『葦牙』第29号(2003年7月)掲載。これ、もともと副題の「インドで『世界社会フォーラム』を考える」と題して書かれたものですが、同誌のアメリカ特集巻頭に入れられて、タイトルが変わりました。ネット上からの長い引用、記録として残すためのものですので、関係者の皆様ご海容を!


  

 

 情報戦時代の「帝国」アメリカ包囲網

 ──インドで「世界社会フォーラム」を考える

 

 

 

  加藤 哲郎

 

 

 
 

一 イラク戦争さなかのインドにて

 

 二〇〇三年三月二〇日、アメリカのイラク空爆が始まった直後に、六年ぶりでインドに入った。バザールの喧噪、人と牛とラクダ、リクシャとクルマが行き交う車道の雑踏は、相変わらずである。だが、グローバリゼーションの波は、古代からポスト・モダンまでが重層的に共存する、この巨大な多文化・多言語・多宗教社会にも、確実に浸透してきている。六年前にインドに初進出したマクドナルドは、ビーフもポークもなくチキンバーガーが目玉だが、大都市・観光地に広がり、ニューデリー銀座のコンノートプレイスだけでも三店に増殖し繁昌していた。

 イラク戦争の影響は、インド最大のモスクのあるイスラム都市ハイデラバードで、直ちに大きな反米ラリーをもたらした。レストランでも美術館でも、日本人と見ると、話しかけてくる。日本はアメリカを支持しているんだって、と。厳しい視線に、あわてて弁明する。いや日本政府の米英軍支持は国民の中で孤立している、世論調査では七割が反対だ、日本でもこの三〇年来なかった反戦運動が起こっている、もちろん自分も反対だ、と。

 ホテルの衛星テレビの英語ニュースは、NBCとCNNである。米英軍の目線で兵士のインタビューを交え「ラッキーで勇敢な進軍」を報じている。しかし、当地の英字新聞の見出しは「イラクの反撃続く、アラブ諸国が米英撤兵を要求」と、どうも様子が違う。なかなかつながらない電話回線で、相変わらず速度は遅いが、なんとかインターネットも接続できたので、日本のニュースサイトで見てみる。幸い日本語では、どちら側からの情報も溢れている。特にバグダッドに残ったフリージャーナリストの日記やメールが、戦況の実際を教えてくれる。外にいると、案外よく見えるものだ。

 デリーでの国際会議のための旅を、デカン高原の古都ハイデラバードから入ったのには、理由がある。一つは、私の個人ホームページ「加藤哲郎のネチズンカレッジ(http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml)」の目玉である「国際歴史探偵」「現代史の謎解き」の調査で、二〇世紀前半インド独立運動の闘士、国際反帝同盟初代書記長でアメリカの女流作家アグネス・スメドレーの夫であった、ヴィレンドラナート・チャットパディアの生まれ故郷であるからだ。チャットパディア、通称チャットは、私の長く探求する国崎定洞、千田是也らナチスと日本の中国侵略に反対した日本人中心の在独国際組織「革命的アジア人協会」のメンバーで、名前のわかっている唯一のインド人だ。国崎定洞と同様に、ナチス・ドイツからスターリンのソ連に亡命し、レニングラード大学勤務中に粛清されたとされるが、その非業の死の詳細は不明である(ジャニス&スティーヴン・マッキノン『アグネス・スメドレー 炎の生涯』筑摩書房、一九九三年、参照)。

 チャットの生家は、ハイデラバードの最上層カースト(ブラーメン)で、一歳上の姉はサロジニ・ナイドゥである。サロジニは、ガンジーやネルーと共に独立に貢献したインド国民会議の政治家であったが、なによりも、タゴールの流れを汲む国民的女流詩人、「インドのうぐいす」として知られている。一九二五年に国民会議議長、独立後に初めての女性州知事にもなった、インドにおける女性解放運動の草分けである。昭和一九年、敗戦前年の日本で、阿部保訳『サロジニ・ナイヅー詩集』が出ている(高田書院)。

 インターネットで知り合ったイギリスやアメリカの研究者から、ハイデラバードにはサロジニ・ナイドゥ記念館があり、その図書館にはチャットパディア家の資料もあるはずだと聞いて、事前に連絡した上で、今回の旅の入口にした。

 もう一つは、遂に始まった戦争と関わる。このハイデラバードで、私が九・一一以降特設した非戦平和ポータルサイト「イマジン(http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/imagine.html)」で注目してきた新しい社会運動「世界社会フォーラム」の地域フォーラムとして、一月初めに第一回「アジア社会フォーラム」が開かれ、来年一月末には「世界社会フォーラム」第四回大会のムンバイ(ボンベイ)開催が決まっているからである。

 電子メールで協力を仰いだ、ハイデラバード大学歴史学部の女性史研究家レッカ・パンデ博士が、その双方の調査の助言者となった。サロジニ記念館でのチャットパディア家資料収集を助けてくれ、また自ら参加したアジア社会フォーラムの模様を語ってくれた。

 文芸誌としての本誌『葦牙』には、サロジニ・ナイドゥ、ヴィレンドラナート・チャットパディア姉弟とアグネス・スメドレーから戦後のネルー=周恩来会談にまで広がる話の方がふさわしいだろうが、こちらの方はまだ、現地で集めた資料を整理中の段階である。さしあたりは「ネチズンカレッジ」中の英文覚え書き「A Memorandum on the Life of Mr. Virendranath Chattopadhyaya (http://members.jcom.home.ne.jp/katori/Chatto.html)」を参照していただきたい。

 ここでは、二一世紀の世界で社会運動の中心になる可能性を秘めた「世界社会フォーラム(World Social Forum, WSF)」について、インドで考えたことを記しておきたい。なお、WSFについては、四月の帰国後に書いた拙稿「反ダボス会議のグローバリズム」(『エコノミスト』五月一三日号)、「情報戦時代の世界平和運動」(『世界』六月緊急増刊号)、講演記録「マルチチュードは国境を越えるか?」(『情況』六月号)でも簡単に触れているので、できるだけ重複を避け、基礎資料や出席者の証言に語らせる手法を採る。

 

 二 世界社会フォーラム──二一世紀のグローバルな民衆ネットワーク

 

 世界社会フォーラム(WSF)は、二一世紀の幕開けに産声をあげた。毎年一月末に開かれる多国籍資本の「世界経済フォーラム(World Economic Forum, WEF)」通称ダボス会議に対抗して、世界の民衆が集う運動体である。かつての「プロレタリア国際主義」ムムマルクスの時代の第一インターナショナル、エンゲルスが提唱した第二インターナショナル、レーニンが創設した第三インターナショナル、トロツキーの第四インターナショナル、等々ムムとは系譜の異なる、民衆の新しいグローバル・ネットワークである。

 私はかつて、現存社会主義下の抵抗運動の延長上で東欧での民主化を達成した中心的組織が、ハンガリーの「民主フォーラム」、東独の「新フォーラム」、チェコスロヴァキアの「市民フォーラム」等々であったのに着目し、一九八九年東欧革命を「フォーラム型革命」と特徴づけ、日本で「フォーラム90s」の運動にも加わったが(加藤『東欧革命と社会主義』花伝社、一九九〇年)、世界社会フォーラムは、その組織と運動のあり方を、「フォーラム=公共の広場」と名乗っている。

 資本の側の世界経済フォーラム、通称ダボス会議は、毎年一月末、スイスのリゾート地ダボスに、世界の多国籍企業経営者・先進国政治家・著名エコノミストらが集って、グローバルな政治経済について討議している。例年日本のマスコミも注目し、今年はNHK衛星放送が特集番組を組んだ。その基本資料は、インターネット上のホームページで、簡単に手に入る(http://www.weforum.org/)。二〇〇一年の朝日コム「経済キーワード」には、次のように書いてある。

 ダボス会議 スイスの公益団体、世界経済フォーラムが主催する民間の国際シンポジウムで、毎年一月下旬ごろにスイス東部のスキーリゾート地ダボスで開かれる。世界の政財界の指導者や大企業の経営者、著名な学者らが出席し、地球規模の経済問題を中心に自由に討論する。国際的なエリートの集いとして、「賢人会議」とも称されている。
  一九七一年に、シュワブ・ジュネーブ大学教授が欧州経営フォーラムを創始し、ダボスでの会議が始まった。当初、メンバーは欧州経済人だけだったが、南北アメリカ、アフリカ、アジアと広げ、世界のトップリーダーが集まる場に発展した。 八七年に主催団体の名称を世界経済フォーラムに変更、この年の会議で、ドイツ(当時は西独)のゲンシャー外相の演説が冷戦終結の始まりを画すものとして注目された。以降、会議に合わせて行われる首脳会談やフォーラムの地域会合を通じて、パレスチナ和平の仲介やアジア欧州会議(ASEM)開催の流れをつくるなど国際政治にも影響を与えるようになった。
 九六年からグローバル化の問題を積極的に取り上げ始め、その先導役と見なされるようになった。このため、グローバル化に反対する一部の非政府組織(NGO)から標的にされ、二〇〇〇年は激しいデモに見舞われた。 二〇〇一年の全体テーマは「持続的な成長と格差の橋渡し」。情報技術(IT)や健康面での格差の解消にどう答えていくかが討議される。一月二五日から三〇日までの期間に、約三〇〇〇人が参加、テーマごとに約三百のパネル討論が予定されている。世界自然保護基金など七〇のNGO代表も議論に加わる。日本からは、森喜朗首相、鳩山由紀夫民主党代表、石原慎太郎東京都知事らが顔をそろえる」(http://www.asahi.com/business/keyword/010120.html)。

