っても、国有化や中央指令型計画経済は、直接生産者に「労働の喜び」をもたらすものではなく、むしろ労働者階級の利益を潜称し「代行」した党=ノーメンクラツーラ層の非効率で無責任な経済運営を横行させました。情報独占と政治的民主主義の欠如のもとでは、生産指標の改竄やサボタージュが労働者の無言の抵抗でした。ソ連の経済統計の好い加減さや第一次5か年計画とウクライナ食糧危機の関係は、91年解体以前から論議されてきましたが、クレムリンの秘密資料の公開によって、いまや73年の全生涯にわたる洗い直しが進んでいます。戦時共産主義とネップ、強行的工業化・農業集団化、ある時期までの計画経済による生産力拡大とその後の停滞といった経済政策の吟味や時期区分は、歴史研究としてなお重要ですが、民衆の生活世界にとって「20世紀社会主義とは何であったか」という主題に即して言えば、「現存した社会主義」の経済的バランス・シートは、北欧福祉国家や欧米自由主義に比して、あまりに貧弱です。「後発工業化」「開発独裁」の原型としてみなしても、日本型企業国家や東アジア工業化モデルという、別のかたちがありえたことになります。

 しかし、19世紀社会主義にまで遡ってみると、そこには産業化・工業生産力拡大そのものに疑問を持ち、職人的小生産社会・農耕共同体に「平等・友愛社会」の原型を見ていた思想も含まれていたことに気づきます。エンゲルスにより「ユートピア」とされ、日本語で「空想的」と訳され蔑視された、いくつかの流れがそうです。マルクスの「アソシアシオン」概念が最近注目されているのも、「資本主義の生産力と生産関係の矛盾=社会主義による生産力解放」よりも、「労働の疎外克服」や「人間主義=自然主義」に社会主義の原点を見いだそうという原点への回帰でしょう。無論そこには、20世紀科学技術・生産力発展のもたらした環境・生態系破壊、生命・人間性破壊への危機意識が投影されています。いわば20世紀的生産力発展へのブレーキ・人間的歯止めとして、社会主義思想を再興させようという志向です。私も、それが可能ならば、そうした思考の組み替えを支持します。

 ただしこの面でも、「現存した社会主義」は反面教師です。環境破壊や人間性破壊では、貧困と言うよりミゼラブルです。私の推計では、1930年代後半の大粛清期には全労働力の1割以上を強制収容所の奴隷労働に依拠していましたから、一方でノーメンクラツーラ特権層の跋扈する経済的不平等社会であったばかりでなく、最近の歴史学のいう「奴隷包摂社会」でもあったと思われます。それが「一国社会主義」の限界であり、「世界革命の未達成」により強いられたものだという「弁明」は、あまり説得力を持ちません。そもそも「世界ブルジョアジー対世界プロレタリアート」というコミンテルン的階級闘争図式は、宗教や民族やカーストや階級内社会層を、生産手段の所有・非所有に還元して階級関係に従属させることで、現実の20世紀の歴史的展開には、無力だったのです。ましてや、女性の解放を階級闘争に従属させてきた点で、政治的にも誤っていました。今日では、国家主義の延長上で地球的世界革命政府・集権的計画経済を夢見るよりも、ローカルなコミュニティでアソシアシオンを構想し、そのネットワーク型共生のなかで多国籍企業や国家への抵抗を考える方が、はるかに社会主義的でしょう。むしろ「一国社会主義対世界永続革命」というレーニン死亡時につくられた争点をも、「短い20世紀=世界戦争・世界経済の時代」の歴史のなかで相対化する視点が必要でしょう。

 この意味で、私が考える「現存した社会主義」の歴史的教訓とは、思想の自由・文化的多元主義が、社会主義にとって不可欠だということです。それは社会主義の定義そのものにも適用されねばならず、「何が社会主義であるか」をも、後世の歴史の審判に委ねる思想的寛容が必要だということです。この点は、私自身の社会主義像として最後に述べましょう。

 

 3 21世紀における社会的にラディカルなユートピアの構想

 

 あらかじめ、私の社会主義イメージを示しておきましょう。アメリカ独立宣言やフランス人権宣言を継承した19世紀初期社会主義からより多くを学び、20世紀現存社会主義を反面教師としつつ、日本国憲法やインド憲法からも学んだユートピアです。それが社会主義であるかどうかという定義には、あまりこだわりません。簡単に言えば、「自由」と「平等」と「友愛」の両立する自律的最適社会です。「平等」は画一主義とつながるというなら「公正」といいかえてもいいし、「友愛(フラタニテ)」の原義は兄弟愛ですから姉妹愛も加えて「連帯」や「共生」といいかえてもかまいません。これにインド憲法風に「正義」を加えてもいいし、日本国憲法の「平和」主義や、最近政治学で脚光を浴びている「信頼」を加えてもかまいません。抵抗権や寛容の精神、権力分立や市民的公共性と具体化してもいいでしょう。要するに、社会主義と称すると否とにかかわらず、人類史に繰り返し現れてきた理想を、よりよく実現する社会です。

