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I・ウォーラーステイン(松岡利道訳)『アフター・リベラリズム』

(藤原書店、4800円)


 

 イマニュエル・ウォーラーステインの新著『アフター・リベラリズム』は刺激的である。1990ー93年期に執筆した諸論文で編まれているが、主題が「イデオロギー」に設定されて、彼の世界システム論が経済・政治・文化の全体構造によって示され、通説に挑戦している。

 ここでの通説への挑戦とは「リベラリズム」の理解と評価である。F・フクヤマ風に「歴史の終焉」とまで言わずとも、89年東欧革命・冷戦終焉、91年ソ連崩壊を世界の大勢は「リベラリズムの勝利」として受けとめた。守勢に立ったマルクス主義左翼の中からも「リベラル・ソーシャリズム(自由社会主義)」の潮流が現れた。それなのにウォーラーステインは敢えて「近代世界システムの支配的イデオロギーとしてのリベラリズムの終焉」を説く。彼によれば、フランス革命後の世界のイデオロギーは、通説も述べるごとく保守主義・リベラリズム・社会主義の対抗であった。その分岐点は反動・改良・革命という政治綱領の違いだった。だが1848年革命以後、リベラリズムの主導権が明確になる。国民国家の肯定、改良の承認において、保守主義も社会主義もリベラリズムに追従した。普通選挙権と福祉国家がリベラリズム主導で実現された。次の転機は1917年、中心・半周辺・周辺の構造を持つ世界システムのレベルで、普通選挙権のグローバル版である民族自決権がアメリカ大統領ウィルソンと社会主義ソヴェトのレーニンにより提唱され広まった。福祉国家的改良の論理も、開発援助としてグローバルになった。彼はこれらを労働者階級の「飼い慣らし」と見る。一国社会主義と民族自決を掲げて現存した社会主義とは、イデオロギー的にはリベラリズムに包摂された、アメリカのヘゲモニー下での資本主義世界システムの補完物にほかならなかった、68年世界革命がその共倒れの起点だった、と。

 評者は本書第13章の論文を英文で読み、1994年の日本政治学会で「リベラリズムの現在」を報告するさいにとりあげた。だがあまりに通説と距離があるため「ユニークな少数説」としての紹介にとどめ、S・ホール、D・ヘルドらの「自由社会主義」を中心に論じた。本書でより詳細に彼の「リベラリズムと現存社会主義の相互補完」の論理を知ったが、それでもなおレーニン・スターリンをリベラリズムの内部におく彼の説には違和感が残った。かりにリベラリズムにそのような柔軟性と幅があったとすれば、なぜ89年以降はありえないと断言できるのか? その究極の根拠は、コンドラチェフ循環下降局面のヘゲモニー交代期に入ったことのようである。しかしその「労働者階級の飼い慣らし」論はレーニン「労働貴族」論の焼き直しに見えるし、彼独特の「国民国家と市民社会の同時崩壊」論と共に、経済決定論ではないか? 「脱システム」の現認しうる指標がホメイニ、サダム・フセイン、移民・難民ではS・ハンチントンの「文明の衝突」の裏返しであるし、日本が21世紀ヘゲモニー国家の最有力候補に擬されているのも気になる。

 にもかかわらず、本書は不思議な魅力をもつ。彼の提唱した『社会科学をひらく』(藤原書店)と併せて読むと、こうした挑発的問題提起が、近代の知のあり方全体の再審の一環であり、リベラリズムも社会主義も再定義が必要だと主張していることがわかる。論文集のため繰り返しが気になるが、知的刺激に満ちた問題作であることは間違いない。

(『週刊読書人』1997年11月21日号掲載)



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