 世界社会フォーラムは、この世界経済フォーラムに対抗して、二〇〇一年一月末のダボス会議の日程にあわせて、地球の反対側のブラジル・ポルトアレグレ市で第一回創立会議が開催された。同じく「フォーラム=公共討論の広場」であるが、「世界経済」に対して「世界社会」を対置する構図で、「グローバル市民社会」形成がめざされている。多国籍企業主導のグローバリゼーションのもたらす問題を、民衆の立場から考える、世界のNGO・社会運動のグローバルなネットワークである。

 私は二〇〇一年九・一一直前に執筆した『二〇世紀を超えて』(花伝社)で、アントニオ・グラムシ、丸山真男、ヴァルター・ベンヤミン、石堂清倫を用いながら、グラムシが第一次世界戦争における戦争のあり方の変化から導いた「機動戦から陣地戦へ」という社会変革のための政治への指針が、第二次世界戦争から冷戦崩壊を経て、「陣地戦から情報戦へ」と大きく転換しつつあると考え、民衆的「情報戦」の必要と「仮想敵をもたない非暴力・寛容・自己統治の政治」の重層化を提唱してきた。世界社会フォーラムは、インターネットをフルに活用して世界の社会運動を結ぶ「情報戦時代のインターナショナル」であり、その組織原理には、「非暴力・寛容・自己統治」の特徴が見られる。

 WSFの直接の源流は、一九九九年一二月シアトルWTO会議への七万人抗議行動で、二〇〇一年七月ジェノバ・サミットに対する三〇万人デモでは武装警察との衝突で死者も出たため、日本のメディアでは「反グローバリゼーション運動」と紹介されてきた。しかし、正確にいえば「反グローバリゼーション」というよりも「オルタナティヴ・グローバリゼーション」の運動体で、「もう一つの世界は可能だ」を合言葉に、地球的連帯を求める各種NGO・NPO・社会運動団体のネットワークである。その参加団体・個人は、アメリカのイラク侵攻に反対する反戦平和運動でも、中心的役割を果たした。

 

 三 二〇〇一年一月──創立大会から憲章起草へ

 

 二〇〇一年一月の創立会議には、日本から、北沢洋子日本平和学会会長(当時)が出席し、その経緯を詳しく述べている。長文だが、二一世紀初発の民衆運動勃興の証言として、記録に残しておく価値がある(以下は、北沢洋子「二〇〇一年一月、ポルトアレグレーー新しい運動の時代の始まり」http://www.jca.apc.org/~kitazawa/thesis/porto_alegre.html)。   

 「もう一つの世界は可能だ」ムムこれは、二〇〇一年一月二五ム三〇日、ブラジルのポルトアレグレの「世界社会フォーラム」に世界各地から集まった一万六〇〇〇人にのぼる参加者の共通の言葉であった。
 「世界社会フォーラム」は、その名称と日時から明らかなように、同じ時、地球の反対側にあたるスイスのダボスで開かれた世界の経済・政治のエリートたちの「世界経済フォーラム」に向けた『対抗会議』だと報道された。しかし、ポルトアレグレは、たんなる反ダボス会議にとどまらなかった。「世界社会フォーラム」は、新しいグローバルな市民社会の運動のはじまりであった。これは、世界を変えるグローバルな運動である。そして、ポルトアレグレは、まさにこの新しい運動の始まりにふさわしい都市であった。……
 私のところに送られてきた招待状には、五〇〇人規模の会議だと記されていた。実際、世界社会フォーラムのWeb Siteには、出席者の名簿が掲載されていたが、それは、一〇〇人を超えることはなかった。
 ポルトアレグレに到着した一月二四日に、ブラジルの組織委員会による記者会見が開かれた。この席で、ポルトアレグレ市長が、「最初は二五〇〇人規模の会議ということで、市はホテルなどの受け入れ体制を準備したが、隣国のウルグアイから六〇〇人、アルゼンチンから一二〇〇人、フランスから二〇〇人と大グループが到着しはじめた。さらにブラジル国内から一万人が集まり、参加者総数は一万六〇〇〇人に達した。市当局は、ホテルに収容できない人のために、急遽公園にテント村を設営し、このほか、夏休み中の学校を宿泊所にした」と語った。私は、はじめて、とてつもない、マンモス会議に参加したことを知らされた。 
 ポルトアレグレは、すべての面で、ダボスを上回っていた。テレビや新聞などの記者団も、一八〇〇人が登録した。うち海外からは、八〇〇人であった。ダボスを取材したジャーナリストの数は一〇〇〇人に過ぎなかった。それも反対デモの取材が目的というのが多かった。
 北沢氏は、「なぜブラジルのポルトアレグレであったのか」にも、触れている。
 ダボスの世界経済フォーラムは、一九七一年から毎年一月末に開かれてきた。ダボスは、スイスの寒村で、近くにある国際決済銀行(BIS)が主催してきた。当初は、多国籍企業や銀行の重役たちが集まって、インフォーマルに意見を交換する場であった。冷戦以後、これに米、ヨーロッパの政治家が参加するようになり、最近では、マンデラ、アラファトのような第三世界の政治家も加わるようになった。したがって、ダボスは、世界の経済、政治、官界のエリートが結集する一大晴れ舞台となり、グロ―バリゼーションの象徴となった。
 一九九八年一月、従属理論派のサミール・アミンが主催する第三世界フォーラム(本部はダカール)が、ダボスの近くで、「オルターナティブ経済フォーラム」を開催した。これには途上国の社会科学者約五〇人が集まり、「ネオ・リベラリズム」に反対する決議を採択した。多分これが、ダボス会議に反対する最初の動きであった。翌年の二〇〇〇年一月には、フランスのATTACが呼びかけて、ダボスで、抗議デモが行われた。このATTACは、世界を駆け巡る投機的な資本の移動を抑制するために「トビン税」を課税し、これを雇用や福祉、貧困の根絶の資金にしようという新しい市民運動であり、フランス国内だけで、二万五〇〇〇人の会員を擁する。ちなみにATTACの代表は、フランスの月刊誌「Le Mondo Diplomatique」の社主兼編集長であるベルナール・カッセンである。 ATTACは、ダボスに対抗する「世界社会フォーラム」を第三世界で開くことを企画した。カッセンが持っているマスメディアの人脈をフルに使って、ブラジルのポルトアレグレに白羽の矢を立てたのであった。
 ブラジルは、途上国の中でも、インドと並んで大国であるが、同時に、連邦国家である。ブラジルの最南端のリオグランデ・ドスル州は、左翼の労働党が政権を握っている。その州都である人口一三〇万人のポルトアレグレ市も、すでに一二年前から、市長、市議会ともに労働党である。
 ポルトアレグレ市は、「参加民主主義のモデル」と言われている。その典型的なプロジェクトが、二年前からはじまった「参加型予算システム」である。市の収入のうち、公務員の給料を差し引いた事業費の八〇%が、市内一六のコミュニティの運営に任されている。それぞれのコミュニティが代表を選出し、交通、病院、教育、公的住宅、上下水道の開発、課税制度改革などのテーマについて、議論し、予算の額と、優先順位を決める。予算の配分、実施にあたっては、コミュニティの代表と市議会議員と共同で行う。
 この参加型予算システムが成功していることは、ポルトアレグレ市を訪れた人には、一目瞭然である。まず、ポルトアレグレ市には乞食がいない。スラムがない。小さな小路にいたるまで、清潔である。夜、女性が町を歩いても安全である。市の人口より多くの樹木が植えられていて、大気汚染がない。ブラジルの他の都市に比べると、その成果が判る。国連開発基金(UNDP)の人間開発指数では、ラテンアメリカの中で一〇〇万人を超える都市のなかでポルトアレグレ市が最上位にランクされている。水道の普及率は九九%、下水道は八二・九%にのぼっている。
 一二年前、労働党の現リオグランデ・ド・スル州のOlivio Dutra知事が、ポルトアレグレ市長に就任した時には、今日の他のブラジルの都市と同様、市財政は破綻し、汚職がはびこっていた。犯罪が多発していた。人びとの政治不信の根は非常に深かったのであった。ポルトアレグレには、この政治面での参加型民主主義に加えて、「連帯経済」と呼ばれる経済システムがある。これまで、フランスやEUなどで「社会経済」と呼ばれてきたものである。これは、利潤追求の市場経済に対抗して、協同組合、共済組合、NGO、労組、社会運動など、利潤ではなく人間の連帯に基く非営利の経済活動を指す。これらの経済活動が、市や国のGDPの一〇%を上回ると、利潤追求の市場経済をコントロールすることが出来ると言われてきた。ポルトアレグレでは、この連帯経済が非常に発展している。生産者、消費者だけでなく、学校やミュージアムまでも協同組合によって経営されている。
 また、ポルトアレグレ市内には、貧困地域はあるが、リオなどに見られる不法占拠者のスラムはない。これは、ブラジル最大の社会運動である「土地なき労働者運動(MST)」の活動が大きく貢献している。MSTは、都市に流れ込んできた元農民が、再び農村に帰り、大地主の遊閑地を占拠する運動である。……

