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『コミンテルン機密文書集成』
『1935年ドイツ共産党ブリュッセル協議会議事録』

 

旧ソ連共産党中央文書館の資料集成

   旧ソ連の崩壊で、クレムリンの周辺からは、次々と新しい資料が発掘されています。そこで歴史の見直しを迫られているのは、ソ連の歴史やレーニンの役割だけではありません。国際共産主義運動の原型コミンテルン(共産主義インターナショナル、第3インターナショナル、1919ー43年)、ソ連共産党を除けば最有力のコミンテルン支部であったドイツ共産党(KPD)の歴史もまた、ようやくモスクワの文書館に秘蔵されていた一次資料から、本格的研究が可能になりました。

 このたび刊行された『コミンテルン機密文書集成』によって、公式の大会議事録を準備資料・委員会文書で補うことができ、ブハーリン失脚直前のソ連共産党党内抗争が影を落とし「廊下の大会」といわれた第6回世界大会(1928年)の裏側の真実や、いまだに謎の多い第7回世界大会(1935年)の反ファシズム統一戦線・人民戦線への政策転換過程などを、詳しく知ることが出来るようになりました。

 この第7回大会決定を受けて、ナチス政権掌握期に社会ファシズム論を生んだ支部であり、社会民主党との統一戦線への抵抗が根強かったドイツ共産党でも、最終的に路線転換が行われました。それが1935年10月のブリュッセル協議会で、その呼称はカモフラージュで、実際にはモスクワ近郊で開かれました。今回の『1935年ドイツ共産党ブリュッセル協議会議事録』は、初めて公刊される完全版議事録です。

 歴史が一回転したからこそ、共産主義の歴史は、ようやく本格的学問研究の対象になりました。これら新資料の出現により、東西冷戦状況を不可避的に反映してきた旧来の研究がのりこえられる日も、近いことでしょう。

  (『極東書店ニューズレター』に発表)



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