 このことは、社会主義との関係で、二つのことを意味します。ひとつは、19世紀の社会主義思想の生成に立ち返って、それをさまざまな宗教や救済思想を含む人類の「ユートピア」の流れの中に置き直すことです。もう一つは、社会主義を、19世紀後半以降の国民国家との癒着から切り離し、文字通りの「社会」主義として、再措定することです。これまでの私の著作では、「社会中心主義」「市民社会主義」「自由社会主義」「地球市民主義」などといいかえてきました。「革命」との関わりでは、『東欧革命と社会主義』で「労働生活における革命」「自由時間における革命」「世界空間における革命」「国家そのものに対する革命」を提唱し、そのプロセスを「永続民主主義革命」とか「ほめ殺しと脱労働の社会主義」と規定してきました。無論、たんなる思いつきではなく、マルクス『フランスにおける内乱』の「国家権力の社会による再吸収」、グラムシ『獄中ノート』の「政治社会の市民社会への吸収」を基礎に、20世紀のさまざまな解放思想に学んでのものです。

 第一の点は、19世紀社会主義、マルクス主義をも、歴史的近代に生まれた解放思想の一つととらえて、人間の尊厳と自由と人権を実現する方途を考えることです。近代的自由の概念が西欧キリスト教世界に起源をもつことを認めながらも、それがなによりも内面の自由・思想の自由として生まれ、抵抗権・革命権に裏付けられていることを重視し、その絶対性・普遍性を主張する点では、文化相対主義やポスト・モダンには与しません。したがってその政治の理念として、多元主義的民主主義を前提します。具体的には、身分・階級・階層、人種・民族、宗教・言語・文化・性の違いを超えて、あらゆる人間に人権・市民権が保障され、情報公開・参加と選択の自由をふまえたコミュニケーション領域・公共圏形成を構想します。選挙や議会、権力分立・地方自治などは、その系として出てくるもので、ここでは省略していいでしょう。政党や利益集団、レファレンダムやオンブズマン制度といった20世紀的手法も、ここでは立ち入りません。近代国民国家という圏域を必ずしも前提せず、ローカルなコミュニティ=アソシアシオンからナショナル、リージョナル、グローバルと、重層的なネットワーク社会をボトムアップにを考えることがポイントです。

 問題は、社会主義思想・運動が主として関わってきた「平等」との関連で、富と貧困、労働と所有、生産力と生産組織のあり方でしょう。ソ連型社会主義が国家資本主義であったか、国家社会主義であったか、過渡期であったか否かなどと問題にされてきた領域です。この面で、19世紀以来の社会主義は、「財産共同体」から「生産手段の社会的共同所有」へ、その「社会的所有」のあり方として国家的所有と国民経済の計画化へとシフトしてきたわけですが、政治の在り方を重層的・分権的に考えたように、経済のあり方をも「管制高地」のトップ・ダウン型ではなく考える必要があろうと思います。

 そもそも20世紀の資本主義市場経済は、一方で多国籍企業のような資本の高度な脱人格化・脱国民化形態を生み出すと共に、国有・国営はもちろん、自治体所有や第3セクター混合所有、協同組合所有から労働者持株制度にいたる様々な形態を組み込んできたことを想起すべきでしょう。また所有と経営の分離ばかりでなく、金融・信用制度のグローバル化と国民経済の相互浸透・相互依存が進んでいること、そのなかで労働条件や環境規制のグローバル・スタンダードも生まれてきていることに着目すべきでしょう。

 国有化・指令型計画経済の破綻で、メインストリームにおける新自由主義の台頭もあり、社会主義の流れでも「市場的社会主義」の議論が盛んです。しかし問題は、「市場の廃止か市場の利用か」という論点を超えていると思います。イギリスのアンドリュー・ギャンベルらが述べているように、「平等主義的市場経済」をどのように構想するかが、世紀末社会主義の現実的課題です。したがって所有と生産のレベルでは、現存するさまざまな所有・生産形態の重層的併存を前提しながら、一方で多国籍企業・銀行のような巨大資本への「市民的規制」のあり方、他方で「市民的蓄積」といえるような協同組合セクターの保護・育成、労働者の資本所有や経営参加、失業者や社会的弱者の救済・福祉、納税者・消費者の権利と参加拡大、総じて経済民主主義のあらゆる領域での徹底が必要となるでしょう。

 そのさい、私が理論的に重要だと思う問題が、三つあります。

 その第一は、生産力と労働に対する態度です。社会主義は、自由や平等・友愛を求めて出発し、資本主義のもとでは生産力が十全に発展できないので社会主義にするという理論構成に向かい、ついに20世紀には資本主義との体制間成長競争に入ったのですが、「短い20世紀」総体における飛躍的な生産力発展とその地球環境・生態系破壊、核兵器から遺伝子操作までを見てしまった21世紀の人類にとって、そうした無限の生産力発展のための社会主義、科学としての社会主義という構想は、魅力のないものになるでしょう。むしろ科学技術と生産力を全人類的に制御する思想として、鋳直すことが必要でしょう。