 第一回会議の模様は、北沢氏によって、以下のように報告されている。

 世界社会フォーラムは、第一日目は、開会式と夕方のデモで暮れた。デモの先頭には、州知事、市長、労働党党首、MST議長などが立ち、ポルトアレグレの繁華街を行進した。 第二ム四日は、午前中が全体会議、午後がワークショップ、午後六時から八時までは、証言に充てられた。全体会議は、世界社会フォーラムの主要テーマである「富」と「民主主義」について、四つの会場において同時進行の形で議論された。
 例えば、第一テーマは、「富の生産」であって、第一日目は「生産システム」、第二日目は「貿易」、第三日目は「金融システム」、第四日目は「地球」というサブ・テーマでパネル討論の形で議論された。私は、「金融システム」のセッションの司会を務めたが、ここでは、債務帳消し、トビン税、新金融秩序の確立などをとりあげた。このテーマ自体が国際フォーラムのテーマであるような大きなもので、到底半日の議論では、結論はでない。しかも、セッションの参加者が二五〇〇人を超え、中身のある議論は到底望めなかった。 第二テーマは「富へのアクセス」であり、これは「科学」「共有財産」「分配」「都市」のサブ・テーマであった。第三テーマは、「市民社会」であり、「市民社会の能力」「情報」「グローバル市民社会」「文化」のサブ・テーマ、第四テーマは、「政治的権力」で、「民主主義」「国際機関」「民族国家」「紛争」のサブ・テーマに分かれていた。
 テーマの設定が、アカデミック過ぎるとの批判が出ていたようだが、いずれも魅力のあるテーマと、魅力のあるパネリストが配置されていたが、日本から一人だけの参加だったので、司会をやり、各種打ち合わせなどに時間をとられ、十分に議論をフォローできなかったのは残念であった。この全体会議は、カトリック大学の体育館を仕切った四つのホールで開かれたが、いずれも英、仏、スペイン、ポルトガルという四つの言語の通訳がついた。しかも、ほぼ完璧な通訳であった。
 午後は、参加者があらかじめ登録していた総計四七〇のワークショップの時間であった。それは、通訳の設備もエアコンもない小教室があてがわれた。これも、WTO、IMF、世銀、Jubilee2000、パレスチナ、バスク、コロンビア計画、先住民など、めったに聞けないテーマで、しかも専門家や活動家の生の声に接することが出来るという良いチャンスであったが、聞き逃したのが多かった。 夕刻の証言は、ブラジルのMSTのJoao Pedro Stedile議長、労働党の前大統領候補Lura da Silva、フランスのマクドナルド店襲撃農民のJose Bove 、グアテマラのノーベル平和賞受賞Rigoberta Menchu、ウルグアイの詩人Edurdo Galeano、ポルトガルのノーベル文学賞受賞Jose Saramago、フランスのDaniel Mitterand 、アルジェリアの初代大統領Ahmed Ben Bella などが登場した。このほか、珍しい参加者には、フランスのアスコエ連帯経済相(緑の党)がいた。彼の同僚のファビウス財務相(社会党)は、ダボスに出ていた。

 世界社会フォーラムの組織のあり方は、最初から「フォーラム型」であった。

 世界社会フォーラムの開催をよびかけたのは、組織委員会であった。委員会は、ブラジルの開発NGO連合体であるABONG、ブラジルのカトリック正義と平和委員会(CBJP)、ブラジル・ジャーナリスト連盟(CIVES)、労働組合総同盟(CUT)、土地なき労働者運動(MST)、提言型NGOのブラジル社会経済分析研究所(IBASE)、人権擁護のNGOであるグローバル正義センター(CJG)、それにフランスのATTACで構成された。ちなみにATTACはブラジルにも支部が設立されている。
 このように、組織委員会はブラジルの市民社会の主な団体が加盟しているが、考え方はそれぞれ異なる。グローバリゼーションについても、ネオ・リベラリズムには反対だが、そのオルターナティブは、社会民主主義であるとするものから、資本主義を打倒するべきだとするものまで、含まれている。これまでで最も長く続いたコロンビアの左翼ゲリラに対しても、武装闘争に反対する開発NGOは、不支持の立場をとっている。このような意見の対立は、全体会議のすべてのセッションで見られた。
 対立は、非政治、非暴力の立場を採る開発NGOと労働者、農民、先住民、都市貧困層など「社会運動」と呼ばれるグループとの間で激しく起こった。組織委員会では、IBASE、ABONGなどのNGOグループが、労働党の政治に利用されるとして、世界社会フォーラムを定期化すること、そして、来年一月にも再びポルトアレグレで開くことに反対した。また、世界社会フォーラムが「宣言文」を出すことにさえ反対した。 宣言文を出さないことについては、そもそも世界社会フォーラムを発案したフランスのATTACが納得しなかった。そこで妥協案として、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三地域グループが、宣言文を起草し、これに、参加者、団体が署名するという形をとることになった。また、大陸毎に、世話役の組織と人を選び、少数のインフォーマルな世話人会議を発足させることになった。これはATTACが今後連絡役として、まとめて行くことになった。同時に、バンコクのFocus on Global Southがインターネットを通じて、世界社会フォーラムに提出された論文を発表していくことになった。 

  こうした初発の経験にもとづいて、創立大会後に「ヤパーナ世界社会フォーラム憲章」が起草された。二〇〇一年四月九日にサンパウロで、世界社会フォーラム運営委員会を構成する諸組織によって承認・採択され、同年六月一〇日に、世界社会フォーラム国際委員会によって、さらに修正され承認された。前掲拙稿「反ダボス会議のグローバリズム」にも一部を紹介したが、歴史的文書なので、全文を紹介しよう。

  世界社会フォーラム憲章
 
 前文 二○○一年一月二五日から三〇日まで、ポルトアレグレで第一回・世界社会フォーラムが開かれました。計画・運営には、ブラジルの団体で構成する委員会があたりました。委員会では、フォーラムがあげた成果をふまえながら、世界から寄せられた期待にこたえ、 憲章を起草する必要があると考えます。ここでいう憲章とは、 ポルトアレグレに始まった運動を推進する指針となる原則です。わたしたちの運動に参加し、 新しい世界社会フォーラムを作り出そうとする人たちは、これを尊重してくださることと思います。 原則のもとになったのは、第一回フォーラムの開催を推しすすめ成功に導いた委員会決議でした。 その意図はやがて乗り越えられ、わたしたちの運動は論理の指し示す方向に進むことになるでしょう。
 一 世界社会フォーラムは公開された討議の場です。わたしたちは考えを深め、アイデアを民主的に話し合い、提案をまとめます。経験を自由に交換し、効果的な行動を追求します。ここに参加するのは市民の団体や運動組織です。 わたしたちはネオ・リベラリズムを批判し、資本主義や帝国主義が世界を支配するのに反対します。人間同士が実り多い関係を築き、 人間と地球が豊かにつながる地球社会を作り上げるために行動します。
 二 ポルトアレグレの世界社会フォーラムは時間・場所ともに限られた催しでした。 これからは、ポルトアレグレで宣言された 「もう一つの世界が可能だ」 という確かな合言葉にもとづいて、もう一つの可能性を追求し実現する永続的な運動になります。この運動は、それを支える会議だけに限定されません。
 三 世界社会フォーラムは全世界で進められます。道のりの一部として開かれるすべての会議は国際的な広がりをもちます。
 四 世界社会フォーラムは、巨大多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家・ 国際機関が推進しているグローバリゼーションに反対し、その代替案を提案します。世界史の新しい段階として、連帯のグローバル化が生まれるでしょう。そうなると、どこの国にいても、どんな環境におかれていても、男女を問わず市民の権利、 普遍的な人権が尊重されます。社会正義・平等・市民主権に奉仕する民主的な国際社会の仕組みと国際機関がその基礎となります。
 五 世界社会フォーラムは、世界の国々で活動する市民の団体や運動組織だけが集まり、たがいに連帯するものです。しかし世界の市民社会を代表するものではありません。
 六 世界社会フォーラムの会議が、世界社会フォーラムという団体の利益のために 開かれることはありません。ですから、ひとりの人がいずれかのフォーラムの 代表者として権威を持つことはなく、参加者全体の意思を代表することはありませんし、投票であれ拍手であれ、参加者が団体として何かを決定することもありません。全員または多数が団体として行動するよう求めたり、フォーラムが 団体としての立場を確立するよう宣言・提案したりすることもありません。 ですから、フォーラムに権力の中心ができて参加者から異議が出るようなことはなく、参加する団体や運動組織が交流し行動するため、一つの方法だけを定めることはありません。
 七 しかし、フォーラムの会議に参加する団体や団体グループが単独で、または他の参加団体と協力して、会議の中で宣言や活動を決める権利は保証されます。 世界社会フォーラムはこうした決議を、利用できる手段を使って、広く回覧することに努めます。これに対して指図したり、指揮系統を問題にしたり、検閲や制限を加えることはありません。あくまで、決定した団体なり団体のグループが審議した結果をそのまま公開します。
 八 世界社会フォーラムは、さまざまな価値や考え方を認め、信条の違いを超え、政府機関や政党とは関係を持ちません。もう一つの世界を打ち立てるために、中央集権にならない方法で、団体や運動組織がたがいに連携し、地域レベルから国際レベルまで具体的に活動をすすめます。
 九 世界社会フォーラムは、多元主義(プルーラリズム)を尊重する開かれたフォーラムでありつづけます。参加を決めた団体や運動組織のあり方も、その活動も多様なものになります。憲章の原則に基づいて、ジェンダーや民族性、文化、世代、身体能力などの違いを受け入れます。政党や軍事組織の代表者は参加することができません。政府指導者や議員が憲章の原則を守ることを誓うなら、個人の資格でフォーラムへ招待されることもあります。
 一〇 世界社会フォーラムは、経済や発展・歴史を一つの視点から解釈したり 何かの原則に還元したりすることに、すべて反対します。国家が、社会を統制するために暴力を使うことにも反対します。わたしたちは人権を尊重し、真の民主主義による実践と参加型の民主主義を支持します。民族間・ ジェンダー間の平等と連帯による平和交流を支持します。また一人の人間が支配し、他の人間が従属するという人間関係をすべて排除するよう訴えます。
 一一 世界社会フォーラムは議論の場です。深く考察し、その結果をすべて公開する思想運動の場です。 資本による支配機構や手段について考えます。支配に抵抗し、それを克服するための方法や活動について考えます。資本主義のグローバリゼーションは人種や性の差別・環境破壊を伴い、人びとを排除し、社会に不平等をもたらしています。わたしたちは、 各国内でも国際間でも生まれているこの問題を解決するために、 代替案を作り上げます。
 一二 世界社会フォーラムは経験を交換する枠組みです。わたしたちは参加団体や運動組織が互いに理解・認識を深めるよう奨励します。人びとの必要を満たし自然を尊ぶ経済と 政治の活動を中心として、社会を築いてゆきます。わたしたちは、現在のためにもこれからの世代のためにも、こうした経験の交換が特に重要であると考えます。
 一三 世界社会フォーラムは連帯を生み出すための仕組みです。 わたしたちは団体や運動組織の結びつきを、国内でも国際間でも強化したり、新しく作り出したりします。この連帯がわたしたちに力を与えます。 世界中の人々が耐え忍んでいる非人間化の過程や国家が使う暴力に対して、公共の場でも私生活の場でも非暴力の抵抗をつづける力が高まるでしょう。また、団体や運動組織が人間らしさを取りもどすためにする活動をより強いものにするでしょう。
 一四 世界社会フォーラムは一つの過程です。わたしたちは、参加する団体や運動組織の活動が、 地域レベルから国家レベルへ、さらに国際レベルへとすすみ、地球市民として問題と取り組んでゆくことを奨励します。 変革を目指す実践活動がいま試みられています。わたしたちは、こうした運動を全世界の人々の課題へと導き、連帯して新しい世界を築きます。
別処珠樹・安濃一樹訳、「ヤパーナ社会フォーラム」http://www.kcn.ne.jp/~gauss/jsf/charter.html

 

 四 二〇〇二年一月──ダボス会議の危機とポルトアレグレの熱気

 

 世界経済フォーラムの二〇〇二年大会は、警備上の理由もあってダボスを離れ、ニューヨークで開かれた。いうまでもなく、前年九・一一米国同時多発テロを受けたものであった。「脆弱な時代の指導力・分かち合う未来ビジョン」を主題に、経済停滞の克服や世界景気の行方、イスラム教世界との協調のあり方などが討論されたが、ちょうど一月二九日にブッシュ大統領が、一般教書演説で北朝鮮・イラン・イラクの三国を 「悪の枢軸」 と呼んだ直後で、イギリスの『タイムズ』は「ニューヨークの世界経済フォーラムがかもしだす一貫性のない偏執狂的な雰囲気から察すると、アメリカの政治家や企業家、メディアの解説者らは、集団で神経衰弱におちいる瀬戸際に立っているようだ」と報じた。

 それは、グローバリゼーションとダボス会議の危機であった。英紙『ファイナンシャル・タイムズ』も、「例年にくらべずっと息苦しい雰囲気で、先の見えない現代の混沌とした世界では、ダボスに答えは出せない」 とし、アイルランドの 『アイリッシュ・イグザミナー』 は、より率直に「世界経済フォーラムの発言者は、次から次へとアメリカを独りよがりの超大国だと非難した」という。イタリア『イル・ソーレ・24・オーレ』 紙は、「アメリカとヨーロッパの溝が、政治・経済の両面で再び広がりつつある」と伝えていた。

 つまり、グローバリゼーションを推進する政治経済エリートの内部でも、いわゆるネオコン(新保守右派)が主導するアメリカ・ブッシュ政権の報復主義・単独行動主義・先制攻撃主義に疑問が生まれ、アメリカとヨーロッパの支配層の間に、亀裂が生まれていた。ポルトアレグレWSFに出席したイマニュエル・ウォーラーステインが喝破したように、このダボス会議WEFの亀裂と危機は、同時に開かれた第二回世界社会フォーラムの圧力を受けていた(イマニュエル・ウォーラーステイン「ダボス対ポルトアレグレ 第二戦」http://fbc.binghamton.edu/83jp.htm)。

 すでに開会前に、アタックのニューズレター『サンドインホール』(一月二三日号)は、アメリカの多国籍企業エンロンの倒産とアルゼンチンの経済破綻を挙げて、「世界社会フォーラムが始まる時、この二つの災禍は、世界のエリートと彼らによる企業主導のグローバリゼーションの計画が九月一一日以前に直面していた『正当性の危機』を再び、より劇的に現出させた。ポルトアレグレは、『もう一つの世界は可能だ』と確信している運動の側が反撃に出る最高の場所であり、最高のタイミングである」とよびかけていた。(http://www.jca.apc.org/attac-jp/ATTACNewsletter/attac0205.html)。

 実際には、世界から八万人が集まった。参加者が多かったのは、開催国ブラジルのほか、イタリアとアルゼンチン、フランス、スペイン、チリ、ウルグアイ、カナダなどであった。フランス政府やドイツの与党社会民主党(SPD)は、ニューヨークにもポルトアレグレにも代表を送った。日本からも、結成されたばかりのアタック・ジャパンなどから十数人が参加した。日本のマスコミでも、『毎日新聞』二月一四日付社説は、ニューヨークのWEFとWSFを対比し、「世界フォーラム 人間の顔をするか地球化」と詳しく論じていた(http://www.mainichi.co.jp/eye/shasetsu/200202/14-2.html)。ここでは「貧者の国連」に出席した、アタック・ジャパン事務局田中徹二氏の報告を聞いてみよう。

 「もう一つの世界は可能だ(Another world is possible)」をメインスローガンに、第二回世界社会フォーラム(WSF)が一月三一日から二月五日までの期間、ブラジル南部の都市ポルトアレグレ市で開催された。このフォーラムは、世界経済フォーラム(WES、通称ダボス会議)に対抗して、昨年より同じ時期に開催されてきた。経済フォーラムが世界を動かしている経済や政治のエリートたちの、つまり経済のグローバル化を推進する人たちのフォーラムなら、社会フォーラムはそれに異議申立てをしている人たち、つまりNGO・市民、労働組合など持たざるもののフォーラムである。第二回目の今年は、昨年の四倍から五倍といわれる八万人もの人々が、文字通り「インド・アフリカのNGOからアメリカの先住民代表まで、パレスチナの戦士からイスラエルのNGO代表団まで」、国境、民族、言語の壁を超えて集まった。
 日本からは、アタック・ジャパン 関係者十人が参加した。「日本の労働者が直面する現実」というワークショップを主催するとともに、様々な社会運動団体との交流を行ってきた。
 残念ながら、日本のマスコミはこのWSFについてほとんど報道しなかったが、フランスから六人もの閣僚が参加したこともあってルモンド紙などフランスのマスコミ、またイギリスのガーディアン紙やBBC放送、アメリカのニューヨークタイムズ紙などは連日のように報道していた。ここにもグローバリゼーションに対する関心の度合いの違い――そしてそれは日本における反グローバリゼーション運動の弱さの反映でもある――を痛感した。
 WSFはついて、ある人は「貧者の国連」と名付けたが、世界一三一ヵ国から約五〇〇〇の市民団体、一万五〇〇〇の市民社会の代表団など八万人近くが結集した。まず、どれほどの規模の民衆のフォーラムであったかを数字で見ることにする(公式数値と地元新聞の報道より)。
一 参加者――五万一三〇〇人(前もって締め切りまでに登録した団体とその構成メンバー)
二 傍聴参加者――三万五〇〇〇人(フォーラム開催中に登録した団体と個人と思われる)
三 ユースキャンプ――四〇ヵ国一万一六〇〇人
四 参加国――一三一ヵ国、使用言語――一八六ヵ国語、人種――二一〇
五 NGO、社会運動、労組など市民社会の代表団――一万五二三〇代表
六 市民団体、市民組織――四九〇九団体
 また、国別に参加者数が多い順に見てみると、ブラジル(何万人にもなる)、イタリアとアルゼンチン(ともに一四〇〇人)、フランス(八〇〇人以上)、米国(四二〇人)、以下スペイン、ウルグアイ、カナダと続き、アジアではインドが多かったようだ(韓国、中国・香港、日本からはそれぞれ十数人)。目立つのは、昨年少なかった米国から多くのNGO、研究者が参加したことである。
 このようにWSFは巨大なフォーラムであった。プログラム案内は三ヵ国語で書かれた分厚い新聞紙のようなものにびっしりと書かれており、朝八時三〇分から夜九時まで会議、セミナー、ワークショップが記されていた(その後、夜を徹してコンサートが催されている)。さらにプログラムには書かれていない会議、交流会、討論会などがあり、こちらはウェッブサイトで探すか、有力組織から情報を聞き出さなければならなかった。
 このフォーラムの目的を一言で言えば、第一にオルタナティブ(代替案)のための会議と討論の場であり、第二に交流・連帯の場であった。昨年四月、第一回WSFの成功を受け、ブラジルの七つの諸団体(NGO、労働組合、農民団体、人権団体など)とフランスのATTACによる組織委員会は、WSFの目的として「新自由主義に反対する地球規模の市民社会の諸団体によるオルタナティブのための民主的討論や経験の自由な交流の公開会議場」と位置づけた。
 さて、会議やセミナーには、ノーム・チョムスキー、イマニュエル・ウォーラーステイン、リゴベルタ・メンチュー、バンダナ・シバ、ベルナール・カッセン、スーザン・ジョージ、ウォールデン・ベロー、モード・バローなど日本でもよく知られている著名な論者や多くの学者・研究家が参加した。
 会議(コンフェレンス)では、四つのテーマに基づく六つのカテゴリーを一日一テーマづつ四日間、午前中に行われた。そのテーマとは、^富の生産と社会的再生産、_富へのアクセスと持続可能性、`市民社会と公共空間、a新しい社会における政治権力と倫理である。カテゴリーとして^は国際貿易、多国籍企業、金融資本規制、対外債務、労働、連帯経済、_は知識・著作権と特許、医療・健康・AIDS、持続可能な環境、水・公共財、先住民、都市・都市住民、`は差別と不寛容への闘い、コミュニケーションとメディアの民主化、文化的創造・多様性とアイデンティティ、市民社会の国際運動としての展望、暴力・家庭内暴力を容認する文化、移住者・人身売買(女性、子ども)・難民、aは国際組織と世界権力構造、参加型民主主義、主権・国民・国家、グローバリゼーションとミリタリズム、原則と価値、人権の経済学・社会と文化的権利、というどれもこれも魅力的内容で行われていた。
 交流・連帯では、大陸別・地域別会議や労働組合などの社会運動別会議、ATTAC世界総会など国際NGOの会議などがセミナーやワークショップと平行して行われ、ネットワーク化が飛躍的に進められた。女性、青年、先住民、労働、反戦平和(アジアやラテンアメリカなど大陸別に)ほかで宣言・決議などが上がった。また、フランスからの六人の閣僚の参加のほかに世界から多くの国会議員も参加し、世界議員フォーラムが行われ、米国の戦争を糾弾する決議が上がった。
 さらにATTACフランス、ブラジルCUT(中央労働組合評議会)、ヴィア・カンペシーナ(農民の道、ラテンアメリカ・ヨーロッパを中心に世界各地に支部を持っている)、フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス(タイ)などのイニシャティブによって、「ポルトアレグレ2──社会運動団体からの呼びかけ、新自由主義・戦争・ミリタリズムへの抵抗をーー平和と社会的公正のために」という宣言が採択された。この宣言を作るために、連日様々な運動体がこの指とまれ方式で断続的に集まり、最終日までにまとめあげた。実は、第一回目と同じく今回もWSFとしての決議や宣言は出なかったので、この呼びかけの内容が、WSFに参加した団体の中で社会運動をより強化していこうという諸グループの今後一年間のいわば運動方針になると思われる。
 そして二月五日の最終日、来年のWSF開催は三度ポルトアレグレで、〇四年にはインドで、〇五年はアフリカで開催することが発表された。…… 
 「社会運動団体からの呼びかけ」にもあるように、今回のWSFでの議論の一方の柱は、米国の戦争政策に典型的に現われているグローバリゼーションとミリタリズムについてであった。議論のほかに私たちが感じたことは、何よりも人間としての尊厳と社会的公正を求める全世界の運動を担う人々の熱気にふれたことであった。今日の日本列島を覆うリストラ・失業、民営化の攻撃は、経済のグローバル化の中で日本資本主義が生き延びるための攻撃である。したがって、それに抗する運動も一国で完結することはなく、グローバルな規模での闘いが意識的に追求されなければならない。そして米国の戦争政策とそれに追随する小泉政権に立ち向かっていくことが求められている。(アタック・ジャパン事務局田中徹二「第二回世界社会フォーラムの全世界から八万人が結集! 反グローバル化のネットワークで社会的公正と平和を実現しよう!」http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/keizai/kajinosihon0303.htm