 その関連で、「労働を通じての解放」というナチスの強制収容所にもかかげてあった思想を、再吟味する必要があります。労働者が生産過程における直接生産者であり生産力の本来の担い手だから人類解放の主体たりうる、機械性大工業のもとで潜在的には全面的に発達した個人になり経済も政治も制御できるようになるといった観念を、20世紀の現実的展開に照らして、考え直す必要があります。私が「脱労働社会主義」というのはその趣旨ですが、古代ギリシャのポリス市民まで遡らずとも、近代社会の歴史的展開に即しても、労働時間を通じての解放よりも自由時間を通じての解放、労働による解放ではなく労働からの解放という視点が必要だと思われます。ハンナ・アレントやユルゲン・ハーバーマスは、それを労働と仕事と活動の区別と連関、道具的技術的コミュニケーションから理性的で人間的な公共圏構築へという論理で説いてきたわけですが、社会主義思想の出発点における共同的・友愛的オリエンテーションを考えれば、こうした大胆な発想の転換も必要と思われます。

 第二に、西欧近代の国家と市民社会の分離のさいにはらまれた「公私区分」を、再考する必要があります。端的にいって、19世紀の顔の見える資本家・工場主の時代ならともかく、多国籍企業段階に達した企業の生産活動を、もっぱら「民間」の「私的」なものと考えてよいのか、という問題です。西欧の場合でも、市場経済は市民社会の領域に属する私的活動とされ、企業に法人格が与えられて当事者間の紛争への国家介入は最小限に留めると理論構成されたのですが、いまや企業はジャイアントになり、普通の市民が対等・平等に争える存在ではなくなりました。ですから企業活動が市民社会を脅かすと考えられた場合には、たとえば工場法による児童・女性労働制限、労働時間短縮、公害規制など公論の対象とされてきました。企業の社会的責任やメセナ・フィランソロピーも当然のものとなりました。

 しかし、企業が市民の生活世界のあり方を規定し、国境を越えた生産・ビジネスの巨大単位になっても、理論的には商取引も労働契約も企業と市民間の関係も「私的」なものとして扱われます。日本の場合にはさらに、「市民的公共性」の観念が薄く、「国家=官=公」という観念が強固で、「私的」とされる企業の長時間拘束により、地域社会や家族生活が脅かされる構造になっています。まだ熟してはいませんが、生産・労働単位としての企業を公共性の領域に組み込み、家族や地域の私的「親密圏」からボトムアップに「公共圏」を組み立てる理論が必要だと考えています。無論、いわゆる新自由主義の「民営化」市場万能論を意識してのことですが、そのさい企業を「法人」と擬制する近代的思考の再考、R・ダールのいう「企業の市民的統治」がポイントであろうと考えています。

 第三に、「市民社会」なり「公共圏」なりの問題として、かつて松下圭一の提唱で革新自治体時代に使われた「シビル・ミニマム」の考え方を、平等主義なり公正主義という社会主義本来の思想と接合できないかと考えます。最低賃金とか環境規制ではすでにとられているものですが、平等主義を画一主義にせずに、人権・市民権としてのミニマム・スタンダードを社会が公共的に設定し保障することで、女性や老人・子供・障害者・外国人など社会的弱者の保護と差別解消・格差是正につなげ、労働条件や所得分配の社会的公正を保証し、さらには南北問題や地域統合にも及ぼしていこうというアイディアです。そのさい「社会」そのものを、ローカル・ナショナル・リージョナル・グローバルと重層化し、ローカル・ミニマム、ナショナル・ミニマムからグローバル・ミニマムまで組み上げていくのです。無論宗教的・思想的に寛容で、相互承認にもとづく討論が前提されます。

 かつて労働組合運動の力がロシア革命の頃にILOを創設し、1日8時間労働を世界的スタンダードにしたのですが、最近の核兵器の違法性をめぐるハーグ国際司法裁判や、日本も調印することになった地雷禁止条約は、ローカルな市民の始めた社会運動がナショナル・リージョナルからグローバル・スタンダードをつくりだした実例です。この関連で、「市民セクター」である協同組合などNPO・NGOの役割は大きく、労働運動を主たる担い手と想定してきた社会主義は、発想の転換を迫られるでしょう。地雷禁止条約を実現させた運動は、女性の発案でした。20世紀にようやく本格的イシューになったジェンダーの問題は、21世紀に本格的「革命」を迎えるのであり、人類の半数を占める女性を自立的主体として組み込みえない社会主義では、再生はおぼつかないでしょう。

 全体として、政治・経済・文化を含む「社会」を信頼と寛容に根ざした公共的アソシアシオンとして再構成し、重層的かつボトムアップに、共生型ネットワークに組み替えていくというのが、「21世紀の社会主義」でしょう。そうした発想の転換が必要なほどに、「20世紀の社会主義」の負の遺産は大きい、ということを申し添えておきます。



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