 

 五 アジア社会フォーラム・イン・ハイデラバード

 

 二〇〇三年一月の世界社会フォーラム第三回大会を前に、二〇〇二年一一月にはヨーロッパ社会フォーラムがフィレンツェで開かれ、折からの「ブッシュ・ドクトリン」発表、対イラク戦争の切迫から、一〇〇万人もの反戦デモが行われた。

 二〇〇三年一月初めには、初めてのアジア社会フォーラムが開かれた。このアジア社会フォーラムの会場となったのが、今回私の訪れた古都ハイデラバードであった。これに出席した小倉利丸富山大学教授の参加記を、私はプリントアウトして持っていった。

 アジア社会フォーラムとは、ブラジル・ポルトアレグレで開かれている世界社会フォーラム(WSF)の地域版。WSFは第三回が今年一月末に開かれました。昨年の第二回WSFには世界各地から四、五万人が参加した。そして、第三回を開催しようという話になった。その時、反グローバリゼーション運動を展開していくときに、多くの人数が一度にポルトアレグレに集まるだけではなく、各国・各地域ごとに社会フォーラムを立ち上げていく。その中でWSFを位置付けていくべきではないか。そこで地域=大陸別の社会フォーラムを開いていこうと。アジアに関しては、最終的にインドでアジア社会フォーラムを開くことになった。ヨーロッパ、ラテンアメリカでもそれぞれ地域フォーラムが開かれた。
 アジア社会フォーラムは、一月二ム七日、インドのハイデラバードで開かれた。ハイデラバードは南インドに属する都市だが、地理的にはインド亜大陸のほぼ真ん中に位置し、インド国内でのアクセスもいい。イスラム教徒とヒンズー教徒が半々の人口構成。イスラム教徒の割合が多い地域。そして、ハイデラバードはバンガロールなどと並ぶハイテク産業の集積地。インドにおいて新自由主義の中心的な都市の位置にある。だから、反グローバリズム運動にとって、ハイデラバード開催に意義がある。
「グローバル化と民衆運動の課題 アジア社会フォーラムに参加してーー小倉利丸さん(富山大教員)に聞く」、『グローカル』六二九号、http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/glocal/2003/629/saf.htm

 この会議には日本共産党も注目し、「しんぶん赤旗」一月九日付で「アジア社会フォーラム閉幕 三〇〇団体二万人多彩な討論 」と報じたほか、日本から数十人が参加した。ここでは、「新しいアジアを創造する巨大な民衆運動の第一歩ムムインド・ハイデラバードでのアジア社会フォーラムに参加して」と題する、伊藤成彦中央大学名誉教授の参加記を見てみよう。

 正月の二日から七日までインド中部のハイデラバード市で開催されたアジア社会フォーラムに参加しました。アジア社会フォーラムは、二〇〇〇年一月末からブラジルのポルト・アレグレで「別の世界は可能だ」(Another World is Possible)というスローガンの下に開始された世界社会フォーラムが、昨年一月の第二回大会で二〇〇二―二〇〇三年に大陸毎にフォーラムを開催することを決定したことを受けて開催されたアジア版ともいうべき会議です。ハイデラバード市は、「インドのシリコンバレー」とも呼ばれる百万都市で、大会は市内のニザム大学を主会場にして行われました。
 ニザム大学の校庭には、二千人収容可能な大型テント二基が設置されて、連日さまざまなフォーラムが催され、その他に大学の教室や市内各所のホールで一六〇のセミナー、一六四のワークショップ、記録映画会、音楽会が行われ、広場には民芸品やインド特有のサリーを売る店も軒を連ねて、ニザム大学は壮大な祭りの場と化していました。もともと「フォーラム」とは、古代ローマの公共広場を意味する言葉ですが、アジアを中心に四〇カ国から約一万人の老若男女が、米国を中心とする多国籍資本の「グローバル化」と米国の戦争政策に反対するために集まって、「もう一つのアジア・世界」を目指す民衆運動がアジアでも始まったのだと言ってよいでしょう。
 最も印象的であったことは、巨大テントの一隅に座っていると、さまざまな顔つき・皮膚の色の人たちが、「よー、兄弟」という具合に気軽に話しかけてきて、話に花が咲き、一緒に写真を撮る、といった交流が全く自然に成り立ったことでした。そしてこうした交流を通して判ったことは、多国籍資本と商品がアジアの隅々にまで浸透して、人々の暮らしをさまざまな形で変容させ、特に女性・子供・老人などの「社会的弱者」を苦しめていることでした。しかもハイデラバードでは、多国籍資本をインドで代表するインド工業連盟の全国大会が、WTOやIMFの代表も招いて、同時に開催されていたのです。
 最終日、七日の閉会式で、インド最下層から初めて大統領に選ばれたK・R・ナラヤナン前大統領は、「世界では多様な宗教や民族が共存するべきで、私たちは単一権力のグローバル化を望まない。世界銀行やIMFはまるで植民地支配者のように振る舞っているが、アジア諸民族は結束してかつてイギリス帝国主義を追い出したようにグローバル化資本を追い出そう」と呼びかけました。またビルマからメッセージを寄せたアウン・サン・スーチー女史は、「もう一つの世界は可能だと信じるだけでなく、私たちが人間としての尊厳を持って暮らしていけるように、もう一つの世界を実際に創り出そうではありませんか」と呼び掛けて、このフォーラムが新しいアジアを創造する巨大な民衆運動の第一歩であることを強く印象づけたのでした。(「九条連ニュース」九七号、http://www.9joren.net/kanto/kanto200301.htm、伊藤教授の紹介するアウン・サン・スーチー女史のメッセージは、http://www.burmainfo.org/assk/20030107ASF.html

 私が三月に会ったハイデラバード大学のレッカ・パンデ博士は、実際に女性差別のワークショップを主宰し司会したとのことだが、「あまりに大勢で、全体はわからなかった。でもすごい熱気で、お祭りのようだった」と率直な印象を語ってくれた(アジア社会フォーラムの日程・招請状等基礎資料は、http://www.jca.apc.org/wsf_support/asf/invitation_j.html

 

 六 二〇〇三年一月──「帝国」アメリカの戦争への世界的抵抗

 

 そして、今年二〇〇三年一月末の二つのフォーラムの模様は、私のホームページ「ネチズンカレッジ」が、大々的に伝えた。まずは、一月一五日号の予告編である。

 一月末に、重要な世界的会議が二つあります。かたや第三三回となる「世界経済フォーラム(WEF)」、通称「ダボス会議」で、昨年は九・一一がらみで敢えてニューヨークで開かれましたが、今年は例年通り、スイス山中ダボスです。こなた「世界社会フォーラム(WSF)」、まだ三回目ですが、昨年ブラジルのポルトアレグレでは、世界五〇か国から六万人もの反戦平和・反グローバリゼーション勢力が集まりました。昨年私は、やはり北京から帰国直後の本サイトで、「世界経済フォーラム(ダボス会議)か世界社会フォーラム(ポルトアレグレ)か」と問題提起しましたから、おぼえていらっしゃる方もいるでしょう。
 かたやWEFは、世界の多国籍企業・銀行経営者、大国政治家・高級官僚の集まる場で、今年のテーマはなんと「Building Trust」、アメリカ・グローバリズムもブッシュ・ドクトリンも世界からさまざまに反発されて、失われた「信頼」を取り戻すためのトップリーダー会議になります。一昨年は森首相がでかけて日本経済の「失われた十年からの脱出」を述べましたが、ほとんど「信頼」されず、昨年は蔵相・経済相らがでかけて「ハードランディング」をアドバイスされてきた、例の会議です。
 他方、WSFの方は、「もう一つの世界が可能だ」 を合言葉に新しい世界をめざす運動で、もともとATTACなどのよびかけで、経済のグローバリゼーションに民衆の立場から対案を出すために始まったのですが、昨年は九・一一がらみで、反戦平和のNGO・NPO・市民運動、知識人、政治家も世界中から勢揃いしました。昨年一一月九日に一〇〇万人の反戦デモを成功させたフィレンツェでの「ヨーロッパ社会フォーラム」、インドで新年に開かれた「アジア社会フォーラム」など地域フォーラムも開催されたうえで、再びポルトアレグレに集います。昨年はWEFとWSFの双方に閣僚・政府代表を送ったフランス、ドイツ政府などは、どういう対応を見せるでしょうか? テーマが「社会変革の戦略」と設定されていますから、注目です。日本のウェブサイトでは、「ヤパーナ社会フォーラム」に膨大なリンク集があり、「ATTAC JAPAN」「レイバーネット」、それに別処珠樹さん 「学びと環境のひろば 」などが、系統的に「世界社会フォーラム」を紹介しています。もちろん本カレッジも、「イマジン」を通じて、逐次報道していきます。『エコノミスト』二〇〇二年一一月二六日号に書いた「現代資本主義を読み解くブックガイド」でも紹介していますから、ご参照ください。

 ついで、二月一日号では、「ダボスの世界経済フォーラム(WEF)は「信頼回復」できず、ポルトアレグレの世界社会フォーラム(WSF)は一五六か国一〇万人で成功して『もうひとつの世界は可能だ』と決議・反戦デモ!」と報じた。アメリカのイラク戦争に反対する運動が高揚しているさなかで、大きな反響があった。ウェブ上では、毎日の会議の様子が即日で入手できるから、ほとんど実況中継に近い情報提供が可能であった。

 一月末に、世界はあわただしく動きました。アメリカ合衆国ブッシュ大統領の一般教書演説は、「我々は国連に対し、その憲章を守り、イラクの武装解除という要求を貫くよう求める。フセインが十分に武装解除しないなら、米国は(国家の)運合を率いて武装解除に乗り出す」「戦争を強いられれば米軍は正義の名の下に全力で戦い、勝利するだろう』「米国は強い国家だ。力の行使においては名誉を重んずる」と、昨年年頭教書で述べた「悪の枢軸」三国への態度を示しました。
 この国連決議抜きイラク攻撃を示唆したブッシュ教書演説に、まずは自国の野党民主党が批判し、ケネディ上院議員はイラク開戦に新たな議会決議を要求しました。英国など欧州八首脳が連名で米支援を訴えましたが、EUの中枢=「古くさい欧州」フランスとドイツは加わらず、欧州議会はイラクへの一方的な軍事行動に反対を決議しました。安全保障理事会常任理事国のフランスにロシアと中国が同調し、非常任理事国で二月の議長国であるドイツが査察の延長に傾き、ブッシュが「強く支持する」と述べたIAEA事務局長は「イラクは重大な違反を犯していない」「さらに四〜五か月の査察が必要」と述べていますから、国連での強行突破は難しくなっています。
 もちろん国際世論は、一月一八日に「イラク攻撃反対 世界の大勢に 三〇か国以上で行動」と報じられたように、大勢は戦争反対で、ブッシュやブレアの足元でも、戦争回避の声が強まっています。インターネットで世界に広がる「対イラク戦争反対」の声は、ベトナム反戦運動以来の高揚で、チョムスキーによれば、「宣戦布告前に、ここまで真剣なデモ・抗議行動が起きているのは始めて」です。
 こうした国家間の動きはマスコミでも報じられましたが、前回本HPが注意を促したスイス・ダボスの第三三回世界経済フォーラム(WEF)と、これに対抗するブラジル・ポルトアレグレの世界社会フォーラム(WSF)については、案の定、日本のマスコミでは、ほとんどとりあげられませんでした。
 世界の多国籍企業・銀行経営者、大国政治家・高級官僚千数百人の集まる場である世界経済フォーラム年次総会(WEF、ダボス会議)では、開催地スイスの大統領が開会式で米国のイラク単独攻撃に反対を表明、これに対してパウエル米国務長官が「単独武力行使も辞さず」とブッシュ政権内国際協調派らしからぬ圧力をかけましたが、イラク情勢には企業経営者から懸念の声が相次ぎ、マレーシアのマハティール首相はアメリカを強烈に批判、メインテーマの「信頼回復」も日本経済再生も、曖昧なままでした。会場周辺では「雪玉投げ、米国旗燃やす ダボスWEFでNGOらがデモ」と報じられました。グローバリゼーションVIPたちの社交の場に終わったようです。
 対するブラジルの第三回世界社会ファーラム(WSF)は、世界一五六か国から非政府組織(NGO)、政治家、知識人、一般市民など五七一七団体一〇万人が結集、開催国ブラジルのルラ新大統領は、世界経済フォーラム・ダボス会議へ出発する直前に「スイスに行って、もうひとつの世界は可能であることを証明してくる」と述べ喝采をあびました。「市民の手でジャーナリズムの変革を」と『ルモンド・ディプロマティーク』ラモネ編集長が講演、「英国は米国の番犬」とチョムスキーが演説、ボランティアの若者たちは共同キャンプ生活で「もうひとつの世界」を訴え、開会日に一〇万人、閉会式で四万人が「イラク戦争反対」「グローバリズム反対」のデモを繰り広げました。
 ユニークだったのは、「国連は、米国の影響力から解放されるべき」だとして、ニューヨークの国連本部を移転しようという提案。その国連アナン事務総長が世界社会フォーラムWSFにメッセージを寄せ、「グローバリズムを世界から排除し、社会フォーラムが掲げる正当な世界を求めるべき」「米国の対イラク攻撃を阻止するよう国連が全力を尽くす」と決意を述べました。ブッシュこそ「裸の王様」で、年頭教書のいう「人類の希望」「正義」は、世界社会フォーラムの側にこそあることを、世界中に示したのです。
 早速昨年一一月九日のフィレンツェ「ヨーロッパ社会フォーラム」一〇〇万人反戦デモ、インターネットで世界に広がった世界三〇か国以上、全米一〇〇万人参加の一・一八「対イラク戦争反対」運動に続いて、二月一五日に次の平和世界行動を提起、新年の「アジア社会フォーラム」開催地だったインドでの第四回世界社会フォーラムまで、「もうひとつの世界は可能だ」の持続的フォーラム運動が展開していきます。
 『日刊ベリタ』が第一報を流し、『レイバーネット』が現地速報を始めましたが、『ヤパーナ社会フォーラム』『アタック・ジャパン』等での、日本人参加者(約五〇人?)による詳しい報告が期待されます。本HPでは、引き続き、ついに一〇万ヒットを突破した「イマジン」で追いかけていきます。

 この第三回世界社会フォーラムで採択されたのが、二月以降の世界反戦平和運動の未曾有の高揚で重要な役割を果たした、「世界の社会運動団体へのよびかけ」である。

 世界の社会運動団体のよびかけーーすべてのネットワーク、大衆運動・社会運動団体にこの声明への署名を呼びかける(二〇〇三年一月、ブラジル、ポルトアレグレにて) 
 私たちは、グローバルな危機の気配の中、ポルトアレグレに集まった。米国政府が対イラク戦争開始の決意を通じて示している好戦的な狙いは、私たち全てに重大な脅威を与えており、また、ミリタリズムと経済支配の結び付きを見事に物語っている。
 同時に、新自由主義の下のグローバリゼーションは、それ自身が危機に入っている。世界的不況の脅威はかつてなく明白である。企業の不正をめぐるスキャンダルが毎日のように報じられ、資本主義の現実を暴露している。社会的・経済的不平等が拡大しており、私たちの社会と文化、私たちの権利、私たちの生命の社会的基盤を脅かしている。生物多様性、空気、水、森、土、海は商品のように消費され、売り物にされている。このすべてが、私たちの共同の未来を脅かしている。私たちはこれに反対する!
 私たちの共同の未来のために 私たちは、新自由主義の下のグローバリゼーション、戦争、レイシズム、カースト制、貧困、家父長制、すべての形態の経済的、民族的、社会的、文化的、性的、ジェンダー的差別と排除に反対して全世界で闘っている社会運動団体である。私たちは皆、社会的公正、市民権、参加型民主主義、普遍的権利、そして人々が自分たちの未来を決定する権利のために闘っている。
 私たちは、平和と国際的協力を目指し、人々の食、住、健康、教育、情報、水、エネルギー、公共交通、人権へのニーズに対応した持続可能な社会を目指す。私たちは、社会的暴力や家父長制の暴力と闘っている女性たちと連帯している。私たちは農民、労働者、都市の大衆運動、そして住居、雇用、土地、権利を奪われることによって差し迫った脅威に直面している全ての人々の闘争を支持する。
 私たちは数百万人という規模で声を上げ、「もうひとつの世界は可能だ」と叫んだ。 このことが今ほど真実で、緊急の問題となったときはない。
 戦争をやめろ! 社会運動団体は、軍事化、軍事基地の拡大と国家による弾圧の強化ムムそれは無数の難民を発生させ、社会運動や貧しい人々を犯罪者扱いするムムに反対する。私たちはイラクに対する戦争、パレスチナ人、チェチェン人、クルド人に対する攻撃、アフガニスタン、コロンビアに対する戦争やアフリカにおける戦争、そして朝鮮半島の戦争の脅威の増大に反対する。私たちはベネズエラに対する経済的・政治的侵略、キューバやその他の国に対する政治的・経済的封鎖に反対する。私たちは、新自由主義のモデルを押し付け、全世界の人々の主権と平和を侵害するために計画されたあらゆる軍事的・経済的行為に反対する。
 戦争は、世界支配の構造的で永続的な一要素となっており、軍事力を使って人々と、石油のような戦略的資源を支配することを目指している。米国政府とその同盟国は戦争を紛争解決のための、ますます普遍的な解決策として押し付けようとしている。私たちはまた、帝国主義諸国が世界中で宗教的、民族的、人種的、部族的、その他の緊張と反目を助長し、それによって自分たちの利己的な利益を追求しようとする試みを非難する。
 世界の世論の多数は、差し迫った対イラク戦争に反対している。私たちはすべての社会運動(団体)と進歩的勢力に対して、二〇〇三年二月一五日に全世界で行われる抗議行動を支持し、参加し、組織することを呼びかける。この行動はすでに世界の三〇以上の主要都市で、戦争に反対するすべての人々の協力によって計画され、コーディネートが行われている。

 以下、「WTOを失敗させよう!」「債務の帳消しを!」「G8に反対する」「女性ムム連帯して」と展開した上で、ネットワーク組織のあり方を、次のように方向づける。 

 [すべての]人々に呼びかける 私たちは現実への関与、さまざまな闘争や国際会議を通じてもうひとつの世界を築き始めており、もうひとつの世界が可能であることを強く確信している。私たちは戦争や貧困に反対し、平和と社会的公正を求めるために私たちの統一を継続し、強化することを決意した。
 昨年のポルトアレグレの世界社会フォーラムで、私たちは私たちの目的、闘争、そして連合を作り上げる方法を明確にした宣言を採択した。この宣言の精神は依然として生命を保っており、私たちのこれからの運動を鼓吹するだろう。
 私たちの国際的ネットワークの強化を その後、世界は非常に急激に変化してきた。そして私たちは、私たちの意志決定プロセス、コーディネート[連絡調整]とアライアンス[連合]の構築において、新しいステップを踏み出す必要を感じている。つまり、広範で、ラディカルで、民主主義、複数制、国際主義、フェミニスト、反差別、反帝国主義の観点に立ったアジェンダ[提案・課題]を提起し、広めていく必要がある。
 私たちは、私たちの分析と運動方針を明確にするための枠組みを確立しようとしている。このためには、すべての運動団体の能動的な参加が必要であり、その際に、社会フォーラムが政府や政党から独立していること(これは「世界社会フォーラム憲章」に規定されている)を念頭におき、また、その[参加している各社会運動団体の]自立性を尊重する必要がある。この枠組みは、さまざまな異なる社会的主体が自分たちの経験を報告し、共有することによって強化されていくだろう。しかも、これは社会運動の政治的表現と組織化のさまざまな形態に沿って、また、イデオロギーと文化の多様性に沿って行われるだろう。
 私たちは、敏速で柔軟で持続的で、しかも広範で透明な社会運動のネットワークを確立する必要を感じている。このネットワークの役割は、[社会運動の]プロセスを豊富化し、エネルギーを供給し、その多様性を発展させ、必要なレベルの調整[コーディネート]を引き受けることである。このネットワークの目的は、全世界の運動団体の、より深い政治論争への関与を促進し、共同の行動を推進し、社会的権利のために闘う具体的な主体のイニシアチブを強化することである。その機能は水平的で、かつ効果的でなければならない。
 この目的のために、私たちは国際的な動員の情報源と手段を提供するコンタクト・グループ(「世話人グループ」)を確立することを提案する。このグループの役割には、ウェブサイトやメーリングリストを通じた会議の準備、論争と[内部]民主主義の促進が含まれる。このコンタクト・グループは六ム一二か月にわたって確立される。これはブラジルをベースとする社会運動・大衆運動団体のネットワークの支持者たちの過去の経験を土台とする。
 この体制は暫定的であり、継続性を保証するためのものである。この暫定的なグループの主な作業は、世界の社会運動団体が相互に協力するための具体的な手続きを明確化するための論争を準備することである。これは継続的なプロセスである。コンタクト・グループによる最初の検討は、今年九月のカンクンにおけるWTO反対の大衆動員の期間中に行われる社会運動団体のネットワークの会議で行われる。二回目の検討は、二〇〇四年にインドで開催される予定の世界社会フォームの期間中に、社会運動団体のネットワークの会議で行われる。
 検討では、特に、コーディネート[連絡調整]の有効性が検討され、それを強化するための新しい方法が追求される。また、その年から次の年へどのように進むのか、国内的・地域的運動や課題別のキャンペーンをどのように組み込むのかが検討される。当面は、より永続的で、構成団体をよりよく反映した構造を確立するための提案を明確にするために、私たちは組織、キャンペーン、ネットワークの間での本格的な論争を必要としている。
 これからの数か月間、私たちはキャンペーンや動員を通じて、このプロセスを試し、改善し、確立するための多くの機会を手にする。私たちはすべてのネットワーク、大衆運動団体と社会運動団体に、二か月以内にこの声明に署名して、movsoc@uol.com.br へ送付するよう呼びかける。(http://www.labornetjp.org/NewsItem/20030203wsf/

 

 七 インドで読むネグリ=ハート『帝国』の違和感

 

 この頃、日本でもようやく、欧米でベストセラーとなった話題の大著、アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『帝国』の邦訳が刊行された(以文社)。私もインドに分厚い邦訳を持参し、ハイデラバードやニューデリーのホテルで読み進めた。

 「帝国主義ではなく帝国の出現」という捉え方は、九・一一以後世界に広がり、日本でも藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書、二〇〇二年)や『現代思想』のネグリ=ハート特集(二〇〇一年七月、二〇〇三年二月)でおなじみである。

 だが、九・一一以後のアメリカ・ブッシュ政権の動きや世界社会フォーラムの運動を見ると、どうもネグリ=ハート『帝国』の想定とは違っている。彼らによれば、「帝国」は国民国家を超えた脱中心的・脱領土的主権者で、底辺「マルチチュード」の欲望や愛をも汲み上げ差異に応じて柔軟に支配する「生権力」、ネットワーク権力である。アメリカ軍も国民国家アメリカの国益によってではなく「帝国の警察官」として行動する、という。

 しかし現実は、アメリカ合衆国一極に軍事力・経済力が集中し、しかも国連・国際法さえ無視した単独行動主義・先制攻撃主義を強行しようとしている。第三回世界社会フォーラムで最も注目され共感を呼んだノム・チョムスキーの演説「帝国に抗して」も、ネグリ的意味での無国籍「帝国」ではなく、「帝国主義」以上に凶暴な「帝国アメリカ」を糾弾したものだった(http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/chomwsf03.html)。

 その違和感を埋めるべく、インターネットで調べてみると、ネグリの九・一一以後の文章が、中山元「哲学クロニカル」中にみつかった。彼自身、「帝国」の問題として生起した事態に、アメリカ・ネオコンが「帝国主義的」に対応した「退行的」行動と認めている。

 この事件は『帝国』とはかかわりがありますが、この書物の基本的なテーゼの一つを確認するものとなりましたーーアメリカの島国性が終焉し、大地的な国家と海洋的な国家の差異も終焉するということです。ニューヨークがロンドン、ベルリン、東京と同じように空から攻撃される可能性があるという事実は、新しいグローバルな秩序の形成のプロセスが完全に展開していることを確認するものでした。アルカイダがアメリカの経済パワーの象徴を攻撃したという事実は、帝国の指導者にとっては内乱の始まりを告げるものです。
 この書物の構造に関連してまったく新しい事態だったのは、アメリカの反応が、帝国の形成に反対する退行的な逆行だったということです。これは帝国内部での、帝国にたいする逆行で、古い権力構造、古い命令方法、独裁的で実体主義的な主権の考え方と結びついたものです。これはわたしたちがこの書物で分析した帝国の生権力(バイオ・パワー)の分子的で関係論的な性格に逆らおうとする傾向を示しています。いまやこの矛盾こそが、状況の焦点となっています。(ネグリ・インタビュー「『帝国』について」『マニフェスト』二〇〇二年九月一四日、http://www.melma.com/mag/58/m00026258/a00000309.html

 そればかりではない。インドの友人たちに教えられ、マレーシアで購入できた世界社会フォーラムの政策提言をまとめた書物、W.F.Fisher & T.Ponniah eds., Another World is Possible: Popular Alternatives to Globalization at the World Social Forum(Zed Books, 2003)を読むと、そこには『帝国』の共著者ネグリ=ハートが序文を寄せており、「ポルトアレグレの世界社会フォーラムは、すでに一つの神話、われわれの政治的羅針盤を定義づける積極的神話となった」「それは、新しい民主主義的コスモポリタリズムであり、新しい国境を越えた反資本主義であり、新しい知的ノマド(遊牧民)主義であり、マルチチュードの偉大な運動である」と述べている。

 しかし、世界社会フォーラムは、ネグリ=ハートの「マルチチュードの脱走・エクソダス(脱出)」の論理によるよりも、むしろチョムスキーのいう「帝国アメリカ」への真正面からの抵抗・代替案であり、二月一四日に全世界で一五〇〇万人が街頭に出た宣戦布告前の歴史的反戦行動を実際に組織した(この点は、拙稿「情報戦時代の世界平和運動」)。

 ネグリ=ハート『帝国』では、あらゆる「代表」原理が一元的・超越論的と否定的に扱われるが、世界社会フォーラムは議会・政党を排除するわけではなく、ブラジル労働党のルラ新大統領選出に喝采を送り、労働党主導のポルトアレグレ市政に恩恵を受けている。各級議員たちの「国際議員ネットワーク(IPN)」も組織されて、フランスやドイツ、イタリア、南米各国の左翼政党は議員を送り込んでいる(http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/BRETIN.html#call)。

 アウトノミア運動から出発したネグリは、「資本の拒否」を「マルチチュード」の行動原理とし、NGOさえも「多国籍資本の慈善事業のメッセンジャー」扱いしているが、世界社会フォーラムの中心勢力は世界各国のNGOであり、資金的にも「フォード財団からほぼ五〇万ドルに上る財政的支援」を受けている。

 だからこそ、NGO・NPOが社会運動の中心になっているインドで、来年一月の第四回世界社会フォーラムが開かれる意味は大きい。「世界社会フォーラムーーポルトアレグレからインドへ、もう一つのグローバリゼーションを全体化するために」と題するWSF国際評議会メンバーのエリック・トゥサンのインタビューはいう(二〇〇三年三月二六日、(http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/BRETIN.html#eric)。

 世界社会フォーラムの「アジア化」は根本的な前進です。世界の人口の半数以上がアジアに住んでいます。多くの意味で、世界の変革は最初にこの大陸で行われなければならないでしょう。私たちは、西欧と南米の人口は世界全体の一五%に過ぎないことを忘れてはいけません。
 世界社会フォーラムは、その発端から今日にいたるまで、影響力や基本的特徴において、主にヨーロッパならびにラテンアメリカに焦点を合わせたものでした。場所の移動は、われわれの活動の方法や発言する人びとの変化を意味するでしょう。最初の三回の会合の参加者は毎回同じであり、私たちは繰り返し参加しました。私たちはきわめて貴重な一連のテーマ(第三世界の債務、水、グローバリゼーション、オルタナティブ・メディア、反戦の抗議、女性の闘争、食糧主権など)について論議を交わしました。
 今回のインドへの移動は、継続性の中での刷新をもたらすでしょう。問題を提起し、討論する上での新たな方法が作られます。さらに極めて重要な要素を付け加えれば、ここインドでは社会運動が高度な発展を遂げてきました。
 インドでは、目を見張るようなすばらしい社会運動がいくつかあります。数百万人のメンバーを抱えた草の根の農民組織、大衆的な労働組合(工業、公共・民間サービス、漁業などの部門)が、企業主導型のグローバリゼーションをめぐる大きな課題をめぐって行われる動員の担い手となっています。
 ヒンズー教徒の農民たちは、多国間投資協定(MAI)、遺伝子組み替え食物、モンサントなどの多国籍企業、ナルマダ川開発計画のような多国籍企業や世界銀行が押し進めているエネルギープロジェクトに反対して闘っています。私たちは、有毒ガスの流出によって一万五千人以上が死んだ一九八四年のボパールでのユニオンカーバイド社の事件のような、多国籍企業の犯罪的な責任放棄の問題に対処しなければならない人びとのことについても話しています。

 しかし、インタビューアーからは、「ポルトアレグレの第三回世界社会フォーラムでよく出された質問は、次のようなことでした。インドには、このプロセスの継続性を確保する組織的キャパシティーがあるのか、と」と、意地悪い質問も出された。

 私たちは、以前のポルトアレグレのフォーラムが達成してきたものと同じか、それ以上のものを他の大陸で行うことを求めることはできません。私たちは二〇〇一年に一万二千人の参加者で始めたことを忘れてはいけません。したがって、二〇〇四年のインドで三万人の参加者でスタートするのは、実際のところ当たり前のことであって、悪い結果とは言えないのです。
 諸設備のレベルは異なったものでしょう。おそらく私たちは、ポルトアレグレの市政やリオグランデ・ドスル州政府から受けてきたような支援を、地方・全国の政府から受けないでしょう。私たちは、忙しい準備作業と活動家ネットワークにいっそう依拠しなければならないでしょう。そして参加者たちは、私たちがいつも享受してきたような快適さを手に入れられないかもしれません。
 インドの世界社会フォーラム組織者は、大きな財団からのファンドを貰わないことを決めています。先のポルトアレグレでの世界社会フォーラムは、フォード財団からほぼ五〇万ドルに上る財政的支援を受けました。この新しい観点は、私にとって興味深いものです。それは、私たちがもっと初歩的なインフラでやっていくことを要請するものです。……
 もっとも、世界社会フォーラムも第三回、参加者一〇万人規模ともなると、「フォーラム=討論の広場」そのもののあり方が、問題になってくる。「ポルトアレグレでは社会運動(最終宣言を採択した)とフォーラムそれ自身の間の緊張がはっきりしました。これをどのように読み解きますか」という質問に、エリック・トゥサンは組織者の立場から答える。日本でもおなじみの、NGO・市民運動と労働運動や左翼党派の関係の問題である。
 私は、労働組合、あるいは伝統的な労組連合をふくむ社会運動の相対的な影響が、フォーラムの力学の中で増大してきたと考えています。こうした運動の力は発展しています。それに対して、当初のイニシアティブで重要な役割を発揮したのは、NGOや「ルモンド・ディプロマティーク」などのオルタナティブ・メディアでした。私はこの傾向は、きわめて積極的だと思います。
 このアプローチを、世界社会フォーラムに自らの場を見いだしているすべての他の諸組織に押しつけるのは正当化できません。しかし、堅固な社会的基盤を持つ組織や、現実の闘争に参加している組織が、他のグループを周辺化させることなく根本的な役割を果たしているのは、とても勇気づけられることです。さらに私は、このプロセスが世界規模でより多くの市民運動を引き入れることができるし、引き入れなければならないと確信しています。
 私は、「諸運動の運動」と言えるものが力をつけていると感じています。それは諸運動の集中あるいは結集だけではなく、それ以上のものです。ここには集権化された指導部はありません。それは良いことです。しかし「諸運動の運動」の構造が形を取りつつあることは明らかです。これは新しい事実です。……

 そして、インドの社会運動の中で最もめざましく発展しているのが、農村女性の解放教育とカースト・女性差別撤廃の運動であるが、「『女性の世界行進』の女たちへの期待」というフェミニストたちの文書(二〇〇三年三月一四日)は、別の問題点を指摘している。

 女性たちの運動、すなわち、今日のフェミニズムこそが、この三〇年の間に最も世界を作り変えてきた社会運動である。私たちは、女性たちに自らの価値と権利の存在を気付かせることによって、これを果たしてきた。女性たちの日々の生活を見て、私たちは性的および家庭内暴力、雇用のダブルスタンダード、私たちの仕事に対するゼロ評価、私たちの身体および私たちのセクシャリティに対する支配を告発してきた。女性たちがお互いに出会い、日々の経験を分析できるスペースをつくることで、私たちは、このことを達成した。一九七〇年代以来、女性たちの運動は国際主義的になり、多様でかつ権威主義的でない方法をとりながら発展してきた。
 新自由主義と右翼勢力が伸張する一方で、女性たちの運動は、自分たちの抵抗をグローバルに表現するために結集した。女性への暴力と貧困に反対する「女性の世界行進」は、グローバル・フェミニスト行動ネットワークの一構成団体である。このネットワークは、自らの命と世界が、排除と憎悪を増長させる抑圧のシステム(家父長制、人種差別、資本主義)によって商品化されていくことに対して拒否を示す装置である。このことこそ、私たちが二〇〇〇年に結集し、そして再び二〇〇五年に結集する理由である。
 そしてまた、これが、私たちが最初から積極的に世界社会フォーラムに参加してきた理由でもある。二〇〇三年の世界社会フォーラムは、私たちの作業の影響力を証明するものであった。参加者名簿には明らかにたくさんの女性たち、特にフェミニストたちの名があった。しかしながら、まだ女性たちの存在は周縁化されて、「儀礼的に許容されている」にすぎない。もう一つの世界を作り上げるときの女性たちおよびフェミニズムの役割について、私たちはまだ真剣な討論をしていない。資本主義に反対する闘争こそが優先される闘争だと考えている人は多い。依然として「理解できている」あるいは「より有能な」数人だけに権限を集中させる傾向が強い。
 世界社会フォーラムは、壇上に専門家のパネリストが並ぶように、今後も一方的な討論形式がとられるであろう。一般参加者は会場で質問するだけである。私たちの非権威主義的原則が反映され、各個人および団体の考えがさらに深まるような討論および議論のために新しい手法を作り出さなければならない。世界社会フォーラムに行って、実践の経験を共有し、資源を得て、また願わくば、他人から学んで、それにより、分析と行動を豊かにする人が多い。この点で女性たちの運動には貢献すべきものがたくさんある。私たちはいつでも経験を共有する準備ができている。しかし、それは対等な立場であることと、私たちのリーダーシップが認められるということでなければならない。
 来年に向けた課題は、この目標を実践することである。まさに女性の生活を変えるには世界を変える必要があることを私たちが知っているように、女性やフェミニズムなしでは、もう一つの世界は不可能であることを私たちは知っている。(http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/BRETIN.html#WMW

 世界社会フォーラムは、まだ生まれたばかりである。内部の矛盾も顕在化している。これがかつての「インターナショナル」のような運命を辿るかどうかは、未知数である。

 しかし、「第一次世界内戦」(P・ヴィリリオ)下インドでの私の省察は、ネグリ=ハート『帝国』の論理にこだわらず、「帝国」の深部をゆるがす民衆の力を考える契機を与えてくれた。実はデリー大学での国際会議では、ここから出発して、一九四六年日本国憲法と一九四九年インド憲法との比較から、憲法=Constitutionの政治的意味を再考するペーパーを提示したのだが、すでに紙数も尽きたので、その日本語化は別の機会に譲ろう。

 インドで進行する資本のグローバリゼーションを直視することは、その担い手の中核にある日本政府・日本型多国籍企業の支配に対する、足元での民衆の抵抗においても、インド憲法やインドのNGOから学びうることを意味する。情報戦の時代の社会運動は、ネグリ=ハートの用法とはやや異なる意味で、マルチチュード=多様なのである。 (了) 


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